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アースガルド公爵邸の朝食風景。
それは、端的に言って「地獄の晩餐会」のようだった。
長い、長すぎるダイニングテーブル。
その上座に鎮座するのは、「氷の公爵」ルーク様。
そして、その右隣(通常は夫人が座る席)に座らされているのは、「悪役令嬢」こと私、ノエル。
部屋には数十人の給仕たちが控えているが、誰一人として物音を立てない。
いや、立てられないのだ。
彼らは壁の花のように直立不動で、顔面蒼白になりながら、私たちの一挙手一投足を見守っている。
カチャ……。
私がフォークを置く音が、静寂の空間に銃声のように響いた。
給仕の一人が「ヒッ」と息を呑む。
(……静かだ)
私は内心で冷や汗をかいていた。
気まずい。あまりにも気まずい。
昨日の契約で「公爵の視界に入って飯を食う」ことが業務になったわけだが、まさかこんなに近い距離で、ガン見されながら食事をするとは思わなかった。
ルーク様は、自分の皿にはほとんど手をつけず、私の咀嚼をじっと観察している。
その眉間には、例によって深いシワが刻まれている。
(なんだろう。私の食べ方が汚いのだろうか? それとも、『そのパン一つの原価がお前の時給だぞ』という無言の圧力?)
私は恐る恐る、視線を上げた。
ルーク様と目が合う。
バチッ、と火花が散った(ように周囲には見えた)。
「……」
「……」
沈黙。
ルーク様の眼光が鋭くなる。
私は負けじと、目力を強めて見つめ返した。
ここで視線を逸らせば、ローゼン侯爵家の娘としてのプライドが許さない。
睨まれたら睨み返す。これが私の流儀だ。
「……味は」
低い、地を這うような声が問う。
私は口元のナプキンを優雅に使い、即答した。
「最高です。特にこのオムレツの火加減、絶妙ですね。シェフの腕が良いのでしょう」
真顔で、抑揚なく答える。
するとルーク様は「ふん」と鼻を鳴らし、わずかに口角を上げた(ように見えたが、実際は引きつっただけ)。
「……そうか。なら、もっと食え」
ルーク様は無言で、自分の皿に乗っていた極厚のベーコンを、私の皿にドンと移した。
「……閣下。これは?」
「俺は朝は小食だ。……残すとシェフが泣く」
「だからといって、私のカロリー摂取量を倍増させるのは労働基準法違反では?」
「残業代だ(カロリー的な意味で)」
「……御意」
私は無表情でベーコンにナイフを入れた。
その光景を見ていた給仕長が、よろよろと崩れ落ちた。
「お、恐ろしい……。あのような殺伐とした会話……まるで裏社会の取引だ……」
「『消せ』『御意』って聞こえましたよね?」
「公爵様が肉を与えたぞ……あれは『よくやった、褒美だ』という意味か?」
「いや、『餌を食わせて太らせてから食う』という魔女への宣戦布告では?」
ヒソヒソ話が聞こえてくるが、あいにく私の耳はそれらをシャットアウトするスキルを持っている。
***
朝食後。
私はルーク様と共に、廊下を歩いていた。
目的地は執務室。
今日から本格的に「通訳」としての業務が始まる。
廊下を行くメイドたちが、私たちの姿を見るなり「きゃあ!」と蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
あるいは、壁際にへばりついて「石になれ、石になれ」と念じている。
「……人気がないですね、閣下」
「……お前もな」
「否定はしません。おかげで歩きやすくて助かります」
私たちは誰もいない赤絨毯の上を、カツカツと足音を響かせて進んだ。
その姿は、完全に「悪の組織のボスと幹部」の巡回だった。
執務室に入ると、そこにはすでに一人の老紳士が待っていた。
この屋敷を取り仕切る家令(執事長)のセバスだ。
彼は唯一、ルーク様を前にしても震えない古株だが、今日は困り顔で書類を抱えていた。
「旦那様、少しよろしいでしょうか」
「……なんだ」
ルーク様が革張りの椅子に座り、足を組む。
セバスは一枚の請求書を差し出した。
「実は、西の森の開拓事業について、業者から追加予算の請求が来ておりまして……。資材が高騰したとのことですが、少々額が大きすぎるのではないかと」
ルーク様がその紙を受け取る。
ジッと見る。
眉間のシワが限界突破しそうなくらい深くなる。
沈黙。
一分経過。
セバスの額に冷や汗が浮かぶ。
「あ、あの……旦那様? やはり却下でしょうか? それとも業者を呼び出して問い詰めますか?」
ルーク様は答えない。
ただ、紙を睨みつけ、指先でトントンと机を叩いている。
そのリズムが速くなる。
セバスが助けを求めるように私を見た。
(なるほど。これが私の仕事ね)
私は一歩前へ出ると、ルーク様の手からヒョイと紙を取り上げた。
「……おい」
ルーク様が不機嫌そうに私を見る。
私はその紙を一瞥し、そしてルーク様の顔を見た。
彼の目は語っていた。
『……字が小さすぎて読めん』
『あと、計算が合っているのか暗算するのが面倒くさい』
『誰か、三行でまとめてくれ』
長年の「上司の顔色伺いスキル」と、昨日の契約条項第六条(通訳業務)が発動する。
私はセバスに向き直り、涼しい顔で言った。
「セバスさん。閣下はこう仰っています。『この業者は、木材の単価を市場価格の三倍で計上している。我々を素人だと思って足元を見ているのか? 舐めるなよ』と」
「えっ!?」
セバスが驚愕する。
「そ、そこまで読み取られたのですか!? 一言も発していないのに!?」
「ええ。閣下の『トントン』という指のリズムは、モールス信号に近い独自の暗号です。『ふざけるな』と仰っています」
私は適当なことを言った。
しかし、ルーク様を見ると、「お、おう……そうだ」と言わんばかりに深く頷いている。
(当たってた)
私はさらに続ける。
「それから、『この見積もりの七行目、人件費の水増しがある。前回の工事日報と照らし合わせれば矛盾は明白だ。突き返せ』とのことです」
「な、なんと……! そこまで見抜かれるとは、さすが旦那様!」
セバスは感動に打ち震え、ルーク様に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、私の目が節穴でした! 直ちに業者を呼び出し、契約を破棄させます!」
セバスは「すぐに手配を!」と叫びながら、部屋を飛び出していった。
パタン、と扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、ルーク様がポツリと言った。
「……すげえ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「なぜわかった? 俺はただ、『老眼かな……』と思っていただけなんだが」
「はい?」
私はズッコケそうになった。
「老眼!? 二十四歳で!?」
「最近、細かい数字を見ると目がチカチカする。……疲れ目か?」
「ブルーベリーを摂取してください。あとで厨房にタルトを作らせます」
「頼む」
ルーク様は切実な顔で頷いた。
「しかし、助かった。……あの業者は以前から怪しいと思っていた。お前のおかげで切る口実ができた」
「偶然の一致ですね。あの見積書、どう見ても偽造の痕跡がありましたから」
私は元・社畜の勘で気づいていたのだ。
「……やはり、お前は有能だ」
ルーク様が立ち上がり、私の前に立った。
そして、大きな手で、私の頭をポンポンと撫でた。
「……良い相棒を持った」
その手は相変わらず不器用で、力が強すぎて頭蓋骨が軋んだが、不思議と悪い気はしなかった。
「……髪が乱れます、閣下」
「あ、すまん」
慌てて手を引っ込めるルーク様。
その耳が、またしても茹でダコのように赤くなっているのを見て、私は確信した。
(この人、チョロい……いや、扱いやすいかもしれない)
こうして私は、アースガルド公爵家における絶対的な地位――「公爵の言葉を唯一理解する女」としてのポジションを、着々と確立していったのである。
一方その頃。
王都のクレイス殿下のもとには、私が送りつけた『請求書第一弾』が届き、王城が揺れるほどの絶叫が上がっていた。
それは、端的に言って「地獄の晩餐会」のようだった。
長い、長すぎるダイニングテーブル。
その上座に鎮座するのは、「氷の公爵」ルーク様。
そして、その右隣(通常は夫人が座る席)に座らされているのは、「悪役令嬢」こと私、ノエル。
部屋には数十人の給仕たちが控えているが、誰一人として物音を立てない。
いや、立てられないのだ。
彼らは壁の花のように直立不動で、顔面蒼白になりながら、私たちの一挙手一投足を見守っている。
カチャ……。
私がフォークを置く音が、静寂の空間に銃声のように響いた。
給仕の一人が「ヒッ」と息を呑む。
(……静かだ)
私は内心で冷や汗をかいていた。
気まずい。あまりにも気まずい。
昨日の契約で「公爵の視界に入って飯を食う」ことが業務になったわけだが、まさかこんなに近い距離で、ガン見されながら食事をするとは思わなかった。
ルーク様は、自分の皿にはほとんど手をつけず、私の咀嚼をじっと観察している。
その眉間には、例によって深いシワが刻まれている。
(なんだろう。私の食べ方が汚いのだろうか? それとも、『そのパン一つの原価がお前の時給だぞ』という無言の圧力?)
私は恐る恐る、視線を上げた。
ルーク様と目が合う。
バチッ、と火花が散った(ように周囲には見えた)。
「……」
「……」
沈黙。
ルーク様の眼光が鋭くなる。
私は負けじと、目力を強めて見つめ返した。
ここで視線を逸らせば、ローゼン侯爵家の娘としてのプライドが許さない。
睨まれたら睨み返す。これが私の流儀だ。
「……味は」
低い、地を這うような声が問う。
私は口元のナプキンを優雅に使い、即答した。
「最高です。特にこのオムレツの火加減、絶妙ですね。シェフの腕が良いのでしょう」
真顔で、抑揚なく答える。
するとルーク様は「ふん」と鼻を鳴らし、わずかに口角を上げた(ように見えたが、実際は引きつっただけ)。
「……そうか。なら、もっと食え」
ルーク様は無言で、自分の皿に乗っていた極厚のベーコンを、私の皿にドンと移した。
「……閣下。これは?」
「俺は朝は小食だ。……残すとシェフが泣く」
「だからといって、私のカロリー摂取量を倍増させるのは労働基準法違反では?」
「残業代だ(カロリー的な意味で)」
「……御意」
私は無表情でベーコンにナイフを入れた。
その光景を見ていた給仕長が、よろよろと崩れ落ちた。
「お、恐ろしい……。あのような殺伐とした会話……まるで裏社会の取引だ……」
「『消せ』『御意』って聞こえましたよね?」
「公爵様が肉を与えたぞ……あれは『よくやった、褒美だ』という意味か?」
「いや、『餌を食わせて太らせてから食う』という魔女への宣戦布告では?」
ヒソヒソ話が聞こえてくるが、あいにく私の耳はそれらをシャットアウトするスキルを持っている。
***
朝食後。
私はルーク様と共に、廊下を歩いていた。
目的地は執務室。
今日から本格的に「通訳」としての業務が始まる。
廊下を行くメイドたちが、私たちの姿を見るなり「きゃあ!」と蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
あるいは、壁際にへばりついて「石になれ、石になれ」と念じている。
「……人気がないですね、閣下」
「……お前もな」
「否定はしません。おかげで歩きやすくて助かります」
私たちは誰もいない赤絨毯の上を、カツカツと足音を響かせて進んだ。
その姿は、完全に「悪の組織のボスと幹部」の巡回だった。
執務室に入ると、そこにはすでに一人の老紳士が待っていた。
この屋敷を取り仕切る家令(執事長)のセバスだ。
彼は唯一、ルーク様を前にしても震えない古株だが、今日は困り顔で書類を抱えていた。
「旦那様、少しよろしいでしょうか」
「……なんだ」
ルーク様が革張りの椅子に座り、足を組む。
セバスは一枚の請求書を差し出した。
「実は、西の森の開拓事業について、業者から追加予算の請求が来ておりまして……。資材が高騰したとのことですが、少々額が大きすぎるのではないかと」
ルーク様がその紙を受け取る。
ジッと見る。
眉間のシワが限界突破しそうなくらい深くなる。
沈黙。
一分経過。
セバスの額に冷や汗が浮かぶ。
「あ、あの……旦那様? やはり却下でしょうか? それとも業者を呼び出して問い詰めますか?」
ルーク様は答えない。
ただ、紙を睨みつけ、指先でトントンと机を叩いている。
そのリズムが速くなる。
セバスが助けを求めるように私を見た。
(なるほど。これが私の仕事ね)
私は一歩前へ出ると、ルーク様の手からヒョイと紙を取り上げた。
「……おい」
ルーク様が不機嫌そうに私を見る。
私はその紙を一瞥し、そしてルーク様の顔を見た。
彼の目は語っていた。
『……字が小さすぎて読めん』
『あと、計算が合っているのか暗算するのが面倒くさい』
『誰か、三行でまとめてくれ』
長年の「上司の顔色伺いスキル」と、昨日の契約条項第六条(通訳業務)が発動する。
私はセバスに向き直り、涼しい顔で言った。
「セバスさん。閣下はこう仰っています。『この業者は、木材の単価を市場価格の三倍で計上している。我々を素人だと思って足元を見ているのか? 舐めるなよ』と」
「えっ!?」
セバスが驚愕する。
「そ、そこまで読み取られたのですか!? 一言も発していないのに!?」
「ええ。閣下の『トントン』という指のリズムは、モールス信号に近い独自の暗号です。『ふざけるな』と仰っています」
私は適当なことを言った。
しかし、ルーク様を見ると、「お、おう……そうだ」と言わんばかりに深く頷いている。
(当たってた)
私はさらに続ける。
「それから、『この見積もりの七行目、人件費の水増しがある。前回の工事日報と照らし合わせれば矛盾は明白だ。突き返せ』とのことです」
「な、なんと……! そこまで見抜かれるとは、さすが旦那様!」
セバスは感動に打ち震え、ルーク様に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、私の目が節穴でした! 直ちに業者を呼び出し、契約を破棄させます!」
セバスは「すぐに手配を!」と叫びながら、部屋を飛び出していった。
パタン、と扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、ルーク様がポツリと言った。
「……すげえ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「なぜわかった? 俺はただ、『老眼かな……』と思っていただけなんだが」
「はい?」
私はズッコケそうになった。
「老眼!? 二十四歳で!?」
「最近、細かい数字を見ると目がチカチカする。……疲れ目か?」
「ブルーベリーを摂取してください。あとで厨房にタルトを作らせます」
「頼む」
ルーク様は切実な顔で頷いた。
「しかし、助かった。……あの業者は以前から怪しいと思っていた。お前のおかげで切る口実ができた」
「偶然の一致ですね。あの見積書、どう見ても偽造の痕跡がありましたから」
私は元・社畜の勘で気づいていたのだ。
「……やはり、お前は有能だ」
ルーク様が立ち上がり、私の前に立った。
そして、大きな手で、私の頭をポンポンと撫でた。
「……良い相棒を持った」
その手は相変わらず不器用で、力が強すぎて頭蓋骨が軋んだが、不思議と悪い気はしなかった。
「……髪が乱れます、閣下」
「あ、すまん」
慌てて手を引っ込めるルーク様。
その耳が、またしても茹でダコのように赤くなっているのを見て、私は確信した。
(この人、チョロい……いや、扱いやすいかもしれない)
こうして私は、アースガルド公爵家における絶対的な地位――「公爵の言葉を唯一理解する女」としてのポジションを、着々と確立していったのである。
一方その頃。
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