婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

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王都からの勅使が去った翌日。

アースガルド公爵邸の裏庭では、涙のお別れ会(一方的なドナドナ)が開催されていた。

「いやだぁぁぁ! 鉱山は嫌だぁぁぁ!」

「私の手! 私の美しい手が、すでに芋の皮剥きでガサガサなのにぃぃ!」

檻付きの馬車に詰め込まれているのは、元・第一王子クレイスと、元・男爵令嬢ミーナだ。

宰相との取り決めにより、彼らは公爵邸の庭(仮設収容所)から、より本格的な労働施設である北の最果ての鉱山へと移送されることになったのだ。

「クレイスさん、ミーナさん。道中お気をつけて」

私はハンカチを振りながら、にこやかに見送った。

「現地はここより気温が五度低いです。カイロ(私の発明品、一個金貨一枚)を持たせましたので、代金は給与から引いておきますね」

「最後まで金か! 貴様は最後まで金なのか!」

クレイスが鉄格子の隙間から叫ぶ。

「覚えてろよノエル! いつか借金を完済して、必ずここに戻ってきてやるからな!」

「ええ、お待ちしています。……計算上、一万二千年後ですが」

「うわあああああん!」

馬車が動き出す。

遠ざかる二人の絶叫を聞きながら、私は深く息を吐いた。

「……終わりましたね」

「ああ。……やっと静かになった」

隣に立つルーク様が、肩の荷が下りたように呟く。

長かった。

婚約破棄から始まり、請求書バトル、決闘、そして王城での買収劇。

怒涛の日々が、ようやく幕を閉じたのだ。

「……ノエル」

ルーク様が、優しい声で私を呼んだ。

「これでお前を縛る過去はなくなった。……あいつらの尻拭いも、王家の借金も、もう気にしなくていい」

ルーク様は私の肩に手を置き、愛おしそうに微笑んだ。

「これからは……ゆっくり休め。俺が、お前を楽にさせてやる」

その言葉は、間違いなく最大級の愛の言葉だった。

普通の令嬢なら、「嬉しい! 幸せ!」と抱きつく場面だろう。

だが。

ドクン。

私の心臓が、嫌な音を立てた。

(……楽にさせてやる?)

その言葉が、私の脳内でネガティブ変換される。

『楽にする』=『仕事を取り上げる』。

『休め』=『お前はもう用済みだ』。

『過去はなくなった』=『もう戦う(働く)必要はない』。

(……これって、まさか)

私の顔から、サァーッと血の気が引いていった。

「……閣下。それは、どういう意味でしょうか」

「ん? 言葉通りの意味だが。……お前はこれまで働きすぎた。これからは公爵夫人として、優雅に暮らせばいい」

優雅に。

つまり、何もするなと?

ただニコニコ笑って、お茶を飲み、着飾って座っているだけの「お飾り」になれと?

「……リストラ、ですか?」

「は?」

「私が『事務官』としてのお役目を終えたから、これからは『ニート』になれという業務命令ですか?」

「な、何を言っているんだ?」

ルーク様が目を丸くする。

しかし、私の仕事人間としての防衛本能が暴走を始めていた。

「わかっております。……借金問題が片付き、私の特殊スキル(取り立て・計算・恫喝)は不要になったわけですね」

私は震える声で言った。

「確かに、平和な公爵家に『悪役令嬢』は不要です。……これからは、ただの『愛されるだけの置物』になれと……」

「置物なんて言ってない! 俺はただ、お前に苦労をかけたくないと!」

「それが苦痛なんです!」

私は叫んだ。

「私は泳ぎ続けていないと死ぬマグロなんです! 仕事がない人生なんて、空気のない宇宙空間と同じです!」

「マ、マグロ……?」

ルーク様が困惑している間に、私はドレスの袖をまくり上げた。

「わかりました。事務仕事がないなら、現場仕事を探します」

「おい、待て! どこへ行く!」

「庭の草むしりがまだ残っています! クレイスさんたちのノルマ分を私が消化します!」

「やめろ! 公爵夫人が草むしりなんて!」

「じゃあ窓拭きを! 煙突掃除を! なんでもいいから私に『タスク』をください!」

私は発作的に、近くにあった箒を掴んで猛烈な勢いで地面を掃き始めた。

「落ち着けノエル! 目が! 目が死んでるぞ!」

ルーク様が必死に私を羽交い締めにして止める。

「離してください! 働かざる者食うべからずです! 今日の夕飯を食べる権利が私にはない!」

「ある! あるから! 俺が食わせるから!」

「ヒモになれと言うんですか!? プライドが許しません!」

ドタバタと暴れる私と、それを必死になだめる公爵様。

使用人たちが遠巻きに見ながら、「あちゃー……」「ノエル様の『社畜根性』が爆発したか……」と囁き合っていた。

          ***

一時間後。執務室。

ルーク様に強制連行され、ソファに座らされた私は、出されたココアを飲んで少し落ち着きを取り戻していた。

「……すまない。取り乱した」

「……いや、俺の方こそ言葉が足りなかった」

ルーク様は疲れた顔で、私の向かいに座った。

「ノエル。……俺は、お前から仕事を奪うつもりはない」

「本当ですか?」

「ああ。……むしろ、公爵夫人の仕事は、お前が想像しているより遥かに激務だ」

ルーク様は指を折って数え始めた。

「領地経営の最終決裁、社交界での根回し、屋敷の管理、俺の健康管理、そして……」

ルーク様は少し顔を赤らめた。

「……後継者の育成」

「……なるほど」

私は冷静に分析した。

「確かに、それならやり甲斐はありそうです。……特に『俺の健康管理』は難易度が高そうですし」

「うるさい。……とにかく、お前が暇になることはない。約束する」

「……言質、取りましたよ」

私がようやく安堵の息をついた、その時だった。

セバスさんが、一通の手紙を持って部屋に入ってきた。

「ノエル様。……ご実家のローゼン侯爵家より、至急の書状が届いております」

「父から?」

嫌な予感がした。

父は先日、「仕事だけはちゃんとしろ」と言って帰ったはずだ。

封を開け、中身を読む。

『前略、ノエルへ。

王都での活躍、耳にしている。王子を追い出し、借金を帳消しにし、公爵を篭絡した手腕、見事である。

さて、婚約が成立した以上、正式な結婚式の準備に入らねばならん。

ついては、一度実家に戻りなさい。

花嫁修業、ならびに衣装合わせ、招待客リストの作成など、やるべきことは山積みだ。

即刻帰還せよ。

父より』

「……」

手紙を持つ手が震えた。

「……どうした?」

ルーク様が心配そうに覗き込む。

「……実家に、呼び戻されました」

「なに?」

「結婚準備のために、一時帰宅しろと」

私は手紙をテーブルに置いた。

ルーク様の顔が曇る。

「……帰るのか?」

「父の命令は絶対です。それに、結婚式という『巨大プロジェクト』を成功させるには、綿密な打ち合わせが必要です」

私は立ち上がった。

「わかりました。一度、実家に戻り、体制を整えてから再出勤いたします」

「……いつ戻ってくる?」

ルーク様の声が、心なしか心細そうだ。

まるで、飼い主に置いていかれる大型犬のよう。

「準備が整い次第です。……一ヶ月、いや、二ヶ月でしょうか」

「二ヶ月……」

ルーク様が絶望的な顔をした。

「俺に……二ヶ月も、お前なしで生きろと?」

「大袈裟です。計算機の代わりなら、優秀な文官たちがいます」

「計算機の話じゃない! ……栄養素の話だ!」

「はい?」

「お前成分が不足すると、俺は枯れる!」

ルーク様は真顔で言い切った。

「……連れて行く」

「え?」

「俺も行く。……実家までついて行く」

「ダメです。閣下には領地の仕事があります」

私はピシャリと言った。

「私がいない間、誰がこの膨大な書類を処理するのですか? トップが職場放棄してどうするんです」

「うぐっ……」

「留守を頼みます、ボス。……私が戻るまで、この屋敷と領地を守っていてください」

私は努めて明るく、ビジネスパートナーとして振る舞った。

「私が戻った時、書類が溜まっていたら……承知しませんよ?」

「……鬼」

ルーク様は拗ねたように唇を尖らせたが、やがて渋々頷いた。

「……わかった。完璧に片付けておく」

「いい子です」

私は思わず、ルーク様の頭をポンポンと撫でてしまった。

ルーク様がビクッとして、それから嬉しそうに目を細める。

「……その代わり」

ルーク様が私の手首を掴んだ。

「……最後の夜くらい、俺のそばにいろ」

熱っぽい瞳。

「……今夜は、寝かせないからな(※会議的な意味ではなく)」

「……」

私は顔が沸騰するのを感じた。

「……善処します」

          ***

翌朝。

私は荷物をまとめ、公爵邸の玄関に立っていた。

見送りに出てきた使用人たちは、皆涙目だ。

「ノエル様ぁ! 早く帰ってきてくださいねぇ!」

「貴女がいないと、旦那様がまた『氷河期モード』に戻っちゃいます!」

「おやつ! おやつの新作ができたら送りますから!」

「皆様、お世話になりました。……留守中の業務マニュアルは、各部署に配布済みです。遵守するように」

私は最後まで事務的に振る舞った。

そして、ルーク様。

彼は一睡もしていないのか(昨夜のアレコレで)、少し気怠げだが、満足そうな顔をしていた。

「……行ってくる」

「ああ。……待っている」

短い言葉。

でも、それだけで十分だった。

私は馬車に乗り込んだ。

「出して」

馬車が動き出す。

遠ざかる公爵邸。

私は窓から身を乗り出し、一度だけ大きく手を振った。

「必ず戻りますからー! 浮気したら請求書送りますよー!」

「するわけあるかー! 早く帰ってこいー!」

ルーク様の叫び声が、風に乗って聞こえた。

こうして私は、短い「里帰り」の旅に出た。

だが、私は知らなかった。

実家に戻った私を待ち受けていたのは、単なる「花嫁修業」などという生易しいものではなく――。

父による、「公爵夫人特訓プログラム(スパルタ)」と、新たな「邪魔者」の出現だったことを。
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