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第24話
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耳の奥で、ざあ……と海の底のような音が響いていた。
地面の感触が遠い。喉は焼けつき肺が震え目の奥でまだ魔力の残光が揺れている。
誰かが叫んでおり、泣いていた。けれど、もう言葉が耳に届かない。
視界の端で、揺れる金髪、しゃがみこんで肩を抱える少女――リリアが、声を上げて泣いていた。
「こんなの違う……!こんなつもりじゃ……っ!」
もう一人、立ち尽くす影――カミル・ド・セリーヌ。呆然と目の前の現実を受け止めきれずにいた。
そしてハイデンは、まだ生きていた。
(生きてる……のか……)
誰のせいでもない。自分が、自分を殺さなかった。それだけだった。
そんな時、遠く、馬蹄の音がした。
甲冑の音と共に複数の騎乗の兵が屋敷の門前に到着している。
揃いの紋章に、王家直属の近衛――その中から一人の男が降り立った。
「……ハイデン・ヴァルメルシュタイン」
聞き覚えのある声だった。目を上げると、そこには冷たい灰銀の瞳を持つ青年――ノア・フィン・レイがいた。アゼルの腹心として王城に仕える騎士であり、そして幼い頃兄の傍に常に付き従っていた男でもある。
「王命により、あなたを拘束します。今この場より王都へ同行していただきます」
無表情なその宣言に、誰もが息を呑んだ。
しかしノアの視線は、ハイデンではなく、その場の【現場】全体を捉えていた。
崩れ落ちた地面に焦げた木々、倒れ込むハイデンを支えるクリス、崩れそうになっているリリア、剣の柄に手をかけかけてカミルが動けずにいる。
ノアの眉がかすかに動いた。ほんの一瞬の、感情の揺らぎ。
「……何が、あったのですか?」
誰にというわけでもない問いだった。
「ハイデンがこいつに呪詛を仕掛けられたんだ」
低く唸るように、クリスが答えた。
「自分から暴走したわけじゃない……誰かが意図的に……引きずり出してきたんだ」
ノアはその言葉に目を細め、視線をリリアに向ける。
彼女は顔を伏せ唇を震わせている。クリスの言葉を否定しない。それが何よりの証だった。
「……王国は、この件をどこまで知っている?」
クリスの問いに、ノアは一歩門の前から進み出た。
そして、剣の柄にかけた手を――そっと下ろした。
「……王国としては何も言えないが、ノアとしては、私はハイデン様を失うわけにはいかない」
ノアの声は静かだった。
それでもその一言に、すべてが込められていた。
ノア・フィン・レイは、王に仕える者だった。
だが今この瞬間、その忠義は確かに揺らいでしまった。
王国にではなく、ハイデンを前にした事でその剣は抜かれなかった。
「……今は、保護と報告に留める予定だ……拘束の執行は保留とする」
それだけ言い残して、ノアは騎士団に一つ命じるように手を上げた。
「この場の封鎖を――部外者の接触は禁ずる。詳細は俺から直接、殿下に報告する」
ノアの低い指示に、周囲の騎士たちは無言のまま頭を下げた。誰も問いたださず、誰も動かない。
命令ではなく、【彼】の意志としての重みが、そこにあったからだ。
やがて、蹄の音が再び空気を揺らし、背を向けたノアの姿が門の向こうに小さくなっていく。
残されたのは、焼け焦げた草と魔力の残滓がまだ漂う空気。そして、重い沈黙だった。
ハイデンは、まだクリスの腕の中にいた。
体の力が入らず、息を吸うたびに肺の奥が軋む。けれど確かに生きている、生きて、ここにいる。
ふと、一つの足音が戻ってきた。
ノアが、ほんの数歩だけ門の手前に立ち戻り、ゆっくりとハイデンの方へ手を伸ばす。
「……ハイデン様」
名前を呼ばれた瞬間、ハイデンの視線がそちらに向いた。
だが、そのままゆっくりと――首を横に振った。
「来るな」
掠れた声だったが、確かな拒絶の響きがあった。ノアの手が宙で止まる。
「……お前だって、僕の事を見捨てたくせに、今更手を伸ばすなんて……有難迷惑だ」
「……そう、でしたね」
「お前に――」
何かを言おうとした瞬間、クリスがハイデンの口を塞ぐ。
そして、じり、と片足をわずかに前に出しハイデンを守るように身体を引き寄せた。
静かだが、明確な意思表示だった事に対し、ノアはその視線を正面から受け止めた。
騎士としてではなく、一人の男としてただ深く頷いた。
「……ああ。わかった……すまない、ハイデン様」
それだけ言い残し、彼はもう一度背を向ける。
今度こそ、振り返ることはなかった。静かに門を出て騎馬の影がゆっくりと遠ざかっていく。
そして再び、二人きりの静寂。
クリスは、腕の中の重さを確かめるようにハイデンを見下ろした。
「ハイデン、立てるか?」
問いに、ハイデンは答えなかった。
ただ、胸の奥で渦巻く感情が落ち着くまで言葉が出てこなかったのだ。
それを理解したように、クリスは黙って彼の体を抱き上げた。以前よりも少し痩せたその身体は思ったより軽かった。
「……お前は俺が運ぶ。誰にも触れさせるつもりはないから安心しろ」
その言葉に、ハイデンは一瞬、何かを飲み込むように目を閉じた。
けれど、すぐにわずかに眉をひそめて薄く目を開け、クリスの顔を見上げる。
そして、驚いたように小さく息を吸い、クリスを睨みつけた
「……おい、怖いこと言うな!」
弱々しくも怒気を孕んだ声でそう叫び、ハイデンは残された力を振り絞ってクリスの肩を小突くようにして軽く叩いた。
ぺし、と音がして、クリスの表情が僅かに緩む。
「何が怖いんだ?」
「顔が本気なんだよ、お前!なんか怖い!」
声を荒げるだけの余力もないのに、必死に抵抗の意思を示すハイデンの顔はほんのわずかだが赤くなっていた。
だがそれでも、クリスは足を止めない。
穏やかに、でも決して抗えない強さで抱きかかえたまま屋敷の扉へと進んでいき――その温もりの中に、ハイデンはかすかな安堵と、ほんの少しの居心地の悪さを感じていた。
地面の感触が遠い。喉は焼けつき肺が震え目の奥でまだ魔力の残光が揺れている。
誰かが叫んでおり、泣いていた。けれど、もう言葉が耳に届かない。
視界の端で、揺れる金髪、しゃがみこんで肩を抱える少女――リリアが、声を上げて泣いていた。
「こんなの違う……!こんなつもりじゃ……っ!」
もう一人、立ち尽くす影――カミル・ド・セリーヌ。呆然と目の前の現実を受け止めきれずにいた。
そしてハイデンは、まだ生きていた。
(生きてる……のか……)
誰のせいでもない。自分が、自分を殺さなかった。それだけだった。
そんな時、遠く、馬蹄の音がした。
甲冑の音と共に複数の騎乗の兵が屋敷の門前に到着している。
揃いの紋章に、王家直属の近衛――その中から一人の男が降り立った。
「……ハイデン・ヴァルメルシュタイン」
聞き覚えのある声だった。目を上げると、そこには冷たい灰銀の瞳を持つ青年――ノア・フィン・レイがいた。アゼルの腹心として王城に仕える騎士であり、そして幼い頃兄の傍に常に付き従っていた男でもある。
「王命により、あなたを拘束します。今この場より王都へ同行していただきます」
無表情なその宣言に、誰もが息を呑んだ。
しかしノアの視線は、ハイデンではなく、その場の【現場】全体を捉えていた。
崩れ落ちた地面に焦げた木々、倒れ込むハイデンを支えるクリス、崩れそうになっているリリア、剣の柄に手をかけかけてカミルが動けずにいる。
ノアの眉がかすかに動いた。ほんの一瞬の、感情の揺らぎ。
「……何が、あったのですか?」
誰にというわけでもない問いだった。
「ハイデンがこいつに呪詛を仕掛けられたんだ」
低く唸るように、クリスが答えた。
「自分から暴走したわけじゃない……誰かが意図的に……引きずり出してきたんだ」
ノアはその言葉に目を細め、視線をリリアに向ける。
彼女は顔を伏せ唇を震わせている。クリスの言葉を否定しない。それが何よりの証だった。
「……王国は、この件をどこまで知っている?」
クリスの問いに、ノアは一歩門の前から進み出た。
そして、剣の柄にかけた手を――そっと下ろした。
「……王国としては何も言えないが、ノアとしては、私はハイデン様を失うわけにはいかない」
ノアの声は静かだった。
それでもその一言に、すべてが込められていた。
ノア・フィン・レイは、王に仕える者だった。
だが今この瞬間、その忠義は確かに揺らいでしまった。
王国にではなく、ハイデンを前にした事でその剣は抜かれなかった。
「……今は、保護と報告に留める予定だ……拘束の執行は保留とする」
それだけ言い残して、ノアは騎士団に一つ命じるように手を上げた。
「この場の封鎖を――部外者の接触は禁ずる。詳細は俺から直接、殿下に報告する」
ノアの低い指示に、周囲の騎士たちは無言のまま頭を下げた。誰も問いたださず、誰も動かない。
命令ではなく、【彼】の意志としての重みが、そこにあったからだ。
やがて、蹄の音が再び空気を揺らし、背を向けたノアの姿が門の向こうに小さくなっていく。
残されたのは、焼け焦げた草と魔力の残滓がまだ漂う空気。そして、重い沈黙だった。
ハイデンは、まだクリスの腕の中にいた。
体の力が入らず、息を吸うたびに肺の奥が軋む。けれど確かに生きている、生きて、ここにいる。
ふと、一つの足音が戻ってきた。
ノアが、ほんの数歩だけ門の手前に立ち戻り、ゆっくりとハイデンの方へ手を伸ばす。
「……ハイデン様」
名前を呼ばれた瞬間、ハイデンの視線がそちらに向いた。
だが、そのままゆっくりと――首を横に振った。
「来るな」
掠れた声だったが、確かな拒絶の響きがあった。ノアの手が宙で止まる。
「……お前だって、僕の事を見捨てたくせに、今更手を伸ばすなんて……有難迷惑だ」
「……そう、でしたね」
「お前に――」
何かを言おうとした瞬間、クリスがハイデンの口を塞ぐ。
そして、じり、と片足をわずかに前に出しハイデンを守るように身体を引き寄せた。
静かだが、明確な意思表示だった事に対し、ノアはその視線を正面から受け止めた。
騎士としてではなく、一人の男としてただ深く頷いた。
「……ああ。わかった……すまない、ハイデン様」
それだけ言い残し、彼はもう一度背を向ける。
今度こそ、振り返ることはなかった。静かに門を出て騎馬の影がゆっくりと遠ざかっていく。
そして再び、二人きりの静寂。
クリスは、腕の中の重さを確かめるようにハイデンを見下ろした。
「ハイデン、立てるか?」
問いに、ハイデンは答えなかった。
ただ、胸の奥で渦巻く感情が落ち着くまで言葉が出てこなかったのだ。
それを理解したように、クリスは黙って彼の体を抱き上げた。以前よりも少し痩せたその身体は思ったより軽かった。
「……お前は俺が運ぶ。誰にも触れさせるつもりはないから安心しろ」
その言葉に、ハイデンは一瞬、何かを飲み込むように目を閉じた。
けれど、すぐにわずかに眉をひそめて薄く目を開け、クリスの顔を見上げる。
そして、驚いたように小さく息を吸い、クリスを睨みつけた
「……おい、怖いこと言うな!」
弱々しくも怒気を孕んだ声でそう叫び、ハイデンは残された力を振り絞ってクリスの肩を小突くようにして軽く叩いた。
ぺし、と音がして、クリスの表情が僅かに緩む。
「何が怖いんだ?」
「顔が本気なんだよ、お前!なんか怖い!」
声を荒げるだけの余力もないのに、必死に抵抗の意思を示すハイデンの顔はほんのわずかだが赤くなっていた。
だがそれでも、クリスは足を止めない。
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