海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 ……ガーーー。
 ……向こうにあるよ。
 ……あっちで……。

 やって来たのは、3階の高さに広がっているテラスだ。ベンチには数人が腰かけているが、大して人が多くない。寒いからだろう。

「ここならどうかな?寒いなら中に入るけど……」
「ここがいい」
「そっか。珈琲は何でもいいよね?」

 夏樹が近くの自販機へ行き、どれにしようかと選んでいる。普段は無糖の缶コーヒーを飲んでいるが、今は甘いものがほしい。微糖を飲みたいと声をかけようとすると、すでにボタンを押していた。

「すっきり微糖にしよう。あ、ココアだった……」

 ガチャン……。出てきたものを取り出して、夏樹が困った顔をした。せっかく買ってくれたのに、断る理由なんてない。ココアは子供の時から好きだし、懐かしい味だ。ホッカイロの代わりにしようと、ポケットに入れようとしている。

「ココア、大好きなんだよ」
「良かった~。はい」
「ありがとう……」

 さっそくフタを開けて、ひと口飲んだ。ふんわりとした甘い匂いが鼻をくすぐった。ホッとする味だ。ミルク多めだと表示されている。

 バルコニーの柵にもたれ掛かり、今回の喧嘩の内容を打ち明けた。社会人と学生の立場の差、取り残されている気がしていること、自分を通して誰かを見ているかのようだということ。

「裕理さんは、5年前に別れた人のことが、一番好きだったんだ。……黒崎ホールディングの形態が変わる時に忙しくなって気持ちがすれ違ったんだ。やってたバンドのプロの誘いがあって断って、恋人と喧嘩になったんだ。冷静に話し合っていたら別れていないと思うんだ……」
「……今は悠人と一緒にいるんだよ?どうしてそんなことを思うんだよ?」
「うん……」
 
 早瀬の過去が気になるからだ。佐久弥というカッコいい人がいた。初対面はサイアクだったが、ハロウィンのステージでは、シビれるようないい男だと思った。早瀬だって同じだ。カッコよくて、何でもできる人だ。  

「これは付き合う前に聞いた話だったから、詳しくは知らないけど。それから後、何人もの人と付き合ってきたんだ。仕事を優先してはフラれてきたんだって。今回、昇進したじゃん?……部長代理だってさ……。31歳でそこまでいくのって、エリートじゃん。それだけ努力したってことだし。……忙しくなって、今までの人みたいになるかもって思ってるんだ……」
「……忙しいなら、そうならないようにしないと。忙しいのは分かっていることなら、努力しようよ。そうやって泣かずにさ」
「裕理さんは俺に音楽を続けろって言ってくれてる。経済的なことは何も心配いらないからって。親からの防波堤にもなってくれてる。結婚っていう形を取ったんだから当然のことだって……。もしかして、前の恋人と重ねられている気がするんだ。……ディアドロップっていうバンド、知っているよね?」
「うん、人気バンドだよね……」
「そのギタリストの佐久弥が、前の恋人なんだ……」
「ええ……!?」

 黒崎さんから聞かされていなかったのか。あの人は必要ではないことを口にしない。音楽のことで、メールや電話でやり取りしているうちに知ったことだ。

 早瀬のことを相談すると、待ってやってほしいとだけ言われた。その意味を聞くことはしなかった。必要なら言うからだ。佐久弥のことは知っていると聞いた。

「裕理さんは……、恋人を守れなかったから、代わりに俺のことを守ろうとしている気がするんだよ。俺のことを見ていない気がするよ」
「悠人……」
「え……」
「悠人!」

 夏樹から両肩を掴まれて、顔を上げさせられた。目の前にいるのは夏樹なのに、別人のように感じた。両目には力強い光があり、まるで黒崎さんのように見えた。

 この子には2つ以上の顔が存在する。穏やさと激しさ。天然ボケ。ケンカが強い。意志が強い。今の夏樹は、まっすぐに前を向いている。

 まるで可視光線のようだ。白、黒、グレー。どの色にも見えるし、そうではない。電磁波の波長が短くなるに従って、赤、だいだい、黄、緑、青、あい色、紫の順に色が見えるからだ。最後に残るのは赤い色だ。
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