霊力ゼロの陰陽師見習い

テラトンパンチ

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袂を分かつ。もう、戻れない

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 闇が、再び動いた。

 消えたはずの女の気配が、
 玄弥の背後で、静かに形を取る。

 「ねえ、玄弥」

 振り返ると、彼女はすぐそこにいた。
 さっきまでの嘲笑は影を潜め、
 どこか“真面目”な目をしている。

 「あなた、こっちに来ない?」

 玄弥は眉をひそめる。

 「……何の話だ」

 女は、ゆっくりと言葉を選んだ。

 「妖怪側とか、人間側とか」

 「正義とか、悪とか」

 「そういうの、全部やめて」

 一歩、近づく。

 「ただ、世界を壊す側に立つの」

 「守るために傷つくより」

 「壊して、確かめる方がずっと楽しいわよ」

 玄弥は、即答しなかった。

 女は、それを“迷い”だと受け取ったらしい。

 「……私ね」

 ふっと、視線を落とす。

 「昔は、あなたみたいだった」



 それは、静かな回想だった。

 まだ彼女が、人間だった頃。

 きちんとした服装。
 真面目な表情。
 誰かのために頭を下げ、
 規則を守り、努力を信じていた。

 理不尽に怒鳴られても、
 不正を見ても、
 「いつか正される」と信じていた。

 でも、現実は違った。

 誠実な人間ほど損をして、
 卑怯な者ほど得をする。

 声を上げれば笑われ、
 耐えれば踏みつけられる。

 助けを求めた先は、
 沈黙か、形だけの謝罪だけ。

 「正しく生きても」

 「何も変わらなかった」

 女の声が、冷たく響く。

 「世界は、腐ってた」

 「だから私は――」

 画面の中の彼女は、
 壊れたように笑っていた。

 「壊れる側になることを選んだの」

 「どうせ救われないなら」

 「全部、壊れればいいって」



 回想が消え、夜が戻る。

 女は、玄弥をまっすぐ見つめる。

 「あなたも、分かるでしょ?」

 「努力が報われない理不尽」

 「弱さにつけ込まれる現実」

 「守ろうとするほど、失う世界」

 「だから、仲間になりなさい」

 「一緒に、壊そう」

 沈黙。

 玄弥は、ゆっくりと息を吐いた。

 「……確かに」

 女の目が、わずかに輝く。

 「この世界は、綺麗じゃない」

 「理不尽も、腐った部分も、山ほどある」

 玄弥は、一歩前に出る。

 「でもな」

 拳を、固く握る。

 「それを理由に」

 「人を壊していいとは、俺は思わない」

 女の表情が、僅かに歪む。

 「守るのは、辛い」

 「報われないこともある」

 「それでも」

 玄弥は、はっきり言った。

 「壊す方が楽だからって」

 「そっちを選ぶのは――逃げだ」

 夜が、凍りつく。

 女は、しばらく黙っていた。

 やがて、肩をすくめて笑う。

 「……そう」

 「やっぱり、あなたは」

 「一番、面白くない答えを選ぶわね」

 でも、その目は――どこか寂しそうだった。

 「残念」

 「本当に、いい素材だと思ったのに」

 背を向け、闇へ溶けていく。

 「じゃあ、敵ね」

 「次に会う時は」

 「もっと、世界が壊れてから」

 女の気配が消え、
 玄弥だけが残された。

 胸の奥で、恐怖と怒りと、覚悟が混ざる。

 ――壊れた人間だからこそ、危険だ。

 玄弥は、夜空を見上げた。

 「……絶対に」

 「止める」

 それは、正義の宣言じゃない。

 “壊れることを選ばなかった”
 一人の人間の、意思だった。

路地裏の空気は、まだ重かった。

 女が去ったあとも、
 玄弥と男子生徒は、互いに向き合ったまま動けずにいた。

 「……もう、戻れないぞ」

 玄弥の声は、低い。

 「今なら、まだ――」

 最後まで言わせなかった。

 男子生徒は、笑った。

 それは、どこか安堵すら混じった笑みだった。

 「戻る?」

 「どこに?」

 血の跡が残る地面を、ちらりと見る。

 「努力しろって言われて」

 「耐えろって言われて」

 「助けられたことを、感謝しろって?」

 一歩、玄弥から距離を取る。

 「……お前は、いいよな」

 「選べる側だから」

 玄弥は、首を振る。

 「違う」

 「俺だって――」

 「違わない」

 男子生徒の声が、鋭くなった。

 「お前は、守る側だ」

 「俺は、選ばれなかった側だ」

 霊力が、ざわりと揺れる。
 人間のものではない、異質な気配。

 「もうさ」

 男子生徒は、静かに告げた。

 「お前に、心配されるのが一番ムカつく」

 その言葉は、はっきりとした線だった。

 「次に会う時は」

 「同級生じゃない」

 「敵だ」

 背を向け、闇へと消えていく。

 玄弥は、追わなかった。

 追えなかった。

 握りしめた拳が、わずかに震えていた。

 ――これで、完全に分かれた。



 場面は変わる。

 深い闇の奥。
 現世とは隔絶された場所に、
 鵺の館はあった。

 静寂と妖気に満ちた広間。

 玉座に座る鵺は、
 細めた目で、報告を聞いていた。

 「……ふふ」

 その足元に、女が跪いている。

 「人間界は、順調です」

 女は淡々と語る。

 「妖怪の血は、予想以上に効果を上げています」

 「力を欲しがる者は後を絶ちません」

 「半妖になった者たちは、互いに集まり」

 「自分たちを“選ばれた存在”だと信じ始めています」

 鵺は、喉を鳴らして笑った。

 「愚かだが、美しい」

 「人は、変化に理由を欲しがる」

 「だが本当は――」

 「堕ちるだけなのに」

 女は、続ける。

 「一部は、すでに人を喰らいました」

 「理性を保てない者も増えています」

 「……制御は、難しくなってきましたが」

 鵺は、気にする様子もなく言った。

 「構わぬ」

 「壊れるなら、壊れるほどよい」

 玉座から、ゆっくりと立ち上がる。

 「新たな同胞だ」

 「使い捨てるには、十分すぎる」

 鵺の影が、広間いっぱいに広がる。

 「もっと、壊せ」

 「街を」

 「秩序を」

 「人の心を」

 女は、ふと顔を上げる。

 「……次は、どこを?」

 鵺は、愉快そうに答えた。

 「決まっておろう」

 「力を学ぶ場所」

 「正義を教える場所」

 「人が“安全”だと信じている場所だ」

 その名を、静かに告げる。

 「――学園」

 女の唇が、わずかに吊り上がった。

 「玄弥の、通う場所ですね」

 「そうだ」

 鵺は、目を細める。

 「希望を折るには」

 「土台から壊すのが、一番美しい」

 館に、低い笑い声が響いた。



 その頃。

 何も知らない学園では、
 いつも通りの朝が始まろうとしていた。

 平穏は、まだ残っている。

 だがそれは、
 嵐の前の、最後の静けさだった。

 次に壊されるのは――
 玄弥の日常そのもの。

 戦いは、
 もう、避けられないところまで来ていた。
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