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「……お言葉ですが、そこの植木鉢に擬態している方。光合成をするには光量が足りませんし、何より二酸化炭素の排出量が多すぎますわよ。不審者(ノイズ)として目立っていますわ」
深夜の公爵邸、イザベルの私的執務室。
窓際の大きな観葉植物に向かって、イザベルは顔も上げずに言い放った。
手元では、旧王国の全領土を「ノアール公国・第一営業所」として再編するための組織図が爆速で描かれている。
植木鉢がガタリと揺れ、中から黒装束を纏った男――隣国の帝国から送り込まれた超一流スパイのジャックが姿を現した。
「……バカな。気配は完璧に消していたはずだ。なぜ、私が帝国最強の隠密(スパイ)だと見抜いた」
「気配、ですか? そんな曖昧なものではありません。貴方がそこに侵入してから三分間、私の部屋の温度が〇・二度上昇しました。成人の呼気による熱エネルギー放出を逆算すれば、そこに人間がいるのは数学的な必然ですわ」
イザベルは、ようやくペンを置いて眼鏡を直した。
「それで? 帝国のスパイ様が、私の何の『データ』を盗みに来たのかしら。機密保持契約(NDA)を結んでいない相手に教えられることはありませんが」
「……フン、強気だな。貴様の弱点を探りに来た。女なら、愛する男を人質に取られれば、その有能な頭脳も曇るだろう? アリストテレス公爵を狙えば、貴様は……」
「公爵様を? ……プッ、クスクス……!」
イザベルは、淑女らしからぬ爆笑を漏らした。扇子で口元を抑えながら、憐れみの視線をスパイに向ける。
「お言葉ですが、スパイさん。公爵様を人質に取るコストを計算したことがありますか? 彼の近衛兵の突破に金貨五千枚、彼自身の戦闘能力を無効化するのに特殊な魔導具が金貨一万枚……。対して、私から引き出せる情報の市場価値は、その十倍程度。……成功率とリターンが見合いません。赤字確定のプロジェクトですわよ」
「な、……なんだと? 愛する男の命に、損得勘定を持ち出すのか!?」
「愛しているからこそ、彼に無駄なリスクを背負わせるような非効率な敵対関係(ビジネス)は選びません。……それよりも、貴方。その帝国のスパイという仕事、ブラックすぎませんか?」
イザベルはスッと一枚の書面を差し出した。
そこには、帝国のスパイ組織の「給与体系」と「福利厚生」の推定データが記されていた。
「潜入一回につき金貨三枚? しかも殉職時の補償なし? ……信じられませんわ。そんな低賃金で命を張るなんて、人的資源の安売りも甚だしいです。我が公国の『セキュリティ顧問』として再就職しませんか? 年収は三倍、有給休暇も完全消化できますわよ」
「……再就職!? 私は……私は帝国に忠誠を誓った誇り高き……!」
「誇りでパンは買えませんわ。……それに、貴方が今日ここで捕まれば、帝国は貴方を『在庫(トカゲの尻尾)』として切り捨てるでしょう。……それとも、私の計算が間違っていると証明(デバッグ)できますか?」
ジャックは絶句した。
彼は情報を盗みに来たはずが、いつの間にか自分の「人生の期待値」を査定され、完膚なきまでに論理で論破されていた。
そこへ、騒ぎを聞きつけたアリストテレスが、剣を抜き放ちながら部屋になだれ込んできた。
「イザベル! 無事か! ……貴様、私の婚約者に何をした!」
「あ、公爵様。ちょうどいいところに。……新しい人材(アセット)を確保しましたわ。彼の潜入技術は高く、我が国の警備体制の脆弱性を洗い出すのに最適です。……即日採用してよろしいですね?」
「……採用? ……イザベル、君は今、暗殺されかけていたのではないのか?」
アリストテレスが呆然とジャック(既に膝をついている)を見ると、ジャックは震える声で呟いた。
「……公爵閣下。……この女性(ひと)は、悪魔だ。……数字で、私の魂を買収しようとしやがった……」
「……フフ。それは彼女なりの最大級の『おもてなし』だ。諦めて、彼女の軍門(管理下)に降ることだな」
アリストテレスは剣を収め、イザベルの腰に手を回した。
「それにしてもイザベル。……私の価値を『赤字』と言ったのは聞き捨てならないな。……私は君にとって、もっと……こう、プライスレスな存在ではないのか?」
「……お言葉ですが公爵様。感情面での価値は『測定不能(無限大)』に分類されていますわ。……ですから、経済的な観点から敵対することそのものが、世界で最も『非合理』だと言っているのです」
イザベルは少し顔を赤らめ、彼の胸に顔を埋めた。
「……私の愛を、数字で否定させないでください。……貴方は、私の人生における唯一の『確定利益(ハッピーエンド)』なのですから」
「……参ったな。……君にそう言われると、どんな莫大な国益よりも価値がある気がしてくる」
アリストテレスは彼女を優しく抱きしめた。
部屋の隅では、元・帝国最強のスパイが「……福利厚生、本当に社会保険完備ですか?」と、セバスに確認し始めていた。
一方、その頃。
再教育センターの食堂では、ウィルフレッドが「……隣国のスパイが来たらしいぞ。……イザベル様に捕まるなんて、運のない奴だ。……今頃、人生の損益計算書を書かされているに違いない……」と、遠い目でスープを啜っていた。
深夜の公爵邸、イザベルの私的執務室。
窓際の大きな観葉植物に向かって、イザベルは顔も上げずに言い放った。
手元では、旧王国の全領土を「ノアール公国・第一営業所」として再編するための組織図が爆速で描かれている。
植木鉢がガタリと揺れ、中から黒装束を纏った男――隣国の帝国から送り込まれた超一流スパイのジャックが姿を現した。
「……バカな。気配は完璧に消していたはずだ。なぜ、私が帝国最強の隠密(スパイ)だと見抜いた」
「気配、ですか? そんな曖昧なものではありません。貴方がそこに侵入してから三分間、私の部屋の温度が〇・二度上昇しました。成人の呼気による熱エネルギー放出を逆算すれば、そこに人間がいるのは数学的な必然ですわ」
イザベルは、ようやくペンを置いて眼鏡を直した。
「それで? 帝国のスパイ様が、私の何の『データ』を盗みに来たのかしら。機密保持契約(NDA)を結んでいない相手に教えられることはありませんが」
「……フン、強気だな。貴様の弱点を探りに来た。女なら、愛する男を人質に取られれば、その有能な頭脳も曇るだろう? アリストテレス公爵を狙えば、貴様は……」
「公爵様を? ……プッ、クスクス……!」
イザベルは、淑女らしからぬ爆笑を漏らした。扇子で口元を抑えながら、憐れみの視線をスパイに向ける。
「お言葉ですが、スパイさん。公爵様を人質に取るコストを計算したことがありますか? 彼の近衛兵の突破に金貨五千枚、彼自身の戦闘能力を無効化するのに特殊な魔導具が金貨一万枚……。対して、私から引き出せる情報の市場価値は、その十倍程度。……成功率とリターンが見合いません。赤字確定のプロジェクトですわよ」
「な、……なんだと? 愛する男の命に、損得勘定を持ち出すのか!?」
「愛しているからこそ、彼に無駄なリスクを背負わせるような非効率な敵対関係(ビジネス)は選びません。……それよりも、貴方。その帝国のスパイという仕事、ブラックすぎませんか?」
イザベルはスッと一枚の書面を差し出した。
そこには、帝国のスパイ組織の「給与体系」と「福利厚生」の推定データが記されていた。
「潜入一回につき金貨三枚? しかも殉職時の補償なし? ……信じられませんわ。そんな低賃金で命を張るなんて、人的資源の安売りも甚だしいです。我が公国の『セキュリティ顧問』として再就職しませんか? 年収は三倍、有給休暇も完全消化できますわよ」
「……再就職!? 私は……私は帝国に忠誠を誓った誇り高き……!」
「誇りでパンは買えませんわ。……それに、貴方が今日ここで捕まれば、帝国は貴方を『在庫(トカゲの尻尾)』として切り捨てるでしょう。……それとも、私の計算が間違っていると証明(デバッグ)できますか?」
ジャックは絶句した。
彼は情報を盗みに来たはずが、いつの間にか自分の「人生の期待値」を査定され、完膚なきまでに論理で論破されていた。
そこへ、騒ぎを聞きつけたアリストテレスが、剣を抜き放ちながら部屋になだれ込んできた。
「イザベル! 無事か! ……貴様、私の婚約者に何をした!」
「あ、公爵様。ちょうどいいところに。……新しい人材(アセット)を確保しましたわ。彼の潜入技術は高く、我が国の警備体制の脆弱性を洗い出すのに最適です。……即日採用してよろしいですね?」
「……採用? ……イザベル、君は今、暗殺されかけていたのではないのか?」
アリストテレスが呆然とジャック(既に膝をついている)を見ると、ジャックは震える声で呟いた。
「……公爵閣下。……この女性(ひと)は、悪魔だ。……数字で、私の魂を買収しようとしやがった……」
「……フフ。それは彼女なりの最大級の『おもてなし』だ。諦めて、彼女の軍門(管理下)に降ることだな」
アリストテレスは剣を収め、イザベルの腰に手を回した。
「それにしてもイザベル。……私の価値を『赤字』と言ったのは聞き捨てならないな。……私は君にとって、もっと……こう、プライスレスな存在ではないのか?」
「……お言葉ですが公爵様。感情面での価値は『測定不能(無限大)』に分類されていますわ。……ですから、経済的な観点から敵対することそのものが、世界で最も『非合理』だと言っているのです」
イザベルは少し顔を赤らめ、彼の胸に顔を埋めた。
「……私の愛を、数字で否定させないでください。……貴方は、私の人生における唯一の『確定利益(ハッピーエンド)』なのですから」
「……参ったな。……君にそう言われると、どんな莫大な国益よりも価値がある気がしてくる」
アリストテレスは彼女を優しく抱きしめた。
部屋の隅では、元・帝国最強のスパイが「……福利厚生、本当に社会保険完備ですか?」と、セバスに確認し始めていた。
一方、その頃。
再教育センターの食堂では、ウィルフレッドが「……隣国のスパイが来たらしいぞ。……イザベル様に捕まるなんて、運のない奴だ。……今頃、人生の損益計算書を書かされているに違いない……」と、遠い目でスープを啜っていた。
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