18 / 22
18.恋慕
しおりを挟む「……っはぁ」
「…」
「急に掴んだ手、痛くない?」
「…………いえ」
呼吸を整えて尋ねたら、綾菜は小さく首を振るものの、こちらを向かない。
山道から降りて、街道と繋がる交差した道で夕顔と語っていたところを見るなり逃げた。
朝陽の住む屋敷まですら辿り着けないどころか橋を渡り切ったほんの僅かな距離を走っただけだが、朝陽よりも綾菜は少しばかり頬を赤くさせて呼吸が乱れていて肩が大きく上下している。
何か誤解されたとしても、背けられて顔を見ることができないことが何よりも彼は悲しくて寂しくて、彼女の左腕の手首を握った右手の力を緩めて。
掴んでいた手首から自身の手を滑らせて自分よりもずっと小さくて柔らかい手のひらを握りしめると、橋のそばの通りの中心から河原側に移動する。
河原に降りる手前の土手で足を止めると、緊張した様子で尋ねた。
「逃げようとした?」
「…いえ。お邪魔ではないかと…」
「それなら誤解したかもしれないから、説明させて。二日前も今日も偶然一緒だったけど、彼女は兄上の嫁になる人だよ」
顔をずっと背けていた綾菜が、その言葉を聞いてようやく顔を上げた。
目を丸くして気の抜けたような表情を浮かべている。
そんな表情を見たこともなかったので胸をギュッと掴まれたような心地で朝陽は照れ笑い。
「俺が好きなのはずっと綾菜さんだけ」
恥ずかしげに言いながらもはっきり言い切るその言葉を耳にした綾菜が一気に顔を赤く染め、目を彷徨わせて視線を朝陽へとは向けられなくなった。
だが真正面からではなくても、何か言いたいのに言葉にできない、そんな様子が伝わってくる。
繋いでいる右手の上から空いている左手のひらで彼女の手を包んだ。
触れる手が温かくて、ほぅっと心が休まる。
「何度でも伝えるよ。あの雪の日に、俺を見つけてくれて、心配してくれて、優しく気遣ってくれて本当にありがとう。気づくまでに時間かかったけど、あの日からずっと……他の人が目に入らないくらい好きだよ」
赤い頬どころか顔中真っ赤に染まった綾菜は手を振り払うこともせず微動だにしない。
そんな彼女ですら愛しくて。
抱きしめたい衝動に駆られたが、でも、と朝陽から手を離して切り出した。
「たぶん、…というかほぼ確実に、この町を離れることになるんだ」
その言葉を聞いてそれまで赤かった綾菜の顔色が一気に変わっていく。
不安や寂しさが胸を占めていくことで起こる分かりやすい変化に朝陽は少しばかり嬉しくなった。
それは少なくとも近くにいることを許してくれているということだから。
「……八雲町から離れてしまうのですか…?」
「うん。正確にはまだ返事をしていないけど、城主様からの仕事をね、指名された感じ? へへ、すごいでしょ」
得意満面で自慢したが、やはり綾菜の顔色は悪い。
俯いてやはり何か言いたげなのだが、言葉にはされない。
そんな様子に苦笑して、朝陽は努めて明るく声を発する。
「綾菜さんはあもり様に参拝するつもりで来てたんだよね、一緒に行こうか」
「は、はい」
朝陽自身はもう参拝したが、綾菜と一緒に居たいために再度向かうことにして、二人並んで歩き出す。
春も近づいてきているため、日差しはほんのりと暖かい。その上、山道を登れば程よく体が温まるので、まだ冷たい風は心地良かった。
綾菜に合わせてのんびり山道を歩いて登っていると、夕顔が降りてきた。
隣にいる綾菜は謝罪も含めたのか、深々と丁寧に頭を下げる。だが向こうは微笑みながら、ひらひらと手を振り「気にしないでくださいな」と言い残して横を通り過ぎていく。
山道は時折人が追い越して登って行ったり、上から降りてきたりと人の気配はあるものの静かだ。
ただ先ほどと同じで、甘酸っぱい香りが微かに広がっている。
漂う八雲町の春を告げる香りの中を歩きながら、朝陽は顔を上げて穏やかな笑みを浮かべた。
「来週は梅祭りだね」
「…そうですね」
「蕾が増えてきているから、きっと祭りのときは満開なんだろうね」
「そうだと、思います…」
いつもと変わらない世間話をしていても、普段より彼女の声の張りはない。
混乱する頭では綾菜の顔もまともに見ることができない気がしていたが、それは余計な心配だったらしい。
隣にいる彼女を見ているだけで優しくて幸せな心地になっていく胸の内を噛み締める。
「良い香りだよね、心を落ち着かせる効果があるんだって」
「……」
すーはー。隣から呼吸する音が聞こえてきて、彼はその綾菜の行動が愛しくてたまらない。
ちょうど山道を登り切り、少し小さな社で手を合わせる。
二度目だが朝陽にとっては、綾菜と二人で来れたことが嬉しいのでそのことに感謝を伝えて、社の近くにある池に足を向ける綾菜の少し後ろを着いていく。
「透き通って綺麗ですね」
「うん」
彼女は確実に湧水の池について言ったのだろうが、朝陽の目線は綾菜で固定。
木々の隙間から差し込む柔らかな光を浴びている綾菜を眩しく見ながら、大きく同意する。
底で沸いている水で水面は揺れて、もちろん池だって美しいが、彼にとって一番は綾菜だ。
癒しと心の安寧をくれた大切な人。
あの日生きて欲しいと言ってくれたおかげで、今生きている。
だが仕事を請け負えば今のように会えなくなる。その事実はとても寂しい。
そんなことを考えて目線を地面に落としたとき、綾菜が池を見つめたままで先ほどより大きく深呼吸した。
「あの……」
「ん?」
「城主様からのお仕事で八雲町を離れるのは……いつになるのですか?」
「んー、まだ受ける返事もしてないくらいだし。しばらくは居るよ」
「……では来週の梅祭りの際は、…まだいらっしゃいますよね?」
「うん、いると思う。あ、せっかくだし俺と来ようよ」
そろそろこの山道に、ゴザを敷いて商売を始める商人たちが集まり出す。一年に一回だから、梅祭りの露店は普段の縁日よりも多く賑わう。
そこを彼女と一緒に歩きたい、その際に以前話したように何か贈れたらと思って軽い気持ちで誘った、ら。
振り向いた綾菜が何故か上目遣いでこちらを見つめるので、どきりと鼓動が大きく鳴りだす。
「い、……嫌なら、断ってもらっても」
「あたし、から……お誘いしようと思ったので。…断りません、よ?」
指先をもじもじと絡ませながら、少しずつ頬を赤くさせて、どこか恥ずかしそうにそう綾菜は呟く。
その言葉に朝陽の鼓動が早さと熱を強めていく。
何も言葉にできず朝陽は見つめ返し、綾菜もまた言葉を発さずに目を逸らさない。
綾菜の名を口にしようとしたが、緊張のあまり乾燥してしまったせいかうまく声が出ず、思わず唾液を飲み込んだ。
鼓動が耳に響いて、周囲の音がうまく聞こえない。
先に口を開いたのは綾菜だった。
「先週でしょうか。……朝陽さまとここへ来た際に、…あの。これからもあなたの笑顔が見れますようにと願ったので。お仕事とはいえ、あなたが町からいなくなってしまうのは寂しい…です」
この言葉を聞いたのは二回目。
あのとき大事に思っていると言われたが、朝陽と同じ意味合いではなかったように思う。少しばかり残念だったが、それでも即答された言葉は嬉しくて、目の前にいた彼女が愛しく思えてならなかった。
だが似た状況なのに、あのときと意味が変わっているような気がして恐る恐る問いかける。
「その寂しさは……好きだから、ではない?」
「…………」
反応が違って朝陽も戸惑う。
今日は頭がうまく働かない日なのだろうかと自分で自分に問いかけたくなるほどに言葉が浮かばない。
再び先に声を発したのは綾菜だった。
「わか、…分からないということにしないと、…………ご迷惑かと思ったのです。朝陽さまはいつかお家で相手が決まる方だと」
否定できず朝陽は言葉を挟めない。
目の前の綾菜は恥ずかしげではあるものの、指先をもじもじとさせることなく、両頬を手のひらで押さえて時折迷うように目線を彷徨わせていたが一呼吸おいて続けた。
「そのことを頭ではわかっていたはずなのに、一昨日……見知らぬ女性と共に来店されて隣り合っていることにとても動揺して、…抑え込んだはずの気持ちが溢れてきて………」
「それって…」
好きということ、だよね?
そう聞きたいのに自信が持てず言葉にならない。顔は熱いし、鼓動はどきどきと早いままだ。
聞く自信の持てない朝陽と違い、綾菜は胸の内に仕舞い込んでいたものを吐き出していく。
「…身分違いである以上叶わないからと思っていたのに先ほどは抑え込めず、ご迷惑をかけてしまいました………」
赤さを増す顔には焦りの汗を浮かばせて、何かへ祈るように手を合わせてぽつりと溢す言葉に朝陽は抱きしめたい衝動に駆られる。
叶わないから話さないを貫いていた彼女がここまで話してくれて、好きかどうかと疑問に思う理由がない。それでも確認したくて、震える声を絞り出した。
「俺のこと、好き?」
「………………愛しく想っておりました」
赤い顔で目を閉じて小さく頷く綾菜を見て、抱き寄せたくて腕を伸ばしたが、なんとか握りしめて耐えて。
耐えきれず、笑顔が綻ぶ。
「……好きな人に好きって言われるとこんなに幸せな気持ちが溢れるんだね」
満面の笑みを見て、赤い顔をしていた綾菜は頷きながら伝える。
「先に体験してしまいました」
「ほんとだ」
赤い顔を見合わせて、二人笑った。
0
あなたにおすすめの小説
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない
ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。
既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。
未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。
後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。
欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。
* 作り話です
* そんなに長くしない予定です
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
5分前契約した没落令嬢は、辺境伯の花嫁暮らしを楽しむうちに大国の皇帝の妻になる
西野歌夏
恋愛
ロザーラ・アリーシャ・エヴルーは、美しい顔と妖艶な体を誇る没落令嬢であった。お家の窮状は深刻だ。そこに半年前に陛下から連絡があってー
私の本当の人生は大陸を横断して、辺境の伯爵家に嫁ぐところから始まる。ただ、その前に最初の契約について語らなければならない。没落令嬢のロザーラには、秘密があった。陛下との契約の背景には、秘密の契約が存在した。やがて、ロザーラは花嫁となりながらも、大国ジークベインリードハルトの皇帝選抜に巻き込まれ、陰謀と暗号にまみれた旅路を駆け抜けることになる。
公爵令息様を治療したらいつの間にか溺愛されていました
Karamimi
恋愛
マーケッヒ王国は魔法大国。そんなマーケッヒ王国の伯爵令嬢セリーナは、14歳という若さで、治癒師として働いている。それもこれも莫大な借金を返済し、幼い弟妹に十分な教育を受けさせるためだ。
そんなセリーナの元を訪ねて来たのはなんと、貴族界でも3本の指に入る程の大貴族、ファーレソン公爵だ。話を聞けば、15歳になる息子、ルークがずっと難病に苦しんでおり、どんなに優秀な治癒師に診てもらっても、一向に良くならないらしい。
それどころか、どんどん悪化していくとの事。そんな中、セリーナの評判を聞きつけ、藁をもすがる思いでセリーナの元にやって来たとの事。
必死に頼み込む公爵を見て、出来る事はやってみよう、そう思ったセリーナは、早速公爵家で治療を始めるのだが…
正義感が強く努力家のセリーナと、病気のせいで心が歪んでしまった公爵令息ルークの恋のお話です。
セイレーンの家
まへばらよし
恋愛
病気のせいで結婚を諦めていた桐島柊子は、叔母の紹介で建築士の松井卓朗とお見合いをすることになった。卓朗は柊子の憧れの人物であり、柊子は彼に会えると喜ぶも、緊張でお見合いは微妙な雰囲気で終えてしまう。一方で卓朗もまた柊子に惹かれていく。ぎこちなくも順調に交際を重ね、二人は見合いから半年後に結婚をする。しかし、お互いに抱えていた傷と葛藤のせいで、結婚生活は微妙にすれ違っていく。
妖狐の嫁入り
山田あとり
恋愛
「――おまえを祓うなどできない。あきらめて、俺と生きてくれ」
稲荷神社の娘・遥香(はるか)は、妖狐の血をひくために狐憑きとさげすまれ、ひっそり生きてきた。
ある日、村八分となっている遥香を探して来たのは怨霊や魔物を祓う軍人・彰良(あきら)。
彼は陰陽師の名門・芳川家の男だった。
帝国陸軍で共に任務にあたることになった二人だったが、実は彰良にもある秘密が――。
自己評価は低いが芯に強さを秘める女が、理解者を得て才能を開花させる!
&
苦しみを抱え屈折した男が、真っ直ぐな優しさに触れ愛を知る!
明治中期風の横浜と帝都を駆ける、あやかし異能ロマンス譚です。
可愛い妖怪・豆腐小僧も戦うよ!
※この作品は、カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる