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「……はあ。今日も今日とて、酒場の空気は人間味に溢れていて素晴らしいですわ。王宮の、あの消毒液と権謀術数が混ざったような無機質な空気とは大違いです」
私はカウンターで、カイン様から預かった「役人の不正リスト」に目を通しながら、鼻歌交じりにグラスを磨いていました。
すると、酒場の重い扉がギィと音を立てて開き、見るからに「不審な二人組」が店内に足を踏み入れました。
一人は、安物のマントを羽織っているものの、歩き方が不自然に堂々としすぎている男。
もう一人は、マントの下からピンク色のレースがはみ出している、隠しきれないトラブルメーカーの気配を纏った少女。
私はグラスを置くのと同時に、心の中で実況のスイッチを入れました。
(はい、来ましたわ! 本日の『変装大賞・努力賞にも入らない部門』のノミネート者です! 殿下、そのマントの裏地、チラリと見えた金糸の刺繍が『私は王族です』と全力で主張しておりますわよ!)
「……おい、そこの店員。エリー・オルブライトを呼べ」
変装したつもり(笑)のウィルフレッド王子が、低く潜めた声でカウンターに詰め寄ってきました。
私はにっこりと、営業用の「最上級の皮肉」を込めた笑みを浮かべました。
「あら、お客様。当店にそのような高貴な名前の娘はおりませんわ。いるのは、ガヤの実況で日銭を稼ぐ、自由奔放なエリーだけです。……それより殿下、その付け髭。右側が少し浮いて、まるで芋虫が顔を這っているようですわよ。貼り直して差し上げましょうか?」
「ぶっ……! な、なぜ私だと分かった!」
「隠す気が皆無だからですわ! 判定、マイナス百点! 王宮を出る前に、鏡を見て絶望してくるべきでしたわね」
王子は顔を真っ赤にして髭をむしり取ると、カウンターに身を乗り出してきました。
「……いいか、エリー。お前がいなくなってから、城の事務がどれほど停滞しているか分かっているのか! 書類の山は崩れ、エイドリアンは過労で倒れかけ、予算案はマリアによって紙吹雪にされたのだぞ!」
「まあ、マリア様。相変わらずクリエイティブな破壊活動に精を出していらっしゃいますのね。素晴らしいですわ、国家予算を物理的に散財なさるなんて」
「エリー様! 私、一生懸命お掃除も練習していますのよ!」
マリア様がマントを脱ぎ捨てて(その下はやはりフリフリのドレスでした)、私の隣でブンブンと手を振りました。
「……で、殿下。わざわざ髭までつけて、その『やらかし報告』をしに来ただけですの?」
「違う! ……エリー、特別に許してやる。お前がその、心から反省して、二度と私に生意気な口を利かないと誓うのであれば……宮廷事務官として、私の側近に戻してやってもいいと言いに来たのだ!」
酒場が、一瞬の静寂に包まれました。
客たちは「えっ、復縁?」とざわつき、隅の席で新聞を読んでいたカイン様が、ピクリと眉を動かしました。
私は深く、深く溜息をつきました。
そして、カウンターの上にあった一番大きなトレイを、バシィン! と叩きました。
「はい、判定入ります! ただいまの王子の発言、上から目線どころか、もはや雲の上からの勘違いですわ! 地盤沈下どころかマントルまで突き抜けていますわよ!」
「な、何だと!?」
「いいですか、殿下。私が今、どれほど充実した生活を送っているか、その節穴のような目でお確かめなさいな。朝は誰の顔色も伺わずに目覚め、昼は不正を働く悪徳貴族を言葉でなぎ倒し、夜はこうして美味しいお酒とツッコミを愛する皆様に囲まれているのですわ。……それなのに、なぜ私が、あなたの隣で『三行にまとめた書類』を差し出し、あなたの退屈な武勇伝に偽物の笑顔を振りまく刑務所に戻らなければなりませんの?」
「け、刑務所だと!? 私の側近は、全女性が憧れる……」
「憧れるのは、実情を知らない夢見がちな令嬢だけですわ! 私にとって、殿下の隣は『知性の墓場』でしたわよ! はい、この発言に対する殿下の表情、驚きと屈辱が五対五で混ざり合って、まるで腐ったミルクのような色合いですわ! 保存状態が非常に悪いですわね!」
「き、貴様……っ!」
「さらに言わせていただければ、その『戻してやってもいい』という物言い! 人にお願いする時は、せめて膝を地面について、自分の無能さを三十分間プレゼンしてからになさいな! プレゼン資料がないなら、今ここでマリア様に作っていただきましょうか? もちろん、紙吹雪で!」
「ううっ……エリー様、厳しいけど格好いいですわ!」
マリア様がなぜか目を輝かせて拍手を送り、王子は膝をガクガクと震わせました。
「……もういい! もういいぞエリー! そこまで言うなら勝手にしろ! 城がどうなっても知らんからな!」
「ええ、存じ上げております。私が関わる義務は一ミリもございませんもの。……あ、殿下、お帰りの際、出口の段差にお気をつけて。今の殿下の足取りでは、確実に三段目で盛大に躓きますわよ」
「躓くか! ……あだっ!?」
王子は見事に段差に足を引っかけ、派手に転んでマントを裏返しにしながら店を飛び出していきました。
その後ろを、マリア様が「王子様、待ってくださいましー!」と追いかけていきます。
酒場に、再びドッと爆笑が沸き起こりました。
カイン様がゆっくりと席を立ち、カウンターの私の前へ歩み寄ってきました。
「……見事な一刀両断だったな。鉄面皮の私でも、今の殿下の表情には同情しそうになった」
「あら、カイン様。同情する暇があったら、今の私の『実況』に対する報酬、期待してよろしいかしら? 王族を相手にしたのですから、割増料金ですわよ」
「ああ、分かっている。……今夜は、王宮御用達の最高級の茶葉を差し入れよう。……君に、戻ってほしくないと思っているのは、殿下だけではないからな」
カイン様の言葉に、私はわずかに頬が熱くなるのを感じました。
判定。今のカイン様の発言、不意打ち点プラス百点ですわ。
(ふふ。王子の隣に戻るくらいなら、ここで騎士様と一緒に『王国の掃除』を実況している方が、百万倍楽しいですわ!)
私は高くジョッキを掲げ、夜の街に響き渡る声で、次のお客へのツッコミを開始するのでした。
私はカウンターで、カイン様から預かった「役人の不正リスト」に目を通しながら、鼻歌交じりにグラスを磨いていました。
すると、酒場の重い扉がギィと音を立てて開き、見るからに「不審な二人組」が店内に足を踏み入れました。
一人は、安物のマントを羽織っているものの、歩き方が不自然に堂々としすぎている男。
もう一人は、マントの下からピンク色のレースがはみ出している、隠しきれないトラブルメーカーの気配を纏った少女。
私はグラスを置くのと同時に、心の中で実況のスイッチを入れました。
(はい、来ましたわ! 本日の『変装大賞・努力賞にも入らない部門』のノミネート者です! 殿下、そのマントの裏地、チラリと見えた金糸の刺繍が『私は王族です』と全力で主張しておりますわよ!)
「……おい、そこの店員。エリー・オルブライトを呼べ」
変装したつもり(笑)のウィルフレッド王子が、低く潜めた声でカウンターに詰め寄ってきました。
私はにっこりと、営業用の「最上級の皮肉」を込めた笑みを浮かべました。
「あら、お客様。当店にそのような高貴な名前の娘はおりませんわ。いるのは、ガヤの実況で日銭を稼ぐ、自由奔放なエリーだけです。……それより殿下、その付け髭。右側が少し浮いて、まるで芋虫が顔を這っているようですわよ。貼り直して差し上げましょうか?」
「ぶっ……! な、なぜ私だと分かった!」
「隠す気が皆無だからですわ! 判定、マイナス百点! 王宮を出る前に、鏡を見て絶望してくるべきでしたわね」
王子は顔を真っ赤にして髭をむしり取ると、カウンターに身を乗り出してきました。
「……いいか、エリー。お前がいなくなってから、城の事務がどれほど停滞しているか分かっているのか! 書類の山は崩れ、エイドリアンは過労で倒れかけ、予算案はマリアによって紙吹雪にされたのだぞ!」
「まあ、マリア様。相変わらずクリエイティブな破壊活動に精を出していらっしゃいますのね。素晴らしいですわ、国家予算を物理的に散財なさるなんて」
「エリー様! 私、一生懸命お掃除も練習していますのよ!」
マリア様がマントを脱ぎ捨てて(その下はやはりフリフリのドレスでした)、私の隣でブンブンと手を振りました。
「……で、殿下。わざわざ髭までつけて、その『やらかし報告』をしに来ただけですの?」
「違う! ……エリー、特別に許してやる。お前がその、心から反省して、二度と私に生意気な口を利かないと誓うのであれば……宮廷事務官として、私の側近に戻してやってもいいと言いに来たのだ!」
酒場が、一瞬の静寂に包まれました。
客たちは「えっ、復縁?」とざわつき、隅の席で新聞を読んでいたカイン様が、ピクリと眉を動かしました。
私は深く、深く溜息をつきました。
そして、カウンターの上にあった一番大きなトレイを、バシィン! と叩きました。
「はい、判定入ります! ただいまの王子の発言、上から目線どころか、もはや雲の上からの勘違いですわ! 地盤沈下どころかマントルまで突き抜けていますわよ!」
「な、何だと!?」
「いいですか、殿下。私が今、どれほど充実した生活を送っているか、その節穴のような目でお確かめなさいな。朝は誰の顔色も伺わずに目覚め、昼は不正を働く悪徳貴族を言葉でなぎ倒し、夜はこうして美味しいお酒とツッコミを愛する皆様に囲まれているのですわ。……それなのに、なぜ私が、あなたの隣で『三行にまとめた書類』を差し出し、あなたの退屈な武勇伝に偽物の笑顔を振りまく刑務所に戻らなければなりませんの?」
「け、刑務所だと!? 私の側近は、全女性が憧れる……」
「憧れるのは、実情を知らない夢見がちな令嬢だけですわ! 私にとって、殿下の隣は『知性の墓場』でしたわよ! はい、この発言に対する殿下の表情、驚きと屈辱が五対五で混ざり合って、まるで腐ったミルクのような色合いですわ! 保存状態が非常に悪いですわね!」
「き、貴様……っ!」
「さらに言わせていただければ、その『戻してやってもいい』という物言い! 人にお願いする時は、せめて膝を地面について、自分の無能さを三十分間プレゼンしてからになさいな! プレゼン資料がないなら、今ここでマリア様に作っていただきましょうか? もちろん、紙吹雪で!」
「ううっ……エリー様、厳しいけど格好いいですわ!」
マリア様がなぜか目を輝かせて拍手を送り、王子は膝をガクガクと震わせました。
「……もういい! もういいぞエリー! そこまで言うなら勝手にしろ! 城がどうなっても知らんからな!」
「ええ、存じ上げております。私が関わる義務は一ミリもございませんもの。……あ、殿下、お帰りの際、出口の段差にお気をつけて。今の殿下の足取りでは、確実に三段目で盛大に躓きますわよ」
「躓くか! ……あだっ!?」
王子は見事に段差に足を引っかけ、派手に転んでマントを裏返しにしながら店を飛び出していきました。
その後ろを、マリア様が「王子様、待ってくださいましー!」と追いかけていきます。
酒場に、再びドッと爆笑が沸き起こりました。
カイン様がゆっくりと席を立ち、カウンターの私の前へ歩み寄ってきました。
「……見事な一刀両断だったな。鉄面皮の私でも、今の殿下の表情には同情しそうになった」
「あら、カイン様。同情する暇があったら、今の私の『実況』に対する報酬、期待してよろしいかしら? 王族を相手にしたのですから、割増料金ですわよ」
「ああ、分かっている。……今夜は、王宮御用達の最高級の茶葉を差し入れよう。……君に、戻ってほしくないと思っているのは、殿下だけではないからな」
カイン様の言葉に、私はわずかに頬が熱くなるのを感じました。
判定。今のカイン様の発言、不意打ち点プラス百点ですわ。
(ふふ。王子の隣に戻るくらいなら、ここで騎士様と一緒に『王国の掃除』を実況している方が、百万倍楽しいですわ!)
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