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7.祈り、願う
しおりを挟む父へ話し合いを申し出た昨日のことがあったためか、午前の鍛錬中のほとんどの時間で兄たちがこちらを睨んで何やらこそこそと小声で言葉を交わしながら様子を伺っていた。
触らぬ神に祟りなしと朝陽は見られていることを無視して自分なりの鍛錬時間を過ごし、終わらせるとすぐに道場から足早に去る。
将吉が話していたように今日はあもり様のところへ参拝してから綾菜のいる店に向かおうと汗を拭い道着を整え、いつものようにその上から羽織りも着ると自室を静かに出た。
参拝してから団子頂きにいこうかな。
門へ向けて、そんなことを考えながら雲の少ない快晴の空を見上げて歩いた。
相手は神様になった龍神だ。
口から食べ物の匂いがしてる状態で参拝するのはやっぱり失礼だよな、なんて思考しつつ門を潜ったところで。
「こんにちは、朝陽さま」
「っ?!」
門の外に佇み、挨拶してきた綾菜がその目に飛び込んできた。
思わず声が裏返りそうになったが、なんとか堪えて彼女を見る。
どの角度から見ても可愛い。
……ではなくて、どう見ても綾菜だ。
何故どうして、という言葉が朝陽から出る前に、相手から戸惑いつつも窺ってきた。
「あ、あの……昨日まーくんから、朝陽さまが昼過ぎに参拝へ一緒に行こうと話してたと聞いたのでお待ちしていたのですが…、その、聞き間違いでしたでしょうか?」
戸惑い、どこか恥ずかしそうな表情で綾菜がそう尋ねてきた。
言ってないよ! と頭の中で思わず叫んだが、一緒に行きたい気持ちが優ってしまって頭を大きく左右に振った。
「だ、大丈夫! 間違えてない!」
「そうでしたか、良かったです」
ホッとした笑顔を綾菜が見せたので、鼓動が早まるのを自覚する。
いつもより大人っぽく見えるのは小袖が白ではなくて、淡い浅葱色だからだろうか? 小袖を彩る南天の柄も白い帯も普段とは違うために、大人っぽい雰囲気を印象付ける。
予想外すぎる嬉しさに、顔がニヤけてしまうのを自覚しながら彼女の隣に並んだ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
こちらを見上げて微笑む綾菜が可愛らしくてたまらず、口元が緩みそうなのを必死に耐えながら共に参道を歩きだす。
「今日は綾菜さんが参拝する日だったの?」
「はい、そうなんです」
「……せっかく一緒に参拝できるのに、縁日じゃないから何も露店ないのは残念」
縁日には多く並ぶ行商人たちも、いつもいるわけではない。
やはり人が多い日を狙って商品を売る。それは商売である以上当たり前なのだが、二人で参拝できる機会はそうそうない。
櫛やかんざしをかってあげたい身としては、その日が待ち遠しくて言った言葉に綾菜は歩みつつも慌てる。
「あ、あの、本当に買っていただかなくて良いのです」
「俺が買って贈りたいんだよ」
「ですが……」
申し訳なさそうな横顔の綾菜に、朝陽も浮ついていた感情が沈み出して悲しくなる。
そうだよね、好きでもない男からの贈り物なんて普通は要らないよね。そんな思いが頭に過ぎって、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
君に嫌われたら、もうこの世の終わり。君のいない生活なんて俺はもう耐えられない。
だから自分の気持ちを押し付けるよりも、ただ今までのように笑いかけてくれるほうがずっと嬉しい。
そんな想いが頭を過ぎり、次の言葉をなんて言えばいいかと少し迷った末に、朝陽は笑う。
「そんなさ、申し訳なく思わないでよ。いつも美味しいお団子ありがとうって言葉だけじゃなくて、何かあげたいって思っただけだから」
そう彼女へ伝えて、参道を並んで進んだ。
戸惑う綾菜は何も言わずに隣を歩いていて、朝陽もまた他の話題を探すためにしばし無言。
足元から砂利を踏む音が二人の間に響いていたが。
「参拝しよ」
たどり着いた、小さいが立派な社を見て朝陽はいつものように彼女へ笑いかけた。
綾菜もまた「はい」と笑顔で相槌を打ち、二人で並んで手を合わす。
父との話し合いが問題なく進みますように。
これからも綾菜さんが幸せであるように。その隣に自分ではない誰かがいるようになったとしても。
僅かに痛む胸の内で、朝陽は切に願う。
「あもり様の湧水、綺麗だよね」
「透き通っていますよね」
参拝を終え、社の隣に広がる湧水の大きな池を並んで見つつ二人がそんな言葉を交わす。
こじんまりとした社よりも大きく広いその池は透明度がとても高く、底の砂もはっきり見える。その底の砂が、湧水のために僅かに噴き出しているのを、落ちないようにと作られた柵横に二人並んで眺めていると。
「こんにちは」
背後から、柔らかい声を掛けられたので、振り向く。
そこには巫女装束に身を包む、おかっぱ髪の穏やかな表情を浮かべる女性が微笑んでいた。光の差し加減で金色にも見える瞳を細めて、こちらを見つめている。
手には箒を持ち、社周りの掃除をしていただろうことが一目瞭然だ。
「あ、こんにちは」
「いつもお世話になっています」
二人は挨拶をしながら、頭を下げる。
彼女はこの社の巫女だ。
町の人間の誰も彼女の名を知らない。白龍の巫女ですので名は必要ありませんと誰にも名乗らないためだ。
同じ理由で名乗らない白龍の宮司もいると町で話しに聞いたこともあるが、二人は会ったことがなかった。どちらかが必ず社に居るのだから会いそうなものだが、綾菜より参拝の機会が少ない朝陽はその存在を話しで聞くしかない。
「こちらこそ参拝に来てくださり、感謝いたします」
微笑む巫女に、二人も釣られて笑みを浮かべた……が。
礼を言ったあと二人をじっと見つめてきたので、不思議に感じた彼が尋ねる前に答えが用意された。
「悩みや悲しみ、苦しみがありましたら、いつだって社へおいでください。白龍は真っ直ぐ生きる者の味方です」
巫女という立場からの、ある種の激励の言葉に二人が思わず顔を見合わせたので、巫女はふふと口元を押さえつつ笑って、続けた。
「次の縁日は梅祭りでもありますから、ぜひお越しくださいね」
巫女が傾げるように軽く頭を下げたので、二人も同じように返した。
踵を返して、先ほど登ってきた山道を降りながら、あの激励に意味はあるのかと朝陽は考える。巫女としてただ言っただけなのか、それとも巫女だから何か感じるものがあるのか。
さっぱり想像もつかず、朝陽が肩を竦めていると。
「朝陽さま、今日は店へいらっしゃいますか?」
「あ、うん。行くつもり……って財布忘れてる!」
いつの間にか屋敷の前に辿り着き、隣を歩いていた彼女の問いに大きく頷いたものの、胴着の袖がいつもより軽いことに今更気がついた。普段は必ず身に付けている、大して入ってはいないが大事な財布が無い。
「先に店へ戻っててくれる? 俺、財布取ってから向かうよ」
「同じ方向ですから、ここでお待ちしてます」
慌てる朝陽がおかしかったのか、綾菜が口元に手を添え楽しげな声でそう言ってくれたので、彼は門前に彼女を残して急いで自室へ。
屋敷が広いとは言っても、城のように部屋に行くまで十分以上掛かるわけでもない。
すぐたどり着いて財布を手に、もと来た廊下を戻る。
店までまた二人で話せると思うと幸せな心地が足取りを軽くした。
……だが、門前で待つはずの彼女がいない。
先に店へ向かった? いや待つと言っていたから、綾菜の性格上それはないだろう。
では、どこへ?
どくどくと鼓動が早くなる。巫女より聞いた悲しみ苦しみという言葉で、悪い想像しかできずに彼は周囲を見回しながら社へ続く道を念の為振り向き見て。
店のある方向へ周囲に意識を向けながら向かおうと足早に動き出してすぐ、だった。
「…………って言ってんだろ」
「…?」
聞いたことのある声がどこからか微かに耳へ届いて、朝陽は声の聞こえたほうに足を向け移動する。
屋敷の塀と大通り沿いに生える伸びた大きな木の影となるそこには見覚えのある背中と、自分と同じ羽織。
その背中の向こうに小さく見えるのは……綾菜。
自分より体格のいい男に片手で両腕を抑え込まれて、塀に追い詰められていることを理解した瞬間、彼は速度をあげて二人の元へ走り寄ると綾菜を掴む男の手を振り払った。
「風苅(ふうが)兄上! 何して……!」
一つ上の兄風苅が舌打ちして自分を押しやった弟を蔑む目で見やったが、それを気にせず朝陽は庇うため二人の間に入った背中越しの綾菜へ目をやった。
大人っぽいと感じた浅葱色の小袖の襟元が引っ張られ、胸元が見えそうなほど大きく歪んでいる。
その際に爪でも当たったのかもしれない、僅かに見える肌に数本の赤い引っかき傷。
それを隠すように襟元を抑え込んでいる綾菜の俯いている顔色は真っ青で、震えていた。
綾菜の様子に朝陽もまた血の気が引いて、自分の羽織をかけ彼女の背にそっと手を添えると。
「……店に送るよ、歩ける?」
震えつつ頷く綾菜に寄り添い、歩き出す。
「おい朝陽!」
兄の怒声が耳には届いたが、彼は完全にそれを無視する。
羽織を貸して目の前にいる綾菜は青白い顔色で俯き、涙は今のところ出ていないが、恐怖はかなり強かっただろう。
手を押さえつけられ身動きも抗うこともできない状況は、想像しても恐怖でしかない。
自分が周りをうろつくから、彼女に遊び人である兄の魔の手が伸びた。
傷つけることなんてしたくなかったのに。そんな思考がぐるぐる頭を回る。
歩みを進める先が真っ暗な闇にしか感じられず、泣いていい立場ではないと朝陽はただひたすら今は奥歯を噛み締めた。
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