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第30話 不穏な風雲
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エスタード王国の混乱は、もはや国内だけの問題では収まらなくなりつつあった。レオンハルト王子の指導力不足と、貴族たちの権力闘争は、国の統治機能を著しく低下させ、その影響は、徐々に近隣諸国との関係にも及び始めていたのだ。
特に、国境を接するガルディア王国との間には、不穏な空気が漂い始めていた。
「公爵様、エスタードとの国境付近で、また小規模な衝突があったとの報告が……」
ある日の執務室。ゲルハルト将軍が、苦々しい表情でライオネル公爵に報告した。ここ最近、エスタード側の国境警備隊による、ガルディア領内への些細な越境行為や、ガルディアの商人に対する不当な検査といった、挑発的な行動が頻発しているというのだ。
「エスタード側の言い分は、『ガルディア側の密猟者を取り締まるため』だの『不審な物資の流入を防ぐため』だの、相変わらず要領を得ないものばかりです。おそらく、国内の不満を逸らすための、意図的な挑発行為かと」
ライオネル公爵は、黙って地図を睨みながら、将軍の報告を聞いていた。その表情は、いつものように冷静沈着だったが、その黒い瞳の奥には、鋭い警戒の色が浮かんでいる。
私、アリアナも、その報告を隣で聞きながら、胸騒ぎを覚えていた。エスタードが、そんな愚かな行動に出ているとは……。レオンハルト殿下は、一体何を考えているのだろうか。
問題は、それだけではなかった。
「さらに、交易に関しても、エスタード側から新たな要求が来ております」
今度は、内政顧問のエルンスト様が、憂鬱そうな顔で切り出した。
「ガルディアから輸出している鉄鉱石や木材に対し、不当に高い関税を課すこと。そして、エスタードから輸入している奢侈品(主に貴族向けの装飾品や酒類)の輸入量を、現状の倍に増やすこと。……到底、受け入れられるような内容ではございません」
「……馬鹿馬鹿しい」
思わず、私の口からそんな言葉が漏れた。エスタードの経済状況を考えれば、そんな要求がガルディアに通るはずがないことくらい、分かりそうなものなのに。おそらく、国内の貴族たちの突き上げにでもあったのだろうか。
ライオネル公爵は、エルンスト様の報告にも静かに頷くと、やがて口を開いた。
「エスタードの現体制は、末期的な状況にあると見える。国内の矛盾を解決する能力がないため、安易な対外強硬策で国民の目を逸らそうとしているか、あるいは、我々ガルディアの足元を見て、不当な利益を得ようとでも考えているのだろう」
その分析は、的確だった。そして、それ故に、事態はより深刻だとも言える。理性的な判断能力を失った相手ほど、厄介なものはないのだから。
「当面は、エスタード側の挑発には乗らず、冷静に対応する。だが、国境警備は強化し、不測の事態には万全の備えを怠るな。交易に関しても、不当な要求は断固として拒否する。……だが、対話の窓口は閉ざさないように」
公爵の指示は、常に冷静で、そして的確だ。けれど、その声には、これまでにはなかったような、微かな緊張感が含まれているように感じられた。
ガルディアとエスタード。私が生まれ育った国と、私が今、人生を懸けて仕えようとしている国。その二つの国の間に、暗い影が差し込もうとしている。
(どうか、これ以上、事態が悪化しませんように……)
私は、胸の中で強く願った。けれど、歴史を振り返れば、国家間の緊張というものは、些細なきっかけで、いとも簡単に破滅的な方向へと転がり落ちてしまうものだ。
執務室の窓の外には、穏やかな秋の空が広がっていた。けれど、その空とは裏腹に、私たちの頭上には、不穏な風雲が確実に近づいてきているのを感じずにはいられなかった。
これから、何が起ころうとしているのだろうか。そして、その時、私にできることは、一体何なのだろうか。答えの出ない問いを抱えながら、私は目の前の書類に再び視線を落とした。今はただ、自分に与えられた務めを、誠実に果たしていくしかないのだから。
特に、国境を接するガルディア王国との間には、不穏な空気が漂い始めていた。
「公爵様、エスタードとの国境付近で、また小規模な衝突があったとの報告が……」
ある日の執務室。ゲルハルト将軍が、苦々しい表情でライオネル公爵に報告した。ここ最近、エスタード側の国境警備隊による、ガルディア領内への些細な越境行為や、ガルディアの商人に対する不当な検査といった、挑発的な行動が頻発しているというのだ。
「エスタード側の言い分は、『ガルディア側の密猟者を取り締まるため』だの『不審な物資の流入を防ぐため』だの、相変わらず要領を得ないものばかりです。おそらく、国内の不満を逸らすための、意図的な挑発行為かと」
ライオネル公爵は、黙って地図を睨みながら、将軍の報告を聞いていた。その表情は、いつものように冷静沈着だったが、その黒い瞳の奥には、鋭い警戒の色が浮かんでいる。
私、アリアナも、その報告を隣で聞きながら、胸騒ぎを覚えていた。エスタードが、そんな愚かな行動に出ているとは……。レオンハルト殿下は、一体何を考えているのだろうか。
問題は、それだけではなかった。
「さらに、交易に関しても、エスタード側から新たな要求が来ております」
今度は、内政顧問のエルンスト様が、憂鬱そうな顔で切り出した。
「ガルディアから輸出している鉄鉱石や木材に対し、不当に高い関税を課すこと。そして、エスタードから輸入している奢侈品(主に貴族向けの装飾品や酒類)の輸入量を、現状の倍に増やすこと。……到底、受け入れられるような内容ではございません」
「……馬鹿馬鹿しい」
思わず、私の口からそんな言葉が漏れた。エスタードの経済状況を考えれば、そんな要求がガルディアに通るはずがないことくらい、分かりそうなものなのに。おそらく、国内の貴族たちの突き上げにでもあったのだろうか。
ライオネル公爵は、エルンスト様の報告にも静かに頷くと、やがて口を開いた。
「エスタードの現体制は、末期的な状況にあると見える。国内の矛盾を解決する能力がないため、安易な対外強硬策で国民の目を逸らそうとしているか、あるいは、我々ガルディアの足元を見て、不当な利益を得ようとでも考えているのだろう」
その分析は、的確だった。そして、それ故に、事態はより深刻だとも言える。理性的な判断能力を失った相手ほど、厄介なものはないのだから。
「当面は、エスタード側の挑発には乗らず、冷静に対応する。だが、国境警備は強化し、不測の事態には万全の備えを怠るな。交易に関しても、不当な要求は断固として拒否する。……だが、対話の窓口は閉ざさないように」
公爵の指示は、常に冷静で、そして的確だ。けれど、その声には、これまでにはなかったような、微かな緊張感が含まれているように感じられた。
ガルディアとエスタード。私が生まれ育った国と、私が今、人生を懸けて仕えようとしている国。その二つの国の間に、暗い影が差し込もうとしている。
(どうか、これ以上、事態が悪化しませんように……)
私は、胸の中で強く願った。けれど、歴史を振り返れば、国家間の緊張というものは、些細なきっかけで、いとも簡単に破滅的な方向へと転がり落ちてしまうものだ。
執務室の窓の外には、穏やかな秋の空が広がっていた。けれど、その空とは裏腹に、私たちの頭上には、不穏な風雲が確実に近づいてきているのを感じずにはいられなかった。
これから、何が起ころうとしているのだろうか。そして、その時、私にできることは、一体何なのだろうか。答えの出ない問いを抱えながら、私は目の前の書類に再び視線を落とした。今はただ、自分に与えられた務めを、誠実に果たしていくしかないのだから。
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