花も実も

白井はやて

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8.堪忍袋の尾を切ったのは

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 店に綾菜を送り届けた際に、彼はひたすら謝罪を繰り返した。
 言い訳ができるはずもなく、謝罪以外の言葉が見つからなかった。
 そのまま店先にいた綾菜の母に彼女を預けると、頭を深く下げて彼女の家族に顔向けできないがために顔も見れないまま、何度目かの深い謝罪を口にして、踵を返し屋敷へ逃げるように戻る。
 そばにいられたら、それだけで良いとすら思っていた考えはたぶんとても甘かった。甘すぎて自分自身に苛立ちを覚えるほどに。
 だがそれ以上に、彼の怒りの矛先は兄。
 どんなものであれ他人を傷つける理由にはならない。それすら一つ上の兄風苅は理解していないのだろうか?
 腹立たしい兄への怒りが屋敷へ向かうごとに強まって、どんよりとした黒い雲の多くなった空の下、屋敷へ急ぐ道すがら拳を強く握りしめた。
 ついさっき屋敷を出るまでは確かに幸せだったはず。
 悲しくて悔しくて、朝陽は唇を噛み締め自室に入る。
 大事な人を傷つけた兄に対してどうすればいいのだろう、喧嘩でも売ればいいのか?
 自室の小さな机に財布を放り投げて座ろうと片膝をついたところで襖が遠慮なしに開かれた。
 そこには一つの影。
 兄の風苅だった。こちらを蔑み見ている。

「顔を貸せよ朝陽」

 顎をくいと動かして、付いてこいと示す。
 無言で朝陽は兄を見返し、その言葉に従い、背を追いかける。
 幼い頃は一緒に遊ぼうと追いかけた大好きだったはずのその背中も、今は嫌悪しか浮かばない。
 跡継ぎというのはそんな優しかった思い出を壊してしまうほどに魅力的で、なりたいものなのだろうかと朝陽は考えずにいられなかった。
 風苅に先導されてたどり着いたのは、午前中の鍛錬が終えて誰もいない武道場。
 広いそこは冷えた空気が包み、しんと静まり返っている。
 からんと足元に放り投げられたのは、驚いたことに木刀でも竹刀でもなく道場の壁に並んで飾られている鞘に納められた二本の本物の真剣だった。

「取れ」

 真剣を鞘から抜き投げ、構え、にたりと笑う顔が初めて見るほどの醜悪さ。
 呆気にとられ朝陽は足元に転がった真剣を手にする。ずしりと重い。
 投げるのか、これを。
 呆れて物も言えない。
 一つ上の兄風苅は跡継ぎになる気はないのかもしれないとこのとき初めて朝陽は考えた。
 父がこの真剣を大事に飾っていることを知っていて、投げる行為も。
 人を傷つける行動を容易に選択できることも。
 全てが、朝陽にとって吐き気がするほどに不快でしかなかった。
 鞘から真剣を抜く前に、静かに尋ねる。
 薄暗くなっている武道場の外から、ゴロゴロと雷鳴が響いた。

「…いいの? 俺が本気でやったら風苅兄上が死ぬかもしれないけど」
「幾らお前の腕が良いとは言え、そこまでオレと差があるわけねぇだろうが」

 完全にこちらを見下して笑う兄を改めて見る。
 驚くほどに頭が冷静で。
 胸の奥で何か燃えたぎっている感覚は初めてだった。
 真剣を腰に差して、朝陽はそこから抜き構える。しゃらんという独特の音が耳に届いた。

「風苅兄上だからね」
「ああ?」
「俺の堪忍袋の尾、切ったのは」
「は? 意味分かんねぇこと言ってんなよ!」

 叫ぶ兄がダダダと大きな音を立ててこちらへ走ってくる。
 袈裟懸けにでもする気なのだろう、大きく振りかぶった。
 刃を斜めにして受け止め押し返すと、思った通り兄もまた両腕に力を込めたので今度はこっちの力を緩めた。
 思いがけず力の均衡が変化したために、一瞬だけ兄の態勢が崩れる。
 それを狙って、刃を交えたまま力を込めた。さっきよりも真剣を斜めに傾けて。
 兄は対抗しようと必死に力を込め柄を握り締めるものの、朝陽の真剣が上、風苅の真剣は下という角度と掛けている体重の関係で腕に力を入れにくい。
 少しずつ刃が下に落ちていき、兄が握る真剣の切先は武道場の床に付きそうだ。

「クソッタレぇ!!」

 怒りに震える声が聞こえ、力を緩める。その途端、抵抗するため交えていた刃を勢いよく大きく上へ払い上げたことで、再び兄は先程よりも大きく態勢を崩した。
 繰り返し鍛錬したおかげなのだろうか、それとも単純に兄風苅の動きが遅いのか。
 払い上げた動きが目でしっかり追えたので、朝陽は宙にある風苅の真剣が態勢を整える前に自分の真剣を思い切り兄の首目掛けて振った。

「何をしている!」
「!」

 突然頭に怒声が響き、朝陽は払う真剣をぴたりと止めた。
 そこは声の乱入があと数秒遅ければ本当に首の部分に刃が当たるほどギリギリの距離。
 呼吸も身動きもできていない兄の首に、真剣を翻して横から刃ではなく棟をトンと当てた。
 途端にどさりと膝から崩れ落ちた兄風苅を見下ろして、真剣を鞘に戻すと声をかけてきた人物に朝陽ははぁと小さく息をついてから目を向ける。
 そこには暗くなった空のせいで表情こそ分からないが、一番上の兄がこちらを見ていたので朝陽は道場へ正座して、ここ数年向けたことのない笑顔を一番上の兄へ浮かべて見せた。

「理嗣(りしぐ)兄上、如何されましたか」
「如何されたかではない、一体ここで何をしていると聞いているんだ。朝陽、答えろ」
「売られた喧嘩を買ったまでですが、何か?」

 笑顔で答えた朝陽に一番上の兄理嗣は眉を顰めて視線を座ったままの弟を見る。

「本気で斬るつもりではなかっただろうな?」
「さあ?」

 目を伏せて朝陽は軽く答え、動けなくなっている兄風苅を冷めた目で一瞥。
 真剣を握ったまま、小刻みに震えつつも硬直している。
 顔色がどうかは見えないために不明だが、普段であれば勢いよく飛んでくる罵声すらできないほどであるならば、押して知るべしと言ったところだろう。
 朝陽は再び理嗣へ顔を向ける。

「俺に”鍛錬”するだけなら、まあなんとか受け止められていたんですけどね。俺にとって大事な人を傷つけるなら、兄弟だろうと容赦しないつもりなんで。そこのところ、お二人にはきちんと理解していただきたいものです」

 そこまで言うと、にこりと朝陽は笑う。
 理嗣はその笑顔を見ても、眉を潜めた表情を変えない。
 だが睨んできたり、罵声を浴びせてくる様子も見られないので朝陽は風苅が握ったままの真剣を勝手に受け取ると、投げ捨てられた鞘へ丁寧に仕舞い、壁に掛けた。
 自分の腰に提げていた真剣もまた同じように掛けて、二本の真剣は何事もなかったかのように静かに並ぶ。
 それを満足げに見てから、朝陽は「では」と理嗣の隣を通り抜けて武道場を出る。
 自室まで表情を変えることもなく彼は足を進めたが、自室の襖を閉めて机の前に座った。
 先ほど投げ出した財布がころりと転がったままだ。
 その財布近くに肘をつき、顔を両手で塞ぎ、彼は頭の中で「やっちまった」と呟くように嘆いた。
 綾菜を傷つけたことで自分にも兄風苅にも苛立っていたし、喧嘩を売りたい衝動に駆られていたのも事実だったが、真剣でやりあう気は毛頭なかったし、斬る気は全くといってなかった。
 だが実際、一番上の兄理嗣の止める声がなかったなら……本当に手を止められただろうか?
 自信は驚くほどにない。
 真剣を見て、兄の挑発を受け、頭が驚くほど冷静で、胸の奥が燃えていた感覚がいつもと違うことだけは理解できて、それが朝陽には怖かった。
 

『悩みや悲しみ、苦しみがありましたら、いつだって社へおいでください』


 突然頭に降って湧いた、白龍の巫女の声。朝陽は覆っていた手から顔を上げ格子窓から外を見る。
 雷鳴こそ今は聞こえないが、今にも雨が降りそうなほどに暗い。
 巫女とはいえ、もう自宅に戻っている時間かもしれない。
 だがいつでもと言ってくれた巫女であれば何故かあの社で待っている気がして、朝陽は立ち上がった。
 参拝したところで何かが変わるわけでもないと頭の中で聞こえてくる自分の声を振り払って、朝陽は藁にも縋る想いで自室を出る。
 屋敷を飛び出すと先程綾菜と歩いた山道を小走りで、あもり様と町人に呼ばれ信心されている白龍の社へ。
 途中からぽつぽつと雨が頬に落ちてきたが、気にせず走った。
 山道を登り、呼吸が少しばかり乱れていたので目を閉じて大きく深呼吸をしてから、鳥居をくぐり社の前に足を進める。
 小さいが立派な社の前に、傘を差してこちらに背を向けて佇む巫女の姿を見つけた。
 声を掛ける前に巫女が振り向いて、朝陽に向けてにこりと微笑んだ。
 
 
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