「戻ってきてもいいぞ?」という傲慢――許せませんわ。

ちゅんりー

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王都が砂糖の地獄に沈んでいる頃。
「ビターオレンジの森」には、穏やかな夕暮れ時が訪れていた。

私は工房の裏にあるベンチに腰掛け、新作の『オレンジの花のハーブティー』を淹れていた。
お湯を注ぐと、柑橘の清涼感と花の甘い香りが、夕闇に溶け出していく。

「……良い香りだ。心が洗われるような気がする」

いつの間にか隣に立っていたアールグレイ公爵が、静かに腰を下ろした。
彼はいつも私の横でパンを頬張っているが、今夜の彼は少しだけ雰囲気が違っていた。

「閣下、お疲れ様です。……何か召し上がりますか? ちょうど、試作中の『オレンジピール入りのショコラ』がありますけれど」

私が小皿を差し出すと、公爵はそれを一瞥しただけで、私をじっと見つめ返した。

「……いや。今は食べ物の話ではないのだ」

「あら、珍しい。閣下が食欲以外の理由で私を訪ねてくるなんて。……さては、どこか体調が悪いのですか? ビタミン不足かしら」

「……マーマレード。君は、私のことをどう思っている?」

あまりにも唐突な問いに、私はカップを持つ手を止めた。

「どう、と言われましても。……最高のパトロンであり、私のジャムの価値を誰よりも理解してくれる、大切なお客様……。あ、あと、時々下僕になってくださる頼もしい公爵様、ですわね」

私が茶目っ気たっぷりに笑うと、公爵は深い溜め息をついた。

「やはり、そうなのだな。……私の言い方が悪かった。君にとって、私は『餌をくれる便利な装置』でしかないのか?」

「装置なんて、そんな! 閣下は、私が婚約破棄されて路頭に迷っていた時に、救い出してくださった恩人ですわ。感謝してもしきれません」

「……感謝、か」

公爵は視線を遠くへ向けた。夕陽に照らされた彼の横顔は、彫刻のように美しく、そしてどこか寂しげだった。

「私は今まで、甘いものさえあれば人生は満たされていると思っていた。……だが、君と出会って、この森で君がパンを捏ねる音を聞き、君が煤だらけの顔で笑うのを見るたびに、別の『飢え』を感じるようになったのだ」

「飢え……? やっぱりお腹が空いているじゃありませんか! 今すぐサンドイッチを作りますわ!」

私が立ち上がろうとしたその時、公爵が私の手首をそっと掴んだ。
その掌は驚くほど熱く、力強い。

「座れ。……話を聞けと言っているだろう」

公爵の瞳が、射抜くような鋭さで私を捉える。
私は心臓が跳ね上がるのを感じ、大人しくベンチに戻った。

「……私が欲しているのは、君の作るジャムではない。……いや、ジャムも欲しいが。……それ以上に、君という存在そのものが欲しいのだ」

「……え?」

「マーマレード・オレンジ。私は、君を愛している」

心臓が、耳元で鐘を打ち鳴らすような音を立てた。
あまりに直球な言葉。冗談のようには聞こえない。

「……閣下。それは、その……『食べちゃいたいほど好き』という、食欲の比喩ではなくて?」

「……本気だ。君を、私の公爵夫人として迎えたい。……君の才能も、君の気の強さも、君のオレンジに対する異常な情熱も。そのすべてを、私の隣で、一生見守らせてほしい」

公爵の手が私の頬に触れた。
指先の熱が伝わってきて、顔がカッと熱くなるのがわかる。

「私は不器用な男だ。……これまで、君を繋ぎ止めるために『食欲』という口実を使ってきた。だが、もう限界だ。……君を、一人の女性として、心から求めている」

「………………」

私は言葉を失った。
これまでの人生、レモン殿下からは「実用性」しか求められず、実家からは「経費」として扱われてきた。
そんな私を、一人の人間として、これほど熱烈に愛してくれる人がいるなんて。

「……公爵夫人、だなんて。私、ジャムのことしか頭にない女ですわよ? 社交界のルールより、酵母の発酵具合の方が気になりますし……」

「構わん。私の城を、君の巨大な工房に作り替えてもいい。君が望むなら、世界中のオレンジを私の庭に植えよう。……私の人生には、君という『輝き』が必要なんだ」

公爵の真剣な眼差しに、私の胸の奥がキュンと締め付けられた。
それは、オレンジの酸味よりも鋭く、そしてどんな砂糖よりも甘い感覚だった。

「……閣下。……私、狡いですわよ? あなたの愛をたっぷり吸い込んで、それをジャムに変えて、さらに高い値段であなたに売りつけますわよ?」

「……ふ。望むところだ。いくらでも払おう」

公爵が、ようやくいつものような余裕のある笑みを浮かべた。
彼は私の手を引き、その指先の一つ一つに、愛おしそうに唇を寄せた。

「……返事は、今すぐでなくてもいい。……だが、覚悟はしておけ。私は、一度狙った獲物は絶対に逃さない。……君の心も、君のジャムも。すべて私のものにする」

「……強引ですわね、公爵様」

私は照れ隠しに、彼の胸をぽんと叩いた。
そこには、力強い鼓動が刻まれていて、私への想いが嘘ではないことを証明していた。

夕闇が二人を包み込んでいく。
甘酸っぱいオレンジの香りと、初めて知る恋の予感。

私の「リベンジ」の物語は、いつの間にか、自分でも予想していなかった「最高のハッピーエンド」へと向かって走り出していた。

「……さあ、閣下。告白の報酬に、とっておきの新作を召し上がれ」

「……ああ。……毒味(くちづけ)の代わりにな」

「……もう! 閣下ったら!」

笑い合う私たちの声が、静かな森に響く。
この夜、私の世界はオレンジ色から、さらに深い、愛の黄金色へと染まっていったのである。
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