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アースガルド公爵邸、執務室。
今日も今日とて、私は書類の海を優雅に泳いでいた。
「……よし、これで南地区の灌漑工事の認可は完了」
最後の書類に判を押す。
時計を見ると、午後三時。
完璧だ。定時(というか、私が勝手に定めたおやつタイム)である。
「ふう……」
私は引き出しから、とある「包み」を取り出した。
それは、無骨な紙袋に入った、茶色い塊だった。
見た目は正直、悪い。
ゴツゴツしていて、所々焦げているし、形も不揃いだ。
だが、私はその塊を見て、自然と口元を緩めた。
「……ふふっ」
珍しく、愛おしさすら感じながら、その一つを口に運ぶ。
カリッ。
硬い。石のように硬い。
甘さは控えめで、少し粉っぽい。
だが、噛み締めると素朴な小麦の味が広がる。
「……ん、悪くない」
私は目を細めた。
これは昨日、視察先で出会った村の子供たちから貰った手作りクッキーだ。
『おねーちゃん、これあげる! 算数教えてくれてありがとう!』
泥だらけの手で差し出されたそれを、私はハンカチで包んで持ち帰ってきたのだ。
高級な菓子もいいが、こういう「努力の結晶」も悪くない。
硬いクッキーを齧りながら、私は束の間の平和を噛み締めていた。
――バンッ!!
その平和は、扉が吹き飛ぶ音と共に粉砕された。
「……ノエル!」
血相を変えて飛び込んできたのは、我が雇用主、ルーク様だ。
彼は肩で息をしながら、私のデスクまで大股で歩み寄ってきた。
「か、閣下? どうされました? また王子から脅迫状でも?」
「違う!」
ルーク様は私の机をバンと叩いた。
そして、私が手に持っていた「食べかけのクッキー」を、親の仇のような形相で睨みつけた。
「……なんだ、それは」
「え? クッキーですが」
「どこの店だ」
低い声。
室内の温度が下がる。
「店ではありません。頂き物です」
「……誰からだ」
「えーと、ある男性から……」
「男だと!?」
ピキピキピキ……。
ルーク様の背後の空間に亀裂が入る幻覚が見えた。
「おい、セバス! 氷の槍を用意しろ! 不届き者を串刺しにする!」
「落ち着いてください閣下! 室内で魔法は禁止です!」
「黙れ! ……ノエル、お前もだ! なぜそんな……見るからに不味そうな炭の塊を、そんなに嬉しそうに食っているんだ!」
「炭ではありません。よく焼きクッキーです」
「俺が毎日用意させている『銀の匙』のクッキーより美味いと言うのか?」
ルーク様が詰め寄ってくる。
その瞳は、怒りというより、どこか悲痛な色を帯びていた。
「俺の菓子を食った時は『星五つです(真顔)』なのに……そのゴミのような塊を見て、お前は……笑っていたじゃないか」
「見てたんですか」
「ああ。ドアの隙間からずっと見ていた」
「ストーカーですね」
「違う、安否確認だ!」
ルーク様は叫ぶと、懐から豪奢な箱を取り出した。
「これを見ろ! 王都の新作、宝石クッキーだ! 一枚で金貨一枚する代物だぞ!」
箱の中には、まるで宝石のように輝く色とりどりのクッキーが並んでいた。
確かに美しい。美味しそうだ。
だが。
「……ありがとうございます。ですが今は、こちらを頂きますので」
私はやんわりと断り、また手元のゴツゴツクッキーを齧った。
「なっ……!?」
ルーク様が絶句する。
プライドが傷ついた音が聞こえた。
「なぜだ……なぜそっちを選ぶ? 味か? そんなにその男の菓子が美味いのか?」
「味の問題ではありません」
私は冷静に答えた。
「これは『プライスレス』なのです。作り手の想いが詰まっていますから」
「想い……だと……?」
ルーク様がよろめく。
「俺の菓子には、想いがないと言うのか……?」
「いえ、閣下の菓子は『金』の味がします。それはそれで大変美味ですが」
「くそっ!」
ルーク様は悔しげに拳を握りしめた。
そして、私の手からクッキーの袋をひったくった。
「あっ、閣下!?」
「貸せ! 俺が毒味してやる!」
「待ってください、それは……!」
バリボリッ!!
ルーク様は、石のように硬いクッキーを、なんと三枚まとめて口に放り込んだ。
そして、豪快に噛み砕く。
ゴリッ、ガリッ、バキッ。
嫌な音がした。
「……ぐっ」
ルーク様の動きが止まる。
「……か、硬い……なんだこれは……岩か……?」
「だから言ったじゃないですか。子供が作ったもので、焼き加減が……」
「子供?」
ルーク様が、リスのように膨らんだ頬のまま固まった。
「……今、なんと?」
「ですから、子供です。昨日視察に行った村の、七歳の男の子がくれたんです」
「……七歳?」
「はい。ティム君という、可愛らしい少年です。『お姉ちゃん、僕と結婚して!』と言ってこれをくれました」
沈黙。
ルーク様が、ゆっくりと咀嚼を再開する。
ゴクリ、と飲み込む。
そして、真っ赤な顔をして私を見た。
「……ガキかよ」
「はい、ガキです。……まさか閣下、七歳の子供に嫉妬したのですか?」
「す、するわけないだろう! 俺はただ、衛生面を心配してだな!」
「そうですか。では返してください」
私が手を伸ばすと、ルーク様はその袋を背中に隠した。
「……やらん」
「はい?」
「これは俺が没収する。……不敬罪の証拠品としてな」
「子供のクッキーを没収する公爵なんて聞いたことがありません」
「うるさい! その代わり……」
ルーク様は、持ってきた宝石クッキーの箱を私の机にドンと置いた。
「これを全部食え。……あと、明日はもっと美味い『素朴なクッキー』を作らせる」
「えぇ……」
「俺の屋敷のシェフなら、不揃いで、少し焦げていて、それでいて最高に美味いクッキーなど容易いことだ!」
「方向性がおかしくなってますよ?」
「黙れ! 俺は負けん! 七歳児にも、誰にもだ!」
ルーク様は捨て台詞を吐くと、私のクッキー袋を大事そうに抱えて部屋を出て行った。
その背中は、どこか必死で、そしてやっぱり耳が赤かった。
取り残された私は、机の上の高級クッキーを見つめてため息をついた。
「……まあ、いいか」
宝石クッキーを一つ摘む。
美味しい。とろけるような甘さだ。
けれど。
(……あの人の不器用さも、大概味わい深いわね)
私はふと、そんなことを思った。
翌日。
公爵家の食卓には、「わざと形を崩し、絶妙に焦がした、最高級素材を使った謎のクッキー」が山のように積まれることになる。
シェフたちが「なぜ我々は失敗作を作るために全力を……?」と涙目で焼いたそのクッキーを、ルーク様は「どうだ、素朴だろう!」とドヤ顔で私に食べさせてきた。
私はその空回りする努力に、星六つをつけることにした。
一方、王城では。
「まだか! ノエルはまだ戻らんのか! 国庫が! 国庫が空になる!」
クレイス殿下が、第二弾の請求書(添削指導料込み)を前に、髪を振り乱して発狂していた。
私の知らぬところで、元婚約者の精神崩壊は着々と進んでいたのである。
今日も今日とて、私は書類の海を優雅に泳いでいた。
「……よし、これで南地区の灌漑工事の認可は完了」
最後の書類に判を押す。
時計を見ると、午後三時。
完璧だ。定時(というか、私が勝手に定めたおやつタイム)である。
「ふう……」
私は引き出しから、とある「包み」を取り出した。
それは、無骨な紙袋に入った、茶色い塊だった。
見た目は正直、悪い。
ゴツゴツしていて、所々焦げているし、形も不揃いだ。
だが、私はその塊を見て、自然と口元を緩めた。
「……ふふっ」
珍しく、愛おしさすら感じながら、その一つを口に運ぶ。
カリッ。
硬い。石のように硬い。
甘さは控えめで、少し粉っぽい。
だが、噛み締めると素朴な小麦の味が広がる。
「……ん、悪くない」
私は目を細めた。
これは昨日、視察先で出会った村の子供たちから貰った手作りクッキーだ。
『おねーちゃん、これあげる! 算数教えてくれてありがとう!』
泥だらけの手で差し出されたそれを、私はハンカチで包んで持ち帰ってきたのだ。
高級な菓子もいいが、こういう「努力の結晶」も悪くない。
硬いクッキーを齧りながら、私は束の間の平和を噛み締めていた。
――バンッ!!
その平和は、扉が吹き飛ぶ音と共に粉砕された。
「……ノエル!」
血相を変えて飛び込んできたのは、我が雇用主、ルーク様だ。
彼は肩で息をしながら、私のデスクまで大股で歩み寄ってきた。
「か、閣下? どうされました? また王子から脅迫状でも?」
「違う!」
ルーク様は私の机をバンと叩いた。
そして、私が手に持っていた「食べかけのクッキー」を、親の仇のような形相で睨みつけた。
「……なんだ、それは」
「え? クッキーですが」
「どこの店だ」
低い声。
室内の温度が下がる。
「店ではありません。頂き物です」
「……誰からだ」
「えーと、ある男性から……」
「男だと!?」
ピキピキピキ……。
ルーク様の背後の空間に亀裂が入る幻覚が見えた。
「おい、セバス! 氷の槍を用意しろ! 不届き者を串刺しにする!」
「落ち着いてください閣下! 室内で魔法は禁止です!」
「黙れ! ……ノエル、お前もだ! なぜそんな……見るからに不味そうな炭の塊を、そんなに嬉しそうに食っているんだ!」
「炭ではありません。よく焼きクッキーです」
「俺が毎日用意させている『銀の匙』のクッキーより美味いと言うのか?」
ルーク様が詰め寄ってくる。
その瞳は、怒りというより、どこか悲痛な色を帯びていた。
「俺の菓子を食った時は『星五つです(真顔)』なのに……そのゴミのような塊を見て、お前は……笑っていたじゃないか」
「見てたんですか」
「ああ。ドアの隙間からずっと見ていた」
「ストーカーですね」
「違う、安否確認だ!」
ルーク様は叫ぶと、懐から豪奢な箱を取り出した。
「これを見ろ! 王都の新作、宝石クッキーだ! 一枚で金貨一枚する代物だぞ!」
箱の中には、まるで宝石のように輝く色とりどりのクッキーが並んでいた。
確かに美しい。美味しそうだ。
だが。
「……ありがとうございます。ですが今は、こちらを頂きますので」
私はやんわりと断り、また手元のゴツゴツクッキーを齧った。
「なっ……!?」
ルーク様が絶句する。
プライドが傷ついた音が聞こえた。
「なぜだ……なぜそっちを選ぶ? 味か? そんなにその男の菓子が美味いのか?」
「味の問題ではありません」
私は冷静に答えた。
「これは『プライスレス』なのです。作り手の想いが詰まっていますから」
「想い……だと……?」
ルーク様がよろめく。
「俺の菓子には、想いがないと言うのか……?」
「いえ、閣下の菓子は『金』の味がします。それはそれで大変美味ですが」
「くそっ!」
ルーク様は悔しげに拳を握りしめた。
そして、私の手からクッキーの袋をひったくった。
「あっ、閣下!?」
「貸せ! 俺が毒味してやる!」
「待ってください、それは……!」
バリボリッ!!
ルーク様は、石のように硬いクッキーを、なんと三枚まとめて口に放り込んだ。
そして、豪快に噛み砕く。
ゴリッ、ガリッ、バキッ。
嫌な音がした。
「……ぐっ」
ルーク様の動きが止まる。
「……か、硬い……なんだこれは……岩か……?」
「だから言ったじゃないですか。子供が作ったもので、焼き加減が……」
「子供?」
ルーク様が、リスのように膨らんだ頬のまま固まった。
「……今、なんと?」
「ですから、子供です。昨日視察に行った村の、七歳の男の子がくれたんです」
「……七歳?」
「はい。ティム君という、可愛らしい少年です。『お姉ちゃん、僕と結婚して!』と言ってこれをくれました」
沈黙。
ルーク様が、ゆっくりと咀嚼を再開する。
ゴクリ、と飲み込む。
そして、真っ赤な顔をして私を見た。
「……ガキかよ」
「はい、ガキです。……まさか閣下、七歳の子供に嫉妬したのですか?」
「す、するわけないだろう! 俺はただ、衛生面を心配してだな!」
「そうですか。では返してください」
私が手を伸ばすと、ルーク様はその袋を背中に隠した。
「……やらん」
「はい?」
「これは俺が没収する。……不敬罪の証拠品としてな」
「子供のクッキーを没収する公爵なんて聞いたことがありません」
「うるさい! その代わり……」
ルーク様は、持ってきた宝石クッキーの箱を私の机にドンと置いた。
「これを全部食え。……あと、明日はもっと美味い『素朴なクッキー』を作らせる」
「えぇ……」
「俺の屋敷のシェフなら、不揃いで、少し焦げていて、それでいて最高に美味いクッキーなど容易いことだ!」
「方向性がおかしくなってますよ?」
「黙れ! 俺は負けん! 七歳児にも、誰にもだ!」
ルーク様は捨て台詞を吐くと、私のクッキー袋を大事そうに抱えて部屋を出て行った。
その背中は、どこか必死で、そしてやっぱり耳が赤かった。
取り残された私は、机の上の高級クッキーを見つめてため息をついた。
「……まあ、いいか」
宝石クッキーを一つ摘む。
美味しい。とろけるような甘さだ。
けれど。
(……あの人の不器用さも、大概味わい深いわね)
私はふと、そんなことを思った。
翌日。
公爵家の食卓には、「わざと形を崩し、絶妙に焦がした、最高級素材を使った謎のクッキー」が山のように積まれることになる。
シェフたちが「なぜ我々は失敗作を作るために全力を……?」と涙目で焼いたそのクッキーを、ルーク様は「どうだ、素朴だろう!」とドヤ顔で私に食べさせてきた。
私はその空回りする努力に、星六つをつけることにした。
一方、王城では。
「まだか! ノエルはまだ戻らんのか! 国庫が! 国庫が空になる!」
クレイス殿下が、第二弾の請求書(添削指導料込み)を前に、髪を振り乱して発狂していた。
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