婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

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王都の別邸にて。

決戦の夜が来た。

私は鏡の前に立っていた。

そこに映っているのは、いつもの「目つきの悪い地味な事務官」ではなかった。

「……ほう」

私は感心したように声を漏らした。

深い夜空のようなミッドナイトブルーのドレス。

散りばめられたダイヤモンドは、照明を反射して星屑のように瞬いている。

背中は大胆に開いているが、透け感のあるショールが絶妙に肌を隠し、逆に想像力を掻き立てる(らしい)。

髪は複雑に編み込まれ、銀の髪飾りが清楚さを演出している。

メイクは職人技だ。私の鋭い目つきを、「ミステリアスな切れ長」へと昇華させている。

「……戦闘準備完了、といったところね」

私は冷静に分析した。

「違います! 『絶世の美女誕生』です!」

背後で、泣きながら仕上げのスプレーをかけているメイド長が叫んだ。

「見てください、この輝き! これなら王都の令嬢たちを駆逐できます! 物理攻撃力はありませんが、精神攻撃力(魅力)はカンストしています!」

「ふむ。防御力は低そうですが、回避率は高そうですね」

私は裾を翻してみた。軽やかだ。これなら緊急時に走って逃げることも可能だろう。

「ノエル様……どうか、今日は『計算』や『コスト』の話は封印してくださいね」

「善処します。ですが、見積もりの依頼が来たら対応しますよ」

「来ません! 来るのはダンスの申し込みだけです!」

メイド長に背中を押され、私は部屋を出た。

          ***

一階のホール。

そこでは、タキシードに身を包んだルーク様が待っていた。

いつもの黒いコートではない。

王家の夜会にふさわしい、白を基調とした礼服だ。

銀髪をオールバックにし、その整いすぎた容貌が露わになっている。

(……悔しいけれど、絵になるわね)

私は階段を降りながら、客観的に評価した。

黙っていれば、彼は間違いなく国一番の美形だ。

黙っていれば、だが。

「……お待たせいたしました、閣下」

私は階段の踊り場で足を止め、一礼した。

ルーク様が顔を上げる。

私を見る。

その瞳が、極限まで見開かれた。

「……」

「……」

沈黙。

ルーク様は彫像のように固まり、息をするのも忘れているようだ。

(……おかしいかしら?)

やはり、私がこんな煌びやかな格好をするのは、身の丈に合わないのだろうか。

それとも、目つきの悪さがドレスと喧嘩しているのか。

不安になりかけた、その時。

「ぐっ……!!」

ルーク様が突然、右手で顔を覆い、膝をついた。

「か、閣下!?」

私は慌てて階段を駆け下りた。

「どうされました!? 発作ですか!? セバスさん、救護班を!」

「ち、違う……!」

ルーク様は呻くように言った。

「め、目が……! 目がぁぁぁ……!」

「目が? ゴミでも入りましたか?」

「焼ける……! 網膜が焼ける……!」

ルーク様は震える指で私を指差した。

「眩しすぎる……! なんだその光は……! お前は太陽か……!? いや、超新星爆発か……!?」

「……」

私は冷静に自分のドレスを見た。

「ダイヤの反射率が高すぎるようですね。照明の角度を調整しましょうか」

「物理的な光じゃない! オーラだ! 尊さという名の暴力だ!」

ルーク様は顔を覆ったまま、懐をごそごそと探った。

そして、取り出したのは――漆黒のサングラス。

シャキーン。

彼はそれを装着した。

「……ふぅ」

ルーク様が息を吐く。

「これで……ようやく直視できる」

サングラス越しに、ルーク様が私を見た。

その姿は、完全に「不審者」だった。

白のタキシードに、黒のサングラス。

夜の舞踏会に、マフィアのボスが現れたようにしか見えない。

「閣下。……その格好で会場へ行くおつもりですか?」

「仕方ないだろう。……裸眼でお前を見たら、俺の理性が蒸発する」

「意味がわかりませんが、威圧感が三割増しです」

私はため息をついた。

まあいい。この「コワモテ」と一緒なら、余計な男も寄ってこないだろう。

ボディーガードとしては優秀だ。

「では、参りましょうか。……ボス」

「誰がボスだ」

ルーク様は立ち上がり、私の手を取った。

その手は少し震えていて、そして熱かった。

          ***

王城への馬車の中。

私たちは向かい合って座っていた。

ルーク様はサングラスをかけたまま、腕を組んで黙り込んでいる。

私は手元のメモ帳(ドレスの隠しポケットに入れてきた)を取り出し、最終チェックを行っていた。

「……ノエル」

「はい」

「……その、なんだ」

ルーク様が口ごもる。

「……似合っている」

「ありがとうございます。生地の質が良いですからね」

「……そうじゃなくて」

ルーク様が頭を抱える。

「中身だ。……お前が、綺麗だと言っているんだ」

「!」

私はペンを止めた。

心臓が少しだけ、早鐘を打つ。

(……お世辞でも、嬉しいものね)

だが、私はすぐに「計算機モード」を再起動した。

ここで舞い上がってはいけない。

これは、ビジネスパートナーとしてのモチベーション管理の一環だ。

「恐れ入ります。……公爵家の装飾品(オーナメント)として、恥ずかしくない品質を維持できているようで何よりです」

「……オーナメント」

「はい。今夜の私の役割は、閣下の隣で微笑み、閣下の権威を高めること。……いわば、高級なトロフィーです」

私はニッコリと笑った。

「ご安心ください。磨き上げてきましたので、どんな角度から見られても輝いて見せますよ」

「……違う」

ルーク様が呻く。

「俺は、お前をトロフィー扱いなんて……」

「では、なんです?」

「……俺の、その……」

「計算機、でしたよね?」

「ぐふっ!」

ルーク様がまた撃沈した。

「もういい……何も言うな……俺が悪いんだ……」

ルーク様は窓の外を向いてしまった。

その耳が真っ赤なのを見て、私は少しだけ罪悪感を覚えた。

いじめすぎただろうか。

でも、この距離感が一番安全なのだ。

傷つかないための、防衛線。

          ***

王城に到着した。

会場となる大広間の前には、すでに多くの貴族たちが集まっていた。

「おい、あれを見ろ……アースガルド公爵の馬車だ」

「北の魔王が来たぞ……」

「噂の令嬢も一緒か?」

ざわめきが広がる。

従僕が馬車の扉を開ける。

まず降り立ったのは、ルーク様だ。

白のタキシードに、サングラス。

その姿を見た瞬間、周囲の貴族たちが「ヒッ」と息を呑んで道を空けた。

「ま、マフィアだ……」

「抗争か? カチコミか?」

「サングラスが怖すぎる……目が合ったら石にされるぞ」

ルーク様は周囲の反応など意に介さず、馬車の中に手を差し伸べた。

「……おいで、ノエル」

「はい、閣下」

私はその手を取り、優雅に降り立った。

その瞬間。

会場の空気が一変した。

「……っ!」

「なんだ、あの美女は……!?」

「あれが……悪役令嬢ノエルか?」

「いや、噂と違うぞ! 女神じゃないか!」

「アースガルド公爵とお似合いすぎる……まるで『美女と野獣(マフィア)』だ……」

感嘆のため息と、好奇の視線が突き刺さる。

私は背筋を伸ばし、完璧な微笑みを浮かべた。

(……視線、約三百。好意的なもの六割、嫉妬三割、恐怖一割)

私は瞬時に分析した。

ルーク様が、私の腰に手を回す。

「……離れるなよ」

サングラス越しに、低い声が囁く。

「迷子になるからな」

「子供扱いしないでください」

「違う。……狼どもが狙っている」

ルーク様が周囲を威圧するように見回すと、視線を送ってきていた男たちが一斉に目を逸らした。

「……行くぞ」

「御意」

私たちは赤絨毯の上を歩き出した。

その姿は、まさに今夜の主役だった。

だが、私たちはまだ知らなかった。

この先に待ち受けているのが、単なるダンスパーティーではなく、元婚約者と新たな敵による「公開処刑」の舞台であることを。

大広間の扉が開く。

煌びやかなシャンデリアの下、壇上で待ち構えていたのは、顔を真っ赤にして怒り狂っているクレイス殿下と、その隣でニヤニヤと笑う、見知らぬ男の姿だった。

「……あれは?」

私が小声で尋ねる。

ルーク様がサングラスを少しずらし、凶悪な目でその男を睨んだ。

「……財務大臣の息子、ギルバートだ」

「ほう。……金持ちですね」

「性格は最悪だがな」

新たなトラブルの予感。

私の「計算機」が、警報を鳴らし始めた。
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