侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
16 / 23

16.

しおりを挟む
「え?君は祭りに行った事がないのか?」
 カインが大袈裟に驚いてみせると、イレリアは拗ねたように口をすぼめた。
 その仕草も愛らしい。
 店番をするイレリアに会いに来たカインは、広場で夏祭りの準備をしている事を告げたが、イレリアは当たり前のように「行った事がない」と答えたのだ。
「なら、行かないか?店を閉めてから2人で」
「でも……」
 貧民街の人間が祭りなどに行くとどんな目にあうかわからない。
 イレリアはそう言おうとしたが、少しだけ惨めに思い、口をつぐんだ。
「祭りなんかの日は人でごった返してる。僕と一緒なんだし、大丈夫さ」
 カインがそう言うと、イレリアは少し思案してから覚悟を決めた顔で頷いた。

 カインの言う通り、広場はいっぱいだった。
「ほら、蜂蜜水だよ」
 カインが屋台から慣れた手つきで買った蜂蜜水を、イレリアに手渡してくれた。
 一口啜ると心地よい冷たさと懐かしい甘さが喉を通り過ぎていく。
「昔、風邪を引いたりした時に師匠が薬湯に混ぜてくれてたのは蜂蜜だったのね」
 イレリアが顔を綻ばせると、カインは少しムッとした。
 数度会っただけの薬師は、青白く不機嫌そうな顔をしていたが、カインの顔を見ると更に不機嫌さを顕にしていたので、あまり印象が良くない。
 しかし、イレリアはそれに気付かず、蜂蜜水を美味しそうに喜んでいる。
 ――まぁ、いいか。
 イレリアが笑っているだけで、カインは幸せな気分に浸れた。
「カイン、あれはなに?」
 イレリアが広場の奥の人だかりを指さした。

「カイン、あれはなに?」
 小さな手を目一杯指さして、女の子がカインに尋ねる。
 小さなカインが、あれは神話に出てくる金の蔦を模した飾りだと教えると、女の子は目をキラキラさせた。
「カインはいっぱい知ってるのね」
 もう不器用な笑顔ではない。素直な、明るい笑顔の女の子をカインは幸せな気分で眺めていた。

 ――なんなんだ。
 一瞬、脳裏をよぎった記憶にカインは少し混乱した。
 だが、その記憶はすぐに薄れ、カインの目の前には好奇心に目をキラキラとさせて、楽しそうに笑うイレリアがいる。
「あれは芝居さ。建国の伝説をやるって聞いてるけど――見たい?」
「ええ!私お芝居を見るのは初めてなの」
 カインは微笑むと、イレリアの肩を抱いて人だかりへとエスコートした。

 芝居は始まったばかりだった。
 数千年前のはるか昔。始祖王アストンが争いに苦しむ人々をまとめ、国を作る話だ。
 国名をアンドレアを定め、親友であり始まりの魔法使いジュノアがアストン王を支え、敵対する国々を陥落させてく。
 30年かけてアストン王は遂にアンドレア王国の王となった。
 子供でも知っている、そんな話だ。
「カインはジュノアの末裔なんでしょ?」
 短い芝居が終わると、イレリアはカインの顔を覗き込むように見上げて言った。
「そうだよ」
「その綺麗な金の髪も、青い瞳もジュノアから受け継いだのかしら」
「まさか――確かに言い伝えのジュノアはそうだけど、僕の父は濃い茶色の髪に緑の瞳だよ。僕のこの髪と瞳は――」
 母からだ、と言いかけて口をつぐんだ。
 これまで、なんの意識もしてこなかったこの髪と瞳が、母親譲りだと意識した途端、急に疎ましく感じられた。
 ずっと冷たく、最期まで自分を拒絶した女。
 胸に黒い熱が広がり、カインの体から魔力が溢れ出すのを感じる。
 いけない。こんな人の多いところで――
「カイン――?」
 イレリアが不安そうにカインを見つめるが、カインの目はイレリアを見ていない。
 不穏な気配を感じ取ったイレリアは、両手でカインの頬を挟むと、力いっぱい自分に向けさせた。
「カインってば!」
 イレリアの声で我に返ると、頬を挟むイレリアの手をそっと握った。
 ひどく荒れた手だが、細く優しい温もりがカインの黒い熱を冷ましていくようだった。
「ごめん、イレリア。少し嫌な事を思い出してたんだ」
「もう――こんな時に嫌な事を思い出すなんてもったいないわ」
「そうだね」
 握った手が名残惜しく、離すべきか悩んでいると、イレリアは右手でカインの手を握り返した。
「次はあっちに行ってみましょう」
 その温もりが、カインを幸せにしていたとは、イレリアにはわかっているだろうか。

 祭りには珍しい品物を売る屋台がたくさん出ていた。
 香辛料や食べ物といった当たり前のものから、少し値の張る装飾品まで所狭しと並んでいた。
 カインはイレリアが目にするもの全てを買い与えたかったが、イレリアに断られてしまった。
 だが、屋台を見て回るだけで楽しいと笑うイレリアを見ると、カインの心は満たされていくようだった。
 広場の中央では、楽団が楽しげな音楽をかき鳴らし、人々が足を踏み鳴らしながら踊っている。
「踊らないの?」
 音楽に合わせて小さく体を動かすイレリアに尋ねると、イレリアは首を横に振った。
「踊れないの」
 貧民街では生きる事が最優先だ。
 イレリアはまだ身綺麗にしているが、貧民街の住民にとって身だしなみなど二の次以下だ。
 髪は脂で固まり、体は垢だらけで異臭を放つ彼らが祭りなどに行けるはずもなく、踊りを楽しむことなどできようはずがないのだ。
 それに気付いたカインは、少しばつの悪い顔をしたが、イレリアは気にしていないようだった。
 カインはイレリアの横顔をずっと眺めていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

王女を好きだと思ったら

夏笆(なつは)
恋愛
 「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。  デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。 「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」   エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。  だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。 「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」  ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。  ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。  と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。 「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」  そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。 小説家になろうにも、掲載しています。  

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

鈍感令嬢は分からない

yukiya
恋愛
 彼が好きな人と結婚したいようだから、私から別れを切り出したのに…どうしてこうなったんだっけ?

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。

私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―

喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。 そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。 二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。 最初は手紙も返ってきていたのに、 いつからか音信不通に。 あんなにうっとうしいほど構ってきた男が―― なぜ突然、私を無視するの? 不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、 突然ルイスが帰還した。 ボロボロの身体。 そして隣には――見知らぬ女。 勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、 私の中で何かが壊れた。 混乱、絶望、そして……再起。 すがりつく女は、みっともないだけ。 私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。 「私を簡単に捨てられるとでも? ――君が望んでも、離さない」 呪いを自ら解き放ち、 彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。 すれ違い、誤解、呪い、執着、 そして狂おしいほどの愛―― 二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。 過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。 けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。 二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。 オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。 その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。 そんな彼を守るために。 そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。 リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。 けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。 その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。 遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。 短剣を手に、過去を振り返るリシェル。 そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。

処理中です...