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第二部 擾乱のパニエンスラ
27.隠者と才器の邂逅
しおりを挟むノルドランド王国の北東、レネ山脈が隔てた半島を有するエスパニ州。
穏やかな封建制を目指した王国管区の中でも特に領主の権力が強く、
立地的内情を考慮して統治の全てが代理委任されている。これが『全権代理者』の由来である。
州都セビリスから、エスパニ中央道を東進すると古都マドールが、更に東、
大河のほとりに港湾都市イベリス、これらはエスパニ三大新都と呼ばれる。
新都でありながら古都と呼ばれるマドールは、あくまでエスパニ州の中では、
というだけで、王国の中では比較的新しい街である。
しかし領内でイベリスとセビリスの重要度が増すにつれ、ただの中継地と成り下がり、
後には《左遷》の代名詞となっていた。
そんなマドールを治める前全権代理者――ディエゴ・エスパニョールの元に長らく匿われて、
無為な日々を送っていたアラニス領主の息子――ルシアノ・アラニスは、
義理の父として慕うディエゴの元へ、苛立ちに歪む秀麗な面貌を隠さず駆け込んだ。
「叔父上! 義兄上からの返事はまだ来てないのですか!?」
「大きい声を出さんでも聞こえとる……落ち着けルッチよ」
「これが落ち着いてられますか! 俺が災害支援の使いをイベリスに出してもう二月です!
義兄上はウチの親父が言いなりにならない事が気に入らないんですよ!」
「そう言うな……イサークの奴も王都へ行ったり来たりと、色々忙しいのは確かなんじゃ。
戻ったらすぐにワシから口添えする、しばしの辛抱じゃ……」
「何を悠長な! ご存じないのですか!?
義兄上でしたらとっくにマドールを素通りしてイベリスに向かいました!
いっそのこと叔父上がルメールへ来て惨状を見て下さい!」
「……なんじゃと? いつの話じゃ」
「昨日です! 従者数名と豪勢な馬車で、そりゃもう王族のような振る舞いだったそうで!
俺がムカついているのはまさにそういう所なんですよ!」
マドールは馬車の乗り入れが許されている数少ない大都市で、往来自体は珍しい話ではない。
それでも目立つ程に自己顕示して行ったのであろうことは容易に予測出来た。
ディエゴが強く息子を糺せない理由が、まさにそこにあった。
元々体調不良の全権代理――の代理であるはずのイサークが、
既に自身をエスパニの主だと捉えているという証であり、
仮にも元老長をも務める王国の重鎮に対して強く意見する事での、
《長男の癇癪》を恐れたからに他ならない。
その癇癪が引いては弟、ラウルに向く事を避ける為でもある。
「そうじゃったか……分かった、ワシ自ら一筆したためて、すぐに早脚に送らせよう」
「叔父上……もうお分かりでしょう。もはや義兄上は叔父上の事を何とも思っていませんよ。
弟君ではなく貴方がマドールの領主として送られた事からも明白です……」
「そう言うなルッチ、ワシじゃてそんなことは百も承知じゃわ。
まぁ……ワシの事はええ、具合が悪いのは本当じゃからの。
養生じゃと思えばここもそう悪くないわ」
「しかし、あの人が全権代理となってからというもの、アラニスの扱いは酷いもんですよ!
セザール・グレンデスと組んでやりたい放題、
噴火での被害が大きい我らには何の支援もせず、グレンデスには金も人も注ぎ込んで……
保護区で伐採を繰り返してる事をご存じですか!」
「……なんじゃと? どこでじゃ? そんな話聞いとらんぞ」
「深緑岸の北です。ベルデ国立公園に指定されている場所ですよ!」
「それは……セザールの奴も知っとるのか?」
「知らない訳がないでしょう、自領なんですから! 共謀してのことです!」
エスパニは水精術師が多い王国内でも特に火精術師の多い地域で、
その影響もあり城壁都市イベリスは工業に特化していた。
建築資材といえばイベリス製品と言われるほどの一大産地で、
煉瓦の焼成に大量の薪を消費する事からも、急激に荒野化が進んだ地域だった。
製鉄にも火精の加護を必要とする。伐採を経ても水や地の力が強ければ緑化するのも早いが、
大地から奪うだけでは、ただただ露出した大地が拡がるのも当然だった。
結果イベリスの城壁外は、遠方まで荒野が広がる不毛な地と化した。
今もなお荒涼とした大地が広がるエスパニ北部の姿は、この時既に形作られていたと言える。
そしてそんな醜い欲の手は深緑の丘陵にまで及んでいた。
「それに……最近ではベルデの保護区に怪しい人間も出入りしているようです」
「怪しい人間? なんじゃそれは」
「詳細までは……林道を通行する戦人がが追い返されるといった事件が
頻繁に起こっているらしく、怪我人も出ているとか。訴え出ても取り合ってもらえな――」
「――ディエゴ様! 侵入者が邸内に入り込んでおります! すぐにお隠れ下さい!」
ルシアノの言葉を断ち切るように飛び込んで来た執事を追いかけるように、声が届く。
『ディエゴ! ディエゴは居るか! 俺だ!』
「お、叔父上! 隠れて下さい! ここは私が!」
立てかけてあった刃槍を手に取り扉の前に立つルシアノの肩に、ディエゴがそっと手を置いた。
「……大丈夫じゃ。聞き覚えのある声じゃて。そなたは隣の部屋に控えておれ」
執事に指図したディエゴは、窓から差し込む朝日を浴びながら、声の主を待った。
ガヤガヤとした喧騒と共に打ち放たれた開戸からは、懐かしい空気が流れ込んだ。
「よう、ディエゴ久しぶりだな……って、お前……本当にディエゴか?」
「ヴァン様、お久しぶりですな」
「今はヴィーノだ……いや、随分変わったな。病気と聞いていたが大丈夫なのか?」
「どちらも歳相応のものですからの……仕様の無いことで。貴方様は変わりませんなぁ」
「もういい加減腹いっぱいなんだけどな。こればっかはどうしようもねぇ」
哀愁や憐憫ではなく――羨望を含んだかのような口調に、後ろに控える麗人が戸惑う。
「おや……そなたは」
ヴィーノの背後でぶんぶんと首を振って何かを伝えようとするメリーに、苦笑いで返して、
ディエゴはソファに腰をかけ骨張った手を差し伸べた。
「まぁ……ともかく何か御用があるんでしょうな……どうぞお座りくだされ」
しばらくの昔話の後に続く現状の確認は、ディエゴにとっては耳が痛くなる事の連続だった。
老父は明確な返答が出せないまま、沈痛な面持ちのままで重い口を開く。
「……今のエスパニですが、ワシが病を患ってもう5年近く、今は息子のイサークが
領主兼全権代理を務めとります。ワシは最早お飾りの田舎領主に過ぎませんのじゃ」
「イサーク……俺は会った事がないな? つーかお前の後継ぎは確か……」
「イサークはの、イベリスを治めとったんです。奴はエスパニの全権代理者となって
すぐに州都を移転しセビリスが一都市に……まぁ、それはええ。
イベリスは港を擁する大都市となり、エスパニで最も栄えとります。
どちらも自領であることには変わりありませんからな……」
そこまで言って、ディエゴは隣室の扉を一瞥し、奥歯を噛む様に言葉を絞り出した。
「そしてセベリスを弟に、ワシをマドールに押し込め……帝国と通じるようになりおった」
「……通じるってのはどういう事だ? そのイサークってのは具体的に何をやってんだ?」
「始めは大河を挟んでの交易で程々に潤い、民の支持も得ておったんです……が、
問題は、時を経るにつれ次第にその品が何と言うか……道に外れとるとでも申しますか――」
ここまで露骨なヒントがあれば、ヴィーノにとって予測は容易かった。
「――奴隷か」
「……帝国と対岸の暗黒大陸、そしてイベリスを結んだ三点で奴隷交易を始めるように……
奴は成り下がりおった。遠い昔に禁じられた悪行に手を出しおったのじゃ」
今は年老いた、かつての少年は古びたテーブルの一点を見つめながら続けた。
「帝国からは武具や希少鉱石、イベリスからは農作物や衣料品、
それを生活必需品の乏しい暗黒大陸へ、そして……暗黒大陸からは――」
「なるほど……まぁその発想は息子のもんじゃねぇな」
「そう、思われますかの?」
「ああ。こんな手を考えるのはアイツしかいないだろ」
「やはりそうでしたか……父はあの方を止められなかったということですかの」
「ファビオがいつ亡くなったかは分からんが、アイツは元々グレンの一番の信者だからな。
仮に生きていても表立って反対はしなかっただろ」
「そうでしたな……故郷であるこのエスパニを捨てて付いていく程でしたしの」
呆れたような懐かしいようなディエゴの横顔には、歴史という皺が深く刻まれていた。
「それで、帝国にはイベリスから渡れるのか?」
「難しいでしょうな……あそこは完全にイサークの管理下ですしワシの手を離れとります。
入るにも手形が必要ですからな。今は住民が外出する事すらも厳しく管理しておるようです」
ディエゴは、何より――と一息おいて続けた。
「イベリス港は帝国兵が大手を振って闊歩しとります。湾自体が隔離されとりますから……
侵入は難しい、というより無理でしょうな」
「そこまで――」
腐りきっていたか。と言い掛けたヴィーノは、ディエゴの心中を慮って押し留めた。
「いや……逃げ回ってきた俺が言えた義理じゃないな。
ところで、帝国がそういった露骨な行動を始めたのはいつ頃からのことなんだ?」
「奴隷交易ですかの? 始まったのは2年程前と記憶しとりますが」
「……やっぱそうか」
「というと? 何か心当たりでもおありかの?」
「いや……気にすんな。エスパニの官僚からは反対意見は出なかったのか?」
「官僚共は上から下までイサークの息がかかった連中で、更には奴隷の全てが大陸の住民と、
犯罪者ですんで民衆も指示しとります。異論を出せる空気ではない……というのが現状ですな。
勿論マドールであんなもん認めとりゃしませんが、むしろ不満が出とります」
貴族層にとって、これ程都合の良い便利な管理システムは無い。
貴族にしてみれば下層民は塵に等しい存在で、
それらが自らの権力の維持に役立つとすれば当然文句は無い。
そういった権力層が支持すれば、一市民が反対の声を上げることは難しい。
何よりその市民ですらも法を遵守して慎ましやかにさえ生活していれば、
多少貧しかろうと不都合は存在しない、支持が上がるのも当然と言えた。
「帝国に渡るにはどうすれば良い?」
「そうですな……遠回りにはなりますがアルヘ周りの方が確実じゃのう……」
「けど、あそこはよ……」
「そうですな、ウェス山の噴火で難民が山中へ避難して以来、山賊化しておると聞きます。
お勧めはしませんが……イベリスから渡るのも同じ位難しいですぞ?」
「北門の通行手形は頼めば出してくれるか?」
「それは構やしませんが……何か手段がおありで?」
「まぁ、最悪抜け道を使えりゃ港までは行けるだろ。後は何とか船に潜りこみゃ……」
「ほう……そういえばここへはどうやって来られたんですかの? 警備もおるんじゃが」
「忘れたのか? 離れの暖炉の抜け穴、アレ作ったの俺等だろ」
ヴィーノがニヤッと笑うと、初めてディエゴは破顔して笑う。
「くっ……はーっはっは、そうでしたの! いやぁ懐かしいですな」
「叔父上! 失礼します!!」
バーンっと開かれた扉に、メリーは飛び上がりそうに、流石にヴィーノも肩をすくめた。
「おわっ な、なんだ? だ、誰だお前!」
「す、すみませんの、これルッチ、失礼じゃぞ」
「話が長くて耐えられなくなりました! 俺の話の方が重要……って、あれ、お前」
ルシアノはヴィーノの横に座って顔を背けるメリーを覗き込み、左右へと回る。
そんな義理の息子を見て、ふぅと一息吐いてディエゴが仲裁に入った。
「まぁ、そんな事より、紹介しておこうかの……こちらはわしの古い恩人で――」
「――ヴィーノだ、宜しくな、坊主」
堂々と偽名を名乗る恩人を察して、ディエゴは隣のメリーに視線でバトンを渡す。
メリーは諦めたように引きつった顔でニッコリ笑ってルシアノを睨め上げた。
「……メリーと申します。ヴィーノさんに同行してます、駆け出し戦人です」
「いや、お前その目付きは……どうみても、いや、けどあれ? お前って……」
「初めまして、よろしくおねがいします!」
有無を言わせぬ怒気に気圧されながら、ルシアノは疑問を棚上げしてある提案をした。
そして彼が導いたそのルートは、後にヴィーノやメリーそしてルシアノ自身の窮地に於いて、
神がかり的な回避力を発揮する事になり、結果、小さな2つの命をも救う事になるが――
それはまだまだ先の、誰も知らない物語だった。
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