「戻ってきてもいいぞ?」という傲慢――許せませんわ。

ちゅんりー

文字の大きさ
14 / 28

14

しおりを挟む
かつて「呪いの森」と呼ばれたその場所は、今や黄金色の果実がたわわに実る、楽園のような香りに包まれていた。

私は、新しく整備された工房のテラスで、収穫したばかりのオレンジを選別していた。
隣には、相変わらず私の横で「品質管理」という名の間食を楽しんでいるアールグレイ公爵がいる。

「……マーマレード。この新種の配合、酸味のキレが素晴らしいな。これなら一度に五枚はトーストがいける」

「閣下、それは管理ではなくただの過食ですわ。……あら、あんなに土煙を上げてこちらに向かってくる馬車はどなたかしら?」

森の入り口から、一台の馬車が猛スピードで近づいてきた。
装飾は豪華だが、長旅のせいか泥だらけで、どこか悲壮感すら漂っている。

やがて工房の前で急停止した馬車から、よろよろと二人の人物が降りてきた。

「……ま、……マーマレード……。そこにいるのは、マーマレードか……」

ひどい掠れ声で名前を呼ばれ、私は目を細めた。
そこに立っていたのは、かつての婚約者、レモン殿下だった。

しかし、その姿は以前の面影が全くない。
肌は土気色で、自慢の金髪はパサパサに乾燥し、何より高級な服がブカブカに見えるほどやつれ果てている。

「……あら。どこの泥人形かと思えば、レモン殿下ではありませんか。お隣のピンク色の塊は、シュガー様かしら?」

「ひ、ひどいですわぁ! シュガーは今、ストレスでむくんでいるだけですのぉ!」

シュガー様もまた、砂糖の摂りすぎか、顔がパンパンに腫れ上がり、目は充血していた。
二人の姿は、まさに「甘すぎる地獄」から這い出してきた亡者のようだった。

「……マーマレード、すまなかった。私の間違いだった……。……だから、戻ってきてくれ。今すぐ、あの『酸っぱいジャム』を私に食べさせてくれ……。胃が……胃が限界なのだ……」

レモン殿下が、私の足元に膝をついて縋り付こうとする。
私は一歩引き、手にした特大のおたまを盾のように構えた。

「お言葉ですが、殿下。私は今、非常に忙しいのです。見ての通り、新作の『ビターオレンジ・プレミアム』の仕込みの真っ最中でして。部外者は立ち入り禁止ですわ」

「部外者だと!? 私は王子だぞ! 貴様の元婚約者だ!」

「『元』ですわね。それより殿下、以前送りつけた請求書、まだ一ルクも振り込まれておりませんわよ。まずは滞納しているジャム代を全額お支払いいただけます?」

「そ、それは……今、王宮の財政が厳しくて……」

「あら、シュガー様の砂糖菓子には湯水のように金を使っていたのに、私の健康管理代はケチるのですか? 呆れましたわ」

私が冷たく言い放つと、シュガー様がキーキーと叫び出した。

「な、何よぉ! こんなボロい森のジャムなんて、シュガーの『特製ハニー・マシュマロ』に比べたらゴミですわぁ! 殿下、こんな女、放っておいて帰りましょうぉ!」

「黙れ、シュガー! お前のマシュマロのせいで、私の奥歯はもう一本も無事ではないのだぞ!」

王子がシュガー様を一喝する。
二人の醜い言い争いを眺めていると、背後から冷徹なプレッシャーが放たれた。

「……騒々しいな。私の森で、誰が許可なく騒いでいる」

アールグレイ公爵が、手に持っていたスコーンを皿に置き、ゆっくりと立ち上がった。
その威圧感に、レモン殿下は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

「ア、アールグレイ公爵……! なぜあなたがここに……」

「なぜ、だと? ここは私の領地であり、彼女は私の客だ。……いや、私の『命の恩人』と言ってもいい。そんな彼女を連れ戻そうなど、我が国に対する宣戦布告と受け取って構わないのか?」

「そ、そんな大袈裟な! 私はただ、婚約破棄を撤回してやろうと……」

「撤回? 笑わせるな」

公爵は鼻で笑い、私の肩を抱き寄せた。

「彼女はすでに、この国の『食の守護聖女』として王室から勲章を授与される身だ。お前のような、味覚も節穴なら人を見る目も腐っている男に渡す道理はない」

「……勲章だと!? マーマレードが?」

「そうですわ、殿下。私、こちらではとても忙しく、充実した毎日を送っておりますの。……ああ、ちょうどよかったですわ。一つ、プレゼントを差し上げます」

私は選別から漏れた、一番「苦くて酸っぱい」未熟なオレンジを一つ、殿下の手の平に乗せた。

「これは……?」

「今の殿下には、それがお似合いですわ。それを齧って、自分が捨てたものの『苦味』を一生噛み締めていなさいな」

「マ、マーマレード……っ!」

「さあ、お帰りください。あ、その馬車の車輪、私のハーブを何本か踏み潰しましたわね。修理代も上乗せして請求しておきますから!」

私はテラスの扉を乱暴に閉め、鍵をかけた。
外からは、レモン殿下の絶望的な叫びと、シュガー様の金切り声が聞こえてきたが、私は鼻歌を歌いながら作業に戻った。

「……ふん。最悪のタイミングだ。せっかくのティータイムを邪魔しおって」

公爵が、残ったスコーンに私のジャムを山盛りに塗りながら不機嫌そうに呟く。

「あら、閣下。おかげでジャムの隠し味に『優越感』という最高のスパイスが加わりましたわ。今日の出来は、今までで一番かもしれませんわよ?」

「……それはいい。今すぐ、その最高の出来を私に提供しろ。あの男の顔を見たせいで、私の胃もリフレッシュが必要だ」

「ふふ、いいでしょう。お代わり、たっぷりありますからね」

窓の外で泥にまみれて去っていく馬車を見送りながら、私は新しいオレンジの皮を剥いた。
かつての未練など、一滴の果汁と共に消え去っていた。

私の人生は、これからもっと「苦くて、甘い」黄金色に輝くのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。

【完結】婚約破棄され毒杯処分された悪役令嬢は影から王子の愛と後悔を見届ける

堀 和三盆
恋愛
「クアリフィカ・アートルム公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄する」  王太子との結婚を半年後に控え、卒業パーティーで婚約を破棄されてしまったクアリフィカ。目の前でクアリフィカの婚約者に寄り添い、歪んだ嗤いを浮かべているのは異母妹のルシクラージュだ。  クアリフィカは既に王妃教育を終えているため、このタイミングでの婚約破棄は未来を奪われるも同然。こうなるとクアリフィカにとれる選択肢は多くない。  せめてこれまで努力してきた王妃教育の成果を見てもらいたくて。  キレイな姿を婚約者の記憶にとどめてほしくて。  クアリフィカは荒れ狂う感情をしっかりと覆い隠し、この場で最後の公務に臨む。  卒業パーティー会場に響き渡る悲鳴。  目にした惨状にバタバタと倒れるパーティー参加者達。  淑女の鑑とまで言われたクアリフィカの最期の姿は、良くも悪くも多くの者の記憶に刻まれることになる。  そうして――王太子とルシクラージュの、後悔と懺悔の日々が始まった。

あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす

青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。 幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。 スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。 ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族 物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。

公爵令嬢を虐げた自称ヒロインの末路

八代奏多
恋愛
 公爵令嬢のレシアはヒロインを自称する伯爵令嬢のセラフィから毎日のように嫌がらせを受けていた。  王子殿下の婚約者はレシアではなく私が相応しいとセラフィは言うが……  ……そんなこと、絶対にさせませんわよ?

処理中です...