12 / 60
第12話 縁談の真意
しおりを挟む
ライオネル公爵の黒い瞳は、まるで獲物を品定めするかのように、私をじっと見据えている。その視線に射竦められ、私は身動き一つ取れずにいた。何を考えているのか全く読めない、氷のような無表情。ああ、このままでは、緊張で気を失ってしまうかもしれない。
「……座られよ」
沈黙を破ったのは、やはり公爵の方だった。短く、命令的な響きを帯びたその言葉に、私は反射的に頷き、ソファに改めて深く腰掛けた。彼もまた、私の向かいにある一人掛けのソファに、音もなく腰を下ろす。その一連の動作には、一切の無駄がなく、まるで計算され尽くした機械のようだった。
再び、重苦しい沈黙が訪れる。何か話さなければ、と思うのだけれど、言葉が出てこない。この状況で、一体何を話せというのだろうか。お天気の話? 長旅の感想? そんなものが、この冷徹公爵の興味を引くとは到底思えなかった。
私が内心でパニックに陥っていることなどお構いなしに、公爵は静かに口を開いた。
「ベルンシュタイン嬢。早速だが、本題に入らせていただこう。……貴女が、我がヴァルテンベルク家に嫁ぐ意思を示されたこと、まずは感謝する」
その言葉は、やはり感情の起伏を感じさせない、淡々としたものだった。感謝、と言いながらも、その声色からは何の温かみも伝わってこない。
「は、はい……。こちらこそ、身に余る光栄と……存じます」
型どおりの返事をすると、公爵は小さく頷いた。そして、次の瞬間、彼は私の予想を遥かに超える言葉を口にしたのだ。
「貴女がエスタード王国で提出していた、数々の『献策』――特に、ここ数年間の穀物生産量の安定化に関する提案、および、近隣諸国との交易における関税見直し案については、以前から興味深く拝見させてもらっていた」
「…………え?」
献策……? 穀物生産量……? 関税……?
あまりにも唐突な言葉に、私の頭は真っ白になった。それは確かに、私がレオンハルト殿下の影として、彼の名で提出してきたレポートや提案書の内容そのものだったからだ。
(どうして……それを、この方がご存知なの……?)
それらは全て、エスタード王国の内政に関わる、極秘扱いの情報のはず。一部は、殿下の功績として公に発表されたものもあるけれど、その原案を作成したのが私であることなど、ごく一部の人間しか知らないはずなのに。
私の驚愕と混乱を読み取ったのか、公爵は淡々と続けた。
「我が国は、常に近隣諸国の動向を注視している。エスタード王国の政策決定過程において、ここ数年、時折目を見張るような分析と具体的な提案が散見されるようになった。それらが、表向きはレオンハルト王子の功績とされていることも承知している。……しかし、その文体、論理構成、着眼点には、ある種の『一貫性』が見られた」
まるで、全てお見通しだ、と言わんばかりの口調。その黒い瞳が、再び私を射抜く。
「当初は、王子に有能な側近でもついたのかと考えていた。だが、調査を進めるうちに、それらの献策の本当の立案者が、貴女――アリアナ・フォン・ベルンシュタイン嬢であるという結論に至ったのだ」
言葉が出なかった。ただ、心臓が早鐘のように鳴り響き、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。この人は、一体どこまで知っているというのだろう。ガルディアの情報網の恐ろしさに、私は戦慄を覚えた。
同時に、心の奥底で、これまで押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出しそうになるのを感じた。
(見ていてくれた……? 私の努力を、この人が……?)
誰にも評価されず、レオンハルト殿下の手柄として消えていったはずの、私のささやかな仕事の数々。それを、この異国の、しかも冷徹と噂される公爵が、正確に把握し、そして――『興味深く拝見していた』と、そう言ったのだ。
信じられない思いと、ほんの少しの……いや、もっと大きな、何かが私の胸を締め付ける。それは、絶望の淵にいた私にとって、あまりにも眩しすぎる光だったのかもしれない。
「……なぜ、私が書いたと、お分かりになったのですか……?」
ようやく絞り出した声は、震えていた。
公爵は、初めて、その表情に微かな変化を見せた。それは、ほんの僅かな、氷が解ける瞬間のような――いや、やはりまだ氷は氷のままかもしれないけれど、少なくとも完全な無表情ではなくなった。
「……貴女の提出したレポートには、他の凡百な官僚たちのものにはない、『現場』を見る目と、弱者への配慮、そして何よりも『実現可能性』への深い洞察があった。それは、机上の空論を弄ぶ者には決して書けぬものだ」
その言葉は、私がこれまで誰からもかけてもらえなかった、最高の賛辞のように聞こえた。
「……座られよ」
沈黙を破ったのは、やはり公爵の方だった。短く、命令的な響きを帯びたその言葉に、私は反射的に頷き、ソファに改めて深く腰掛けた。彼もまた、私の向かいにある一人掛けのソファに、音もなく腰を下ろす。その一連の動作には、一切の無駄がなく、まるで計算され尽くした機械のようだった。
再び、重苦しい沈黙が訪れる。何か話さなければ、と思うのだけれど、言葉が出てこない。この状況で、一体何を話せというのだろうか。お天気の話? 長旅の感想? そんなものが、この冷徹公爵の興味を引くとは到底思えなかった。
私が内心でパニックに陥っていることなどお構いなしに、公爵は静かに口を開いた。
「ベルンシュタイン嬢。早速だが、本題に入らせていただこう。……貴女が、我がヴァルテンベルク家に嫁ぐ意思を示されたこと、まずは感謝する」
その言葉は、やはり感情の起伏を感じさせない、淡々としたものだった。感謝、と言いながらも、その声色からは何の温かみも伝わってこない。
「は、はい……。こちらこそ、身に余る光栄と……存じます」
型どおりの返事をすると、公爵は小さく頷いた。そして、次の瞬間、彼は私の予想を遥かに超える言葉を口にしたのだ。
「貴女がエスタード王国で提出していた、数々の『献策』――特に、ここ数年間の穀物生産量の安定化に関する提案、および、近隣諸国との交易における関税見直し案については、以前から興味深く拝見させてもらっていた」
「…………え?」
献策……? 穀物生産量……? 関税……?
あまりにも唐突な言葉に、私の頭は真っ白になった。それは確かに、私がレオンハルト殿下の影として、彼の名で提出してきたレポートや提案書の内容そのものだったからだ。
(どうして……それを、この方がご存知なの……?)
それらは全て、エスタード王国の内政に関わる、極秘扱いの情報のはず。一部は、殿下の功績として公に発表されたものもあるけれど、その原案を作成したのが私であることなど、ごく一部の人間しか知らないはずなのに。
私の驚愕と混乱を読み取ったのか、公爵は淡々と続けた。
「我が国は、常に近隣諸国の動向を注視している。エスタード王国の政策決定過程において、ここ数年、時折目を見張るような分析と具体的な提案が散見されるようになった。それらが、表向きはレオンハルト王子の功績とされていることも承知している。……しかし、その文体、論理構成、着眼点には、ある種の『一貫性』が見られた」
まるで、全てお見通しだ、と言わんばかりの口調。その黒い瞳が、再び私を射抜く。
「当初は、王子に有能な側近でもついたのかと考えていた。だが、調査を進めるうちに、それらの献策の本当の立案者が、貴女――アリアナ・フォン・ベルンシュタイン嬢であるという結論に至ったのだ」
言葉が出なかった。ただ、心臓が早鐘のように鳴り響き、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。この人は、一体どこまで知っているというのだろう。ガルディアの情報網の恐ろしさに、私は戦慄を覚えた。
同時に、心の奥底で、これまで押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出しそうになるのを感じた。
(見ていてくれた……? 私の努力を、この人が……?)
誰にも評価されず、レオンハルト殿下の手柄として消えていったはずの、私のささやかな仕事の数々。それを、この異国の、しかも冷徹と噂される公爵が、正確に把握し、そして――『興味深く拝見していた』と、そう言ったのだ。
信じられない思いと、ほんの少しの……いや、もっと大きな、何かが私の胸を締め付ける。それは、絶望の淵にいた私にとって、あまりにも眩しすぎる光だったのかもしれない。
「……なぜ、私が書いたと、お分かりになったのですか……?」
ようやく絞り出した声は、震えていた。
公爵は、初めて、その表情に微かな変化を見せた。それは、ほんの僅かな、氷が解ける瞬間のような――いや、やはりまだ氷は氷のままかもしれないけれど、少なくとも完全な無表情ではなくなった。
「……貴女の提出したレポートには、他の凡百な官僚たちのものにはない、『現場』を見る目と、弱者への配慮、そして何よりも『実現可能性』への深い洞察があった。それは、机上の空論を弄ぶ者には決して書けぬものだ」
その言葉は、私がこれまで誰からもかけてもらえなかった、最高の賛辞のように聞こえた。
1,285
あなたにおすすめの小説
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?
小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。
しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。
突然の失恋に、落ち込むペルラ。
そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。
「俺は、放っておけないから来たのです」
初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて――
ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。
【完結】真の聖女だった私は死にました。あなたたちのせいですよ?
時
恋愛
聖女として国のために尽くしてきたフローラ。
しかしその力を妬むカリアによって聖女の座を奪われ、顔に傷をつけられたあげく、さらには聖女を騙った罪で追放、彼女を称えていたはずの王太子からは婚約破棄を突きつけられてしまう。
追放が正式に決まった日、絶望した彼女はふたりの目の前で死ぬことを選んだ。
フローラの亡骸は水葬されるが、奇跡的に一命を取り留めていた彼女は船に乗っていた他国の騎士団長に拾われる。
ラピスと名乗った青年はフローラを気に入って自分の屋敷に居候させる。
記憶喪失と顔の傷を抱えながらも前向きに生きるフローラを周りは愛し、やがてその愛情に応えるように彼女のほんとうの力が目覚めて……。
一方、真の聖女がいなくなった国は滅びへと向かっていた──
※小説家になろうにも投稿しています
いいねやエール嬉しいです!ありがとうございます!
虐げられてきた妾の子は、生真面目な侯爵に溺愛されています。~嫁いだ先の訳あり侯爵は、実は王家の血を引いていました~
木山楽斗
恋愛
小さな村で母親とともに暮らしていアリシアは、突如ランベルト侯爵家に連れて行かれることになった。彼女は、ランベルト侯爵の隠し子だったのである。
侯爵に連れて行かれてからのアリシアの生活は、幸福なものではなかった
ランベルト侯爵家のほとんどはアリシアのことを決して歓迎しておらず、彼女に対してひどい扱いをしていたのである。
一緒に連れて行かれた母親からも引き離されたアリシアは、苦しい日々を送っていた。
そしてある時彼女は、母親が亡くなったことを聞く。それによって、アリシアは深く傷ついていた。
そんな彼女は、若くしてアルバーン侯爵を襲名したルバイトの元に嫁ぐことになった。
ルバイトは訳アリの侯爵であり、ランベルト侯爵は彼の権力を取り込むことを狙い、アリシアを嫁がせたのである。
ルバイト自身は人格者であり、彼はアリシアの扱われた方に怒りを覚えてくれた。
そのこともあって、アリシアは久方振りに穏やかな生活を送れるようになったのだった。
そしてある時アリシアは、ルバイト自身も知らなかった彼の出自について知ることになった。
実は彼は、王家の血を引いていたのである。
それによって、ランベルト侯爵家の人々は苦しむことになった。
アリシアへの今までの行いが、国王の耳まで行き届き、彼の逆鱗に触れることになったのである。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜
腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。
「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。
エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。
義母の企みで王子との婚約は破棄され、辺境の老貴族と結婚せよと追放されたけど、結婚したのは孫息子だし、思いっきり歌も歌えて言うことありません!
もーりんもも
恋愛
義妹の聖女の証を奪って聖女になり代わろうとした罪で、辺境の地を治める老貴族と結婚しろと王に命じられ、王都から追放されてしまったアデリーン。
ところが、結婚相手の領主アドルフ・ジャンポール侯爵は、結婚式当日に老衰で死んでしまった。
王様の命令は、「ジャンポール家の当主と結婚せよ」ということで、急遽ジャンポール家の当主となった孫息子ユリウスと結婚することに。
ユリウスの結婚の誓いの言葉は「ふん。ゲス女め」。
それでもアデリーンにとっては、緑豊かなジャンポール領は楽園だった。
誰にも遠慮することなく、美しい森の中で、大好きな歌を思いっきり歌えるから!
アデリーンの歌には不思議な力があった。その歌声は万物を癒し、ユリウスの心までをも溶かしていく……。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる