手放したのは、貴方の方です

空月そらら

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第38話 揺るがぬ誓い

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ライオネル公爵の断固たる対応によって、私に関する悪質な噂はひとまず沈静化した。ガルディア国内の空気も落ち着きを取り戻し、私は再び、公爵の執務を手伝うという、充実した日々に戻ることができた。

けれど、エスタードのレオンハルト殿下が、このまま簡単に諦めるとは思えなかった。彼の歪んだ執着は、きっと次の手を考えているはずだ。そんな予感が、私の胸の奥に小さなしこりのように残っていた。

そして、その予感は、残念ながら的中することになる。

ある日、エスタード王国から、ライオネル公爵宛に一通の親書が届けられた。それは、レオンハルト王子の名で書かれた、極めて無礼かつ不当な要求を突きつけるものだった。

『ヴァルテンベルク公爵殿。貴殿の婚約者であるアリアナ・フォン・ベルンシュタインは、元来、我がエスタード王国の貴族であり、かつては私の婚約者であった身。彼女の意思がどうであれ、エスタードの法と慣習に基づき、彼女を速やかに本国へ送還することを要求する。もし、この要求に応じない場合は、両国間の友好関係に深刻な影響が及ぶことを覚悟されたい』

その親書を読んだライオネル公爵の表情は、いつになく険しいものだった。隣でその内容を一緒に読んだ私も、あまりの理不尽さと傲慢さに、怒りで体が震えるのを感じた。

(なんて……なんて、身勝手な……!)

私の意思など全く無視し、まるで私を所有物のように扱っている。エスタードの法だの慣習だの、そんなものが、他国にいる人間の自由を束縛できるとでも思っているのだろうか。そして、友好関係を盾に脅迫してくるなど、国家間の礼節を著しく欠く行為だ。

「……愚劣の極みだな」

公爵は、吐き捨てるように言った。「レオンハルト王子は、もはや正気を失っているとしか思えん。このような要求が通るはずがないことくらい、子供でも分かりそうなものだ」

「公爵様……」

「アリアナ、心配はいらない。君をエスタードへ渡すことなど、天地がひっくり返ってもあり得ない」

そう言って、彼は私の手を強く握りしめた。その力強い感触に、私は少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。

数日後、ライオネル公爵は、このエスタードからの不当な要求に対し、ガルディア王国として、そしてヴァルテンベルク公爵として、内外に向けて公式な声明を発表した。それは、非常に厳粛な雰囲気の中で行われ、私も彼の隣に立って、その言葉を聞いていた。

「エスタード王国より、我が婚約者アリアナ・フォン・ベルンシュタインの送還を求める、極めて不当かつ無礼な要求があった。これに対し、ガルディア王国及びヴァルテンベルク公爵家は、断固としてこれを拒否する」

公爵の声は、静かでありながら、揺るぎない決意に満ちていた。

「アリアナ・フォン・ベルンシュタインは、間もなく私の正式な妻となり、ヴァルテンベルク公爵夫人となる女性である。彼女は、その自由な意思に基づきガルディアに留まり、その類稀なる才能をもって我が国に貢献してくれている。彼女は、もはやエスタードの人間ではなく、ガルディアにとってかけがえのない、我が国の宝と言うべき存在だ」

そこまで言うと、公爵は私の方を向き、ほんの一瞬だけ、その黒い瞳に優しい光を宿らせた。そして、再び正面を向き、さらに力強い声で続けた。

「彼女の意思に反するいかなる要求も、我々は断じて受け入れることはない。そして、彼女の安全と尊厳を脅かすような行為に対しては、ガルディア王国は、持てる全ての力をもって対抗する所存である。アリアナに指一本触れさせることは、私が決して許さない」

その言葉は、まさに誓いだった。私を、何があっても守り抜くという、彼の魂からの誓い。

私は、感動で胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになるのを必死でこらえていた。この人の隣にいられることの幸せ、そして、この人にこれほどまでに深く愛されていることの喜び。それは、かつてエスタードで味わった絶望とは、まさに対極にある感情だった。

この公爵の声明は、ガルディア国民からも熱狂的に支持された。エスタードの横暴な要求に対する怒りと、公爵の毅然とした態度への称賛、そして私への同情と応援の声が、国中に広がったのだ。

レオンハルト殿下の狙いは、またしても完全に裏目に出た。彼は、私を孤立させ、精神的に追い詰めようとしたのだろうけれど、結果として、私とライオネル公爵の絆をさらに強め、そして私のガルディアにおける立場を、より確固たるものにしただけだったのだ。

だが、これで彼が諦めるとは、やはり思えなかった。むしろ、追い詰められた彼は、さらに過激で、危険な手段に訴えてくる可能性すらある。

私たちは、束の間の安堵感に浸りながらも、次なる嵐への備えを怠ることはできなかった。そして、その嵐は、私たちが想像していたよりも、ずっと早く、そしてずっと危険な形で、私たちに襲いかかろうとしていたのだった。
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