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第29話 王子の焦燥
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一方、エスタード王国の王宮では、第一王子レオンハルトが、日に日に深刻化する国内の混乱と、自身の評価の急落にいら立ちを募らせていた。
アリアナを婚約破棄した当初、彼は心の底からせいせいした気分だった。地味で華がなく、口うるさい女がいなくなり、これからは自分の好きなようにできる。イザベラのような美しく従順な女を隣に置き、華やかな王宮生活を送れるのだと。
だが、その目論見は早々に崩れ去った。アリアナがいなくなってからというもの、執務はまるで回らなくなったのだ。以前は、アリアナが先回りして必要な資料を揃え、問題点を整理し、時には具体的な解決策まで提示してくれていた。彼は、ただそれに目を通し、自分の名前で発表するだけでよかった。それが、どれほど楽なことだったか、アリアナがいなくなって初めて思い知らされた。
「なぜだ! なぜこんな簡単なこともできないのだ、お前たちは!」
レオンハルトは、有能とは言えない側近たちを怒鳴りつける毎日だった。しかし、彼らがどれだけ時間をかけても、アリアナが数時間で仕上げていたような質の高い報告書や提案書は上がってこない。外交文書の返答一つ満足に書けず、他国から嘲笑される始末。
そんな折、ある古参の側近が、おそるおそる進言した。
「殿下……申し上げにくいことではございますが……実は、これまでの重要案件の多くは、アリアナ様が実質的に処理されていたという話が……。殿下がお気づきにならぬよう、陰で大変なご尽力をされていたと……」
「な……なんだと……? あいつが……?」
レオンハルトは、その言葉に衝撃を受けた。まさか、あの地味で目立たない女が、そんな能力を持っていたなどとは、夢にも思わなかったからだ。彼は、アリアナをただ「口うるさいだけの、気の利かない女」としか見ていなかった。
そして、追い打ちをかけるように、アリアナが隣国ガルディアで「賢女」として活躍し、あの冷徹公爵ライオネルに深く信頼されているという噂が、エスタードにまで届き始めた。ガルディアの国力が、アリアナの貢献によってさらに増しているという話まである。
(馬鹿な……ありえない……! あんな女が、そんなはずがあるものか……!)
レオンハルトは、その噂を必死に否定しようとした。けれど、心のどこかでは、それが事実なのかもしれない、という思いが芽生え始めていた。自分が手放したものが、とんでもなく価値のあるものだったのかもしれない、と。
だが、彼の高いプライドが、それを素直に認めることを許さない。アリアナの有能さを認めることは、即ち、自分の見る目のなさを認めることになってしまうからだ。
「……くそっ! あの女め、ガルディアで何か良からぬことを企んでいるに違いない! そうだ、きっとそうだ!」
彼は、自分の不甲斐なさを棚に上げ、アリアナへの逆恨みを募らせる。そして、愚かにも、失ったものを取り戻そうなどと考え始めるのだった。
「……ガルディアに、使者を送る。アリアナを、エスタードに呼び戻すのだ。何としてでも」
その独りよがりな決断が、さらにエスタードを、そして彼自身を窮地へと追いやっていくことになるなど、この時のレオンハルトはまだ知る由もなかった。彼はただ、自分の焦燥感と屈辱感から逃れるために、現実から目を背け、さらなる過ちを犯そうとしていただけなのだ。
彼がアリアナの本当の価値に気づき、心からの後悔の念に苛まれる日は、まだ少し先のことになる。
アリアナを婚約破棄した当初、彼は心の底からせいせいした気分だった。地味で華がなく、口うるさい女がいなくなり、これからは自分の好きなようにできる。イザベラのような美しく従順な女を隣に置き、華やかな王宮生活を送れるのだと。
だが、その目論見は早々に崩れ去った。アリアナがいなくなってからというもの、執務はまるで回らなくなったのだ。以前は、アリアナが先回りして必要な資料を揃え、問題点を整理し、時には具体的な解決策まで提示してくれていた。彼は、ただそれに目を通し、自分の名前で発表するだけでよかった。それが、どれほど楽なことだったか、アリアナがいなくなって初めて思い知らされた。
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そんな折、ある古参の側近が、おそるおそる進言した。
「殿下……申し上げにくいことではございますが……実は、これまでの重要案件の多くは、アリアナ様が実質的に処理されていたという話が……。殿下がお気づきにならぬよう、陰で大変なご尽力をされていたと……」
「な……なんだと……? あいつが……?」
レオンハルトは、その言葉に衝撃を受けた。まさか、あの地味で目立たない女が、そんな能力を持っていたなどとは、夢にも思わなかったからだ。彼は、アリアナをただ「口うるさいだけの、気の利かない女」としか見ていなかった。
そして、追い打ちをかけるように、アリアナが隣国ガルディアで「賢女」として活躍し、あの冷徹公爵ライオネルに深く信頼されているという噂が、エスタードにまで届き始めた。ガルディアの国力が、アリアナの貢献によってさらに増しているという話まである。
(馬鹿な……ありえない……! あんな女が、そんなはずがあるものか……!)
レオンハルトは、その噂を必死に否定しようとした。けれど、心のどこかでは、それが事実なのかもしれない、という思いが芽生え始めていた。自分が手放したものが、とんでもなく価値のあるものだったのかもしれない、と。
だが、彼の高いプライドが、それを素直に認めることを許さない。アリアナの有能さを認めることは、即ち、自分の見る目のなさを認めることになってしまうからだ。
「……くそっ! あの女め、ガルディアで何か良からぬことを企んでいるに違いない! そうだ、きっとそうだ!」
彼は、自分の不甲斐なさを棚に上げ、アリアナへの逆恨みを募らせる。そして、愚かにも、失ったものを取り戻そうなどと考え始めるのだった。
「……ガルディアに、使者を送る。アリアナを、エスタードに呼び戻すのだ。何としてでも」
その独りよがりな決断が、さらにエスタードを、そして彼自身を窮地へと追いやっていくことになるなど、この時のレオンハルトはまだ知る由もなかった。彼はただ、自分の焦燥感と屈辱感から逃れるために、現実から目を背け、さらなる過ちを犯そうとしていただけなのだ。
彼がアリアナの本当の価値に気づき、心からの後悔の念に苛まれる日は、まだ少し先のことになる。
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