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第5章 籠の中の鳥
第32話 モリーナ・レーチェル(中編)
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モリーナ寮長の身体はそこにあるのに、魂の輝きがほとんど感じられない。
普通なら魂が消えれば肉体は急速に腐敗し、後を追うように消滅してしまうはずだ。
……ということは、まだ魂は完全に消滅してはいない。
かろうじて肉体に繋ぎ止められているだけなのかもしれない。
ならば可能性があるはずだ。
血肉に残された僅かな魂の情報を基に、本来あるべき魂の形を再構築し、再びこの肉体に定着させることができれば目覚める可能性がある。
(……できる、気がする。どうしてかはわからないけど、私はこの方法を知っている)
私の頭の中に、自然と複雑な術式が浮かび上がる。
ずっと昔から知っていたかのように、あるいは体の奥底に刻まれていたかのように。
この既視感と確信は何だろう?
以前にも、こんな風に失われた何かを取り戻そうとしたことが……?
(これは……禁忌に近い術。失敗すれば、彼女の魂は今度こそ完全に消滅し、術者の私自身も無事では済まないかもしれない。でも……!)
迷っている時間はない。私は意を決して、モリーナ寮長の傍らに膝をついた。
「ローゼ! 何をするつもりです⁉ まさか……!」
「ローゼ! その術はあまりにも危険です! 貴女の魂まで影響を受けかねません!」
私の意図を察したのか、ヴィレッタとテレサさんが同時に鋭い声を上げる。
マーガレット叔母様も息を呑み、その表情には深い懸念の色が浮かんでいる。
「大丈夫です。……やらせてください。私にしか、できないかもしれないから」
私は周囲の制止を振り切り、両手をモリーナ寮長の身体の上に翳す。
深く息を吸い込み、脳裏に浮かんだ術式に意識を集中させた。
「モリーナ寮長の身体に残る魂の欠片よ、集え。彼女が生きた証、その記憶の輝きを、今一度この手に……!」
私の魔力がモリーナ寮長の身体へと流れ込み、呼応するように彼女の身体から淡い光の粒子が立ち上り始める。
それは彼女の魂の残滓、失われかけた記憶の欠片。
私はその光を慎重に束ね、空中に一つの器をイメージして創造する。
それは深紅の血が脈打つように見える、複雑な幾何学模様が刻まれたクリスタル製の器だった。
まるで生きているかのように微かに震え、内部で光の粒子が渦を巻き、互いに引き寄せられるように集まる。
クリスタルは次第にその輝きを増し、部屋全体を温かな深紅の光で染め上げた。
「これは……! なんという……!」
マーガレット叔母様が息を呑む。テレサさんもヴィレッタも、固唾を飲んでその光景を見守っている。
フィーリアとベレニスは黙ったままだったが、その瞳には驚きと期待が入り混じっている。
クリスは……少し怖がっているみたいだ。
『モリーナ・レーチェルよ、我が魔力に応え、その魂魄、今一度形を成せ! 記憶の光を紡ぎ、あるべき魂の器となれ!』
私の宣言と共に、モリーナ寮長の身体が眩い光に包まれる。
肉体そのものが光の粒子へと分解され、まるで川の流れのように、空中のクリスタルへと吸い込まれていった。
集まった魂の光はクリスタルの中で確かな形を取り戻し、再び生命の輝きを放ち始めた。
部屋に温かく、そしてどこか懐かしいような風が吹き抜ける。
やがて光が収まり、クリスタルは静かにベッドの上へと降り立ち、再びモリーナ寮長の姿へと形を変えた。
生気を取り戻した肌の色。穏やかな寝息。
……術は成功したようだ。
安堵の息をついた、その時。
モリーナ寮長の瞼が、ゆっくりと開かれた。
深い霧の中から現れたような、戸惑いの色が浮かんだ瞳が、私たちを捉える。
「ここは……? ……貴方たちは……どなた……?」
彼女の声はか細く、状況を全く理解できていない様子だった。
「! モリーナ寮長! 私です、ローゼです! 女子寮でお世話になりました!」
私は恐る恐る、しかし喜びを隠さずに声をかける。
「ローゼ……? 女子寮……?」
だが彼女の瞳の困惑は深まるばかりだ。
私の名前も、女子寮という言葉も、初めて聞いたかのように。
「失礼します、モリーナ先輩。私がわかりますか?」
テレサさんが心配そうに、優しく声をかける。
モリーナ寮長はしばらく視線を宙にさまよわせた後、テレサさんの顔を見て、ふわりと微笑んだ。
「あら、テレサ様。もちろんわかります。相変わらず、手のかかる可愛い後輩ですもの。……あら? 今日はイリスさんとご一緒ではないのですね? 珍しい。それで、どうかなさいましたか? 私、少しうたた寝をしていたようで……」
その言葉にテレサさんは安堵と、そしてどうしようもない悲しみが入り混じった複雑な表情で、そっと天を仰いだ。
「……いいえ、何でもありません。少し、先輩のお顔を見に来ただけです」
「まあ、嬉しい。……あら? 私、どうしてこんなところに? 今日は夫が早く帰ってくると言っていたのに……こうしていられません。心配しているでしょうから、早く屋敷に戻らないと」
モリーナ寮長はそう言って立ち上がろうとするが、足元がおぼつかず、ふらついて再びベッドに倒れ込んでしまった。
「モリーナ先輩、今は安静にしていてください。もう少し休んで……レーチェル邸には、私から連絡を入れておきますから」
「そう……ですか? 助かります、テレサ様……ありがとう……」
モリーナ寮長は安心したように微笑むと、再び静かに目を閉じ、今度は本当に安らかな眠りへと落ちていった。
寝息を立て始めたモリーナ寮長の肉体に、人としての血と肉、そして魂が再び安定して定着しているのを魔力で確認し、私は静かに立ち上がった。
同時に彼女の中から、あれほど強大だった魔力の気配が、綺麗さっぱり消え失せていることにも気づく。
もう……彼女は魔女ではない。ただの、記憶を失った1人の女性だ。
「……術は成功したようですね。ですが、記憶は……夫君を亡くされる直前の、最も幸せだった時期までの記憶しか、戻らなかったようです。彼女の心が、それ以降の辛い記憶を受け入れることを拒絶しているのかもしれません……」
テレサさんが私の肩にそっと手を置き、労わるように、そして少し悲しげに言った。
「私のせい……? いや、でも……生きていてくれた……これで、良かったのかな……?」
これで良かったのか、という葛藤と、それでも命を取り留めたことへの安堵が、複雑に胸の中で渦巻く。
「姉様! 大丈夫です! 彼女は生きています! それが一番大事なことです! 魔女でなくなり、再び魔王となる恐れもない。それならば私とテレサ叔母様、そして母上で、必ずや重臣たちを説得してみせます! モリーナ寮長を守ってみせます!」
レオノールは涙を拭い、力強く宣言した。
マーガレット叔母様も意志を持って頷いた。
「ええ。やりましょう。彼女がこれからどう生きるかは、彼女自身が決めること。私たちは、そのための時間と機会を作るだけです」
「でも……この後、このモリーナって人が全ての真相を知ったら……耐えられるかしら? 下手をすれば、自ら命を……」
ベレニスが最も懸念される点を口にする。
マーガレット叔母様も、テレサさんも、難しい表情で沈黙する。クリスもヴィレッタも、暗い顔で俯いていた。
「……念の為に、これを渡しておくっす」
その重い空気を破ったのは、フィーリアだった。
彼女はいつもの商人鞄から、例の7つの小さなぬいぐるみを全て取り出し、テレサさんに手渡した。
「うん? このぬいぐるみ……傭兵のは要らないんじゃない? 目覚めてこれが枕元にあったら、私なら飛び上がるわね」
ベレニスが首を傾げる。
「フィーリア、これはどういう意図なのでしょう?」
ヴィレッタも不思議そうに尋ねる。
「これにちょっとした『仕掛け』を施しておいたんすよ。こういうぬいぐるみに組み込むのは初めてだったんすけど、まあ、上手くいったみたいっす。名付けて『回想人形』とでもしておくっすかね」
フィーリアはぬいぐるみの背中にある、小さな縫い目を指差す。
「モリーナ寮長がもし目覚めても、精神的に不安定かもしれないと思ったんす。何か、彼女の心を支えるものが必要になるんじゃないかと。それで寮に残っていた、モリーナ寮長宛ての卒業生からの手紙をいくつかお借りして、ドワーフの古い音響記録の魔術回路と組み合わせてみたんすよ。このボタンを押せば……」
普通なら魂が消えれば肉体は急速に腐敗し、後を追うように消滅してしまうはずだ。
……ということは、まだ魂は完全に消滅してはいない。
かろうじて肉体に繋ぎ止められているだけなのかもしれない。
ならば可能性があるはずだ。
血肉に残された僅かな魂の情報を基に、本来あるべき魂の形を再構築し、再びこの肉体に定着させることができれば目覚める可能性がある。
(……できる、気がする。どうしてかはわからないけど、私はこの方法を知っている)
私の頭の中に、自然と複雑な術式が浮かび上がる。
ずっと昔から知っていたかのように、あるいは体の奥底に刻まれていたかのように。
この既視感と確信は何だろう?
以前にも、こんな風に失われた何かを取り戻そうとしたことが……?
(これは……禁忌に近い術。失敗すれば、彼女の魂は今度こそ完全に消滅し、術者の私自身も無事では済まないかもしれない。でも……!)
迷っている時間はない。私は意を決して、モリーナ寮長の傍らに膝をついた。
「ローゼ! 何をするつもりです⁉ まさか……!」
「ローゼ! その術はあまりにも危険です! 貴女の魂まで影響を受けかねません!」
私の意図を察したのか、ヴィレッタとテレサさんが同時に鋭い声を上げる。
マーガレット叔母様も息を呑み、その表情には深い懸念の色が浮かんでいる。
「大丈夫です。……やらせてください。私にしか、できないかもしれないから」
私は周囲の制止を振り切り、両手をモリーナ寮長の身体の上に翳す。
深く息を吸い込み、脳裏に浮かんだ術式に意識を集中させた。
「モリーナ寮長の身体に残る魂の欠片よ、集え。彼女が生きた証、その記憶の輝きを、今一度この手に……!」
私の魔力がモリーナ寮長の身体へと流れ込み、呼応するように彼女の身体から淡い光の粒子が立ち上り始める。
それは彼女の魂の残滓、失われかけた記憶の欠片。
私はその光を慎重に束ね、空中に一つの器をイメージして創造する。
それは深紅の血が脈打つように見える、複雑な幾何学模様が刻まれたクリスタル製の器だった。
まるで生きているかのように微かに震え、内部で光の粒子が渦を巻き、互いに引き寄せられるように集まる。
クリスタルは次第にその輝きを増し、部屋全体を温かな深紅の光で染め上げた。
「これは……! なんという……!」
マーガレット叔母様が息を呑む。テレサさんもヴィレッタも、固唾を飲んでその光景を見守っている。
フィーリアとベレニスは黙ったままだったが、その瞳には驚きと期待が入り混じっている。
クリスは……少し怖がっているみたいだ。
『モリーナ・レーチェルよ、我が魔力に応え、その魂魄、今一度形を成せ! 記憶の光を紡ぎ、あるべき魂の器となれ!』
私の宣言と共に、モリーナ寮長の身体が眩い光に包まれる。
肉体そのものが光の粒子へと分解され、まるで川の流れのように、空中のクリスタルへと吸い込まれていった。
集まった魂の光はクリスタルの中で確かな形を取り戻し、再び生命の輝きを放ち始めた。
部屋に温かく、そしてどこか懐かしいような風が吹き抜ける。
やがて光が収まり、クリスタルは静かにベッドの上へと降り立ち、再びモリーナ寮長の姿へと形を変えた。
生気を取り戻した肌の色。穏やかな寝息。
……術は成功したようだ。
安堵の息をついた、その時。
モリーナ寮長の瞼が、ゆっくりと開かれた。
深い霧の中から現れたような、戸惑いの色が浮かんだ瞳が、私たちを捉える。
「ここは……? ……貴方たちは……どなた……?」
彼女の声はか細く、状況を全く理解できていない様子だった。
「! モリーナ寮長! 私です、ローゼです! 女子寮でお世話になりました!」
私は恐る恐る、しかし喜びを隠さずに声をかける。
「ローゼ……? 女子寮……?」
だが彼女の瞳の困惑は深まるばかりだ。
私の名前も、女子寮という言葉も、初めて聞いたかのように。
「失礼します、モリーナ先輩。私がわかりますか?」
テレサさんが心配そうに、優しく声をかける。
モリーナ寮長はしばらく視線を宙にさまよわせた後、テレサさんの顔を見て、ふわりと微笑んだ。
「あら、テレサ様。もちろんわかります。相変わらず、手のかかる可愛い後輩ですもの。……あら? 今日はイリスさんとご一緒ではないのですね? 珍しい。それで、どうかなさいましたか? 私、少しうたた寝をしていたようで……」
その言葉にテレサさんは安堵と、そしてどうしようもない悲しみが入り混じった複雑な表情で、そっと天を仰いだ。
「……いいえ、何でもありません。少し、先輩のお顔を見に来ただけです」
「まあ、嬉しい。……あら? 私、どうしてこんなところに? 今日は夫が早く帰ってくると言っていたのに……こうしていられません。心配しているでしょうから、早く屋敷に戻らないと」
モリーナ寮長はそう言って立ち上がろうとするが、足元がおぼつかず、ふらついて再びベッドに倒れ込んでしまった。
「モリーナ先輩、今は安静にしていてください。もう少し休んで……レーチェル邸には、私から連絡を入れておきますから」
「そう……ですか? 助かります、テレサ様……ありがとう……」
モリーナ寮長は安心したように微笑むと、再び静かに目を閉じ、今度は本当に安らかな眠りへと落ちていった。
寝息を立て始めたモリーナ寮長の肉体に、人としての血と肉、そして魂が再び安定して定着しているのを魔力で確認し、私は静かに立ち上がった。
同時に彼女の中から、あれほど強大だった魔力の気配が、綺麗さっぱり消え失せていることにも気づく。
もう……彼女は魔女ではない。ただの、記憶を失った1人の女性だ。
「……術は成功したようですね。ですが、記憶は……夫君を亡くされる直前の、最も幸せだった時期までの記憶しか、戻らなかったようです。彼女の心が、それ以降の辛い記憶を受け入れることを拒絶しているのかもしれません……」
テレサさんが私の肩にそっと手を置き、労わるように、そして少し悲しげに言った。
「私のせい……? いや、でも……生きていてくれた……これで、良かったのかな……?」
これで良かったのか、という葛藤と、それでも命を取り留めたことへの安堵が、複雑に胸の中で渦巻く。
「姉様! 大丈夫です! 彼女は生きています! それが一番大事なことです! 魔女でなくなり、再び魔王となる恐れもない。それならば私とテレサ叔母様、そして母上で、必ずや重臣たちを説得してみせます! モリーナ寮長を守ってみせます!」
レオノールは涙を拭い、力強く宣言した。
マーガレット叔母様も意志を持って頷いた。
「ええ。やりましょう。彼女がこれからどう生きるかは、彼女自身が決めること。私たちは、そのための時間と機会を作るだけです」
「でも……この後、このモリーナって人が全ての真相を知ったら……耐えられるかしら? 下手をすれば、自ら命を……」
ベレニスが最も懸念される点を口にする。
マーガレット叔母様も、テレサさんも、難しい表情で沈黙する。クリスもヴィレッタも、暗い顔で俯いていた。
「……念の為に、これを渡しておくっす」
その重い空気を破ったのは、フィーリアだった。
彼女はいつもの商人鞄から、例の7つの小さなぬいぐるみを全て取り出し、テレサさんに手渡した。
「うん? このぬいぐるみ……傭兵のは要らないんじゃない? 目覚めてこれが枕元にあったら、私なら飛び上がるわね」
ベレニスが首を傾げる。
「フィーリア、これはどういう意図なのでしょう?」
ヴィレッタも不思議そうに尋ねる。
「これにちょっとした『仕掛け』を施しておいたんすよ。こういうぬいぐるみに組み込むのは初めてだったんすけど、まあ、上手くいったみたいっす。名付けて『回想人形』とでもしておくっすかね」
フィーリアはぬいぐるみの背中にある、小さな縫い目を指差す。
「モリーナ寮長がもし目覚めても、精神的に不安定かもしれないと思ったんす。何か、彼女の心を支えるものが必要になるんじゃないかと。それで寮に残っていた、モリーナ寮長宛ての卒業生からの手紙をいくつかお借りして、ドワーフの古い音響記録の魔術回路と組み合わせてみたんすよ。このボタンを押せば……」
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