サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ

文字の大きさ
10 / 17

第10話 圧力

しおりを挟む
1
 八月二日の夕方、安藤の車から降りた前田は、呉市内で取材を続けることにした。
 安藤の言葉——「八月六日までは待ってください」。それは、何かがその日に起こることを示唆していた。しかし、それまで何もせずに待つことはできない。
 前田は、港近くの古い食堂に入った。造船の街として栄えた呉には、今も多くの元造船所勤務者や海運関係者が暮らしている。彼らなら、港での異変に気づいているかもしれない。
「いらっしゃい。お一人?」
 六十代の店主が、カウンター越しに声をかけてきた。
「はい。何かおすすめはありますか?」
「それなら、呉の海軍カレーがいいよ。海上自衛隊でも食べられている味だ」
 前田はカレーを注文し、店主と世間話を始めた。
「この辺り、夜は静かなんでしょうね」
「いや、最近は妙に賑やかでね」店主は皿を拭きながら答えた。「製鉄所跡地の工事現場、夜中に大型トラックが出入りしてるんだよ。それも、ほとんど毎晩」
「夜中に? 何を運んでいるんでしょう」
「さあね。でも、荷台には大きな布がかかってて、中身は見えないようにしてある。普通の資材なら、そんな隠し方はしないだろう?」
 店主は声を潜めた。
「わしの知り合いの運転手が言うには、あれは船の部品じゃないかって」
「船の部品……ですか」
「ああ。形状から見て、潜水艦の船体ブロックかもしれないって。わしも昔、造船所で働いてたから、少しは分かるんだ」
 前田は慎重にメモを取った。
「でも、潜水艦を作るなら、もっと正式な造船所で作りますよね?」
「それがな」店主は首を傾げた。「秘密裏に作りたいものがあるんじゃないか、って噂があるんだよ」
 店主は周囲を確認してから、さらに声を落とした。
「原子力潜水艦とかな」
2
 食事を終えた前田は、港沿いを歩きながら呉湾を眺めていた。
 夕暮れ時の海は穏やかで、いくつかの船が浮かんでいる。漁船、小型の貨物船、そして——
 前田は双眼鏡を取り出し、沖合に停泊している大型のタンカーを観察した。
 真新しい船体。完成して間もないように見える。しかし、そのタンカーは、何日も同じ場所に停泊しているようだった。
「あの船、気になりますか?」
 背後から声がかかった。振り向くと、釣り竿を持った初老の男性が立っていた。
「はい……あのタンカー、ずっとあそこにいるんですか?」
「ああ、もう一月以上になるかな。普通のタンカーなら、もっと早くに出航するはずなのに」
 男性は前田の隣に立ち、タンカーを見つめた。
「時々、小型船が行き来してるのを見るよ。それも、自衛隊の船だ」
「自衛隊の……」
「ああ。で、あのタンカーの甲板に、自衛官らしい姿を見たって仲間が言ってた」
 男性は双眼鏡を前田に貸してくれた。改めて観察すると、確かに甲板に数人の人影が見えた。作業服のようなものを着ているが、その動きには統制が取れている。
「あの人たち、自衛官じゃないかって、みんな噂してるんだ」
「自衛官がタンカーに……何のために?」
「さあね。何か訓練でもしてるのか、それとも——」男性は意味深に笑った。「何か別の目的があるのか」
 前田は写真を撮りながら、思考を巡らせた。
 製鉄所跡地で建造される何か。沖合に停泊するタンカー。そして、その船に出入りする自衛官たち。
 これらは、全て一つの計画の一部なのではないか。
3
 その夜、前田はホテルの部屋で情報を整理していた。
 今日得た情報を時系列に並べていく。ノートパソコンの画面には、箇条書きのメモが並んでいた。
 ・製鉄所跡地に巨大な格納庫が建設されている
 ・夜間、大型トラックで船体ブロックらしいものが搬入
 ・呉湾沖に新しいタンカーが長期停泊
 ・そのタンカーに自衛官が出入り
 前田は一つの仮説を立てた。
 政府は秘密裏に、新型の潜水艦を建造している。それはおそらく——原子力潜水艦だ。
 日本は非核三原則を掲げている。原子力潜水艦の保有は、その原則に抵触する可能性がある。だから公にはできない。表向きは倉庫施設としながら、実際には秘密裏に組み立てているのではないか。
 そして、完成した潜水艦は、タンカーに偽装して——あるいはタンカーの中に隠して——運び出す計画なのかもしれない。
 前田は記事の下書きを始めようとした。しかし、その手が止まった。
 安藤の言葉が脳裏に蘇る。
「全ての真実を、全ての人に伝えることが、常に正しいとは限らない」
 もしこれを報道すれば、どうなるのか。国民は真実を知る。しかし同時に、周辺諸国もその情報を得る。日本の防衛計画は筒抜けになる。
 前田は深くため息をつき、パソコンを閉じた。
 スマートフォンが鳴った。上司からだ。
4
「部長、前田です」
「前田……」上司の声は、明らかに疲れていた。「お前、まだ呉にいるのか?」
「はい。重要な情報を——」
「もういい。すぐに東京に戻れ」
「でも——」
「これは命令だ」上司の声が厳しくなった。「今朝、編集長が防衛省に呼び出された」
 前田は息を呑んだ。
「防衛省の事務次官が直々に、編集長と会談したんだ。内容は——前田香里奈記者の取材活動についてだ」
「私の……」
「ああ。お前の行動は、全て把握されている。どこに行き、誰と話し、何を調べているか。全部だ」
 上司は続けた。
「事務次官はこう言ったそうだ。『前田記者の取材は、国家安全保障を脅かす可能性がある。貴社として、適切な対応を取っていただきたい』と」
「それは……言論統制じゃないですか」
「そうだ。しかし、現実にそういう圧力がかかっている」
 上司の声には、苦渋が滲んでいた。
「編集長は抵抗した。報道の自由を主張した。しかし、防衛省は譲らなかった。そして最後に——」
「何と……」
「『この件を報道すれば、貴社と防衛省との関係は、今後一切なくなる。防衛関連の取材は、全て拒否させていただく』と言われたそうだ」
 前田は黙り込んだ。
 それは事実上の、報道禁止宣告だった。防衛関連の取材ができなくなれば、科学技術雑誌として致命的だ。
「前田、聞いているのか」
「……はい」
「すぐに戻ってこい。会社として、この件からは手を引く」
「でも、部長——」
「いいか、前田」上司の声が少し優しくなった。「お前の気持ちは分かる。記者として、真実を伝えたい。それは正しい。しかし、会社として守るべきものもあるんだ」
 電話が切れた。
 前田は窓の外を見た。呉の夜景が、静かに広がっている。
5
 翌朝——八月三日、前田は呉駅から一度広島に向かい、そのまま東京行きの新幹線に乗った。
 会社の命令には従わざるを得なかった。これ以上独断で動けば、本当にクビになるかもしれない。
 新幹線の車窓から、瀬戸内海が見えた。穏やかな海。その水面下で、何かが動いている。
 前田はスマートフォンで、これまで撮影した写真を見返していた。工事現場、タンカー、そして——
 着信があった。見知らぬ番号だ。
 前田は躊躇してから、通話ボタンを押した。
「もしもし、前田です」
「前田香里奈さんですね」
 女性の声だった。落ち着いていて、知的な印象を与える。
「はい……どちら様ですか?」
「私は、あなたが探しているものに関心がある者です」
 前田の背筋に緊張が走った。
「詳しくはお話しできません。ただ、一つだけ——会社に戻っても、この件を諦めないでください」
「どういう……」
「もうすぐ、大きな動きがあります。八月六日、平和記念式典の日です」
「八月六日……」
 安藤が言っていた日だ。
「その前日の夜——八月五日に、真実が明らかになります。準備をしておいてください」
「待ってください、あなたは一体——」
 通話は切れた。
 前田は呆然と、スマートフォンを見つめた。
 八月五日の夜。何が起こるのか。
6
 午後、前田は東京の会社に到着した。
 編集部に入ると、同僚たちの視線が痛かった。「問題を起こした記者」として見られているのだろう。
 前田は上司のデスクに向かった。
「部長、戻りました」
「ああ……」上司は疲れた表情で前田を見た。「前田、すまなかった。お前を守りきれなくて」
「いえ、私が勝手に動きすぎました」
「座れ」
 上司は周囲を確認してから、声を潜めた。
「前田、これは非公式な話だ」
「はい」
「防衛省からの圧力は本物だ。しかし——」上司は前田の目を見た。「編集長も俺も、お前の取材が間違っているとは思っていない」
「部長……」
「ただ、今は時期が悪い。もう少し、様子を見る必要がある」
 上司は引き出しから、一枚の紙を取り出した。
「これを見ろ」
 それは、人事異動の資料だった。海上自衛隊の潜水艦乗員のリストが記されている。
「最近、潜水艦乗りが何人も部署変えになっている。おかしなことに——」
「おかしなこと?」
「事務方に異動している。しかも、全員が呉所属だ」
 前田は資料を見た。確かに、十数名の潜水艦乗員が、技術部門や管理部門に異動している。それも、この三ヶ月の間に。
「潜水艦乗りは専門職だ。簡単に事務方には異動しない。それが、これだけの人数——何かあると思わないか?」
「つまり……」
「新しい潜水艦が建造されていて、その乗員として選抜されたのかもしれない」
 上司は資料をしまった。
「前田、会社の方針として、直接の取材は中止だ。しかし——」
 上司は前田を見つめた。
「八月六日、広島で平和記念式典が開催される。総理も出席する。その取材なら、行ってもいい」
「本当ですか?」
「ああ。それと、ついでに広島のグルメでも取材してこい。一週間くらいかけてもいい」
 上司は、僅かに笑みを浮かべた。
「分かりました」
 前田は上司の意図を理解した。
 表向きは平和記念式典とグルメの取材。しかし、その間に——八月五日の夜、何かが起こる。それを見届けろ、という意味だ。
「ありがとうございます、部長」
「ただし」上司は真剣な表情になった。「危険は冒すな。もし何かあったら、すぐに連絡しろ」
「はい」
 前田は席に戻り、広島行きの準備を始めた。
 八月五日まで、あと二日。
 その夜、何が明らかになるのか。
 前田の胸に、期待と不安が渦巻いていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

異世界ランドへようこそ

来栖とむ
ファンタジー
都内から車で1時間半。奥多摩の山中に突如現れた、話題の新名所――「奥多摩異世界ランド」。 中世ヨーロッパ風の街並みと、ダンジョンや魔王城を完全再現した異世界体験型レジャーパークだ。 26歳・無職の佐伯雄一は、ここで“冒険者A”のバイトを始める。 勇者を導くNPC役として、剣を振るい、魔物に襲われ、時にはイベントを盛り上げる毎日。 同僚には、美人なギルド受付のサーミャ、エルフの弓使いフラーラ、ポンコツ騎士メリーナなど、魅力的な“登場人物”が勢ぞろい。 ――しかしある日、「魔王が逃げた」という衝撃の知らせが入る。 「体格が似てるから」という理由で、雄一は急遽、魔王役の代役を任されることに。 だが、演技を終えた後、案内された扉の先にあったのは……本物の異世界だった! 経営者は魔族、同僚はガチの魔物。 魔王城で始まる、まさかの「異世界勤務」生活! やがて魔王の後継問題に巻き込まれ、スタンピードも発生(?)の裏で、フラーラとの恋が動き出す――。 笑えて、トキメいて、ちょっと泣ける。 現代×異世界×職場コメディ、開園!

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

ダンジョン美食倶楽部

双葉 鳴
ファンタジー
長年レストランの下働きとして働いてきた本宝治洋一(30)は突如として現れた新オーナーの物言いにより、職を失った。 身寄りのない洋一は、飲み仲間の藤本要から「一緒にダンチューバーとして組まないか?」と誘われ、配信チャンネル【ダンジョン美食倶楽部】の料理担当兼荷物持ちを任される。 配信で明るみになる、洋一の隠された技能。 素材こそ低級モンスター、調味料も安物なのにその卓越した技術は見る者を虜にし、出来上がった料理はなんとも空腹感を促した。偶然居合わせた探索者に振る舞ったりしていくうちに【ダンジョン美食倶楽部】の名前は徐々に売れていく。 一方で洋一を追放したレストランは、SSSSランク探索者の轟美玲から「味が落ちた」と一蹴され、徐々に落ちぶれていった。 ※カクヨム様で先行公開中! ※2024年3月21で第一部完!

処理中です...