婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

文字の大きさ
7 / 28

7

しおりを挟む
アースガルド公爵邸のサンルーム。

そこは、ガラス張りの天井から柔らかな日差しが降り注ぐ、天国のような空間だった。

私は優雅にティーカップを傾けていた。

中身はダージリンのファーストフラッシュ。

お茶請けは、ルーク様が「これならカロリーゼロだ(※嘘です)」と言って持ってきた、フルーツタルト。

「……平和だ」

私はしみじみと呟いた。

「ああ。……平和だな」

向かいの席で、ルーク様が紅茶を飲みながら同意する。

彼は今日も今日とて、眉間にシワを寄せているが、その雰囲気は以前よりずっと柔らかい。

私の目の前にあるタルトを、「もっと食え」「いや、もうお腹いっぱいです」「別腹だろう」と押し問答するくらいには平和だった。

しかし。

その静寂を破るように、セバスが血相を変えて飛び込んできた。

「だ、旦那様! 大変です! 王城からの使者が!」

「……チッ」

ルーク様が舌打ちをした。

その一瞬で、サンルームの気温が急降下する。

「王城だと? ……クレイスか」

「は、はい。殿下の近衛騎士が、親書を持って……その、門前で騒いでおりまして……」

「追い返せ。……二度と来るなと伝えろ」

「それが、『ノエル嬢に渡さねば、国家反逆罪としてこの領地を焼き払う』などと……」

「……ほう」

ルーク様が立ち上がった。

ゴゴゴゴゴ……という効果音が聞こえそうなほどの殺気だ。

「面白い。……焼き払えるものならやってみろ。その前に、王城を氷漬けにしてやる」

「待ってください、閣下」

私は慌ててフォークを置き、ルーク様の袖を掴んだ。

「早まらないでください。王城を氷漬けにしたら、私が請求した慰謝料が凍結資産になってしまいます」

「……む」

「それに、親書でしょう? 一応、読んでおきませんと。後で『読んでなかった』では、事務処理上の不備になります」

私は務めて冷静に言った。

実は、少しワクワクしていたのだ。

あの馬鹿王子が、今さら何を言ってくるのか。

それはきっと、極上のコメディに違いないからだ。

          ***

応接間。

通された近衛騎士は、ガタガタと震えていた。

無理もない。

正面のソファには、魔王のような顔をしたルーク様が座り、その背後には武装した公爵家私兵団がズラリと並んでいるのだから。

「ひっ……こ、これは……クレイス殿下よりの……」

騎士は震える手で、豪奢な封筒を差し出した。

ルーク様が指一本動かさず、視線だけで「受け取れ」とセバスに合図する。

セバスが封筒を受け取り、ペーパーナイフで開封して私に渡してくれた。

「では、拝読いたします」

私は封筒から便箋を取り出した。

何枚あるのだろう。ズシリと重い。

一読する。

二読する。

そして、私は静かに懐から「赤ペン」を取り出した。

「……ノエル?」

ルーク様が怪訝な顔をする。

「どうした。……何が書いてある」

「ええ、まあ。予想通りの戯言なのですが……それ以上に、看過できない問題がありまして」

「問題?」

「はい。……あまりにも、酷いのです」

私は便箋を机の上に広げた。

「まず、冒頭の挨拶。『親愛なるノエルへ』。……字が汚すぎて『親愛なる』が『殺意なる』に見えます。マイナス五点」

「……」

「次にここ。『お前がいなくなってから、城の中が静かすぎて寂しい』。……文法がおかしいですね。『静かすぎて』ではなく『仕事が回らず静まり返って』でしょう。現状認識の甘さが露呈しています」

私は赤ペンで容赦なく二重線を引き、修正に書き込んでいく。

「そして、ここからが本題です。『今すぐ戻ってこい。そうすれば、今回の無礼は許してやる。側室の地位を用意して待っているぞ』」

バキッ!!

隣で、ルーク様が握っていたティーカップが粉砕された音だ。

「……殺す」

ルーク様が立ち上がろうとする。

「まあ待ってください。続きがあります」

私は彼を片手で制し、さらに読み上げる。

「『もし戻らないのであれば、お前の実家を取り潰し、お前を国家反逆罪で処刑する。これは王命である』」

「……ほう」

ルーク様の瞳が、完全に据わった。

部屋の観葉植物が、一瞬で凍りついた。

「処刑だと? ……誰を?」

「私ですね」

「……アースガルド公爵領に喧嘩を売るとは、いい度胸だ。……ノエル、下がっていろ。今から王都へ行って、更地にしてくる」

「だから、落ち着いてください閣下。そんな手間をかける価値もありません」

私は鼻で笑った。

「見てください、この文章」

私は便箋の後半部分を指差した。

「『処刑する』という漢字、『処』の字画が一本足りません。これでは『処分』ではなく『処方』です。私を薬局へ連れて行くつもりでしょうか?」

「……は?」

「それに『国家反逆罪』。法律用語としての使い方が間違っています。婚約破棄された令嬢が実家に帰るのは、移動の自由の範囲内。反逆罪の構成要件を満たしていません。論理的破綻も甚だしい」

私はサラサラと赤字を入れていく。

『※誤字脱字が多いです。落ち着いて書きましょう』

『※論理の飛躍があります。第3パラグラフと第5パラグラフの主張が矛盾しています』

『※脅迫文言は刑法に抵触する恐れがあります。弁護士の添削を受けることを推奨します』

『※全体的に字が汚いです。ペン習字からやり直しましょう』

最後に、大きく花丸……ではなく、バッテンをつけた。

そして右上に点数を書き込む。

『2点(名前が書けたので)』

「……よし」

私は満足げに頷いた。

「セバスさん。これを新しい封筒に入れて、封蝋をしてください」

「は、はい。……あの、中身はそのままで?」

「ええ。あと、この請求書も同封しておいて」

私は新たな請求書を書き上げた。

『添削指導料』

『基本料金:金貨十枚』

『特別指導料(馬鹿につける薬代):金貨五十枚』

『精神的苦痛への慰謝料(汚い字を見せられたことによる):金貨百枚』

騎士は、口をパクパクさせてその光景を見ていた。

「あ、あの……! 殿下への返事は……!? 戻られるのですか、それとも……」

私はニッコリと微笑んだ。

本日一番の、「営業スマイル」で。

「戻るわけがありませんでしょう? ご覧の通り、私は今、教育係として忙しいのです」

「きょ、教育係?」

「ええ。殿下の日本語能力があまりにも低レベルであることが判明しましたので、遠隔で指導して差し上げることにしました。感謝してください」

「は、はあ……」

「それから、殿下にこうお伝えください」

私はスッと表情を消し、冷徹な声で言った。

「『次、誤字のある脅迫状を送ってきたら、その指をへし折りに参ります』と」

騎士は「ヒィッ!」と悲鳴を上げ、腰を抜かした。

ルーク様が、追い討ちをかけるように口を開く。

「……あと、俺からも伝言だ」

「は、はいぃ!」

「『彼女は俺の婚約者だ。……次に手を出したら、国ごと氷河期にしてやる』」

「こ、婚約者ぁぁぁぁ!?」

騎士の絶叫が屋敷に響く。

「さあ、行け。……俺の気が変わる前にな」

ルーク様が指を鳴らすと、騎士の足元に氷の道ができ、そのまま玄関まで滑り台のように強制排出されていった。

「あーれー!」

遠ざかる悲鳴を聞きながら、私は呆れたように言った。

「閣下。いつ私が婚約者になったのですか? 契約書には『事務官』としか書いてありませんが」

「……更新した」

ルーク様はそっぽを向いた。

「いつ?」

「今、心の中で」

「独断専行ですね。労働組合に訴えますよ」

「……給金を上げる。おやつのランクも上げる」

「異議なし」

私は即答した。

「それにしても……」

ルーク様は、私が添削した手紙のコピー(控え)を拾い上げ、まじまじと見ていた。

「……容赦ないな」

「愛の鞭です。……まあ、愛はありませんが、鞭だけはたっぷりと」

「『2点』か。……俺なら立ち直れない」

「閣下なら満点ですよ。……顔が」

「……っ」

ルーク様が咳き込み、耳まで真っ赤にする。

「お前な、そういうところだぞ……」

「はい? 事実を申し上げたまでですが」

私はキョトンとした。

ルーク様の顔が良いのは、客観的事実だ。そこに照れが含まれる余地はないはずなのだが。

「……まあいい。とにかく、これでしばらくは静かになるだろう」

「そうですね。あの殿下が、この添削を見て反省してくれれば良いのですが」

「……無理だろうな」

「ええ、無理でしょうね」

私たちは顔を見合わせ、初めて声を上げて笑い合った。

          ***

数日後。王城。

戻ってきた近衛騎士から、添削済みの手紙と新たな請求書を受け取ったクレイス殿下は。

「に、に、二点んんんんん!?」

白目を剥いて卒倒した。

「俺の、俺の魂の叫びが……赤ペンで……! しかも『字が汚い』だと!? これでも一生懸命書いたのに!」

「殿下! しっかりしてください!」

「ううっ……怖い……あいつ、怖いよぉ……。昔はあんなに優しかったのに……」

「(いや、昔から怖かったですよ)」

側近たちは心の中でツッコミを入れた。

そして、同封されていた『添削指導料』の請求書を見て、さらに絶望的な顔を見合わせたのだった。

「……殿下。これ、どうしますか?」

「は、払え! 払ってくれ! もう赤ペンを見るのも嫌だ!」

こうして、王国の財政はまた一つ、私の「教育的指導」によって削り取られることになったのである。

だが、これで諦める彼らではなかった。

次に私の前に現れたのは、手紙などという生易しいものではなく――。

「……ねえ、ノエル様」

「ん?」

「なんで、俺の菓子より、そっちの安いクッキーを美味そうに食ってるんだ?」

ルーク様との平和な(?)日常に、新たな火種を持ち込む、「嫉妬」という名の嵐だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの
恋愛
ある日、マリス王国の侯爵令嬢クロナは、王子が男爵令嬢リリィと密会し、自分を「可愛げのない女」と罵り、卒業パーティーで「婚約破棄」を言い渡そうと画策している現場を目撃してしまう。 普通なら嘆き悲しむ場面だが、クロナの反応は違った。

悪役令嬢は推し活中〜殿下。貴方には興味がございませんのでご自由に〜

みおな
恋愛
 公爵家令嬢のルーナ・フィオレンサは、輝く銀色の髪に、夜空に浮かぶ月のような金色を帯びた銀の瞳をした美しい少女だ。  当然のことながら王族との婚約が打診されるが、ルーナは首を縦に振らない。  どうやら彼女には、別に想い人がいるようで・・・

いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち
恋愛
伯爵令嬢ロニエ・エヴァンズには、ささやかな野望があった。それは、ハイスペックすぎて重すぎる愛を持つ婚約者、第一王子アレンから「婚約破棄」を突きつけられ、実家の離れで一生ダラダラと昼寝をして過ごすこと。 ロニエは学園入学を機に、あの手この手で「嫌われる努力」を開始する。

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

王太子殿下から婚約破棄されたのは冷たい私のせいですか?

ねーさん
恋愛
 公爵令嬢であるアリシアは王太子殿下と婚約してから十年、王太子妃教育に勤しんで来た。  なのに王太子殿下は男爵令嬢とイチャイチャ…諫めるアリシアを悪者扱い。「アリシア様は殿下に冷たい」なんて男爵令嬢に言われ、結果、婚約は破棄。    王太子妃になるため自由な時間もなく頑張って来たのに、私は駒じゃありません!

【完結済】破棄とか面倒じゃないですか、ですので婚約拒否でお願いします

恋愛
水不足に喘ぐ貧困侯爵家の次女エリルシアは、父親からの手紙で王都に向かう。 王子の婚約者選定に関して、白羽の矢が立ったのだが、どうやらその王子には恋人がいる…らしい? つまりエリルシアが悪役令嬢ポジなのか!? そんな役どころなんて御免被りたいが、王サマからの提案が魅力的過ぎて、王宮滞在を了承してしまう。 報酬に目が眩んだエリルシアだが、無事王宮を脱出出来るのか。 王子サマと恋人(もしかしてヒロイン?)の未来はどうなるのか。 2025年10月06日、初HOTランキング入りです! 本当にありがとうございます!!(2位だなんて……いやいや、ありえないと言うか…本気で夢でも見ているのではないでしょーか……) ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※小説家になろう様にも掲載させていただいています。 ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。

罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です

結城芙由奈@コミカライズ連載中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】 私には婚約中の王子がいた。 ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。 そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。 次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。 目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。 名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。 ※他サイトでも投稿中

婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの
恋愛
主人公ルシアン・ヴァイオレットは、「悪役令嬢」として振る舞う孤独愛好家の公爵令嬢。念願だった第一王子アランとの婚約破棄を言い渡されると、内心では歓喜し、大都会の喧騒から逃れて森の奥の廃墟同然の別荘へと引きこもる。ルシアンの目的は、誰にも邪魔されない至高の静寂ライフを満喫することだった。 しかし、彼女の理想郷にはすでに先客がいた。それは、無口で無愛想だがハイスペックな謎の男、キース。実は彼は、王国の裏社会を統べる『影の英雄』と呼ばれる辺境伯であり、ルシアンの孤高の姿に心奪われた重度の隠れファンだった。

処理中です...