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第三章 日ソ開戦編
51 朝鮮半島・南樺太での開戦
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一九四四年八月九日、ソ連軍の侵攻に晒されていたのは満洲だけではなかった。
豆満江(図們江)を隔ててソ連と国境を接する朝鮮半島にもまた、ソ連軍の脅威が迫っていたのである。
いや、厳密にいえば日ソ開戦は満洲よりも朝鮮の方が早かったともいえる。
八日午後十一時過ぎ、豆満江沿いにある村落・土里が、ソ連人将校によって指揮された朝鮮人武装集団による襲撃を受けたのである。
この朝鮮人武装集団は約八十名ほどの規模であり、土里の駐在所を襲撃、日本人警察官を殺害しその家族に重傷を負わせた上で駐在所に放火、村民たちを銃で脅して一ヶ所に集めた上でこう宣言したという。
「九日正午にソ連は日本に宣戦布告する。その時、日本人どもは全員銃殺するつもりであるからそのつもりでおれ!」
そう言うや否や、彼ら朝鮮人武装集団は再びソ連領内に引き上げていった。
この襲撃事件が雄基警察署に報されたのは九日午前三時過ぎで、その時にはすでにソ連軍による夜間空襲が開始されていた。
ソ連との国境に最も近い港である雄基港、そこからすぐ南に下ったところにある羅津港、さらにその南方にある清津港は北鮮三港と呼ばれている。
これら北鮮三港の内、ソ連との国境に近い雄基港と羅津港がまず夜間空襲に見舞われたのである。
当然、空襲を受けるまで住民たちは日常を過ごしていたわけであるから、街の灯火管制はなされていなかった。
何やら北東の方角から爆音が聞こえてきたかと思うと、突然、照明弾が投下されたのである。
羅津の埠頭では関東軍向けの各種物資が保管されていた倉庫に爆弾が直撃し、夜空を赤々と染め上げる大火災を発生させた。
なおこの時、羅津には陸軍徴傭船・天正丸(約二七〇〇トン、一九一〇年イギリス建造の中古船)が停泊しており、搭載していた高射砲や機銃によって一機を撃墜している。
雄基港、羅津港、清津港という北鮮三港を擁する咸鏡北道は、日本と満洲を海路で結ぶ要衝の地であった。この地域をソ連軍に奪取されれば、満洲東部への補給や同地域からの開拓団の避難が困難となる。
また、道内には茂山鉱山、日本製鉄清津製鉄所、三菱鉱業清津精錬所、日本高周波重工業城津工場などがあり、日本の戦争遂行能力にとって欠かせない地域でもあった。
そのため、対ソ戦に備えた道内の防衛体制はそれなりに整えられていた。
咸鏡北道首府・羅南には陸軍第十九師団司令部が置かれており、また海軍も羅津根拠地隊を配置している。これら兵力が、咸鏡北道へと侵攻しようとするソ連軍を待ち構えていたのであった。
一方、侵攻するソ連軍の側では、朝鮮半島全土の占領は計画されていなかった。朝鮮半島への侵攻作戦はあくまでも関東軍の退路を遮断し、満洲国内での包囲殲滅を狙うという壮大な作戦計画の一環に過ぎなかったのである。
スターリンが朝鮮半島に共産系の傀儡政権を打ち立てることを構想してはいたものの、彼の中でも朝鮮半島の優先順位はそこまで高くはなかったのである。どちらかといえば、スターリンは北海道侵攻の方を重視していた。
何故ならば、仮に朝鮮半島に傀儡政権を成立させ、対馬をソ連領に組み込むことが出来たとしても、対岸は依然として日本領となるからである。北海道を占領すれば、少なくとも宗谷海峡は両岸がソ連領となり、ソ連艦船の自由な航行が可能となる。
だからこそ、ソ連軍の朝鮮半島侵攻は純粋に軍事的な目的のためであった。
そして、こうした状況に対して危機感を募らせていたのは、阿部信行を総督とする朝鮮総督府であった。ソ連の朝鮮侵攻に伴い、朝鮮人の間で独立運動が再燃しないか警戒していたのである。
刑務所には、多数の朝鮮人政治犯が収容されている。ここを朝鮮人が襲撃し、政治犯が刑務所から脱走するような事態となれば、半島全土において大規模な混乱が生じ、ソ連軍の侵攻を迎撃するどころではなくなってしまう。
ソ連側の意図を知らない朝鮮総督府側としては、半島全土の治安維持に腐心しなければならない状況であると認識していたのである。
特に総督に次ぐ総督府第二の地位である政務総監を務めている遠藤柳作は、朝鮮総督府が設置された当初から総督府の官吏として働いてきた人物であり、一九一九年の三・一独立運動など多くの事件を目撃してきた経験を持つ。なおさら、総督府の危機感は強かった。
そして内地の参謀本部や軍令部では、日本の戦争遂行能力を支える咸鏡北道がソ連軍によって奪取される可能性を恐れていた。
朝鮮には、京城に第二十師団が、平壌に第三十師団が司令部を置いている。羅南の第十九師団も含めた三個師団が、朝鮮の守備兵力であった。
さらに満洲・朝鮮方面に進出した海軍の第十一航空艦隊も、元山に司令部を置いていた。
これら兵力に対し、ただちに侵攻するソ連軍を撃退するよう命令が下ったのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方、同じくソ連と国境を接する南樺太は、少なくとも朝鮮よりは情勢は落ち着いていた。
何故ならばこの日、樺太の日ソ国境地帯は濃い霧に覆われていたからである。満洲や朝鮮では日付が変わるのと同時に行われた砲撃や空襲は、南樺太では行われていなかった。
敷香にある樺太混成旅団の司令部が、札幌の第五方面軍司令部からソ連の対日宣戦布告を報されたのは、九日〇七〇〇時少し前のことであった。
札幌からの緊急電話を受けて、旅団長・峯木十一郎少将は直ちに麾下部隊に対し対ソ作戦実施を発令した。
旅団主力である樺太歩兵連隊は、敷香北方五〇キロの地点にある気屯に連隊本部を置いている。樺太歩兵連隊を編成する三個大隊の内、第一、第二大隊は日ソ関係の緊迫化からすでに国境付近にある八方山陣地を中心に展開していた。
また、樺太混成旅団以外にも、憲兵隊や国境警察が同様に国境地帯での警戒に当たっていた。
〇八三〇時、樺太歩兵連隊より国境付近の石灰山開発の鉱夫、軍関係道路建設に従事する作業員、警察官家族、開拓団に対する疎開命令が発せられた。さらに国境付近の橋梁や石灰搬出用軌道の破壊も行われている。
この頃になると、国境の北側からの散発的な射撃が行われるようになっていた。国境に近い半田警察署の警察官は越境したソ連兵を確認しているが、単純な偵察行動であったらしく、すぐに霧の中に消えてしまったという。
池田末男大佐率いる戦車第十一連隊に対しても、峯木旅団長は古屯までの進出を命じた。古屯は、日本最北端の駅がある地で、樺太歩兵連隊の本部がある気屯よりさらに北方に位置する。
敷香の駅では、直ちに貨車に三式中戦車を搭載して古屯に向かわせる措置が取られた。
このように樺太の地は満洲や朝鮮と違い、ソ連軍との本格的な戦闘は発生していなかった。しかしそれはあくまで地上でのことであり、海上はまた別であった。
樺太と北海道の間には、鉄道省所管の稚泊連絡船(稚内―大泊間)や北日本汽船の貨客船が多数、就航していた。
樺太は特に林業が盛んであり、パルプの原料とするために大量の木材が本土に向けて積み出されていた。伐採は主に冬の間に行われ、夏、雪解け水で増水した川に切り出した木材を流して港で船に積み込むというのが、樺太における林業の大まかな流れであった。
このため、夏の時期には港湾労働者として樺太以外の地方から出稼ぎに来る者たちが多く集まっていたのである。
しかし、七月以降、日ソ関係の緊迫化から樺太庁はそうした出稼ぎ労働者を順次、帰還させる方針をとっていた。要するに、有事の際に疎開・引き揚げさせる者たちの数を少しでも減らしておくためである。
八月九日の日中にはすでに日ソ開戦の情報が南樺太全土に広まっており、まだ樺太に残っていた出稼ぎ労働者たちが相次いで引き揚げを希望して船に殺到することになった。
この日、南樺太南部西岸の港・本斗から北海道北端の稚内に向けて、北日本汽船の貨客船・鈴谷丸(総トン数八九七トン、最大速力十一ノット、定員八十三名)が出港する予定であった。
この鈴谷丸に本斗港で働く出稼ぎ労働者たちが押し寄せ、結果、出港予定時刻であった十一時を大幅に過ぎた十四時過ぎ、ようやく鈴谷丸は本斗港を出港して稚内へと向かった。
この時、定員八十三名を遥かに超える三百名近い乗客を乗せていたという。
樺太庁側も、出稼ぎ労働者を一人でも多く引き揚げさせる方針の下、こうした事態を黙認した。当然、北日本汽船に対して開戦に伴う出港差し止めも命じなかった。
しかし、結果としてこれが悲劇を生むことになってしまった。
本斗―稚内間の所要時間は、天候にもよるがおよそ七時間。
出港から三時間ほどが経ち、能登呂半島沖を航行中、突如として鈴谷丸は雷撃を受けたのである。
ソ連軍潜水艦のものと思われる魚雷三本が右舷に命中、一九二二(大正十一)年竣工の貨客船は瞬時にして轟沈してしまった。
乗っていた乗員・乗客の内、救助されたのは三十名ほどで、船長以下多数の日本人・朝鮮人が犠牲となった。出港の際の混乱で正確な乗船人数は判っておらず、死者・行方不明者数は二五〇人は下らないとされている。
これは、日本が日ソ開戦初日に被った最大の被害であり、また民間人が多数犠牲となったという意味でも特筆すべき悲劇であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
【鈴谷丸】
竣工:大正11年9月2日
排水量897総トン
最大速力11・7ノット
旅客定員:一等4名、二等16名、三等63名
史実では昭和18年6月、ニューギニア沖で米潜水艦の雷撃によって撃沈されています。
豆満江(図們江)を隔ててソ連と国境を接する朝鮮半島にもまた、ソ連軍の脅威が迫っていたのである。
いや、厳密にいえば日ソ開戦は満洲よりも朝鮮の方が早かったともいえる。
八日午後十一時過ぎ、豆満江沿いにある村落・土里が、ソ連人将校によって指揮された朝鮮人武装集団による襲撃を受けたのである。
この朝鮮人武装集団は約八十名ほどの規模であり、土里の駐在所を襲撃、日本人警察官を殺害しその家族に重傷を負わせた上で駐在所に放火、村民たちを銃で脅して一ヶ所に集めた上でこう宣言したという。
「九日正午にソ連は日本に宣戦布告する。その時、日本人どもは全員銃殺するつもりであるからそのつもりでおれ!」
そう言うや否や、彼ら朝鮮人武装集団は再びソ連領内に引き上げていった。
この襲撃事件が雄基警察署に報されたのは九日午前三時過ぎで、その時にはすでにソ連軍による夜間空襲が開始されていた。
ソ連との国境に最も近い港である雄基港、そこからすぐ南に下ったところにある羅津港、さらにその南方にある清津港は北鮮三港と呼ばれている。
これら北鮮三港の内、ソ連との国境に近い雄基港と羅津港がまず夜間空襲に見舞われたのである。
当然、空襲を受けるまで住民たちは日常を過ごしていたわけであるから、街の灯火管制はなされていなかった。
何やら北東の方角から爆音が聞こえてきたかと思うと、突然、照明弾が投下されたのである。
羅津の埠頭では関東軍向けの各種物資が保管されていた倉庫に爆弾が直撃し、夜空を赤々と染め上げる大火災を発生させた。
なおこの時、羅津には陸軍徴傭船・天正丸(約二七〇〇トン、一九一〇年イギリス建造の中古船)が停泊しており、搭載していた高射砲や機銃によって一機を撃墜している。
雄基港、羅津港、清津港という北鮮三港を擁する咸鏡北道は、日本と満洲を海路で結ぶ要衝の地であった。この地域をソ連軍に奪取されれば、満洲東部への補給や同地域からの開拓団の避難が困難となる。
また、道内には茂山鉱山、日本製鉄清津製鉄所、三菱鉱業清津精錬所、日本高周波重工業城津工場などがあり、日本の戦争遂行能力にとって欠かせない地域でもあった。
そのため、対ソ戦に備えた道内の防衛体制はそれなりに整えられていた。
咸鏡北道首府・羅南には陸軍第十九師団司令部が置かれており、また海軍も羅津根拠地隊を配置している。これら兵力が、咸鏡北道へと侵攻しようとするソ連軍を待ち構えていたのであった。
一方、侵攻するソ連軍の側では、朝鮮半島全土の占領は計画されていなかった。朝鮮半島への侵攻作戦はあくまでも関東軍の退路を遮断し、満洲国内での包囲殲滅を狙うという壮大な作戦計画の一環に過ぎなかったのである。
スターリンが朝鮮半島に共産系の傀儡政権を打ち立てることを構想してはいたものの、彼の中でも朝鮮半島の優先順位はそこまで高くはなかったのである。どちらかといえば、スターリンは北海道侵攻の方を重視していた。
何故ならば、仮に朝鮮半島に傀儡政権を成立させ、対馬をソ連領に組み込むことが出来たとしても、対岸は依然として日本領となるからである。北海道を占領すれば、少なくとも宗谷海峡は両岸がソ連領となり、ソ連艦船の自由な航行が可能となる。
だからこそ、ソ連軍の朝鮮半島侵攻は純粋に軍事的な目的のためであった。
そして、こうした状況に対して危機感を募らせていたのは、阿部信行を総督とする朝鮮総督府であった。ソ連の朝鮮侵攻に伴い、朝鮮人の間で独立運動が再燃しないか警戒していたのである。
刑務所には、多数の朝鮮人政治犯が収容されている。ここを朝鮮人が襲撃し、政治犯が刑務所から脱走するような事態となれば、半島全土において大規模な混乱が生じ、ソ連軍の侵攻を迎撃するどころではなくなってしまう。
ソ連側の意図を知らない朝鮮総督府側としては、半島全土の治安維持に腐心しなければならない状況であると認識していたのである。
特に総督に次ぐ総督府第二の地位である政務総監を務めている遠藤柳作は、朝鮮総督府が設置された当初から総督府の官吏として働いてきた人物であり、一九一九年の三・一独立運動など多くの事件を目撃してきた経験を持つ。なおさら、総督府の危機感は強かった。
そして内地の参謀本部や軍令部では、日本の戦争遂行能力を支える咸鏡北道がソ連軍によって奪取される可能性を恐れていた。
朝鮮には、京城に第二十師団が、平壌に第三十師団が司令部を置いている。羅南の第十九師団も含めた三個師団が、朝鮮の守備兵力であった。
さらに満洲・朝鮮方面に進出した海軍の第十一航空艦隊も、元山に司令部を置いていた。
これら兵力に対し、ただちに侵攻するソ連軍を撃退するよう命令が下ったのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方、同じくソ連と国境を接する南樺太は、少なくとも朝鮮よりは情勢は落ち着いていた。
何故ならばこの日、樺太の日ソ国境地帯は濃い霧に覆われていたからである。満洲や朝鮮では日付が変わるのと同時に行われた砲撃や空襲は、南樺太では行われていなかった。
敷香にある樺太混成旅団の司令部が、札幌の第五方面軍司令部からソ連の対日宣戦布告を報されたのは、九日〇七〇〇時少し前のことであった。
札幌からの緊急電話を受けて、旅団長・峯木十一郎少将は直ちに麾下部隊に対し対ソ作戦実施を発令した。
旅団主力である樺太歩兵連隊は、敷香北方五〇キロの地点にある気屯に連隊本部を置いている。樺太歩兵連隊を編成する三個大隊の内、第一、第二大隊は日ソ関係の緊迫化からすでに国境付近にある八方山陣地を中心に展開していた。
また、樺太混成旅団以外にも、憲兵隊や国境警察が同様に国境地帯での警戒に当たっていた。
〇八三〇時、樺太歩兵連隊より国境付近の石灰山開発の鉱夫、軍関係道路建設に従事する作業員、警察官家族、開拓団に対する疎開命令が発せられた。さらに国境付近の橋梁や石灰搬出用軌道の破壊も行われている。
この頃になると、国境の北側からの散発的な射撃が行われるようになっていた。国境に近い半田警察署の警察官は越境したソ連兵を確認しているが、単純な偵察行動であったらしく、すぐに霧の中に消えてしまったという。
池田末男大佐率いる戦車第十一連隊に対しても、峯木旅団長は古屯までの進出を命じた。古屯は、日本最北端の駅がある地で、樺太歩兵連隊の本部がある気屯よりさらに北方に位置する。
敷香の駅では、直ちに貨車に三式中戦車を搭載して古屯に向かわせる措置が取られた。
このように樺太の地は満洲や朝鮮と違い、ソ連軍との本格的な戦闘は発生していなかった。しかしそれはあくまで地上でのことであり、海上はまた別であった。
樺太と北海道の間には、鉄道省所管の稚泊連絡船(稚内―大泊間)や北日本汽船の貨客船が多数、就航していた。
樺太は特に林業が盛んであり、パルプの原料とするために大量の木材が本土に向けて積み出されていた。伐採は主に冬の間に行われ、夏、雪解け水で増水した川に切り出した木材を流して港で船に積み込むというのが、樺太における林業の大まかな流れであった。
このため、夏の時期には港湾労働者として樺太以外の地方から出稼ぎに来る者たちが多く集まっていたのである。
しかし、七月以降、日ソ関係の緊迫化から樺太庁はそうした出稼ぎ労働者を順次、帰還させる方針をとっていた。要するに、有事の際に疎開・引き揚げさせる者たちの数を少しでも減らしておくためである。
八月九日の日中にはすでに日ソ開戦の情報が南樺太全土に広まっており、まだ樺太に残っていた出稼ぎ労働者たちが相次いで引き揚げを希望して船に殺到することになった。
この日、南樺太南部西岸の港・本斗から北海道北端の稚内に向けて、北日本汽船の貨客船・鈴谷丸(総トン数八九七トン、最大速力十一ノット、定員八十三名)が出港する予定であった。
この鈴谷丸に本斗港で働く出稼ぎ労働者たちが押し寄せ、結果、出港予定時刻であった十一時を大幅に過ぎた十四時過ぎ、ようやく鈴谷丸は本斗港を出港して稚内へと向かった。
この時、定員八十三名を遥かに超える三百名近い乗客を乗せていたという。
樺太庁側も、出稼ぎ労働者を一人でも多く引き揚げさせる方針の下、こうした事態を黙認した。当然、北日本汽船に対して開戦に伴う出港差し止めも命じなかった。
しかし、結果としてこれが悲劇を生むことになってしまった。
本斗―稚内間の所要時間は、天候にもよるがおよそ七時間。
出港から三時間ほどが経ち、能登呂半島沖を航行中、突如として鈴谷丸は雷撃を受けたのである。
ソ連軍潜水艦のものと思われる魚雷三本が右舷に命中、一九二二(大正十一)年竣工の貨客船は瞬時にして轟沈してしまった。
乗っていた乗員・乗客の内、救助されたのは三十名ほどで、船長以下多数の日本人・朝鮮人が犠牲となった。出港の際の混乱で正確な乗船人数は判っておらず、死者・行方不明者数は二五〇人は下らないとされている。
これは、日本が日ソ開戦初日に被った最大の被害であり、また民間人が多数犠牲となったという意味でも特筆すべき悲劇であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
【鈴谷丸】
竣工:大正11年9月2日
排水量897総トン
最大速力11・7ノット
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