巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売

文字の大きさ
61 / 83
巣ごもりオメガと運命の騎妃

40.サリム-1

しおりを挟む

 じっとりと嫌な汗をかいたうなじに髪が張り付く。気持ち悪い。それでもサリムは、髪の一筋すらどかすことができなかった。

「おい、そっちはどうだ」
「いない」
「くそ、あのオメガ……!」

 ガサガサと草を分ける音と怒声が森中に響く。緊張に体がこわばったが、幸いにも足音は少しずつ遠のいているように感じた。

(大丈夫、見つからない。見つからない……)

 自分に言い聞かせるように、祈りを捧げるように、ぐっと身を縮めてひたすら沈黙を守る。

 男たちの声が聞こえなくなるまで、どれくらいそうしていたのだろう。背後にいた一人のうめき声にはっとして顔をあげたサリムは、あわてて周囲を見渡した。

 サリムたちオメガをさらった男たちの姿は見えない。拾い上げた石を投げてわざと木に当て、コンと高い音を立ててみたが、やはり反応はなかった。

(行った……?)

 そっと伸びあがってもう一度遠くを見たサリムは、誰もいないとわかるとすぐに振り返った。

「……痛みますか」
「はい……」

 草むらの中に倒れこんでいるのは、二人のオメガだ。どちらも怪我をしていて、傷を抑える手は真っ赤に染まっていた。

 国交のためにとミシュアルを先に逃がしたあと、山越えは困難を極めた。

 馬が二頭いなくなったことで、四人いた人さらいのうちの二人はオメガたちと共に荷車に乗ることになったのだ。しかし重みが増え、悪路を走ったせいもあって荷車が軋みはじめたのは、ミシュアルと別れて少し経ったころだった。

 このままでは遅かれ早かれ壊れると思ったのもつかの間、石にでも車輪を取られたのか、荷車は大きく跳ねて傾ぎ、そのまま横転した。

 何かあればとすでに手のひらにナイフを握りこんでいたサリムも荷車から投げ出されたものの草がクッションになり、特に怪我はなかった。ナイフも取り落とさなかったため、この隙にと切って落としたところで、他に投げ出されたオメガたちと一緒に集められた。

 結構な事故ではあったが、幸いにも死人は出ていない。

 しかし、この事故が大きな引き金になってしまった。

「儲けが減るのは惜しいが、仕方ねえ。生かしておいても面倒だ」

 横転した荷車から放り出された二人が怪我を負い、荷車も一部が壊れた。さっきと同じ重量では車輪が耐えられないかもしれないと、男たちは怪我をした二人に刃を向けたのだ。

 とっさに数名が動き、乱闘になった。相手がアルファではなくベータで、さらに人数もこちらの方が勝っていることが幸いだった。

 相手の剣を奪ったサリムが他のオメガと共に応戦している間に怪我をした二人は逃げ、それを男たちが追いかけようとするものだから、とっさにサリムは残っていた馬の尻を叩いた。すると一頭が駆けだし、その様子を見ていた他のオメガもサリムに倣って、残りの一頭の尻を叩いた。

 唯一の移動手段である馬が駆けだしたことで男たちはあわてふためき、追いかけているうちにサリムたちは反対方向へ逃げ出した。

 馬もいなければ、現在地もわからない。それでも男たちの気分や考え方次第で、自分の命が簡単に左右されることよりは良い気がした。

 けれど実際、どう動けば最善だったのかなど、ことが起こってからでなければわからない。

 今も、男たちがいなくなったところで問題がすべて解決したわけではない。怪我にうめく二人と、不安そうにしている六人の視線がサリムに縋りついてくる。

(どうにかしなければ……)

 まずは現在の方角を知ることと、水の確保、それから怪我人の治療。他にもやらなければならないことがある。それなのに、

「……っ」

 サリム自身の体調の悪さも治っていない。そのせいで男たちから辛うじて与えられていた乾いたパンも完食できず、空腹に足元もふらつきがちだ。

 いまも思わず声を出しそうになって、ぐっとあがってきたものを必死で食い止める。吐くものなどないはずだし、あるならそれはそれでもったいない。ここから先、食料を確保することも難しいのだから。

 それでも願いは届かず、とっさに口を覆ったサリムは、そのままくず折れた。

「だっ……大丈夫ですか、あの、あのっ……」

 オメガの少女が泣きそうな声でサリムの背を撫でてくれる。その手の感触はまったく違うはずなのに、サリムが思い描く限り一番自分に優しく触れてくれた男が脳裏をよぎって、視界がじわりと歪んだ。

(ハイダル様……)

 彼がいれば、こんな窮地でもきっと救ってくれただろう。

 寄る辺ない生き方をしてきたサリムにとってハイダルは、世界を変えてくれた人だった。



しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

生き急ぐオメガの献身

雨宮里玖
BL
美貌オメガのシノンは、辺境の副将軍ヘリオスのもとに嫁ぐことになった。 実はヘリオスは、昔、番になろうと約束したアルファだ。その約束を果たすべく求婚したのだが、ヘリオスはシノンのことなどまったく相手にしてくれない。 こうなることは最初からわかっていた。 それでもあなたのそばにいさせてほしい。どうせすぐにいなくなる。それまでの間、一緒にいられたら充分だ——。 健気オメガの切ない献身愛ストーリー!

策士オメガの完璧な政略結婚

雨宮里玖
BL
 完璧な容姿を持つオメガのノア・フォーフィールドは、性格悪と陰口を叩かれるくらいに捻じ曲がっている。  ノアとは反対に、父親と弟はとんでもなくお人好しだ。そのせいでフォーフィールド子爵家は爵位を狙われ、没落の危機にある。  長男であるノアは、なんとしてでものし上がってみせると、政略結婚をすることを思いついた。  相手はアルファのライオネル・バーノン辺境伯。怪物のように強いライオネルは、泣く子も黙るほどの恐ろしい見た目をしているらしい。  だがそんなことはノアには関係ない。  これは政略結婚で、目的を果たしたら離婚する。間違ってもライオネルと番ったりしない。指一本触れさせてなるものか——。  一途に溺愛してくるアルファ辺境伯×偏屈な策士オメガの、拗らせ両片想いストーリー。  

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

悪役令息を引き継いだら、愛が重めの婚約者が付いてきました

ぽんちゃん
BL
 双子が忌み嫌われる国で生まれたアデル・グランデは、辺鄙な田舎でひっそりと暮らしていた。  そして、双子の兄――アダムは、格上の公爵子息と婚約中。  この婚約が白紙になれば、公爵家と共同事業を始めたグランデ侯爵家はおしまいである。  だが、アダムは自身のメイドと愛を育んでいた。  そこでアダムから、人生を入れ替えないかと持ちかけられることに。  両親にも会いたいアデルは、アダム・グランデとして生きていくことを決めた。  しかし、約束の日に会ったアダムは、体はバキバキに鍛えており、肌はこんがりと日に焼けていた。  幼少期は瓜二つだったが、ベッドで生活していた色白で病弱なアデルとは、あまり似ていなかったのだ。  そのため、化粧でなんとか誤魔化したアデルは、アダムになりきり、両親のために王都へ向かった。  アダムとして平和に暮らしたいアデルだが、婚約者のヴィンセントは塩対応。  初めてのデート(アデルにとって)では、いきなり店前に置き去りにされてしまい――!?  同性婚が可能な世界です。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。  ※ 感想欄はネタバレを含みますので、お気をつけください‼︎(><)

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。