何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第25話 前半カミル視点、後半リリア視点

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 夕暮れが街を包み始める頃、カミル・ド・セリーヌは石畳の道をゆっくりと歩いていた。
 屋敷の前庭を出た後、追いかけようとすれば追えたはずの背中――リリアの姿を、あえて追わなかった。
 いや、追う理由が見つからなかった。
 彼女は、何も振り返らなかった。カミルの名を呼ぶこともなく、ただあの場を離れ逃げて行った。
 あの瞬間、彼女の視界に自分はもういなかったのだとはっきりわかってしまったから。
 街へ向かう途中、足元の小石を一つ、つま先で転がす。
 日が傾き、長く伸びた影の中を一人で歩くその背中に誰も声をかける者はいない。

(……あれはきっと、【恋】ではなかったんだな)

 つぶやきに近い思考が、胸の奥からせり上がる。

 リリアの微笑みも、差し出す言葉も、完璧すぎた。
 いや、それ自体が問題なのではない――まるで、誰かが作った正解をなぞっているように。
 そして彼女自身、まるで当たり前のように【呪詛】を作り出し、失敗したら狂ったかのように自分の事しかいわなかった。

 最初から【そうなる事】を知っていたかのように。

 胸の奥に、ゆっくりと冷たいものが沈んでいく。
 誰かのために、誰かの期待に応えて生きてきた自分だからこそ、それがどれほど空虚か、わかってしまう。
 そして彼女を見て思った。

 ――自分は、【駒】の一人だったと言う事を。

(僕は、駒じゃない……誰かの筋書きのために生きてるんじゃない)

 ふと、視線が上がる。

 目の前には、ただ静かな街並みが広がっている。
 けれど――なぜか、その先に浮かんだのは、何故かハイデンの姿だった。
 どうしてハイデンの姿が浮かんだのかわからないが、まるで当たり前のように彼の顔が浮かぶ。
 初対面だったはずなのに――なぜなのだろうか、と。

(どうして……)

 どうして、その瞬間に浮かんだのが、ハイデンだったのか。
 自分でもわからない。ただ、心のどこかが確かに彼の名前を――否、【存在】を探していたかのように。
 リリアはもう、背中を向けた。しかし、ハイデンは。

(あの男は……違ったな)

 小さな呟きが、誰にも届かず風に消える。
 ふと、気づくと日は落ちかけていた。けれど、カミルの中にはようやく自分の足で選ぶ道が見え始めていたのかもしれない。

    ▼ ▼ ▼

 リリアは、走っていた――自分でも、なぜ逃げているのかわからなかった。
 スカートの裾が泥を吸い、靴が石畳を蹴るたびに不規則な音を立てる。
 風が髪を乱し、口元が乾いた息を漏らしていた。
 屋敷の庭から通りへと飛び出したその瞬間から、思考が断ち切れたままだった。誰かが呼んだ声も、誰かの怒りも、悲しみも全て遠くなってくる。

(なんで?どうして、こんな事に?)

 計算は間違っていなかった――好感度も、イベントの流れも順調に進んでいたはずだった。
 この世界は物語であり、リリアは主人公だ。中心に立ち運命を導く存在。
 ハイデンはラスボスとして舞台に立ち、苦しみをぶつけ、そして彼女はそれを超えて【幸せな結末】を手に入れるはずだった。

 なのに――

(なんで……クリスがあんな顔をするの……?)

 ハイデンを守るように立ちはだかり、リリアを睨んだあの目。
 まるで彼の世界に、リリアが入り込むことすら許されないと告げるかのような、強い拒絶。

(違う……そんなの、ゲームにはなかった)

 彼女の足は止まらない。息が苦しいのに、それでも止まれなかった。

 カミルの顔も、思い出そうとすれば霞んでいく。
 後ろで何を言っていたのかも覚えていない。ただ、あの場に残る事がすごく怖かった。
 自分の立ち位置が、物語の【外】に弾かれていくような恐怖が、全身を支配していた。

(私の【正しさ】は、間違ってないんだ……私は、間違ってなんか――)

 心の中で何度繰り返しても、その言葉は足元から崩れていく。

 ――自分が幸せになるために。
 ――みんなを導くために。
 ――この物語を、元通りにするために。

 そう信じてきた。
 けれど、あの時のハイデンの呻き声とクリスの怒りとカミルの沈黙――それらは、リリアが踏み台にした【正しさ】に、確かな疑問を投げかけていた。
 そして何より、ハイデンが苦しんでいた。壊れるように喘ぎ、声にならない叫びを上げていた。
 それが、私が見つけた選択だというのなら――

「……いや……!」

 彼女は初めて、誰にでもなく否定の声を漏らした。
 肩を抱くように両腕を抱え、路地裏の影へと身を滑り込ませる。冷たい壁に背を預け、息を切らせながらリリアはただ震えていた。

(どうしよう……このままだと、私が……幸せになれない……)

 誰よりも物語を信じ、誰よりも自分の【選択】に自信を持っていた少女は、今――世界に拒まれている感じがしたのだった。
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