婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

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「……ノエル。調子はどうだ」

「良好です、閣下。本日の業務進捗率は百二十パーセント。予定より二時間早く全案件を処理しました」

「……そうか」

「はい。次は来期の予算編成ですが、すでに草案は作成済みです。確認されますか?」

「……いや、いい。後で見る」

アースガルド公爵邸の執務室。

今日も今日とて、私とルーク様の間には、南極の氷壁のような冷たい壁がそびえ立っていた。

私が「ビジネスパートナー宣言」をしてから三日。

私は有言実行の女だ。

感情を排し、私情を挟まず、ただひたすらに「有能な事務官」としての役割を全うしている。

笑顔? 業務に不要です。

雑談? 時間の無駄です。

おやつ? ……まあ、それは労働の対価として頂きますが、感想は「糖度よし、食感よし」といった成分分析に留めている。

対するルーク様は、日に日にやつれていっていた。

目の下のクマが濃くなり、ため息の数が増え、時折虚空を見つめて「計算機……」と呟いている。

(……自業自得です)

私は心を鬼にして、書類を整理した。

あの時、「君がいないと計算が合わない」と言われたショックは、まだ癒えていない。

だからこそ、私は彼が望む通りの「最高の計算機」に徹しているのだ。

文句はあるまい。

          ***

その時、執務室の扉がノックされた。

「失礼いたします。……旦那様、王都より『招待状』が届いております」

入ってきたのは、家令のセバスさんだ。

彼は銀の盆に載せた豪奢な封筒を、恭しくルーク様の机に置いた。

「……なんだ、これは」

ルーク様が気だるげに封筒を手に取る。

「来週開催される、建国記念舞踏会の招待状でございます」

「……舞踏会か」

ルーク様は眉をひそめた。

「興味ない。欠席だ。……どうせ中身のない貴族たちが、腹の探り合いをするだけの場だ」

「おっしゃる通りです」

私が口を挟んだ。

「王都までの移動コスト、衣装代、滞在費、そして業務停止による機会損失。……費用対効果が悪すぎます。欠席で処理してよろしいですね?」

私がゴミ箱へポイしようとした、その時。

「お、お待ちください!」

セバスさんが慌てて静止に入った。

「ノエル様! 今回の舞踏会は、ただの舞踏会ではありません! 王家主催の、五年に一度の大祭典です! これを欠席すれば、アースガルド家の威信に関わります!」

「威信ですか。……それを数値化すると、どのくらいの損失になりますか?」

「す、数値化……!?」

セバスさんが言葉に詰まる。

私は電卓(魔道具)を叩き始めた。

「当家の現在の権威指数から算出して、欠席によるマイナス影響は微々たるもの。……むしろ、その間に領地開発を進めた方が、長期的利益は……」

「あーっ! もう! 理屈じゃないんです!」

セバスさんがキャラ崩壊して叫んだ。

そして、ルーク様にすがりついた。

「旦那様! 行ってください! ノエル様を連れて! これは『作戦』なのです!」

「……作戦?」

ルーク様がピクリと反応した。

セバスさんは声を潜め、しかし私に聞こえるような声量で囁いた。

「……ノエル様は今、心を閉ざした『計算機モード』です。これを解除するには、非日常の空間と、ロマンチックな刺激が必要なのです」

「……!」

「王都の舞踏会で、美しいドレスを着せて、エスコートするのです。……周りの男たちが彼女に見惚れる中、旦那様が『彼女は俺のものだ』と独占する……これぞ王道! これぞ特効薬!」

「……なるほど」

ルーク様の目が、怪しく光った。

単純だ。この主従、思考回路が単純すぎる。

私はやれやれと首を振った。

「聞こえていますよ、セバスさん。……ロマンチックな刺激で私がバグるとでも? 甘いです。私のシステムは堅牢です」

「くっ……! やはり手強い……!」

セバスさんが悔しげに歯噛みする。

しかし、ルーク様は立ち上がった。

その瞳には、久しぶりに「やる気」の炎が宿っていた。

「……行くぞ、ノエル」

「閣下。先ほどの損益計算をお聞きでしたか?」

「命令だ」

ルーク様はビシッと言い放った。

「これは……業務命令だ。アースガルド公爵家の事務官として、舞踏会に同行し、……その、なんだ」

ルーク様は言葉を探した。

セバスさんが背後でジェスチャーをしている。

(ハートを作って、胸に手を当てて! 『愛の力を示せ』と!)

ルーク様はそれを見て、頷いた。

「……俺の『所有権』を、外部に誇示しに行け」

「……は?」

「在庫管理だ。……お前という『資産』が、俺の管理下にあることを、王都の連中に知らしめる必要がある」

「……」

私はペンをへし折った。

「……なるほど。私は資産ですか。備品扱いですね?」

「ち、違う! 大事なものだという意味で……!」

「わかりました。業務命令とあらば、拒否権はありません」

私は無表情で立ち上がり、敬礼した。

「同行いたします。……『備品』として、恥ずかしくないよう磨き上げておきます」

「あ、いや、そうじゃなくて……!」

ルーク様が手を伸ばすが、私はスタスタと部屋を出て行った。

「……セバス。失敗した気がする」

「……はい、旦那様。減点五十点です」

          ***

そして、出発の日まであと三日。

屋敷は「ノエル様・舞踏会改造計画」の戦場と化していた。

「ノエル様! 採寸です! 動かないで!」

「肌の調子を整えます! 北国の高級エステ(泥パック)です!」

「髪のトリートメントを! 天使の輪を作るのです!」

メイドたちが群がり、私を磨き上げる。

私はそれを「メンテナンス」と呼び、無抵抗で受け入れていた。

「……ふむ。肌の水分量、十五パーセント向上。摩擦係数が低下しましたね」

「そういう感想はいりません! 『ツルツルで素敵』と言ってください!」

メイド長に怒られながら、着々と準備は進んだ。

そして、ドレス選びの日。

応接間には、王都から取り寄せた数十着のドレスが並んでいた。

どれも最高級の生地を使った、目も眩むような逸品ばかりだ。

「さあ、旦那様。ノエル様に似合う一着をお選びください」

セバスさんがルーク様を促す。

ルーク様は腕を組み、真剣な眼差しでドレスと私を交互に見ていた。

「……」

「いかがですか、閣下」

私はマネキンのように直立していた。

「機能性を重視するなら、こちらのスリットの入ったものが動きやすいかと。敵襲があった際に蹴りが入れられます」

「……却下だ」

「では、こちらの厚手のベルベット。防寒性に優れ、野営にも耐えられます」

「……それも違う」

ルーク様は悩み抜いた末、一着のドレスを指差した。

それは、深いミッドナイトブルーのドレスだった。

夜空のような色合いに、細かなダイヤモンドが散りばめられ、星空のように輝いている。

背中が大胆に開いた、大人のデザインだ。

「……これだ」

「ほう。選定理由は?」

私は事務的に尋ねた。

セバスさんとメイドたちが、物陰で固唾を飲んで見守っている。

(旦那様! ここです! ここが勝負所です!)

(『君の瞳の色に似ている』とか!)

(『君の美しさを引き立てる』とか!)

(褒めて! とにかく褒めちぎってください!)

彼らの心の声が聞こえるようだ。

ルーク様は、ドレスを手に取り、私に合わせた。

そして、満足げに頷き、口を開いた。

「……これなら、汚れが目立たない」

「……はい?」

「色が濃いからな。……もしパーティでワインをこぼしても、シミにならずに済む。……実用的だ」

ピキッ。

空間に亀裂が入る音がした。

私は笑顔(能面のような)で頷いた。

「おっしゃる通りです、閣下。クリーニング代の節約になりますね。素晴らしいコスト意識です」

「だ、だろう? 俺は常に効率を……」

その時だった。

「違います、閣下ぁぁぁぁぁぁ!!」

「全然違いますぅぅぅぅぅ!!」

「バカァァァァァ!!」

ドガガガガッ!!

部屋の四隅にある観葉植物、天井裏、ソファの下、そしてカーテンの裏から、一斉に人が飛び出してきた。

セバス、メイド長、文官たち、庭師、料理長。

アースガルド家の使用人オールスターズだ。

彼らは一様に鬼の形相で、ルーク様に詰め寄った。

「うわっ!? なんだ貴様ら!?」

ルーク様がのけぞる。

セバスが、主人の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで叫んだ。

「なぜそこで『実用的』と言うのですか! そこは『君が一番輝いて見える』でしょうが!」

「そうです! 汚れなんてどうでもいいんです! 脱がせる時に邪魔にならないかとか、そういう視点はないんですか!」(メイド長)

「色気ですよ、色気! 旦那様の目は節穴ですか! あの背中のラインを見て何も思わないのですか!」(料理長)

「『耐久性』とか『コスト』とか、もう禁止ワードにしてください! ノエル様の心がどんどん冷えていくのが見えませんか!」(文官)

全員からの総ツッコミ。

嵐のような怒号に、ルーク様はタジタジだ。

「い、いや、俺は……照れ隠しで……!」

「照れ隠しが致命傷になってるんです!」

「もう黙ってください! 口を開くたびに好感度が下がっています!」

セバスがハァハァと息を切らし、私に向き直った。

「ノ、ノエル様! 今の発言はすべて撤回します! 記憶から消去してください!」

「なぜです?」

私は首を傾げた。

「的確な判断でしたよ。私もこの色が一番、業務に適していると思います」

「あああ……ダメだ……」

セバスが崩れ落ちた。

「手遅れだ……完全に『業務』として処理されてしまった……」

メイドたちが泣き崩れる。

「私たちのシンデレラ計画が……ただの『作業服選定会』に……」

部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

その中心で、ルーク様だけが呆然と立ち尽くしていた。

「……俺は、またやらかしたのか?」

「はい、大事故です」

私は淡々と答えた。

「ですがご安心を。ドレスはこれに決定しました。……さて、当日のスケジュールを確認しましょう」

私はメモ帳を取り出した。

「ダンスは一曲のみ。挨拶回りは最小限に。食事は栄養補給として効率的に摂取。……以上でよろしいですね?」

「……ノエル」

ルーク様が、縋るような目で私を見た。

「……楽しみには、していないのか?」

「楽しみ?」

私は少し考えたふりをして、答えた。

「ええ、楽しみですよ。……王都の物価調査が」

ルーク様が膝から崩れ落ちた。

「……違う……俺が求めていたのは……こんな関係じゃない……」

彼の嘆きは、使用人たちの号泣にかき消された。

こうして、前途多難なまま、私たちは王都へと向かうことになった。

「最強の計算機」と化した私と、「言葉選びが絶望的な公爵」ルーク様。

そして、諦めきれない使用人たち。

しかし、王都にはさらなる「敵」が待ち受けていた。

元婚約者の王子だけではない。

私の「悪名」を逆手に取り、社交界から追放しようと画策する、本物の「悪意」を持った貴族たちが。
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