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かつて「呪いの森」と呼ばれたその場所は、今や黄金色の果実がたわわに実る、楽園のような香りに包まれていた。
私は、新しく整備された工房のテラスで、収穫したばかりのオレンジを選別していた。
隣には、相変わらず私の横で「品質管理」という名の間食を楽しんでいるアールグレイ公爵がいる。
「……マーマレード。この新種の配合、酸味のキレが素晴らしいな。これなら一度に五枚はトーストがいける」
「閣下、それは管理ではなくただの過食ですわ。……あら、あんなに土煙を上げてこちらに向かってくる馬車はどなたかしら?」
森の入り口から、一台の馬車が猛スピードで近づいてきた。
装飾は豪華だが、長旅のせいか泥だらけで、どこか悲壮感すら漂っている。
やがて工房の前で急停止した馬車から、よろよろと二人の人物が降りてきた。
「……ま、……マーマレード……。そこにいるのは、マーマレードか……」
ひどい掠れ声で名前を呼ばれ、私は目を細めた。
そこに立っていたのは、かつての婚約者、レモン殿下だった。
しかし、その姿は以前の面影が全くない。
肌は土気色で、自慢の金髪はパサパサに乾燥し、何より高級な服がブカブカに見えるほどやつれ果てている。
「……あら。どこの泥人形かと思えば、レモン殿下ではありませんか。お隣のピンク色の塊は、シュガー様かしら?」
「ひ、ひどいですわぁ! シュガーは今、ストレスでむくんでいるだけですのぉ!」
シュガー様もまた、砂糖の摂りすぎか、顔がパンパンに腫れ上がり、目は充血していた。
二人の姿は、まさに「甘すぎる地獄」から這い出してきた亡者のようだった。
「……マーマレード、すまなかった。私の間違いだった……。……だから、戻ってきてくれ。今すぐ、あの『酸っぱいジャム』を私に食べさせてくれ……。胃が……胃が限界なのだ……」
レモン殿下が、私の足元に膝をついて縋り付こうとする。
私は一歩引き、手にした特大のおたまを盾のように構えた。
「お言葉ですが、殿下。私は今、非常に忙しいのです。見ての通り、新作の『ビターオレンジ・プレミアム』の仕込みの真っ最中でして。部外者は立ち入り禁止ですわ」
「部外者だと!? 私は王子だぞ! 貴様の元婚約者だ!」
「『元』ですわね。それより殿下、以前送りつけた請求書、まだ一ルクも振り込まれておりませんわよ。まずは滞納しているジャム代を全額お支払いいただけます?」
「そ、それは……今、王宮の財政が厳しくて……」
「あら、シュガー様の砂糖菓子には湯水のように金を使っていたのに、私の健康管理代はケチるのですか? 呆れましたわ」
私が冷たく言い放つと、シュガー様がキーキーと叫び出した。
「な、何よぉ! こんなボロい森のジャムなんて、シュガーの『特製ハニー・マシュマロ』に比べたらゴミですわぁ! 殿下、こんな女、放っておいて帰りましょうぉ!」
「黙れ、シュガー! お前のマシュマロのせいで、私の奥歯はもう一本も無事ではないのだぞ!」
王子がシュガー様を一喝する。
二人の醜い言い争いを眺めていると、背後から冷徹なプレッシャーが放たれた。
「……騒々しいな。私の森で、誰が許可なく騒いでいる」
アールグレイ公爵が、手に持っていたスコーンを皿に置き、ゆっくりと立ち上がった。
その威圧感に、レモン殿下は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「ア、アールグレイ公爵……! なぜあなたがここに……」
「なぜ、だと? ここは私の領地であり、彼女は私の客だ。……いや、私の『命の恩人』と言ってもいい。そんな彼女を連れ戻そうなど、我が国に対する宣戦布告と受け取って構わないのか?」
「そ、そんな大袈裟な! 私はただ、婚約破棄を撤回してやろうと……」
「撤回? 笑わせるな」
公爵は鼻で笑い、私の肩を抱き寄せた。
「彼女はすでに、この国の『食の守護聖女』として王室から勲章を授与される身だ。お前のような、味覚も節穴なら人を見る目も腐っている男に渡す道理はない」
「……勲章だと!? マーマレードが?」
「そうですわ、殿下。私、こちらではとても忙しく、充実した毎日を送っておりますの。……ああ、ちょうどよかったですわ。一つ、プレゼントを差し上げます」
私は選別から漏れた、一番「苦くて酸っぱい」未熟なオレンジを一つ、殿下の手の平に乗せた。
「これは……?」
「今の殿下には、それがお似合いですわ。それを齧って、自分が捨てたものの『苦味』を一生噛み締めていなさいな」
「マ、マーマレード……っ!」
「さあ、お帰りください。あ、その馬車の車輪、私のハーブを何本か踏み潰しましたわね。修理代も上乗せして請求しておきますから!」
私はテラスの扉を乱暴に閉め、鍵をかけた。
外からは、レモン殿下の絶望的な叫びと、シュガー様の金切り声が聞こえてきたが、私は鼻歌を歌いながら作業に戻った。
「……ふん。最悪のタイミングだ。せっかくのティータイムを邪魔しおって」
公爵が、残ったスコーンに私のジャムを山盛りに塗りながら不機嫌そうに呟く。
「あら、閣下。おかげでジャムの隠し味に『優越感』という最高のスパイスが加わりましたわ。今日の出来は、今までで一番かもしれませんわよ?」
「……それはいい。今すぐ、その最高の出来を私に提供しろ。あの男の顔を見たせいで、私の胃もリフレッシュが必要だ」
「ふふ、いいでしょう。お代わり、たっぷりありますからね」
窓の外で泥にまみれて去っていく馬車を見送りながら、私は新しいオレンジの皮を剥いた。
かつての未練など、一滴の果汁と共に消え去っていた。
私の人生は、これからもっと「苦くて、甘い」黄金色に輝くのだから。
私は、新しく整備された工房のテラスで、収穫したばかりのオレンジを選別していた。
隣には、相変わらず私の横で「品質管理」という名の間食を楽しんでいるアールグレイ公爵がいる。
「……マーマレード。この新種の配合、酸味のキレが素晴らしいな。これなら一度に五枚はトーストがいける」
「閣下、それは管理ではなくただの過食ですわ。……あら、あんなに土煙を上げてこちらに向かってくる馬車はどなたかしら?」
森の入り口から、一台の馬車が猛スピードで近づいてきた。
装飾は豪華だが、長旅のせいか泥だらけで、どこか悲壮感すら漂っている。
やがて工房の前で急停止した馬車から、よろよろと二人の人物が降りてきた。
「……ま、……マーマレード……。そこにいるのは、マーマレードか……」
ひどい掠れ声で名前を呼ばれ、私は目を細めた。
そこに立っていたのは、かつての婚約者、レモン殿下だった。
しかし、その姿は以前の面影が全くない。
肌は土気色で、自慢の金髪はパサパサに乾燥し、何より高級な服がブカブカに見えるほどやつれ果てている。
「……あら。どこの泥人形かと思えば、レモン殿下ではありませんか。お隣のピンク色の塊は、シュガー様かしら?」
「ひ、ひどいですわぁ! シュガーは今、ストレスでむくんでいるだけですのぉ!」
シュガー様もまた、砂糖の摂りすぎか、顔がパンパンに腫れ上がり、目は充血していた。
二人の姿は、まさに「甘すぎる地獄」から這い出してきた亡者のようだった。
「……マーマレード、すまなかった。私の間違いだった……。……だから、戻ってきてくれ。今すぐ、あの『酸っぱいジャム』を私に食べさせてくれ……。胃が……胃が限界なのだ……」
レモン殿下が、私の足元に膝をついて縋り付こうとする。
私は一歩引き、手にした特大のおたまを盾のように構えた。
「お言葉ですが、殿下。私は今、非常に忙しいのです。見ての通り、新作の『ビターオレンジ・プレミアム』の仕込みの真っ最中でして。部外者は立ち入り禁止ですわ」
「部外者だと!? 私は王子だぞ! 貴様の元婚約者だ!」
「『元』ですわね。それより殿下、以前送りつけた請求書、まだ一ルクも振り込まれておりませんわよ。まずは滞納しているジャム代を全額お支払いいただけます?」
「そ、それは……今、王宮の財政が厳しくて……」
「あら、シュガー様の砂糖菓子には湯水のように金を使っていたのに、私の健康管理代はケチるのですか? 呆れましたわ」
私が冷たく言い放つと、シュガー様がキーキーと叫び出した。
「な、何よぉ! こんなボロい森のジャムなんて、シュガーの『特製ハニー・マシュマロ』に比べたらゴミですわぁ! 殿下、こんな女、放っておいて帰りましょうぉ!」
「黙れ、シュガー! お前のマシュマロのせいで、私の奥歯はもう一本も無事ではないのだぞ!」
王子がシュガー様を一喝する。
二人の醜い言い争いを眺めていると、背後から冷徹なプレッシャーが放たれた。
「……騒々しいな。私の森で、誰が許可なく騒いでいる」
アールグレイ公爵が、手に持っていたスコーンを皿に置き、ゆっくりと立ち上がった。
その威圧感に、レモン殿下は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「ア、アールグレイ公爵……! なぜあなたがここに……」
「なぜ、だと? ここは私の領地であり、彼女は私の客だ。……いや、私の『命の恩人』と言ってもいい。そんな彼女を連れ戻そうなど、我が国に対する宣戦布告と受け取って構わないのか?」
「そ、そんな大袈裟な! 私はただ、婚約破棄を撤回してやろうと……」
「撤回? 笑わせるな」
公爵は鼻で笑い、私の肩を抱き寄せた。
「彼女はすでに、この国の『食の守護聖女』として王室から勲章を授与される身だ。お前のような、味覚も節穴なら人を見る目も腐っている男に渡す道理はない」
「……勲章だと!? マーマレードが?」
「そうですわ、殿下。私、こちらではとても忙しく、充実した毎日を送っておりますの。……ああ、ちょうどよかったですわ。一つ、プレゼントを差し上げます」
私は選別から漏れた、一番「苦くて酸っぱい」未熟なオレンジを一つ、殿下の手の平に乗せた。
「これは……?」
「今の殿下には、それがお似合いですわ。それを齧って、自分が捨てたものの『苦味』を一生噛み締めていなさいな」
「マ、マーマレード……っ!」
「さあ、お帰りください。あ、その馬車の車輪、私のハーブを何本か踏み潰しましたわね。修理代も上乗せして請求しておきますから!」
私はテラスの扉を乱暴に閉め、鍵をかけた。
外からは、レモン殿下の絶望的な叫びと、シュガー様の金切り声が聞こえてきたが、私は鼻歌を歌いながら作業に戻った。
「……ふん。最悪のタイミングだ。せっかくのティータイムを邪魔しおって」
公爵が、残ったスコーンに私のジャムを山盛りに塗りながら不機嫌そうに呟く。
「あら、閣下。おかげでジャムの隠し味に『優越感』という最高のスパイスが加わりましたわ。今日の出来は、今までで一番かもしれませんわよ?」
「……それはいい。今すぐ、その最高の出来を私に提供しろ。あの男の顔を見たせいで、私の胃もリフレッシュが必要だ」
「ふふ、いいでしょう。お代わり、たっぷりありますからね」
窓の外で泥にまみれて去っていく馬車を見送りながら、私は新しいオレンジの皮を剥いた。
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