辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた

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29.残雪

 降り積もった雪が溶け始めると、領地は明らかに活気づいた。
 昨年まではこの時期は死体の処理に追われていたのに、今年は時折届け出が出る程度だ。
 エマトンは神殿と羊小屋を忙しく走り回っていた。
 雪解けを待って領地に商人が訪れ始めたのだ。
 狐や狼の毛皮が飛ぶように売れる。
 中にはこちらが提示した金額以上で買いたいという者も少なくなかったが、奥方の言う通り提示した金額からは変えなかった。
 売れたのは毛皮だけではない。
 神殿からも、レースの試作品が次々と上がってきた。
 襟飾りは既に10本売れた。
「なんて繊細なんだ」
「まるで蜘蛛の糸で編んだような細さだ」
「――それにこの模様……こんなレースは見たことがない」
 レースを手に取った商人達が口々に感嘆の声を上げると、試作品でも構わないから売ってくれとエルトンに詰め寄った。
「では、一番高値をつけてくれた人から順にお売りいたしますよ」
 奥方から言われたとおりにすると、レースは想定していた1つあたり金貨4枚を大きく上回る金貨6枚で全て売れてしまった。
 マルグリットの予想が外れたのは、これが初めてだった。

 領地の東では桑畑の整備が順調に行われていた。
 桑畑の近くの水路から、桑畑まで水路を引くよう指示されたトールスは、目の前の光景に唖然とした。
 大勢の人間が、桑の選定を行い、桑畑となる予定の土地に植え替え用の穴を掘っていた。
「わざわざ植え替えまでするんですね」
 作業の指揮を取りながらトールスが言うと、ノーマンは頷いた。
「野生のままですと木が育ちすぎて葉に栄養がいかんのです。なので、十分に育つように等間隔に整列させて、余分な葉を落とさないと」
 たかが虫のために――と、トールスは思ったが、熟練の者が言うことは正しい。あの水路技師もバナンもそうだったのだから。
 それにしても――
 トールスは作業の風景を眺めて、小さく息を吐いた。
 わずか7日でここまで進めてしまわれるなんて、やっぱり奥様は素晴らしい方だ。ご主人様だって、今頃領内の警備の確認に余念がないはずだ。
 トールスは胸の中で主夫妻を自慢に思った。
 
 修復が終わった三階は、見違えるように美しくなった。
 廊下の絨毯は丁寧に埃を払って何度も洗ったおかげで新品のように美しい。
 ルセンディア伯爵の部屋は寝台を新しくバナンに作ってもらった。羊毛や羽毛をこれでもかと敷き詰めたおかげで、寝心地は最高のはずだ。
「マルグリットの寝台でさえここまで豪華ではないのに」
 レオンが怒ったが、マルグリットは気にしていなかった。
「わたくしは、レオン様が温めてくださいますでしょう?こんな大袈裟な寝台は必要ありませんわ」
 そう言うとすぐに機嫌をよくするレオンを見て、マルグリットはきっと今夜もレオンは自分を温めてくれるに違いないと思った。
 マルグリットが昼間に甘えた夜は、レオンは執拗にマルグリットを求めるのだ。
 熊のような大きな体から、何度も「愛してる」「可愛い俺のマリー」と囁かれるのは、マルグリットにとっても幸せだった。
 だが。
 マルグリットはそっと下腹部を抑えた。
 それだけ愛し合っていても、妊娠の兆候はまだ見られない。
 レオンは焦らなくてもいいと言うが、レオンは春になると33歳になる。
 跡継ぎの問題は重要だった。
 だが、今はそれに気を取られている場合ではない。
 マルグリットはもう一度部屋を見渡して、不備がないかを確認した。
 清潔なリネンのシーツと下着が10点。温かい狐の毛皮のガウン。歴史を感じさせる書物机と椅子。
 羊毛を詰めた背当てには、マルグリット自らが隣国を象徴するりんごの花の刺繍を施した。
 問題はない。
 ルセンディア伯爵の到着は明日に迫っていた。
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