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「……イザベル。明日で、いよいよ我々の『合併事業(結婚式)』の当日だな」
結婚式を翌日に控えた、静かな月夜。
公爵邸のプライベート・テラスで、アリストテレスは隣に座るイザベルに静かに語りかけた。
手元には、最高級のシャンパン。しかし、イザベルの目は相変わらず、空中に投影された「明日の式次第(タイムテーブル)」の微調整に向けられていた。
「ええ、公爵様。新婦の入場から誓いのキスまで、秒単位で最適化を完了しました。……お言葉ですが、公爵様の歩幅が五センチ広がると、予定より三秒早く祭壇に着いてしまいます。当日は正確なピッチで歩いてくださいませ」
「……イザベル。君は本当に、明日という日を『プロジェクトの完遂』だとしか思っていないのか?」
アリストテレスがグラスを置き、少し寂しげな、しかし真剣な眼差しを向けた。
彼は彼女の有能さを愛している。だが、人生の大きな節目において、彼女が「合理性」の鎧を一枚も脱がないことに、一抹の不安を感じていたのだ。
「……どういう意味でしょうか、公爵様。私はいつだって、貴方との未来を最高効率で運用(マネジメント)することに全力を尽くしていますわ」
「私が聞きたいのは、運用計画ではない。……イザベル。君の心の中に、私への『非論理的な情熱』は、どれほど残っているんだ?」
アリストテレスは彼女の肩を抱き寄せ、その瞳を覗き込んだ。
「明日、我々は契約を結ぶ。だが、私は君に、契約書にサインさせるためだけに隣にいてほしいわけじゃない。……君にとって、私は『最高のパートナー』以上の存在になれているだろうか」
イザベルは一瞬、言葉に詰まった。
彼女の脳内計算機が、アリストテレスの問いに対して「論理的回答:不明」というエラーを出し始める。
「……公爵様。貴方は、私の計算を狂わせる唯一の存在です。……それを証明するために、今日、私はある『贈り物』を用意しましたわ」
イザベルは少し震える手で、小さな箱を差し出した。
アリストテレスが怪訝な顔でそれを受け取り、蓋を開ける。
そこにあったのは、宝石でも、最新の魔導具でも、便利な事務用品でもなかった。
「……これは、手編みの……お守り(チャーム)か?」
「ええ。……製作時間は合計で十五時間。材料費は銀貨三枚。……ですが、私の時給で換算すれば、金貨百枚分以上の機会損失を伴う代物です。……おまけに、機能性はゼロ。防御力も、攻撃力も、事務処理能力の向上効果も一切ありません」
イザベルは顔を真っ赤にして、視線を地面に落とした。
「……私の人生において、これほど『生産性のない時間』を過ごしたのは初めてです。……これを一目編むごとに、私は貴方のことを考え、何度も計算ミスをしてはやり直しました。……公爵様。この『究極の非効率』の塊こそが、私の……貴方への、答えですわ」
アリストテレスは絶句した。
合理的で、冷徹で、一秒の無駄も許さない彼女が。
自分のために、貴重な時間を十五時間もドブに捨てて(彼女の価値観では)、この不格好で愛らしいチャームを作ったのだ。
「……イザベル。……最高の、……最高のプレゼントだ。……これほどの贅沢を、私は知らない」
アリストテレスは彼女を力強く抱きしめた。
彼の胸の鼓動が、イザベルの耳に直接響く。
「……私は、君の時給がいくらになろうとも、その時間を全て買い占めたい。……だが、君が自発的に捨ててくれたその『十五時間』こそが、何よりも私を幸せにしてくれる」
「……お言葉ですが公爵様。あまり強く抱きしめられると、明日のドレスにシワが寄ります。……アイロンがけの工数を増やさないでくださいませ」
「ふ……。ああ、分かっている。……だが、今だけは、その『シワを直す時間』すらも、愛おしい無駄だと思わせてくれ」
アリストテレスは彼女の額に、深く、優しくキスを落とした。
「イザベル。あらためて誓おう。……私は生涯、君の非効率な時間を共有し、君の計算を狂わせ続け、君を世界一幸福な『仕事のできる女』にすることを」
「……その提案、全面的な『承認』を差し上げますわ。……ただし、結婚後の生活費の分担、および家事の動線改善については、ハネムーン中に徹底的に詰めさせていただきますからね?」
「……ああ、受けて立とう。私の可愛いCEO」
二人は月明かりの下、明日という名の「幸福な納期」を待ちわびた。
その瞳には、もはや論理だけでは語れない、無限の愛が宿っていた。
一方、その頃。
再教育センターの宿舎では、ウィルフレッドが泥だらけの毛布の中で、手帳に文字を書いていた。
「……『結婚』とは、人生における最大のリスクマネジメントであり、相手の欠点を許容するための『保守点検費用』が必要である。……あ、あれ? ……なぜ私は、こんなに冷めたことを……。……ああ、イザベル……! 私の情緒まで、君の合理主義に汚染(アップデート)されてしまったのか……!」
王子の心は、もはや「愛」という言葉を「不良資産」として認識するほどに、イザベル化していた。
結婚式を翌日に控えた、静かな月夜。
公爵邸のプライベート・テラスで、アリストテレスは隣に座るイザベルに静かに語りかけた。
手元には、最高級のシャンパン。しかし、イザベルの目は相変わらず、空中に投影された「明日の式次第(タイムテーブル)」の微調整に向けられていた。
「ええ、公爵様。新婦の入場から誓いのキスまで、秒単位で最適化を完了しました。……お言葉ですが、公爵様の歩幅が五センチ広がると、予定より三秒早く祭壇に着いてしまいます。当日は正確なピッチで歩いてくださいませ」
「……イザベル。君は本当に、明日という日を『プロジェクトの完遂』だとしか思っていないのか?」
アリストテレスがグラスを置き、少し寂しげな、しかし真剣な眼差しを向けた。
彼は彼女の有能さを愛している。だが、人生の大きな節目において、彼女が「合理性」の鎧を一枚も脱がないことに、一抹の不安を感じていたのだ。
「……どういう意味でしょうか、公爵様。私はいつだって、貴方との未来を最高効率で運用(マネジメント)することに全力を尽くしていますわ」
「私が聞きたいのは、運用計画ではない。……イザベル。君の心の中に、私への『非論理的な情熱』は、どれほど残っているんだ?」
アリストテレスは彼女の肩を抱き寄せ、その瞳を覗き込んだ。
「明日、我々は契約を結ぶ。だが、私は君に、契約書にサインさせるためだけに隣にいてほしいわけじゃない。……君にとって、私は『最高のパートナー』以上の存在になれているだろうか」
イザベルは一瞬、言葉に詰まった。
彼女の脳内計算機が、アリストテレスの問いに対して「論理的回答:不明」というエラーを出し始める。
「……公爵様。貴方は、私の計算を狂わせる唯一の存在です。……それを証明するために、今日、私はある『贈り物』を用意しましたわ」
イザベルは少し震える手で、小さな箱を差し出した。
アリストテレスが怪訝な顔でそれを受け取り、蓋を開ける。
そこにあったのは、宝石でも、最新の魔導具でも、便利な事務用品でもなかった。
「……これは、手編みの……お守り(チャーム)か?」
「ええ。……製作時間は合計で十五時間。材料費は銀貨三枚。……ですが、私の時給で換算すれば、金貨百枚分以上の機会損失を伴う代物です。……おまけに、機能性はゼロ。防御力も、攻撃力も、事務処理能力の向上効果も一切ありません」
イザベルは顔を真っ赤にして、視線を地面に落とした。
「……私の人生において、これほど『生産性のない時間』を過ごしたのは初めてです。……これを一目編むごとに、私は貴方のことを考え、何度も計算ミスをしてはやり直しました。……公爵様。この『究極の非効率』の塊こそが、私の……貴方への、答えですわ」
アリストテレスは絶句した。
合理的で、冷徹で、一秒の無駄も許さない彼女が。
自分のために、貴重な時間を十五時間もドブに捨てて(彼女の価値観では)、この不格好で愛らしいチャームを作ったのだ。
「……イザベル。……最高の、……最高のプレゼントだ。……これほどの贅沢を、私は知らない」
アリストテレスは彼女を力強く抱きしめた。
彼の胸の鼓動が、イザベルの耳に直接響く。
「……私は、君の時給がいくらになろうとも、その時間を全て買い占めたい。……だが、君が自発的に捨ててくれたその『十五時間』こそが、何よりも私を幸せにしてくれる」
「……お言葉ですが公爵様。あまり強く抱きしめられると、明日のドレスにシワが寄ります。……アイロンがけの工数を増やさないでくださいませ」
「ふ……。ああ、分かっている。……だが、今だけは、その『シワを直す時間』すらも、愛おしい無駄だと思わせてくれ」
アリストテレスは彼女の額に、深く、優しくキスを落とした。
「イザベル。あらためて誓おう。……私は生涯、君の非効率な時間を共有し、君の計算を狂わせ続け、君を世界一幸福な『仕事のできる女』にすることを」
「……その提案、全面的な『承認』を差し上げますわ。……ただし、結婚後の生活費の分担、および家事の動線改善については、ハネムーン中に徹底的に詰めさせていただきますからね?」
「……ああ、受けて立とう。私の可愛いCEO」
二人は月明かりの下、明日という名の「幸福な納期」を待ちわびた。
その瞳には、もはや論理だけでは語れない、無限の愛が宿っていた。
一方、その頃。
再教育センターの宿舎では、ウィルフレッドが泥だらけの毛布の中で、手帳に文字を書いていた。
「……『結婚』とは、人生における最大のリスクマネジメントであり、相手の欠点を許容するための『保守点検費用』が必要である。……あ、あれ? ……なぜ私は、こんなに冷めたことを……。……ああ、イザベル……! 私の情緒まで、君の合理主義に汚染(アップデート)されてしまったのか……!」
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