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2.縁日
しおりを挟むいつも通り、朝陽は自室で身支度を進める。道着を整え、外へ出る際には着るようにと父親から言い含められているため、紺の羽織を上から羽織った。
午前中この家で今日するべきことはもう終えてしまった。
本来ならば勝手気ままな自由時間など自分に許されてはいないが、そんなことは無視をしてしまおう。ここに居ても自由を満喫しても、竹刀や木刀を持った兄二人から無理難題を言い付けられ、見えない箇所を叩かれるだけだ。
「……はあ」
ため息を一つ漏らしたあと、僅かに痛む右の二の腕を軽く着物の上からさすって気持ちを切り替える。
今から向かうのは、心の癒しがある場所。
癒しの彼女と今日は言葉を交わせるかな、笑顔を見られるかなと期待をしながら自室をあとにした。
団子屋吾平は甘い香りと醤油を焼いた香りが周囲に漂い、思わず足を止めて店を覗いてしまいたくなる誘惑のとても強い店だ。
まだまだ寒さの強い冬なのだと思い知らされるような気温になるそんな日に、団子屋より出される温かなお茶や団子は冷えた心身をほっと温めてくれる。
今日も昼過ぎとはいえ日差しの下以外では足元から底冷えの寒さが漂っているため、それらの温もりはとてもありがたい。
彼にとってはそのお茶よりも心を暖めてくれる人がいるのだが。
「ふう」
羽織の中に手を差し入れて自宅から町の大通りを西へ向けて普段より足早で歩き、店先に辿り着く。
こんな寒い日でも東へ向けて歩く人の明るい声が通りのあちこちから響いてくる。
「綾菜さん、こんちは」
「こんにちは、朝陽さま。いらっしゃいませ」
たどり着いた店先で、普段通りに出迎えてくれたのは、彼の心の安寧のために必須と言っても過言ではない人。
一緒にいるだけで、心が安らぐ。笑顔に癒される。朝陽にとってそんな空気と笑顔を持った人物。綾菜。
その彼女は普段なら前掛けをつけて接客に勤しんでいるのだが、今日は白い生地に赤い花が描かれている小袖を身につけ、まるで客かのように長椅子に腰掛けてお茶を飲んでいた。
接客をしている普段とは違い、挨拶をした自分にだけへ笑顔を向けてくれている、その現実に胸の内で大騒ぎしながらも出来る限り自然に、普段通りに隣へ腰を下ろす。
座っても分かる二人の身長差。頭一つ違う綾菜を、朝陽は少し覗き込むように顔を傾けて話しかける。
「今日はどうしたの? 手伝いはお休み?」
「はい、縁日に参るんです」
「あ、あもり様の縁日、今日だったね」
「はい」
笑顔で肯定され、朝陽も釣られるように「そっか」と目を細めた。
この八雲町を囲むように存在している山々の中でも、一際高く町の東に聳え立つ山はその中腹に町の端を流れる川の水源がある。彼女の参る予定の「あもり様」はその水源で小さいが立派な社を建立され奉られている水龍様のことだ。
その高い東の山頂から、陽の光を浴びて美しく輝く白龍が天へと登って行ったという伝説が町には残っており、その龍が天へ登る際、地上に残した聖なる湧き水であり、町の人々はその水龍様を「あもり様」と呼び多くの者が信仰している。
そういえば今日は月に一度の縁日で、家からここへ来る間に同じ方向へ歩く人を多く見かけたなと朝陽は考え、浮かんだ言葉を無意識に呟きかけた。
「…じゃあ、…」
言い切る前に、ハッとして彼は言葉を切った。
一緒に参拝したい。ただそれだけを口にすることすら、今の立場では何とも厳しい。
もしかしたら、望まない彼女が無理な要求をされたと受け取るかもしれない。それを考えると、国の決まり事とはいえ立場が上の者から口にする提案は気が引けた。
先日買い物に行く彼女に無理やりついて行ったのも、やらかしたのではないか? と後から後悔したものだ。
申し出たい。だが嫌ではないか? そんな思考が頭の中でせめぎ合い、ぐるぐる巡らしていると。
「朝陽さまもこのあと縁日に行かれるご予定ですか?」
にこにこと彼女が尋ねてきた。
彼女からすれば、ごく普通の質問だったようだ。
団子屋吾平に通い詰めているが、それはここ最近の話でまだ常連になって日も浅い。
年の瀬に入った頃から通っている身なので、まだふた月程度の常連になり始めの客と団子屋の看板娘、という立場でしかないのだ。
一方的に色々知り始めてはいても彼女からすればふらりとやって来る客。自分が帯刀を許可された武士であり羽織に刻まれている家紋を背負っている以上、どこの家の者かは理解しているだろうが。
そんな事実に気づいて自分で物悲しくなったものの、彼は気を取り直して決意を胸に口を開く。
膝の上に置いた手と指に思わず力が入った。
「うん、行こうと思ってたところ。せっかくだし、……一緒に行こうかな」
「団子を食べてからでは?」
柔らかい笑顔で綾菜は問う。咎めるようなものではなく、気遣うように。
それに朝陽は釣られて笑い、応える。
「参拝するなら、口にする前のほうが良いかなって、綾菜さんと話してて思ったんだ」
「それはそうかもしれませんね」
頷く彼女に「だよね」と朝陽は笑顔で相槌を返して空を仰いだ。
透き通るような青空にはところどころに白い雲がぽかりと浮いている。おかげで日差しをあまり遮らず、今日は底冷えのする冬とはいえまだ暖かいほうだ。
日差しの下でもそれなりに暖かいが、彼女と話しているだけでも心にほんのり火が灯る。一緒に参拝しながら他愛ない言葉を交わして、ただ癒されたい。
家にいるとひたすらに冷え切る胸の内に温もりが欲しかった。
勝手な言い分なのは承知しているので、言葉にはしないし、出来ないのだが。
「ではご一緒します」
微笑む綾菜がそう告げたところで、背後の店内から声が掛かった。
「綾菜、そろそろ行かなきゃ遅くなるよ」
「はーい」
振り向いてみるそこには、店の奥から顔を出した綾菜の母。
彼女とやはり似ていて、柔らかい笑顔を持っている。前掛けで濡れているらしい手を拭き、朝陽に気づいて丁寧に頭を下げてきたので、彼もまた綾菜の母に軽く会釈を返し、立ち上がった。
「俺も先に参拝してから、また戻ってきます」
「そうですか。ではお戻りをお待ちしております」
深く追求せずに綾菜の母が笑顔で頷く。結い上げている彼女と似た黒髪が揺れ、銀のかんざしが陽の光をチカっと反射させる。
笑顔で店先に立つ綾菜の母に改めて一礼したのち、朝陽は綾菜と共にあもり様を祀る社へ向かうことになった。
水源から流れる湧き水の川がこの八雲町の東側をくねるように流れており、川に沿って家々と田んぼが点在し、その川沿いから水源へと上がる山道が伸びている。
町からその山道に入る手前に朝陽の住む屋敷があるため、近づくごとに彼の顔は眉間が寄っていったが、隣を歩く人に意識が向いて胸の内だけでそっと一息。
彼女が隣にいる間は家のことなど忘れてしまおう。
そう心に決めて、話を振った。
「綾菜さんが参拝するのは珍しいこと?」
しゃらりとかんざしの小さな梅飾りを揺らしてこちらを見上げた綾菜はまたしゃらしゃらと音を立てて笑顔で左右に頭を振る。
「いえ。毎日家族の誰かが参拝しています、団子屋にとって水はとても大事なものですから」
「そっか。でも、それなら理解できるね」
うんうんと朝陽が頷いたので、彼女は彼を見上げて首を傾げた。
その仕草にまた癒やされる。まるで小動物を愛でている気分になってしまって、思わず笑みを零した。
「綾菜さんの家の団子が美味しい理由」
「まあ……そう言ってくださると嬉しいです。ありがとうございます」
驚きつつも頬を染めて喜ぶ綾菜に彼もまた笑顔を向けて、前を向き二人は歩みを進めて橋を渡り切ると山道へ足を踏み込む。
町の中より道を整えていない山道で足を滑らせないよう歩みは普段よりも遅くなり、彼女に合わせて朝陽もゆっくりとした足取り。
歩きながら朝陽は今にも口元が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えていた。
ああ愛らしい。癒やされる。
冷え切っていた心が満たされていくような心地に、足取りが軽くなっていく。
なんて、可愛い。
「…あ」
「!」
背後で綾菜が小さな声を挙げた。声を上げた瞬間、胸の内で愛でていることに気づかれたかとドキッとして、綾菜を振り向き見る。
山道へ登り出すと木々の生い茂る森へ風景は大きく変わっていくが、月に一回開催されている縁日のためか人の行き交いは普段よりも多い。
そのため、それなりに広めの参道で行商人たちがぽつぽつと好きな場所でゴザを敷いて商品を並べている。そこに並ぶ商品に綾菜は目を奪われたらしかった。
商品に目を輝かせているのが隣から見てもよく分かる。
彼女の煌めいた視線を追いかけると、そこにはかんざしの他、櫛も売られている。
「……」
普段勝手に彼女に癒やしを求めて、心の安寧にしているのだから、お礼をするべきか?
購入の理由を説明できるはずもないから、その場合なんて言えば?
そもそも、買って渡したところで、喜んでくれるのか?
嫌がられたりするのでは?
「…………嫌がられたく、ないなぁ…」
嫌われたらこの世の終わりだと自覚できてしまうほどには、彼女からもたらされる想像以上の安息は抗えないほどに心地が良い。この癒やしが無くなったら確実に死んでしまう。
想像しただけで胸の内が萎んでいくかのような錯覚に陥って呟いた声は、人が行き交う周囲の喧騒と商品に目を奪われていた彼女の耳に届かなかったようだ。
今や足が止まってしまった彼女の視線はもはや釘付け状態。
きっと欲しいものがあって縁日の露店を期待して今日参拝に来たのだろう。
だが気軽に買えるほど安くもない。いつもよく働いている白く小さな手が胸の前で祈るように合わせられている。
欲しいんだろうな。買ってあげたい。
そんなことが可能な立場でないのは重々承知しているが。
そう思いつつ彼女をただ見つめていたときだった。綾菜が慌ててこちらを向くなり、
「す、すみません! あたし、夢中で見て…! は、早く参拝しないといけませんね!」
頬を赤くして商品から目を離し、ほんの数歩だけ離れている自分のいる場所まで小走りしようと体を前のめりにした。
急に変えた態勢と足元にあった細かな砂利のせいで、彼女が足を滑らせてしまう。
「……っ!」
「あぶなっ!」
手を伸ばせば簡単に手が届く距離だったため、すかさず朝陽は腕を伸ばして彼女の体を支えた。
瞬間、右の二の腕に痛みが走る。今朝、下の兄から木刀で叩かれた箇所だ。
結構な痣になっていたもんな、と心中で息をついてから、右腕で支えた綾菜の態勢を戻してあげる。
「だいじょう、ぶ……」
「すすすす、すみませ……っ!! お、重くなかったですか!!?」
支えるために密着した状態で覗き込んだ綾菜といつも以上に近い距離で目があって、朝陽の息が一瞬止まった。
彼女が慌てた様子で謝罪を口にしながら、態勢を整える。
「うん、全然。怪我なくて良かった」
慌てた様子に苦笑して背中を向ける。「行こっか」と背中越しに彼女へ声をかけて痛む右腕を羽織の中にしまい込んだ。
だが腕の痛みなんかよりも、鼓動の速さに息が止まりそうだった。
嫌われたくない、愛らしい癒やしの人。
一緒にいたいし、言葉を交わしたい。
「……あれ」
彼女からは見えないように呟いて口元を抑える。
頬が熱くてどうしようもなかった。
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