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28.懐柔
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目の前の奥方は、20歳を超えたばかりに見える。
よほど世間を知らないのかと、ノーマンは辺境伯と奥方を何度も交互に見た。
養蚕をこの地でと言われても、桑畑があればいいってもんじゃない。蚕の世話や紡績だって熟練の人間の手が必要なのだ。
「養蚕小屋もこちらで建てますわ。雪解け後に建築を初めますから、夏芽が芽吹く頃には間に合いましてよ」
ノーマンは奥方がスラスラと話すのを見て、得心した。
かなり勉強したに違いないが、付け焼き刃でしかない。
「それはとても素晴らしいご提案です。すぐにでも飛びつきたいものですが、なにぶん養蚕は奥方が思うほど簡単ではないのです。職人を連れてくるとしても大勢を一気に移動させるわけにも行きません」
「ですから、従業員は我が領民をお使いいただきたいのです」
「とんでもない!」
ノーマンが椅子から腰を浮かして言うと、すぐに辺境伯が「座れ」と低い声で睨みをきかせてきた。
ノーマンが「ひぃっ」と小さい悲鳴とともに椅子に座り直すと、奥方は「あなた、おやめくださいまし」と辺境伯をなだめている。
奥方に手を取られると、さっきまで取り殺される勢いだった表情が、途端に柔和なそれへと変わっていくのを見て、ノーマンは奥方をまじまじとみた。
まるで猟犬――いや、獰猛な熊を手懐ける女神ではないか。
「ノーマンさんは蚕と数名の技術者を派遣して、我々が用意する従業員に養蚕を教えていただきます。生産はもちろんノーマンさんの責任で行ってくださって結構です。最初の数年は品質が安定しないと聞きますので、商品にならない絹は辺境伯が買い取ります」
夢のような話だが、ノーマンは諸手を上げて飛びつくには、話がうますぎると思った。
「もちろん、税は納めていただきますわ。売り上げた絹の3割の金額、もしくは生地でお願いします」
「ちょ――ちょっとまってくださいよ」
マルグリットの言葉を遮ってしまったが、辺境伯はおとなしい。ノーマンは安心して続けた。
「あんまりにも話がうますぎます。こちらの得しか見えません――うまい話には裏があると思えと言うのは商人なら誰しも思うことです。一体、何が狙いなんです?」
ノーマンはこうなれば腹を割って話すしかないと覚悟を決めた。考えのとおりなら、「時間をくれ」と言って里に逃げ帰ればいいのだ。桑畑はまた探せばいい。
「ノーマンさんもご存知のとおり、我がヴァルデン辺境伯領は長い戦争で疲弊していますわ。ろくな産業もなく失業者が溢れてます。ですから、絹産業のような素晴らしい産業を誘致したいと思うのは当然のことですわ」
確かに、昨年ヴァルデン辺境伯領を最初に訪れた時の荒廃した印象を思い出すと、奥方のいうことは間違いないのだろう。
今は多少活気づいてはいるものの、まだまだ復興には遠い。
ノーマンはまたアバカスを弾く。
税金に提示された3割も、他の領に比べて安い。
そして、終戦により隣国との交易が再開されれば、ここに拠点を置くのは悪くないと思い至った。
「では、詳細な条件のお話にまいりましょうか――」
ノーマンが答えを弾き出したのが見えたのか、マルグリットはにこりと微笑んだ。
「君の交渉術を初めてみたが――隣国との交渉も君がやれば一発で終わりそうだな」
ノーマンが帰ったあと、夫婦の部屋でレオンはマリーの体を膝の上に座らせて口付けをした。
唇が触れる程度の口付けがくすぐったかったのか、レオンの言葉が滑稽だったのか、マルグリットはくすくすと笑うと、レオンの胸に頭をもたげた。
「レオン様がお隣りにいてくださったからですわ。心に圧力をかけて逃げ場をなくしておけば、商人であろうとも扱いやすくなるものなのです」
「そういう作戦を知っているというだけで、俺は頭が上がらんよ」
レオンの手がマルグリットの胸元をまさぐると、マルグリットはそっと窓の外に目をやった。
灰色の雲はすっかりどこかへ行ったが、もう辺りが薄暗くなっている。
ならば、このまま身を委ねてもいいかと、マルグリットは目を閉じた。
それが合図のように、レオンは妻の愛らしい唇に口付けを落とした。
よほど世間を知らないのかと、ノーマンは辺境伯と奥方を何度も交互に見た。
養蚕をこの地でと言われても、桑畑があればいいってもんじゃない。蚕の世話や紡績だって熟練の人間の手が必要なのだ。
「養蚕小屋もこちらで建てますわ。雪解け後に建築を初めますから、夏芽が芽吹く頃には間に合いましてよ」
ノーマンは奥方がスラスラと話すのを見て、得心した。
かなり勉強したに違いないが、付け焼き刃でしかない。
「それはとても素晴らしいご提案です。すぐにでも飛びつきたいものですが、なにぶん養蚕は奥方が思うほど簡単ではないのです。職人を連れてくるとしても大勢を一気に移動させるわけにも行きません」
「ですから、従業員は我が領民をお使いいただきたいのです」
「とんでもない!」
ノーマンが椅子から腰を浮かして言うと、すぐに辺境伯が「座れ」と低い声で睨みをきかせてきた。
ノーマンが「ひぃっ」と小さい悲鳴とともに椅子に座り直すと、奥方は「あなた、おやめくださいまし」と辺境伯をなだめている。
奥方に手を取られると、さっきまで取り殺される勢いだった表情が、途端に柔和なそれへと変わっていくのを見て、ノーマンは奥方をまじまじとみた。
まるで猟犬――いや、獰猛な熊を手懐ける女神ではないか。
「ノーマンさんは蚕と数名の技術者を派遣して、我々が用意する従業員に養蚕を教えていただきます。生産はもちろんノーマンさんの責任で行ってくださって結構です。最初の数年は品質が安定しないと聞きますので、商品にならない絹は辺境伯が買い取ります」
夢のような話だが、ノーマンは諸手を上げて飛びつくには、話がうますぎると思った。
「もちろん、税は納めていただきますわ。売り上げた絹の3割の金額、もしくは生地でお願いします」
「ちょ――ちょっとまってくださいよ」
マルグリットの言葉を遮ってしまったが、辺境伯はおとなしい。ノーマンは安心して続けた。
「あんまりにも話がうますぎます。こちらの得しか見えません――うまい話には裏があると思えと言うのは商人なら誰しも思うことです。一体、何が狙いなんです?」
ノーマンはこうなれば腹を割って話すしかないと覚悟を決めた。考えのとおりなら、「時間をくれ」と言って里に逃げ帰ればいいのだ。桑畑はまた探せばいい。
「ノーマンさんもご存知のとおり、我がヴァルデン辺境伯領は長い戦争で疲弊していますわ。ろくな産業もなく失業者が溢れてます。ですから、絹産業のような素晴らしい産業を誘致したいと思うのは当然のことですわ」
確かに、昨年ヴァルデン辺境伯領を最初に訪れた時の荒廃した印象を思い出すと、奥方のいうことは間違いないのだろう。
今は多少活気づいてはいるものの、まだまだ復興には遠い。
ノーマンはまたアバカスを弾く。
税金に提示された3割も、他の領に比べて安い。
そして、終戦により隣国との交易が再開されれば、ここに拠点を置くのは悪くないと思い至った。
「では、詳細な条件のお話にまいりましょうか――」
ノーマンが答えを弾き出したのが見えたのか、マルグリットはにこりと微笑んだ。
「君の交渉術を初めてみたが――隣国との交渉も君がやれば一発で終わりそうだな」
ノーマンが帰ったあと、夫婦の部屋でレオンはマリーの体を膝の上に座らせて口付けをした。
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「レオン様がお隣りにいてくださったからですわ。心に圧力をかけて逃げ場をなくしておけば、商人であろうとも扱いやすくなるものなのです」
「そういう作戦を知っているというだけで、俺は頭が上がらんよ」
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灰色の雲はすっかりどこかへ行ったが、もう辺りが薄暗くなっている。
ならば、このまま身を委ねてもいいかと、マルグリットは目を閉じた。
それが合図のように、レオンは妻の愛らしい唇に口付けを落とした。
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