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しおりを挟むランメルトと幸せな週末を過ごし、わたしは夢見心地だった。
まるで、春の訪れのように、心は晴れやかだった。
だが、それは突如として破られた。
夫である、アラード卿の訪問によって___
まさか、また、アラード卿が塔を訪ねて来るとは思ってもみず…
わたしは心の準備が出来ていなかった。
アラード卿とは、あの夜以来だ。
本人は酔っていたので、覚えていないかもしれないが、
何を言われるのかと、恐々としていた。
鍵を開け、勝手に入って来たアラード卿は、わたしの前で仁王立ちとなり、
徐に抱えていたそれら…薄い長方形の箱数個を押し付けて来た。
「息子から叱られた、店の者に適当な物を選ばせたが、気に入らなければ、
勝手に交換して来い。息子が付き合ってくれるだろう」
箱の中身は、高価な宝石の付いた首飾りと耳飾りで、わたしは思わず目を見張った。
「この様な物を貰う権利は、わたしにはありません…!」
わたしは人質なのだ。
「ああ、全くだ、だが、息子に真実を知られる訳にはいかないだろ、
息子から『夫としての義務を果たせ』と説教されたんだぞ?
一度も結婚した事が無い癖に、偉そうに…
それから逃げるには、こうするより他ない!」
息子からの説教よりも、金を騙し盗られた相手の娘に、宝飾品を買う方を
選ぶなど、アラード卿位のものだろう。
いつもであれば、ランメルトが贈ってくれていた。
わたしが、「愛されたい」と洩らしてしまったからだろうか…
わたしが箱を手にぼんやりとしていると、アラード卿は食事用のテーブルから
椅子を引き、座った。直ぐに帰ると思っていたので驚いた。
ボヌールはアラード卿に慣れてしまったのか、彼のズボンに噛みつき、引っ張った。
アラード卿は噛みつかれていても、全く感じないのか、
「なんだ、腹が減ってるのか?」と、自由にさせている。
わたしはボヌールに犬用のビスケットをやり、紅茶を淹れる湯を沸かした。
アラード卿と向かい合っているより、何かをしていた方が落ち着いた。
「パーティでは悪かったな」
突然、謝られて驚いた。
思わず振り返ったが、アラード卿はそれ程悪いとは思っていない様子だった。
小さな椅子の上で、堂々と足を組み、踏ん反り返っている。
わたしは幻聴だったのかと、瞬きをした。
「覚えていらっしゃるのですか?」
「そこまで耄碌しとらんぞ」
「お酒を飲まれていたので…」
素面だったのなら、それはそれで、ショックだ。
思い出し、涙が浮かぶ。
「『酒を飲むと記憶を失くす』というのは便利が良くてな、人の本性が見える。
実際は、記憶を失くした事など無い。息子には秘密にしておいてくれ。
数年ぶりに口を聞いてくれたかと思えば、おまえの事ばかりだ、
これで、酔っていなかったなどと知られたら、それこそ決闘になる」
アラード卿は冗談の様に言い、肩を竦めた。
「それでは、ランメルトに言われて、謝りに来て下さったのですね…」
「そうだ、それ程悪い事をした自覚は無かったが、あいつの話を聞いていたら、
話しておくべきだろうと来てやったんだ」
わたしは暗い気持ちで、ポットにお湯を注いだ。
嫌々謝罪に来て貰うなど、誰が望むだろう…
これなら、『酔っ払っていた』と言われた方が余程良い。
「おまえをあの…なんとかいう伯爵子息に渡す気など、最初から無かった。
あんな男に、俺の息子が負ける筈が無かろう?」
「絶対はありませんわ」
「絶対だ」
アラード卿ははっきりと言い切った。
それは、息子を溺愛しているからだと思ったが、アラード卿は続けた。
「俺は元騎士だぞ、相手の力量位測れる」
その口調は自信に満ちていて、わたしはすんなりと納得させられていた。
「それでは、あなたは、ランメルトの勇姿が見たかったのですか?」
「ああ、成長してからは、こんな機会は無かったからな、調度良かった」
アラード卿は満足そうだ。
アラード卿の気が済んだのならば、それも良いだろう。
だが、その為に、わたしは辱めを受けた。
その事に文句を言える立場ではない事は承知しているが、悲しく思うのは
止められず、わたしは無言で紅茶をカップに注ぎ、アラード卿に出した。
「パーティに、おまえの両親が来ていたのを知っているか?」
聞かれて、わたしは息を飲んだ。
アラード卿は気付いていたのだ___
「なんだ、知らなかったのか、あの両親に、大事な娘がどれだけ酷い扱いを
受けているか見せてやろうと、一芝居打った、というのが本当の所だ」
意外な事を知らされ、わたしは目を見開き、固まっていた。
知らないとはいえ、全くの見当違いだ___!
両親があの場に居たとしても、何の痛手にもならない。
寧ろ、それは予想通りの事で、クリスティナを差し出さずに済んだ事を、
喜んだのではないだろうか?
「泣き付いて来るのを待っているが、未だに音沙汰が無い」
不思議がるアラード卿の姿は、
わたしにしてみれば、惨めさを掻き立てるものでしかなかった。
わたしは俯き唇を噛み、震える指を固く組んで、涙を耐えた。
「あれだけパーティに出ているのだから、金を返す目途位付くだろうに…
何を考えているのか、全く理解出来ん…
こうなったら、おまえに、両親が泣き付いて来るような手紙を書いて貰うしかない」
わたしは頭を振った。
わたしにそんな手紙が書ける筈が無い。
あの父が、わたしの為に大金を払うなど、想像出来ない。
「両親が金を払いさえすれば、直ぐに帰してやると言っただろう?
俺は嘘は吐かない、おまえだって、早く家に帰りたいだろう?
おまえの義妹は結婚が決まったらしいぞ」
わたしはその言葉に引かれる様に、顔を上げた。
「義妹が、結婚?」
「ああ、コレットというのは、おまえの義妹だろう?
なんとかいう、侯爵の息子に見染められたらしい…」
「コレットが、結婚…」
「ああ、おまえも早く家に帰り、結婚でもしろ」
アラード卿の声が遠く聞こえる。
コレットというのは、クリスティナの事だろう。
別に驚く事ではない。
わたしがクリスティナとして結婚に臨んだのだから、クリスティナがコレットになるのは、当然だ。
それなのに、どうしてだろう、自分の存在が消えてしまった様に思えるのだ。
アラード卿は、わたしをデシャン家に戻そうとしている。
クリスティナとして家に戻ったとしても、わたしは厄介者でしかない。
次は、どんな所に行かされるか、分かったものではない___
「わたしを、あなたの妻にして頂けませんか?」
気付くと、わたしは言っていた。
アラード卿は驚いた顔をし、だが、きっぱりと、頭を振った。
「それは出来ん」
わたしは震え、涙を零してしまった。
「何故、泣く、俺が好きという訳でもあるまい?
俺は、おまえの父親よりも年上だぞ」
「わたしは…あなたと結婚する為に来ました…」
「覚悟があったというのか?だが、無理に結婚せずとも良いと言っているんだ。
喜べばよかろう?俺としては、おまえの父親が金を返す気になってくれれば、
おまえを直ぐにでも帰してやるつもりでいたんだ。
その為に、おまえを塔に閉じ込め、誰にも手を付けさせなかった。
白い結婚ならば、結婚は無効だ、おまえにも傷は付かない、
安心して好きな男に嫁げるんだぞ」
アラード卿には、少しも結婚の意志が無かったのだと、改めて思い知り、
わたしは頷きながらも、涙を止める事が出来なかった。
珍しくアラード卿も困っていた。
「おまえの覚悟は立派だ、とても、あの父親の娘とは思えん…
だからこそ、相手が俺であってはならんのだ、おまえの様な娘は、
見合った男と結婚し、愛されるのが一番だ」
父に売られ、売られた先でも引き取って貰えず…
一体、誰がわたしを愛してくれるというのか!
わたしはとうとう、テーブルに伏せ、咽び泣いていた。
ボヌールが「クゥーン」と鳴き、足元に擦り寄って来た。
「おまえにはすまない事をした…父親の罪だというのに…
事を簡単に考えていた、悪かった」
アラード卿からの初めての誠意のある謝罪に、わたしは悲しみを抑え込んだ。
どれだけ泣いたとしても、仕方の無い事だと分かっていた筈だった。
クリスティナがコレットとして結婚が決まったと聞かされ、
アラード卿にも断られ、不安と絶望で我を忘れてしまったのだ。
「わたしの方こそ、取り乱してしまい、申し訳ありませんでした…
分かっていた事なのに、それに、あなたには何の罪もありません…
後の事まで考えて下さり、感謝しなければいけなかったのに…
恩知らずな態度を見せてしまいました…」
罪があるのは、アラード卿を騙した父マチアスだ。
わたしをクリスティナと偽り、差し出した父だ。
そして、結婚に憧れ、クリスティナと偽る事を承諾したわたし…
嘘を吐いている身でありながら、アラード卿を責めるなど、そんな権利は無かったのだ。
アラード卿が変に思うのも無理はない。
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クリスティナであれば…
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デルフィネを死に追い遣ったのは、俺だからな___」
わたしは、以前、ランメルトが言っていた事を思い出した。
彼もまた、母を死に追い遣ったのは父だと言っていた。
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