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テラスの扉を閉め、鍵をかけた音がいっそう冷たく響いた。
しかし、外からはまだ、現実を受け入れられないレモン殿下の叫び声が聞こえてくる。
「マーマレード! 開けろ! 王子である私を締め出すとは、不敬にもほどがあるぞ!」
私は深く、深い溜め息をついた。
手元のオレンジを選別する作業を再開しようとしたが、あまりの騒音に集中力が削がれる。
「……閣下。あの泥人形、意外としぶといですわね。まるで、一度火を通しすぎたキャラメルのようにしつこくこびりついて」
アールグレイ公爵は、残ったスコーンを口に放り込むと、悠然と椅子から立ち上がった。
「私が追い出してこよう。あの男の声を聞いていると、せっかくのジャムの余韻が台無しだ」
「いいえ、閣下。これは私の個人的な『清算』ですわ。あそこまで傲慢になれるその根拠、私が直接叩き潰して差し上げます」
私は調理台の上にあった、一次発酵を終えたばかりの巨大なパン生地の塊を抱え上げた。
そして、再びテラスの扉を勢いよく開け放つ。
「……ひっ! あ、開いた……!」
扉の前に鼻先をくっつけていたレモン殿下が、慌てて数歩後ずさった。
その後ろでは、シュガー様が「ほらぁ、やっぱり殿下の威光には逆らえないんですのぉ」と、むくんだ顔で勝ち誇ったように笑っている。
「マーマレード、わかればいいのだ。いいか、私は寛大だ。貴様がさっきの無礼を詫び、今すぐ王宮に戻って私の専属料理人……いや、側妃として仕えるというなら、今回の件は不問にしてやってもいい」
「……側妃、ですって?」
私は生地を抱えたまま、冷ややかな視線を殿下に向けた。
「そうだ。正妃はシュガーだが、お前には私の健康管理と、三食すべての献立を任せてやろう。光栄に思え。追放された悪役令嬢が、王子の側に置いてもらえるのだぞ?」
「殿下、太っ腹ですわぁ! マーマレード様、シュガーの下女として働くチャンスをあげますわぉ!」
二人のあまりの「おめでたさ」に、私は怒りを通り越して、乾いた笑いが漏れた。
「……殿下。一つ、お伺いしてもよろしいかしら」
「なんだ、感激して言葉も出ないか?」
「その『傲慢』というスパイス、どこで仕入れてきたのです? 賞味期限が切れているどころか、カビが生えて腐敗臭が漂っていますわよ」
「……な、なんだと!?」
私は抱えていたパン生地を、目の前の石のテーブルに――ドォォォン!!――と、凄まじい音を立てて叩きつけた。
「いいですか。私は今、この国……アールグレイ公爵閣下の領地で、最高級の素材に囲まれ、私の腕を心から愛してくれる人々に囲まれて暮らしています。それなのに、なぜわざわざ、味覚も節穴で、胃もたれ全開のあなたの元へ戻らなければなりませんの?」
「そ、それは……私が王子だからだ!」
「王子なんて、私の作るクロワッサンよりも価値がありませんわ。クロワッサンは人を幸せにしますが、今のあなたは人を不快にするだけですもの」
私は、叩きつけた生地を力一杯捏ね始めた。
掌で生地を押し込み、引きちぎるように伸ばす。
そのたびに、バチン! バチン! と、鞭を打つような鋭い音が響く。
「……ひ、ひいいっ!」
レモン殿下が、私の気迫に押されて、さらに後ずさる。
「見てください、この生地を。殿下、あなたはこの生地と同じですわ。水分量が多すぎてベタベタし、芯がなくて、形を保つこともできない。……そう、失敗作のパン生地ですわ!」
「わ、私をパン生地扱いするな!」
「失敗作は、何度捏ね直しても美味しくはなりませんの。……ましてや、私を側妃ですって? 笑わせないでください。私はジャムの『主役』であっても、誰かの人生の『付け合わせ』になるつもりはありません!」
私は、捏ね上げた生地を丸めると、それを殿下の鼻先に突きつけた。
イースト菌と、ほんのり混ざったビターオレンジの香りが、殿下の顔を直撃する。
「お帰りください。次にその汚い口から『戻ってこい』なんて言葉が出たら、この生地であなたの口を完全に塞いで、オーブンの中に放り込んで差し上げますわ!」
「……ま、ま、マーマレード……っ。貴様、本当にいいのか!? 私を失えば、もう二度と……」
「失う? いいえ、断捨離ですわ。人生を美味しくするためには、不要なゴミを捨てる必要があるんですの。……閣下、お願いします!」
私の合図に、控えていた公爵が指を鳴らした。
すると、森の陰から屈強な男たちが十数人、斧や鍬を担いで現れた。
彼らは皆、マーマレードのジャムで「覚醒」した、最強の開墾軍団である。
「……おい、お前ら。この泥人形たちが、お嬢さんの仕事を邪魔しているぞ」
「なんだとぉ!? 俺たちのジャムの女神を困らせる奴は、この森の肥やしにしてやる!」
「待て! 暴力はやめろ! 私は王子だぞ! ぎゃあああ!!」
レモン殿下とシュガー様は、男たちに追い立てられるようにして、ボロボロの馬車へと逃げ帰った。
遠ざかっていく馬車から「覚えていろぉぉ!」という、負け犬の遠吠えのテンプレのような叫びが聞こえてくる。
ようやく訪れた静寂。
私は大きく肩で息をして、乱れた髪をかき上げた。
「……ふう。すっきりしましたわ」
「……マーマレード。今の君は、どの新作ジャムよりも刺激的だったぞ」
公爵が、感心したように拍手を送ってきた。
「閣下。……私、少し言い過ぎましたかしら」
「いいや、完璧だ。失敗作のパン生地というのは、至言だな。……ところで、その捏ね上げた生地だが」
公爵が、私の手元にある生地をじっと見つめる。
「……これを使って、何か焼いてくれるのか?」
「もちろんですわ。殿下への怒りで、過去最高にコシのある生地になりましたもの。今夜は、最高に歯ごたえのある『リベンジ・バゲット』を焼きましょう!」
「それは楽しみだ。……マーマレード、私は君を側妃などという退屈な場所には置かない。君は、私の人生の『隠し味』ではなく、メインディッシュそのものだ」
公爵の言葉に、私は少し顔が熱くなるのを感じた。
……この男、時々さらりと殺し文句を吐くのだから困る。
「……お上手ですわね、閣下。でも、メインディッシュなら、相応の覚悟をしていただきますわよ? 私は、甘いだけの女ではありませんから」
「望むところだ。苦ければ苦いほど、愛おしい」
私たちは、オレンジ色の夕焼けに包まれながら、工房へと戻った。
過去の残滓を完全に振り払った私の手は、これから世界を驚かせる、新しい「黄金の味」を生み出していく。
婚約破棄? 結構ですわ。
私は今、自分の力で、誰よりも甘酸っぱくて輝かしい未来を焼き上げているのですから。
しかし、外からはまだ、現実を受け入れられないレモン殿下の叫び声が聞こえてくる。
「マーマレード! 開けろ! 王子である私を締め出すとは、不敬にもほどがあるぞ!」
私は深く、深い溜め息をついた。
手元のオレンジを選別する作業を再開しようとしたが、あまりの騒音に集中力が削がれる。
「……閣下。あの泥人形、意外としぶといですわね。まるで、一度火を通しすぎたキャラメルのようにしつこくこびりついて」
アールグレイ公爵は、残ったスコーンを口に放り込むと、悠然と椅子から立ち上がった。
「私が追い出してこよう。あの男の声を聞いていると、せっかくのジャムの余韻が台無しだ」
「いいえ、閣下。これは私の個人的な『清算』ですわ。あそこまで傲慢になれるその根拠、私が直接叩き潰して差し上げます」
私は調理台の上にあった、一次発酵を終えたばかりの巨大なパン生地の塊を抱え上げた。
そして、再びテラスの扉を勢いよく開け放つ。
「……ひっ! あ、開いた……!」
扉の前に鼻先をくっつけていたレモン殿下が、慌てて数歩後ずさった。
その後ろでは、シュガー様が「ほらぁ、やっぱり殿下の威光には逆らえないんですのぉ」と、むくんだ顔で勝ち誇ったように笑っている。
「マーマレード、わかればいいのだ。いいか、私は寛大だ。貴様がさっきの無礼を詫び、今すぐ王宮に戻って私の専属料理人……いや、側妃として仕えるというなら、今回の件は不問にしてやってもいい」
「……側妃、ですって?」
私は生地を抱えたまま、冷ややかな視線を殿下に向けた。
「そうだ。正妃はシュガーだが、お前には私の健康管理と、三食すべての献立を任せてやろう。光栄に思え。追放された悪役令嬢が、王子の側に置いてもらえるのだぞ?」
「殿下、太っ腹ですわぁ! マーマレード様、シュガーの下女として働くチャンスをあげますわぉ!」
二人のあまりの「おめでたさ」に、私は怒りを通り越して、乾いた笑いが漏れた。
「……殿下。一つ、お伺いしてもよろしいかしら」
「なんだ、感激して言葉も出ないか?」
「その『傲慢』というスパイス、どこで仕入れてきたのです? 賞味期限が切れているどころか、カビが生えて腐敗臭が漂っていますわよ」
「……な、なんだと!?」
私は抱えていたパン生地を、目の前の石のテーブルに――ドォォォン!!――と、凄まじい音を立てて叩きつけた。
「いいですか。私は今、この国……アールグレイ公爵閣下の領地で、最高級の素材に囲まれ、私の腕を心から愛してくれる人々に囲まれて暮らしています。それなのに、なぜわざわざ、味覚も節穴で、胃もたれ全開のあなたの元へ戻らなければなりませんの?」
「そ、それは……私が王子だからだ!」
「王子なんて、私の作るクロワッサンよりも価値がありませんわ。クロワッサンは人を幸せにしますが、今のあなたは人を不快にするだけですもの」
私は、叩きつけた生地を力一杯捏ね始めた。
掌で生地を押し込み、引きちぎるように伸ばす。
そのたびに、バチン! バチン! と、鞭を打つような鋭い音が響く。
「……ひ、ひいいっ!」
レモン殿下が、私の気迫に押されて、さらに後ずさる。
「見てください、この生地を。殿下、あなたはこの生地と同じですわ。水分量が多すぎてベタベタし、芯がなくて、形を保つこともできない。……そう、失敗作のパン生地ですわ!」
「わ、私をパン生地扱いするな!」
「失敗作は、何度捏ね直しても美味しくはなりませんの。……ましてや、私を側妃ですって? 笑わせないでください。私はジャムの『主役』であっても、誰かの人生の『付け合わせ』になるつもりはありません!」
私は、捏ね上げた生地を丸めると、それを殿下の鼻先に突きつけた。
イースト菌と、ほんのり混ざったビターオレンジの香りが、殿下の顔を直撃する。
「お帰りください。次にその汚い口から『戻ってこい』なんて言葉が出たら、この生地であなたの口を完全に塞いで、オーブンの中に放り込んで差し上げますわ!」
「……ま、ま、マーマレード……っ。貴様、本当にいいのか!? 私を失えば、もう二度と……」
「失う? いいえ、断捨離ですわ。人生を美味しくするためには、不要なゴミを捨てる必要があるんですの。……閣下、お願いします!」
私の合図に、控えていた公爵が指を鳴らした。
すると、森の陰から屈強な男たちが十数人、斧や鍬を担いで現れた。
彼らは皆、マーマレードのジャムで「覚醒」した、最強の開墾軍団である。
「……おい、お前ら。この泥人形たちが、お嬢さんの仕事を邪魔しているぞ」
「なんだとぉ!? 俺たちのジャムの女神を困らせる奴は、この森の肥やしにしてやる!」
「待て! 暴力はやめろ! 私は王子だぞ! ぎゃあああ!!」
レモン殿下とシュガー様は、男たちに追い立てられるようにして、ボロボロの馬車へと逃げ帰った。
遠ざかっていく馬車から「覚えていろぉぉ!」という、負け犬の遠吠えのテンプレのような叫びが聞こえてくる。
ようやく訪れた静寂。
私は大きく肩で息をして、乱れた髪をかき上げた。
「……ふう。すっきりしましたわ」
「……マーマレード。今の君は、どの新作ジャムよりも刺激的だったぞ」
公爵が、感心したように拍手を送ってきた。
「閣下。……私、少し言い過ぎましたかしら」
「いいや、完璧だ。失敗作のパン生地というのは、至言だな。……ところで、その捏ね上げた生地だが」
公爵が、私の手元にある生地をじっと見つめる。
「……これを使って、何か焼いてくれるのか?」
「もちろんですわ。殿下への怒りで、過去最高にコシのある生地になりましたもの。今夜は、最高に歯ごたえのある『リベンジ・バゲット』を焼きましょう!」
「それは楽しみだ。……マーマレード、私は君を側妃などという退屈な場所には置かない。君は、私の人生の『隠し味』ではなく、メインディッシュそのものだ」
公爵の言葉に、私は少し顔が熱くなるのを感じた。
……この男、時々さらりと殺し文句を吐くのだから困る。
「……お上手ですわね、閣下。でも、メインディッシュなら、相応の覚悟をしていただきますわよ? 私は、甘いだけの女ではありませんから」
「望むところだ。苦ければ苦いほど、愛おしい」
私たちは、オレンジ色の夕焼けに包まれながら、工房へと戻った。
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