海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 黒崎製菓から徒歩10分の場所に楽器店があるから、早瀬は気軽に迎えに来られる。普段はバイト終わり直前に迎えに来るのに、その日は早かった。おまけに張り付くように付きまとわれた。その時の会話を思い出した。

(裕理さん。邪魔だよ。楽譜の品出しをしているんだから)
(マリアのアレンジ楽譜を探している。どこだ?)
(えーっとね。これだよ……)
(月夜のレンジャーの楽譜は?)
(特撮ヒーロー集はね、発売前なんだ。来週末の予定だよー」
(予約する)
(分かった。事務所でやっておくよ)
(今、予約する。カウンターに行こう」
(大丈夫だよ。ちゃんと取り置きするから……)
(いや、行こう)
(わわわ……)

 強引に肩を抱かれてカウンターへ連れて行かれた。そして、必要のない取り置き伝票に記入をして、受付をした。他の楽譜も合わせて5冊もだ。てっきり嫌がらせだと解釈していたのに、実はこういう理由だったのか。軽口を叩くくせに、肝心なことが言えないのだと思った。俺に同じようなことを言っているくせに。それこそ肝心の本人が、自分のことを棚に上げている。笑いを押し殺して早瀬のことを見つめると、少しだけ笑っていた。張り詰めたものがなくて安心した。

「けっこう口下手なんだね。好きとか結婚しようとか言うわりには、肝心なことが言えないよね?言ってくれないと、分からないんだよ?いつも俺に言ってるくせに」
「それは……」

 早瀬が眉をひそめて不機嫌な顔になった。拗ねているようだ。目の前の大人が、自分と同い年の子に見えてしまった。

「今の裕理さんは等身大だよ。けっこうガキで駄々っ子だもん」
「君が他の奴と話しているのを見たくないだけだ。何かあったらどうするんだ」
「その時は守ってよ。SPなんだろ?仕事しろよ!楽器店の付きまといはやめてほしい。お客さんが声を掛けて来られないだろ?近くで見張ってよ。俺も安心できる。分かった?」
「悠人……」

 早瀬の表情が優しくなった。これが本当の彼だと確信した。どんなに意地悪で強引でガキでも、優しい魔法使いだ。両手で頬を包み込んで、背伸びをして視線を合わせた。苦笑しつつも、面白くなさそうな顔をしている。つまりは拗ねているということだ。もっとイジメたくなり、両耳を引っ張ってやった。

「悪い子へのお仕置きだよ!」
「痛いからやめろ」
「やだ。もっとやる」
「こら、やめろ……」
「やだよ。偏屈親父!」
「まだ30歳だ……」
「俺より12歳上だよ?一回りだよ?オッサンじゃん」
「ゆうとくーん。その大人をイジメるな。労わってくれ」
「ヘヘヘ……」

 パッと両手を離してやると、両腕が背中に回された。見つめ合っていても、早瀬の元気が戻って来ない。ここで俺からの魔法を架けることにした。

「今から元気になれる魔法を掛けてあげるよ。夏樹から習ったやつ。呪いも解けるよ」
「ん?」
「いたいのいたいのとんでいけ!」
「え?」
「どう、効き目は?」
「何だそれは?」

 早瀬が吹き出した後、肩を揺らして笑い出した。それでも俺のことを離そうとしないから、体の震えが伝わってきた。こっちまで可笑しくなって笑い出した。

 どうして俺たちは抱き合っているんだろう?ソファーへ座ればいいのに。そう言い合いつつも、立ったままでいた。お互いの鼓動を聴きながら話をした。自分のモヤモヤした思いを話す、いい機会だと思った。

「あのさ。俺だって戸惑っているんだよ?モヤモヤしているんだ」
「どんなことだ?」
「家の中で仕事している時の裕理さんは、別の人みたいなんだ。冷たく見えて、邪魔は出来ないって思えるぐらいだよ。いつもは安心してるよ。それを俺はギタリストの裕理さんだって名前をつけたよ。会社員の裕理さんの時は書斎に入れない。静かにしていなきゃって思うから、テレビの音声を下げていたんだ」
「やっぱりそうか。ごめん。集中していると周りが見えなくなる」
「会社でもそうなの?」
「うーーん。さすがに会社ではそうならない。コミュニケーションが取りづらいからだ。家の中では自然体で過ごせている」
「そうだったんだ……」

 リラックスしていたのか。てっきり俺のことが邪魔かと思っていたのに。

「誤解していたよ!俺のことが邪魔かと思っていたんだ。くつろいでいたんだね。想像力が足りなかったよ」
「いや、こっちが気をつけるべきだ。年上だから」
「謝らないでよ。ペラペラ喋っているのに、お互いの言葉が足りなかったんだよ。肝心なことが言えない者同士だから、気が合うんじゃないの?」
「悠人、愛している」
「あ……」
「俺のことだけ見てほしい。どうしたらこっちだけ向いてくれるのかって、考えていたよ」

 その声は掠れていたが、安心しているものだと分かった。抱いている腕の力が優しくて、頬ずりもされたからだ。
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