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巣ごもりオメガと運命の騎妃
41.サリム-2
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サリムは、生まれてすぐ捨てられた子どもだった。
親から与えられたのはサリムという名前とぼろぼろのおくるみだけで、出自は何もわからなかった。幸いにも神殿の前に捨てられたせいですぐに保護され、その日からサリムは神殿の敷地内にある孤児院で暮らすことになった。
神殿の孤児院は国からの支援があるため、ひもじい思いをしたことはない。それでも未来に対して不安はあった。
十八になれば、神殿から出なければいけないのだ。それからは自身の力で生きていかなければならない。それでも性徴検査でアルファと出るようなら、そもそもその才覚があれば生活には困らない。ベータであっても、苦労は多くともそれなりに生きていけるだろう。
しかし、オメガだった場合は違う。
ドマルサーニはオメガ差別の少ない国だが、発情期のたびに家にこもらなければならなかったり、そのせいで仕事がままならないことはオメガであれば誰もが経験することだ。帰る家のない孤児院出身では、生活の基盤が大きく揺らいでしまう。そのために、孤児院出身のオメガは必ず巡香会に参加するしきたりがあった。
十五になったサリムも、オメガと判明した翌月に行われた巡香会に参加した。
そこで出会ったのが、ハイダルだった。
ドマルサーニ唯一の皇太子が数年前から巡香会に参加していることは知っていたが、サリムにとっては、自分とはまったく関係のない世界の話でしかない。王族のために開かれる巡香会には参加しなければならないが、皇太子のつがいになどなれるわけがないのだからと、サリムの意識は一般市民のために開かれる方の巡香会に向いていた。
ところが、巡香会の四日目のことだった。
初めて巡香会に参加するオメガは、まず皇太子のいる王族専用の会場に行かなければならない。そのため、四日目という中途半端な日から巡香会に参加したサリムは、十名近くと一緒に皇太子の待つ会場へ足を踏み入れた。
すでに神殿で小間使いとして働いてたので、王族は何人か見たことがあったが、大体が遠目にする程度で、皇太子とはそもそも初対面だ。
(こんなに近くで拝見することなど、もうないだろうな……)
それこそ、異国から来た珍しい宝石でも見るような気持ちで顔を上げ、柵の向こうを見た途端だった。
「見つけた」
椅子から立ち上がるなり柵の前まで来た皇太子は、まっすぐにサリムを見ていた。
驚いて固まっているうちに歓談室へ案内され、わけもわからないままそこで再会した皇太子に自己紹介をした。
サリム・ランダですとしか言えなかったサリムに、皇太子は――ハイダルは、綺麗な名前だと言ってくれた。
「俺は君のことを運命だと感じた。君はどうだろうか」
飽くまでサリムに選択する権利があるような言葉だったが、選ぶことなどできるはずもない。サリムにうなずく以外の道はなかった。
皇太子のための巡香会はその日をもって終了し、その一週間後、サリムは皇太子に選ばれたオメガとして正式に皇宮へ上がった。
裕福でなくていいから、共に自分の家を築いてくれるアルファと出会いたいと思っていたサリムの日常は、大きく変化した。
寝起きする場所は四人一部屋だった孤児院の一室から広い部屋がいくつもある離れになり、神官や幼い子たちの世話をする必要がなくなった代わりにサリム自身に付き人が幾人もついた。
充実した衣食住に、下にも置かれないような丁寧な扱い。生まれてこの方経験したことのない日々だったが、そのどれよりもサリムに衝撃を与えたのは、ハイダルの存在だった。
離れとは別の建物で暮らすハイダルは、毎日のようにサリムを訪ねてきた。
運命という夢物語めいた関係が本当にハイダルの間にはあるのか、サリムにはわからない。それでもなぜだか心が騒いで仕方ない。傍に寄られれば緊張するのに、会えない時には彼のことが気になる。別れ際は寂しくて、早く明日が来ればいいのにと思うこともあった。
やがてハイダルのことが知りたくなり、彼のことを一つずつ知っていくたびに、オメガに生まれた自分のことを悲観することはなくなった。
そして慣れない皇宮での暮らしが始まって二ヶ月、サリムは発情期を迎えた。
まだ二度目の発情期で戸惑うばかりのサリムは一人で部屋にこもろうとしたが、報せを聞いたハイダルが飛んできた。
しきたりにより、成人となる十八歳になるまでは体を重ねることはできない。
けれどサリムだけでなくハイダルまで抑制剤を飲んで、ずっと傍にいてくれた。政務に携わる身なので時折どこかへ行っている時もあったが、すぐに戻ってきてサリムと過ごし、大丈夫だと囁いてくれた。そんな風に大切にされて、発情期が終わる頃には満たされた気持ちでいっぱいになった。
(この方の手を取ったのは、間違いじゃなかった)
流されるままに頷き、差し出された手に自分の手を重ねた日のことを思い起こして陰鬱にならなかったとは言えない。
本当にこの人でいいのか、自分は幸せになれるのだろうか。わからなくても、次期皇帝のオメガになってしまったのだ。逃げ出すことなどできない。そんな不安がいつもあったが、この発情期を経て、サリムはここで生きていこうと思った。
発情期のあとも、ハイダルは足しげくサリムの元へ通ってくれた。
今日はこんなことをした、こんな疑問がある、サリムならどう思う?
決して一方的でなく、サリムにも話をするタイミングをくれるハイダルと会話を重ねていくうちに、サリムにも自覚が出てきた。
自分は次期皇帝となるアルファのつがいだ。自動的に与えられる地位に甘んじては、いつかハイダルの恥になることをしてしまうかもしれない。そうならないために、礼儀作法や勉学にいそしむべきだと考え、サリムはさまざまなことに手を出した。
神殿で最低限教わった読み書きと計算だけでなく、歴史や政治の勉強もした。言葉遣いや作法についての教師もつけてもらい、その隙間を縫って剣術も教えてもらった。
忙しい日々だったが、夜になればハイダルが訪ねてきてくれる。知識と経験が増えるごとに会話も弾むようになり、胸に生まれ始めた淡い気持ちも自覚するほどになった。
ところが、サリムが皇宮に来て二回の発情期を終えた頃だった。
その夜もハイダルが訪れ、二人で話をしていた。そこへ突然ディーマの来訪が伝えられ、緊張する二人の前に現れた皇妃は、冷え冷えとした双眸で二人を睥睨した。
親から与えられたのはサリムという名前とぼろぼろのおくるみだけで、出自は何もわからなかった。幸いにも神殿の前に捨てられたせいですぐに保護され、その日からサリムは神殿の敷地内にある孤児院で暮らすことになった。
神殿の孤児院は国からの支援があるため、ひもじい思いをしたことはない。それでも未来に対して不安はあった。
十八になれば、神殿から出なければいけないのだ。それからは自身の力で生きていかなければならない。それでも性徴検査でアルファと出るようなら、そもそもその才覚があれば生活には困らない。ベータであっても、苦労は多くともそれなりに生きていけるだろう。
しかし、オメガだった場合は違う。
ドマルサーニはオメガ差別の少ない国だが、発情期のたびに家にこもらなければならなかったり、そのせいで仕事がままならないことはオメガであれば誰もが経験することだ。帰る家のない孤児院出身では、生活の基盤が大きく揺らいでしまう。そのために、孤児院出身のオメガは必ず巡香会に参加するしきたりがあった。
十五になったサリムも、オメガと判明した翌月に行われた巡香会に参加した。
そこで出会ったのが、ハイダルだった。
ドマルサーニ唯一の皇太子が数年前から巡香会に参加していることは知っていたが、サリムにとっては、自分とはまったく関係のない世界の話でしかない。王族のために開かれる巡香会には参加しなければならないが、皇太子のつがいになどなれるわけがないのだからと、サリムの意識は一般市民のために開かれる方の巡香会に向いていた。
ところが、巡香会の四日目のことだった。
初めて巡香会に参加するオメガは、まず皇太子のいる王族専用の会場に行かなければならない。そのため、四日目という中途半端な日から巡香会に参加したサリムは、十名近くと一緒に皇太子の待つ会場へ足を踏み入れた。
すでに神殿で小間使いとして働いてたので、王族は何人か見たことがあったが、大体が遠目にする程度で、皇太子とはそもそも初対面だ。
(こんなに近くで拝見することなど、もうないだろうな……)
それこそ、異国から来た珍しい宝石でも見るような気持ちで顔を上げ、柵の向こうを見た途端だった。
「見つけた」
椅子から立ち上がるなり柵の前まで来た皇太子は、まっすぐにサリムを見ていた。
驚いて固まっているうちに歓談室へ案内され、わけもわからないままそこで再会した皇太子に自己紹介をした。
サリム・ランダですとしか言えなかったサリムに、皇太子は――ハイダルは、綺麗な名前だと言ってくれた。
「俺は君のことを運命だと感じた。君はどうだろうか」
飽くまでサリムに選択する権利があるような言葉だったが、選ぶことなどできるはずもない。サリムにうなずく以外の道はなかった。
皇太子のための巡香会はその日をもって終了し、その一週間後、サリムは皇太子に選ばれたオメガとして正式に皇宮へ上がった。
裕福でなくていいから、共に自分の家を築いてくれるアルファと出会いたいと思っていたサリムの日常は、大きく変化した。
寝起きする場所は四人一部屋だった孤児院の一室から広い部屋がいくつもある離れになり、神官や幼い子たちの世話をする必要がなくなった代わりにサリム自身に付き人が幾人もついた。
充実した衣食住に、下にも置かれないような丁寧な扱い。生まれてこの方経験したことのない日々だったが、そのどれよりもサリムに衝撃を与えたのは、ハイダルの存在だった。
離れとは別の建物で暮らすハイダルは、毎日のようにサリムを訪ねてきた。
運命という夢物語めいた関係が本当にハイダルの間にはあるのか、サリムにはわからない。それでもなぜだか心が騒いで仕方ない。傍に寄られれば緊張するのに、会えない時には彼のことが気になる。別れ際は寂しくて、早く明日が来ればいいのにと思うこともあった。
やがてハイダルのことが知りたくなり、彼のことを一つずつ知っていくたびに、オメガに生まれた自分のことを悲観することはなくなった。
そして慣れない皇宮での暮らしが始まって二ヶ月、サリムは発情期を迎えた。
まだ二度目の発情期で戸惑うばかりのサリムは一人で部屋にこもろうとしたが、報せを聞いたハイダルが飛んできた。
しきたりにより、成人となる十八歳になるまでは体を重ねることはできない。
けれどサリムだけでなくハイダルまで抑制剤を飲んで、ずっと傍にいてくれた。政務に携わる身なので時折どこかへ行っている時もあったが、すぐに戻ってきてサリムと過ごし、大丈夫だと囁いてくれた。そんな風に大切にされて、発情期が終わる頃には満たされた気持ちでいっぱいになった。
(この方の手を取ったのは、間違いじゃなかった)
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本当にこの人でいいのか、自分は幸せになれるのだろうか。わからなくても、次期皇帝のオメガになってしまったのだ。逃げ出すことなどできない。そんな不安がいつもあったが、この発情期を経て、サリムはここで生きていこうと思った。
発情期のあとも、ハイダルは足しげくサリムの元へ通ってくれた。
今日はこんなことをした、こんな疑問がある、サリムならどう思う?
決して一方的でなく、サリムにも話をするタイミングをくれるハイダルと会話を重ねていくうちに、サリムにも自覚が出てきた。
自分は次期皇帝となるアルファのつがいだ。自動的に与えられる地位に甘んじては、いつかハイダルの恥になることをしてしまうかもしれない。そうならないために、礼儀作法や勉学にいそしむべきだと考え、サリムはさまざまなことに手を出した。
神殿で最低限教わった読み書きと計算だけでなく、歴史や政治の勉強もした。言葉遣いや作法についての教師もつけてもらい、その隙間を縫って剣術も教えてもらった。
忙しい日々だったが、夜になればハイダルが訪ねてきてくれる。知識と経験が増えるごとに会話も弾むようになり、胸に生まれ始めた淡い気持ちも自覚するほどになった。
ところが、サリムが皇宮に来て二回の発情期を終えた頃だった。
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