11 / 60
第11話 冷徹公爵との対面
しおりを挟む
ヴァルテンベルク公爵邸の壮麗な馬車寄せに到着すると、すぐに年配の執事らしき人物が出迎えてくれた。その顔には皺が深く刻まれているが、背筋はぴんと伸び、隙のない立ち居振る舞いからは長年この巨大な屋敷を切り盛りしてきたであろう経験と自信が窺える。
「アリアナ・フォン・ベルンシュタイン様、長旅お疲れ様でございました。わたくしは、このヴァルテンベルク公爵家に仕えます、執事のクラウスと申します。どうぞ、こちらへ」
クラウスと名乗った執事は、感情の読めない落ち着いた声で私を促し、重厚な樫の扉の奥へと案内してくれた。一歩足を踏み入れると、そこには広大なエントランスホールが広がっていた。磨き上げられた黒曜石のような床、高い天井から吊り下げられた巨大なシャンデリア――しかし、それはエスタードの王城で見たような金ピカの華美なものではなく、鉄と水晶を組み合わせたような、シャープでモダンなデザインだ。壁には歴史を感じさせるタペストリーや絵画が飾られているものの、全体的に装飾は控えめで、どこか厳粛で、機能美を追求したような印象を受ける。
(これが……ヴァルテンベルク公爵邸……)
噂に違わぬ、荘厳で、そしてどこか人を寄せ付けないような冷たい空気が漂っている。使用人たちも、物音ひとつ立てずにきびきびと動き、すれ違う際には深々と頭を下げるものの、その表情は皆一様に硬く、笑顔というものが見当たらない。
案内されたのは、屋敷の奥にある応接室だった。こちらも、調度品は最高級のものなのだろうけれど、華やかさよりも重厚さと落ち着きが重視されており、まるで要塞の一室のような堅牢な雰囲気を醸し出している。窓の外には手入れの行き届いた庭園が見えたが、それすらも計算され尽くした幾何学的な美しさで、息が詰まりそうだった。
「公爵閣下は、間もなくこちらへお見えになります。それまで、どうぞおくつろぎください」
クラウス執事はそう言うと、静かに部屋を出て行った。一人残された私は、革張りのソファに浅く腰掛けたまま、緊張で張り裂けそうな心臓を必死に押さえていた。
(ライオネル・フォン・ヴァルテンベルク公爵……一体、どんな方なのかしら……)
鉄仮面、冷徹、血も涙もない――そんな恐ろしい噂ばかりが頭をよぎる。レオンハルト殿下が、あんな風に私を侮辱する際に引き合いに出した人物。そんな人が、本当に私を妻に迎えようとしているのだろうか。今更ながら、この縁談が何かの間違いなのではないかという不安が、再び鎌首をもたげてくる。
どれほどの時間が経っただろうか。永遠にも感じられるような沈黙の後、不意に応接室の扉が静かに開かれた。そして、そこに現れた人物の姿に、私は思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、長身痩躯の男性だった。夜の闇を溶かし込んだような艶やかな黒髪に、同じく黒曜石のような深い光を宿した瞳。彫刻のように整った顔立ちは、疑いようもなく美しい。けれど、その美しさはどこか人間離れしていて、氷のように冷たく、近寄りがたいオーラを放っていた。
全身から発せられる圧倒的な存在感と、一切の隙を感じさせない佇まい。年齢は、おそらく三十代前半だろうか。エスタードの貴族たちが見せるような軟弱さや軽薄さは微塵もなく、鍛え上げられた鋼のような強靭さを感じさせる。
(この方が……ライオネル公爵……)
噂通り、いや、噂以上に冷徹で、威圧的な雰囲気を纏った人物だ。その黒い瞳が私を捉えた瞬間、まるで心の奥底まで見透かされるような鋭い視線に、私は背筋が凍るのを感じた。
「――アリアナ・フォン・ベルンシュタイン嬢だな。長旅、ご苦労だった」
低く、落ち着いた、しかしどこか感情の温度を感じさせない声。それが、私に向けられた最初の言葉だった。
「は……はい。アリアナ・フォン・ベルンシュタインにございます。この度は、ご丁重なお申し出をいただき、誠に……」
必死に平静を装い、震える声で挨拶を述べる。けれど、彼の前では、どんな取り繕いも無意味なように感じられた。彼はただ、無表情のまま私を見つめ、私の言葉を待っている。
ああ、どうしよう。何を話せばいいのだろう。この重苦しい空気に、押し潰されてしまいそうだ。レオンハルト殿下の前で感じた屈辱とはまた違う、もっと根源的な恐怖とでも言うべきものが、私の全身を支配していた。この人の前では、下手に動くことすら許されないような、そんな絶対的な圧力を感じるのだ。
これから、この人と夫婦になる……? そんなこと、到底考えられそうになかった。
「アリアナ・フォン・ベルンシュタイン様、長旅お疲れ様でございました。わたくしは、このヴァルテンベルク公爵家に仕えます、執事のクラウスと申します。どうぞ、こちらへ」
クラウスと名乗った執事は、感情の読めない落ち着いた声で私を促し、重厚な樫の扉の奥へと案内してくれた。一歩足を踏み入れると、そこには広大なエントランスホールが広がっていた。磨き上げられた黒曜石のような床、高い天井から吊り下げられた巨大なシャンデリア――しかし、それはエスタードの王城で見たような金ピカの華美なものではなく、鉄と水晶を組み合わせたような、シャープでモダンなデザインだ。壁には歴史を感じさせるタペストリーや絵画が飾られているものの、全体的に装飾は控えめで、どこか厳粛で、機能美を追求したような印象を受ける。
(これが……ヴァルテンベルク公爵邸……)
噂に違わぬ、荘厳で、そしてどこか人を寄せ付けないような冷たい空気が漂っている。使用人たちも、物音ひとつ立てずにきびきびと動き、すれ違う際には深々と頭を下げるものの、その表情は皆一様に硬く、笑顔というものが見当たらない。
案内されたのは、屋敷の奥にある応接室だった。こちらも、調度品は最高級のものなのだろうけれど、華やかさよりも重厚さと落ち着きが重視されており、まるで要塞の一室のような堅牢な雰囲気を醸し出している。窓の外には手入れの行き届いた庭園が見えたが、それすらも計算され尽くした幾何学的な美しさで、息が詰まりそうだった。
「公爵閣下は、間もなくこちらへお見えになります。それまで、どうぞおくつろぎください」
クラウス執事はそう言うと、静かに部屋を出て行った。一人残された私は、革張りのソファに浅く腰掛けたまま、緊張で張り裂けそうな心臓を必死に押さえていた。
(ライオネル・フォン・ヴァルテンベルク公爵……一体、どんな方なのかしら……)
鉄仮面、冷徹、血も涙もない――そんな恐ろしい噂ばかりが頭をよぎる。レオンハルト殿下が、あんな風に私を侮辱する際に引き合いに出した人物。そんな人が、本当に私を妻に迎えようとしているのだろうか。今更ながら、この縁談が何かの間違いなのではないかという不安が、再び鎌首をもたげてくる。
どれほどの時間が経っただろうか。永遠にも感じられるような沈黙の後、不意に応接室の扉が静かに開かれた。そして、そこに現れた人物の姿に、私は思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、長身痩躯の男性だった。夜の闇を溶かし込んだような艶やかな黒髪に、同じく黒曜石のような深い光を宿した瞳。彫刻のように整った顔立ちは、疑いようもなく美しい。けれど、その美しさはどこか人間離れしていて、氷のように冷たく、近寄りがたいオーラを放っていた。
全身から発せられる圧倒的な存在感と、一切の隙を感じさせない佇まい。年齢は、おそらく三十代前半だろうか。エスタードの貴族たちが見せるような軟弱さや軽薄さは微塵もなく、鍛え上げられた鋼のような強靭さを感じさせる。
(この方が……ライオネル公爵……)
噂通り、いや、噂以上に冷徹で、威圧的な雰囲気を纏った人物だ。その黒い瞳が私を捉えた瞬間、まるで心の奥底まで見透かされるような鋭い視線に、私は背筋が凍るのを感じた。
「――アリアナ・フォン・ベルンシュタイン嬢だな。長旅、ご苦労だった」
低く、落ち着いた、しかしどこか感情の温度を感じさせない声。それが、私に向けられた最初の言葉だった。
「は……はい。アリアナ・フォン・ベルンシュタインにございます。この度は、ご丁重なお申し出をいただき、誠に……」
必死に平静を装い、震える声で挨拶を述べる。けれど、彼の前では、どんな取り繕いも無意味なように感じられた。彼はただ、無表情のまま私を見つめ、私の言葉を待っている。
ああ、どうしよう。何を話せばいいのだろう。この重苦しい空気に、押し潰されてしまいそうだ。レオンハルト殿下の前で感じた屈辱とはまた違う、もっと根源的な恐怖とでも言うべきものが、私の全身を支配していた。この人の前では、下手に動くことすら許されないような、そんな絶対的な圧力を感じるのだ。
これから、この人と夫婦になる……? そんなこと、到底考えられそうになかった。
1,000
あなたにおすすめの小説
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
義母の企みで王子との婚約は破棄され、辺境の老貴族と結婚せよと追放されたけど、結婚したのは孫息子だし、思いっきり歌も歌えて言うことありません!
もーりんもも
恋愛
義妹の聖女の証を奪って聖女になり代わろうとした罪で、辺境の地を治める老貴族と結婚しろと王に命じられ、王都から追放されてしまったアデリーン。
ところが、結婚相手の領主アドルフ・ジャンポール侯爵は、結婚式当日に老衰で死んでしまった。
王様の命令は、「ジャンポール家の当主と結婚せよ」ということで、急遽ジャンポール家の当主となった孫息子ユリウスと結婚することに。
ユリウスの結婚の誓いの言葉は「ふん。ゲス女め」。
それでもアデリーンにとっては、緑豊かなジャンポール領は楽園だった。
誰にも遠慮することなく、美しい森の中で、大好きな歌を思いっきり歌えるから!
アデリーンの歌には不思議な力があった。その歌声は万物を癒し、ユリウスの心までをも溶かしていく……。
報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?
小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。
しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。
突然の失恋に、落ち込むペルラ。
そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。
「俺は、放っておけないから来たのです」
初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて――
ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。
虐げられてきた妾の子は、生真面目な侯爵に溺愛されています。~嫁いだ先の訳あり侯爵は、実は王家の血を引いていました~
木山楽斗
恋愛
小さな村で母親とともに暮らしていアリシアは、突如ランベルト侯爵家に連れて行かれることになった。彼女は、ランベルト侯爵の隠し子だったのである。
侯爵に連れて行かれてからのアリシアの生活は、幸福なものではなかった
ランベルト侯爵家のほとんどはアリシアのことを決して歓迎しておらず、彼女に対してひどい扱いをしていたのである。
一緒に連れて行かれた母親からも引き離されたアリシアは、苦しい日々を送っていた。
そしてある時彼女は、母親が亡くなったことを聞く。それによって、アリシアは深く傷ついていた。
そんな彼女は、若くしてアルバーン侯爵を襲名したルバイトの元に嫁ぐことになった。
ルバイトは訳アリの侯爵であり、ランベルト侯爵は彼の権力を取り込むことを狙い、アリシアを嫁がせたのである。
ルバイト自身は人格者であり、彼はアリシアの扱われた方に怒りを覚えてくれた。
そのこともあって、アリシアは久方振りに穏やかな生活を送れるようになったのだった。
そしてある時アリシアは、ルバイト自身も知らなかった彼の出自について知ることになった。
実は彼は、王家の血を引いていたのである。
それによって、ランベルト侯爵家の人々は苦しむことになった。
アリシアへの今までの行いが、国王の耳まで行き届き、彼の逆鱗に触れることになったのである。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
地味で無能な聖女だと婚約破棄されました。でも本当は【超過浄化】スキル持ちだったので、辺境で騎士団長様と幸せになります。ざまぁはこれからです。
黒崎隼人
ファンタジー
聖女なのに力が弱い「偽物」と蔑まれ、婚約者の王子と妹に裏切られ、死の土地である「瘴気の辺境」へ追放されたリナ。しかし、そこで彼女の【浄化】スキルが、あらゆる穢れを消し去る伝説級の【超過浄化】だったことが判明する! その奇跡を隣国の最強騎士団長カイルに見出されたリナは、彼の溺愛に戸惑いながらも、荒れ地を楽園へと変えていく。一方、リナを捨てた王国は瘴気に沈み崩壊寸前。今さら元婚約者が土下座しに来ても、もう遅い! 不遇だった少女が本当の愛と居場所を見つける、爽快な逆転ラブファンタジー!
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】真の聖女だった私は死にました。あなたたちのせいですよ?
時
恋愛
聖女として国のために尽くしてきたフローラ。
しかしその力を妬むカリアによって聖女の座を奪われ、顔に傷をつけられたあげく、さらには聖女を騙った罪で追放、彼女を称えていたはずの王太子からは婚約破棄を突きつけられてしまう。
追放が正式に決まった日、絶望した彼女はふたりの目の前で死ぬことを選んだ。
フローラの亡骸は水葬されるが、奇跡的に一命を取り留めていた彼女は船に乗っていた他国の騎士団長に拾われる。
ラピスと名乗った青年はフローラを気に入って自分の屋敷に居候させる。
記憶喪失と顔の傷を抱えながらも前向きに生きるフローラを周りは愛し、やがてその愛情に応えるように彼女のほんとうの力が目覚めて……。
一方、真の聖女がいなくなった国は滅びへと向かっていた──
※小説家になろうにも投稿しています
いいねやエール嬉しいです!ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる