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第11話 新幹線の出会い
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1
八月四日、午前九時。
前田香里奈は、東京駅の新幹線ホームに立っていた。
手には小さなキャリーバッグと、カメラの入ったバッグ。表向きは平和記念式典とグルメの取材だが、本当の目的は——明日、何かが起こる。それを確かめることだ。
のぞみ号が滑り込んできた。前田は指定席車両に乗り込み、窓際の席に座った。
車内はビジネスマンや観光客で程よく埋まっていた。隣の席はまだ空いている。このまま誰も来なければいいな、と前田は思った。一人で考えを整理したかった。
発車のベルが鳴り、新幹線が動き出す。東京の街並みが、ゆっくりと後ろに流れていく。
前田はノートパソコンを開き、これまでの情報を再確認していた。水嶋総の電磁推進システム、小与島の施設、広島の地下施設、呉の工事現場——それらの断片が、まだ一つの絵として完成していない。
そして明日の夜、何が起こるのか。
謎の女性からの電話——「八月五日の夜、真実が明らかになります」。
前田は窓の外を見た。青い空、緑の田園風景。平和な日本の夏の風景。しかし、その裏側で——
2
新幹線は名古屋駅に着いた。
前田がコーヒーを飲みながら資料を読んでいると、隣の席に誰かがやってきた。
顔を上げると、三十代半ばと思しき男性が立っていた。
紺色のスーツをビシッと着こなし、高級そうな革製のブリーフケースを手にしている。整った顔立ち、自信に満ちた立ち居振る舞い。一言で言えば——イケメンだ。
前田は思わず、視線を逸らした。
「すみません、私の席はここみたいなので、隣いいですか」
男性は穏やかな笑みを浮かべて尋ねた。
「あ、はい。どうぞ」
男性は席に座り、ブリーフケースを網棚に上げた。その動作も洗練されていて、前田は少し緊張した。
新幹線が名古屋駅を出発すると、男性が自然に話しかけてきた。
「僕は広島までなんですが、どちらまでですか?」
「あ、私も広島です」
「そうなんですか。お仕事ですか?」
「はい……取材で」
「取材? 記者の方なんですね」男性は興味深そうに言った。「僕も仕事で広島なんです。打ち合わせの前に、資料を見直さなきゃいけなくて」
男性はブリーフケースから書類を取り出した。
「お互い大変ですね」
「本当に」前田は微笑んだ。
しばらく、二人は黙って各々の作業をしていた。しかし、不思議と居心地の悪さは感じなかった。むしろ、適度な距離感が心地よかった。
3
新幹線が新神戸を過ぎた頃、車内販売のワゴンが通りかかった。
「コーヒーいかがですか」
前田がカップコーヒーを注文しようとすると、隣の男性が声をかけた。
「二つください。こちらの分も」
「え、いいですよ。自分で——」
「いえ、どうぞ。ちょっとした旅の出会いということで」
男性は自然な笑顔で、前田の分も支払った。
「ありがとうございます。すみません」
「いえいえ。僕は森川といいます」
男性——森川は、名刺を差し出した。
『森川誠 国際コンサルティング株式会社 コンサルタント』
「前田香里奈です。科学技術雑誌の記者をしています」
前田も名刺を渡した。
「科学技術雑誌……面白そうですね。今回は何の取材ですか?」
「平和記念式典と、広島のグルメです」
「ああ、明後日ですね。総理も来られるそうですし、大きなイベントですね」
森川はコーヒーを一口飲んだ。
「広島は天気がいいそうなので、時間があったらゆっくりしたいですね。僕も仕事が片付いたら、少し観光でもしようかと」
「お仕事は……コンサルタントということは?」
「企業の戦略立案とか、業務改善のアドバイスです。今回は広島の製造業の会社で」
森川の話し方は自然で、警戒心を感じさせなかった。むしろ、信頼できる印象を与える。
前田は、久しぶりに仕事以外の会話を楽しんでいる自分に気づいた。
4
会話は途切れることなく続いた。
仕事の話、広島の観光スポット、最近読んだ本——話題は尽きなかった。森川は聞き上手で、前田の話に興味深く耳を傾けてくれた。
「前田さんは、科学技術の分野で、今一番注目していることは何ですか?」
森川の質問に、前田は少し考えた。
「そうですね……海洋技術でしょうか。日本は海洋国家ですから、海洋資源の探査や、環境調査の技術が重要だと思います」
「なるほど。確かに、周辺国との海洋権益の問題もありますしね」
森川は頷いた。その表情には、単なる相槌以上の理解があるように見えた。
「森川さんは、国際情勢とかにも詳しいんですか?」
「仕事柄、少しは。企業戦略を立てる上で、国際関係は無視できませんから」
森川は窓の外を見た。
「特に最近は、安全保障と経済が密接に関わっていますからね。企業も、その変化に対応しなければならない」
その言葉には、何か深い意味があるように感じられた。
前田は、森川という人物に興味を持ち始めていた。単なるビジネスマンではない——そんな印象を受けた。
5
新幹線は新倉敷を過ぎ、広島が近づいてきた。
前田はふと、喉の渇きを覚えた。さっきのコーヒーが効いたのか、少し眠気も感じる。
「すみません、もう一杯コーヒーをいただけますか」
森川が再び車内販売を呼び止め、前田の分も注文してくれた。
「ありがとうございます。二度も悪いですね」
「いえいえ。広島まではもう少しですから」
前田はコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
少し苦みが強いが、香りは良い。もう一口、もう一口——気づけば、カップは空になっていた。
「疲れてるんですね。少し休まれたらどうですか」
森川の優しい声が聞こえた。
「そうですね……少しだけ」
前田は目を閉じた。
不思議と、隣に知らない男性がいるのに、警戒心は湧いてこなかった。森川の存在が、妙に安心感を与えてくれる。
瞼が重い。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
コーヒーの香り——いや、何か別の香りも混じっているような——
前田の意識は、静かに闇に沈んでいった。
6
どれくらい眠っていたのだろう。
前田は、誰かが肩を揺らす感覚で目を覚ました。
「前田さん、広島ですよ」
車内アナウンスが聞こえる。「まもなく広島、広島です」
前田は慌てて目を開けた。新幹線は既に速度を落としており、広島駅のホームが見えている。
「あ、すみません。寝てしまって……」
前田は隣を見た。
しかし、森川の姿はなかった。
座席には誰もいない。ブリーフケースも、書類も、何もない。まるで、最初から誰もいなかったかのように。
「え……」
前田は周囲を見回した。通路、他の座席——しかし、森川の姿はどこにもなかった。
新幹線が停車した。乗客たちが荷物を取り、降車の準備を始めている。
前田も立ち上がろうとして、自分の右手に何かが握られていることに気づいた。
小さな紙——手紙だ。
前田はそれを開いた。
『広島市西区観音新町◯-◯-◯
19:00
一人で来てください
— M』
短いメッセージ。筆跡は男性的で、しかし丁寧だった。
M——森川?
前田は混乱していた。森川は一体、どこに消えたのか。そして、この手紙は——
乗客がほとんど降りた後、前田も急いで荷物を持って新幹線を降りた。
ホームで周囲を見回したが、やはり森川の姿はなかった。
7
広島駅の構内で、前田は手紙を見つめていた。
観音新町——広島市西区の地名だ。そこに、今夜七時に来いという。
これは罠なのか。それとも——
前田はスマートフォンで住所を検索した。
地図が表示される。観音新町は、広島湾に面した工業地帯だ。そして、その住所は——
前田は息を呑んだ。
そこには、大手重工業メーカーの工場があった。世界的にも有名な企業で、船舶や産業機械を製造している。
森川は、私をそこに呼んでいる。
なぜ? 何のために?
前田の頭の中で、様々な可能性が駆け巡った。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
この手紙は、偶然ではない。森川は、最初から前田に接近するつもりだった。そして、何らかの理由で、私をあの工場に誘導しようとしている。
前田は決断した。
行こう。危険かもしれない。しかし、真実を知るためには、これしかない。
前田はホテルに向かうタクシーに乗り込んだ。
今夜七時——何が待っているのか。
前田の胸は、期待と不安で高鳴っていた。
八月四日、午前九時。
前田香里奈は、東京駅の新幹線ホームに立っていた。
手には小さなキャリーバッグと、カメラの入ったバッグ。表向きは平和記念式典とグルメの取材だが、本当の目的は——明日、何かが起こる。それを確かめることだ。
のぞみ号が滑り込んできた。前田は指定席車両に乗り込み、窓際の席に座った。
車内はビジネスマンや観光客で程よく埋まっていた。隣の席はまだ空いている。このまま誰も来なければいいな、と前田は思った。一人で考えを整理したかった。
発車のベルが鳴り、新幹線が動き出す。東京の街並みが、ゆっくりと後ろに流れていく。
前田はノートパソコンを開き、これまでの情報を再確認していた。水嶋総の電磁推進システム、小与島の施設、広島の地下施設、呉の工事現場——それらの断片が、まだ一つの絵として完成していない。
そして明日の夜、何が起こるのか。
謎の女性からの電話——「八月五日の夜、真実が明らかになります」。
前田は窓の外を見た。青い空、緑の田園風景。平和な日本の夏の風景。しかし、その裏側で——
2
新幹線は名古屋駅に着いた。
前田がコーヒーを飲みながら資料を読んでいると、隣の席に誰かがやってきた。
顔を上げると、三十代半ばと思しき男性が立っていた。
紺色のスーツをビシッと着こなし、高級そうな革製のブリーフケースを手にしている。整った顔立ち、自信に満ちた立ち居振る舞い。一言で言えば——イケメンだ。
前田は思わず、視線を逸らした。
「すみません、私の席はここみたいなので、隣いいですか」
男性は穏やかな笑みを浮かべて尋ねた。
「あ、はい。どうぞ」
男性は席に座り、ブリーフケースを網棚に上げた。その動作も洗練されていて、前田は少し緊張した。
新幹線が名古屋駅を出発すると、男性が自然に話しかけてきた。
「僕は広島までなんですが、どちらまでですか?」
「あ、私も広島です」
「そうなんですか。お仕事ですか?」
「はい……取材で」
「取材? 記者の方なんですね」男性は興味深そうに言った。「僕も仕事で広島なんです。打ち合わせの前に、資料を見直さなきゃいけなくて」
男性はブリーフケースから書類を取り出した。
「お互い大変ですね」
「本当に」前田は微笑んだ。
しばらく、二人は黙って各々の作業をしていた。しかし、不思議と居心地の悪さは感じなかった。むしろ、適度な距離感が心地よかった。
3
新幹線が新神戸を過ぎた頃、車内販売のワゴンが通りかかった。
「コーヒーいかがですか」
前田がカップコーヒーを注文しようとすると、隣の男性が声をかけた。
「二つください。こちらの分も」
「え、いいですよ。自分で——」
「いえ、どうぞ。ちょっとした旅の出会いということで」
男性は自然な笑顔で、前田の分も支払った。
「ありがとうございます。すみません」
「いえいえ。僕は森川といいます」
男性——森川は、名刺を差し出した。
『森川誠 国際コンサルティング株式会社 コンサルタント』
「前田香里奈です。科学技術雑誌の記者をしています」
前田も名刺を渡した。
「科学技術雑誌……面白そうですね。今回は何の取材ですか?」
「平和記念式典と、広島のグルメです」
「ああ、明後日ですね。総理も来られるそうですし、大きなイベントですね」
森川はコーヒーを一口飲んだ。
「広島は天気がいいそうなので、時間があったらゆっくりしたいですね。僕も仕事が片付いたら、少し観光でもしようかと」
「お仕事は……コンサルタントということは?」
「企業の戦略立案とか、業務改善のアドバイスです。今回は広島の製造業の会社で」
森川の話し方は自然で、警戒心を感じさせなかった。むしろ、信頼できる印象を与える。
前田は、久しぶりに仕事以外の会話を楽しんでいる自分に気づいた。
4
会話は途切れることなく続いた。
仕事の話、広島の観光スポット、最近読んだ本——話題は尽きなかった。森川は聞き上手で、前田の話に興味深く耳を傾けてくれた。
「前田さんは、科学技術の分野で、今一番注目していることは何ですか?」
森川の質問に、前田は少し考えた。
「そうですね……海洋技術でしょうか。日本は海洋国家ですから、海洋資源の探査や、環境調査の技術が重要だと思います」
「なるほど。確かに、周辺国との海洋権益の問題もありますしね」
森川は頷いた。その表情には、単なる相槌以上の理解があるように見えた。
「森川さんは、国際情勢とかにも詳しいんですか?」
「仕事柄、少しは。企業戦略を立てる上で、国際関係は無視できませんから」
森川は窓の外を見た。
「特に最近は、安全保障と経済が密接に関わっていますからね。企業も、その変化に対応しなければならない」
その言葉には、何か深い意味があるように感じられた。
前田は、森川という人物に興味を持ち始めていた。単なるビジネスマンではない——そんな印象を受けた。
5
新幹線は新倉敷を過ぎ、広島が近づいてきた。
前田はふと、喉の渇きを覚えた。さっきのコーヒーが効いたのか、少し眠気も感じる。
「すみません、もう一杯コーヒーをいただけますか」
森川が再び車内販売を呼び止め、前田の分も注文してくれた。
「ありがとうございます。二度も悪いですね」
「いえいえ。広島まではもう少しですから」
前田はコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
少し苦みが強いが、香りは良い。もう一口、もう一口——気づけば、カップは空になっていた。
「疲れてるんですね。少し休まれたらどうですか」
森川の優しい声が聞こえた。
「そうですね……少しだけ」
前田は目を閉じた。
不思議と、隣に知らない男性がいるのに、警戒心は湧いてこなかった。森川の存在が、妙に安心感を与えてくれる。
瞼が重い。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
コーヒーの香り——いや、何か別の香りも混じっているような——
前田の意識は、静かに闇に沈んでいった。
6
どれくらい眠っていたのだろう。
前田は、誰かが肩を揺らす感覚で目を覚ました。
「前田さん、広島ですよ」
車内アナウンスが聞こえる。「まもなく広島、広島です」
前田は慌てて目を開けた。新幹線は既に速度を落としており、広島駅のホームが見えている。
「あ、すみません。寝てしまって……」
前田は隣を見た。
しかし、森川の姿はなかった。
座席には誰もいない。ブリーフケースも、書類も、何もない。まるで、最初から誰もいなかったかのように。
「え……」
前田は周囲を見回した。通路、他の座席——しかし、森川の姿はどこにもなかった。
新幹線が停車した。乗客たちが荷物を取り、降車の準備を始めている。
前田も立ち上がろうとして、自分の右手に何かが握られていることに気づいた。
小さな紙——手紙だ。
前田はそれを開いた。
『広島市西区観音新町◯-◯-◯
19:00
一人で来てください
— M』
短いメッセージ。筆跡は男性的で、しかし丁寧だった。
M——森川?
前田は混乱していた。森川は一体、どこに消えたのか。そして、この手紙は——
乗客がほとんど降りた後、前田も急いで荷物を持って新幹線を降りた。
ホームで周囲を見回したが、やはり森川の姿はなかった。
7
広島駅の構内で、前田は手紙を見つめていた。
観音新町——広島市西区の地名だ。そこに、今夜七時に来いという。
これは罠なのか。それとも——
前田はスマートフォンで住所を検索した。
地図が表示される。観音新町は、広島湾に面した工業地帯だ。そして、その住所は——
前田は息を呑んだ。
そこには、大手重工業メーカーの工場があった。世界的にも有名な企業で、船舶や産業機械を製造している。
森川は、私をそこに呼んでいる。
なぜ? 何のために?
前田の頭の中で、様々な可能性が駆け巡った。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
この手紙は、偶然ではない。森川は、最初から前田に接近するつもりだった。そして、何らかの理由で、私をあの工場に誘導しようとしている。
前田は決断した。
行こう。危険かもしれない。しかし、真実を知るためには、これしかない。
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