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しおりを挟む「シュゼットは人攫いに遭い、記憶を失ってしまったんだよ、それに、喋る事も出来無いんだ…」
伯爵が話している間も、貴夫人…アザレはわたしを自分の横に座らせ、抱きしめていた。
「ああ!可哀想なシュゼット!怖かったでしょう…私が目を離してしまった所為で…
あなたを酷い目に遭わせてしまったわ!ごめんなさい!」
わたしはアザレが気の毒になり、安心させようと、抱きしめ返した。
泣かないで…と。
わたしには母の記憶が無い。物心付いた時から、父と二人だった。
大人の女性に抱きしめられ、温もりを感じ、それはとても心地良いものだった。
「シュゼット、私を許してくれるの?こんな酷い母を…」
わたしは頷き、微笑んで見せた。
◇
わたしは後々、皆がふとした時に洩らす、言葉や噂から、幾つかの事を知る事になった。
ルメール伯爵の本当の娘であるシュゼットは、わたしが引き取られる半年前、
アザレが目を放した隙に、池で溺れ亡くなっていた。
母アザレは自分を責め続け、精神が不安定になり、
『シュゼットはかどわかしに遭った』と思い込む様になっていた。
シュゼットを探し周るアザレを落ち着かせようと、伯爵はシュゼットに似た容姿、
同じ年頃の娘を引き取る事にした。
だが、ただ引き取るだけではいけない。
必要なのは、アザレが本物のシュゼットと思える者で、
自分自身でも本物のシュゼットと信じ込める者。
シュゼットとして生きられる者だった。
心無い者が、心無い事を言い、アザレを傷付け、苦しむ事になってはいけないからだ。
記憶を失い、喋る事が出来無いわたしは、その条件に合致したのだった。
アザレはわたしを傍に置き、赤子の様に構い、可愛がった。
伯爵…ドミニクも本物の娘として扱ってくれた。
そして、シュゼットの5歳年上の兄フィリップも、全てを知りながらも、隠し、妹として接してくれた。
家族の愛情に包まれ、わたしはいつしか、言葉を、声を取り戻す事が出来ていた。
初めて、「お母様」と呼んだ時、アザレは涙を流し喜んでくれ、
ドミニクもフィリップも、心から喜んでくれ…
わたしはこの人たちの為に、本物のシュゼットになろうと誓ったのだった。
アザレの体調や精神的な事、そして、わたしが誰にも疑われずシュゼットとなる為に、
わたしとアザレは郊外の別邸で暮らした。
フィリップは寄宿学校に入っていたので、長期休暇しか会えないが、
ドミニクは週末には必ず別邸を訪れ、一緒に過ごした。
本物のシュゼットとなる為に、わたしは家庭教師を付けられ、教育を受け始めた。
これまで、教育を受けた事は無く、父から教わった事が全てだった。
勿論、それでは不十分で、一から基礎を教わる事となったが、
記憶喪失という事で、疑われる事は無かった。
一年が経つ頃には、わたしはシュゼットが身に着けていた、教養やマナーを
大凡習得する事が出来ていた。
教育を受ける中で、わたしは家庭教師から、「特に絵に才がある」と言われた。
父が画家だった事もあり、わたしはうれしかったが、
『シュゼットではない』と分かってしまうのでは…との恐れもあった。
幸い、アザレは疑問に思わず、喜んでくれた。
わたしはアザレや別邸、長閑な風景を素描し、時には水彩で色付けした。
だが、それを見たドミニクは、口では褒めてくれたが、表情は暗かった。
それからは、わたしは隠れて絵を描く様になった。
わたしが十一歳を迎える頃、アザレの体調も良くなり、精神的にも安定してきた事で、
領地の館に戻る事となった。
暫くは、幸せで穏やかな日々が続いた。
だが、わたしが十四歳の時、アザレが重い病に掛かった。
医師からは、薬で痛みを和らげる事は出来ても、病自体は治らないと告げられた。
病はアザレの体を蝕み、命を縮めるだろうと…
アザレは部屋から出る事も、ベッドから立ち上がる事も出来無くなった。
景色が良く落ち着くだろうという事で、わたしたちは再び郊外の別邸に移り住んだ。
今度は、ドミニクも一緒だった。
ドミニクは別邸で仕事をし、手が回らない物は、従弟とフィリップに任せ、
アザレに付き添う事にしたのだ。
わたしもアザレに付き添い、介護をした。
アザレは再び精神が不安定になり、わたしの姿が見えないと不安になった。
そして、わたしが十七歳の秋、アザレは息を引き取った。
ドミニクは酷く落胆していたが、仕事をしていた方が考えずに済むと、館へ戻った。
わたしはアザレを偲び、別邸で一年を過ごした。
アザレの魂がまだここに居る気がしたのだ。
アザレが好きなピアノを弾き、絵を描き、花を飾る…
そうして、十八歳、わたしは領地の館へと戻って来た___
「ありがとう、シュゼット、おまえが居てくれて本当に良かった…
アザレも幸せだったよ…」
ドミニクに感謝され、わたしは頭を振った。
「まだ、気持ちは落ち着かないかね、シュゼット…」
愛する者との別れは、いつも辛く身を引き裂かれそうだ。
だが、それはドミニクも同じ…いや、きっと自分以上だろう。
「わたしよりも、お父様の方が…」
「ああ、寂しいがね、私は大丈夫だよ、フィリップも婚約が決まったし、
落ち込んでばかりもいられんよ」
「お兄様がご婚約を!それは良い知らせですわ!」
「そうだな、それで、おまえも社交界にデビューさせようと思うのだが…」
「社交界!?わたしが、ですか?」
「驚く事はあるまい、それに、おまえはもう十八だ、遅い位だよ」
ドミニクは当然の様に言う。
伯爵令嬢であれば、確かに、当然だろう。
だけど、わたしは、本当のシュゼットでは無い。
このまま、シュゼットとしての人生を歩んで良いのだろうか?
わたしは初めて不安になった。
わたしは記憶を失った事は無く、全て覚えていると打ち明けたら、どうなるだろう?
わたしは追い出されるだろうか?
悲しませるだろうか…
その事で巻き起こる災難を、わたしは想像出来ず、とても言い出す事は出来なかった。
「そうか、おまえはパーティに出た事が無かったね。今まで母親の介護ばかりで、
同じ年頃の娘たちと同じ楽しみをさせてやれず、悪い事をしたね、シュゼット」
ドミニクが暗い顔になり、わたしは慌てた。
「そんな!謝らないで下さい、お父様!
わたしが自分で望んだ事です。例え、時が戻ったとしても、同じです。
どんな楽しみよりも、わたしはお母様の側に居る事の方を選びますわ」
「ありがとう、シュゼット、おまえは優しい娘だ…
社交界に出さない手は無いよ、シュゼット、おまえは私の…いや、私達の自慢の娘だよ」
ドミニクの強い要望もあり、わたしの社交界デビューが決まった。
わたしは別邸で描き溜めた絵を、持ち帰り、自室に運び込んでいた。
その中から、アザレや家族を描いた油絵、素描等を分け、別室に飾った。
今は見るのが辛いかもしれないが、いつかドミニクやフィリップに見て欲しいと思った。
他の風景画等は、気に入っている数点だけ自分の部屋に飾り、残りは重ねて隠している。
わたしが描くのは、アザレや家族、そして風景だった。
だが、それは表向きだ。
本当の父の姿を描く事もあった。
遠い記憶を手繰り寄せて描いているので、正確では無いかもしれないが、
それでも、それは絶対に知られてはならない事で、他の絵を上から重ね、隠している。
それとは別に、少年も描いている。
フォーレ伯爵子息、リアム。
流れる様な金髪、それにオリーブ色の瞳。
整った顔立ち、どれも優しい表情をしている。
これも記憶を頼りに描いているので、現実とは違ってきているかもしれないが、
思い出すだけで、胸に喜びが沸き上がるのだ。
「きっと、初恋…というものね?」
わたしは、一番気に入っている、油絵の彼の肖像をみつめ…
それは机の引き出しに仕舞った。
◇◇
豪華な広間に集まった沢山の同じ年頃の令嬢たちは、皆、純白のドレスと純白の長手袋で身を包む。
令嬢たちは皆、自信に満ち溢れて見えた。
初めての豪華な場所に、わたしは自分だけが場違いの様に思え、終始、怯えていた。
それでも、兄フィリップにエスコートされ、わたしは何とか無事に、デビュタントを終える事が出来た。
分かった事は、自分がこの様な場所を好まない事だった。
だが、どういう訳か、舞踏会の誘いが舞い込む様になった。
「シュゼット、舞踏会の招待状だよ、デビュタントは好評だった様だね!」
ドミニクは喜んでいた。
わたしはデビュタントが好評だったという事には安堵したが、舞踏会は気が進まなかった。
社交的な方では無いし、お喋りが得意という訳でもない。
わたしの話し相手は、今までほとんどの場合、アザレだったのだ。
同じ年代の令嬢たちと過ごした事が無い…大きく不安が圧し掛かった。
だが、ドミニクの喜ぶ姿に、悲しみから少しでも気が紛れるなら…と、
舞踏会に行く事を承知していた。
舞踏会には、兄フィリップと兄の婚約者のソフィが付き添ってくれた。
馬車が舞踏会の会場となる侯爵家に近付く程に、わたしの顔色は悪くなった。
それを察してくれたのは、隣に座るソフィだった。
「シュゼット、あなた、気分が悪いんじゃない?」
「本当かい?それは大変だ!」
「フィリップ、落ち着きなさいよ、あなたが騒ぐとシュゼットが不安になるでしょう?」
フィリップが慌てるのを、ソフィが宥めてくれ、わたしは感謝した。
「すみません、緊張して…わたし、初めてで、不安で…」
「初めての舞踏会なのね?それなら緊張しても仕方ないわ、
でも、想像するよりも恐ろしい所では無いから大丈夫よ。
私とフィリップも一緒だし、もっと気楽に考えて、楽しむの___」
ソフィは気取った所が無く、さっぱりとした女性だった。
安心させてくれようと、笑い掛け、手をポンポンと叩いてくれた。
わたしは感謝を込め、微笑み頷いてみせた。
皆がソフィの様な人なら良いのだけど…
侯爵の豪華な大広間には、沢山の着飾った者たちが集まり、遠目に見ても華やかだった。
洗練された者たちの仕草や会話は、まるで別世界の様に思え、
自分が背景の一つになったみたいに思えた。
そのまま溶け込み、消えてしまっても良かったのだが…
「踊って頂けますか?」
若い男性に声を掛けられ、わたしは礼儀正しくその手を取った。
フィリップもソフィも満足そうに頷いている。
男性に付いて、ダンスホールに入り、リードに合わせ踊る。
踊りながら、わたしの目にふっと、それが飛び込んできた。
金色の髪の男性…
金髪の男など、貴族の集まる場では珍しく無いが、
わたしの目は、何故かその人に釘付けになっていた。
あれは…あの人?
遠い昔に会った、初恋の彼___
もっとはっきりと見ようとしたが、踊りながらでは上手くいかない。
その内に、見失ってしまい、わたしは早く曲が終わる事を願った。
漸く曲が終わり、解放されると思ったが、彼はわたしの手を取ったままでいる。
「僕は、トラバース男爵子息、リチャード、君は?」
「ルメール伯爵の娘、シュゼットと申します」
「君、気に入ったよ、向こうで話さない?」
「すみません、わたしはこれで…」
「まぁ、そう言わないで」
腰に手を回され、半ば強引にダンスホールから連れ出され、
いつの間にか庭に面したバルコニーに出ていた。
バルコニーにも何人か人が居て、シャンパンを片手に楽し気に話している。
「僕たちの出会いに」
リチャードからシャンパングラスを渡され、わたしは仕方なく受け取った。
「すみません、兄を待たせていますので…」
良い断り文句が浮かばず、わたしは兄の存在を持ち出した。
これなら気を悪くさせる事も無いだろうと思ったのだが、その考えは安易だったらしい。
リチャードはまるで相手にせず、「大丈夫だよ、待っててくれるさ」と、笑みを見せた。
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