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「……お嬢様、本気でございますか? これは王家から賜った、由緒正しき『蒼天の涙』でございますよ」
翌朝、ロベール侯爵家を訪れた老舗の宝石商は、ルーペを片手にプルプルと指を震わせていた。
彼の目の前には、昨晩までクロナの指で輝いていたはずの巨大なサファイアの指輪が転がっている。
「ええ、本気よ。由緒なんてお腹の足しにもなりませんわ。知りたいのは一点のみ。今この場で現金化した場合、いくらになるのかしら?」
クロナは優雅にティーカップを傾けながら、事も無げに言った。
「そ、そうでございますね……。即座に買い取るとなれば、相場の下落も考慮して、金貨五百枚……いえ、六百枚といったところでしょうか」
「いいわ、その金額で手を打ちましょう。あ、こちらのネックレスとブレスレットも追加で査定してちょうだい。これらは全て、私がジュリアン殿下の『代わり』に選んで、私の『ツケ』で購入したものだから、実質的に私の所有物だと言い切れるわ」
宝石商は、溢れんばかりの宝飾品を前にして、もはや言葉を失っていた。
令嬢が婚約破棄を前にして真っ先に行うのが、感傷に浸ることではなく「資産の現金化」であるという事実に、職業柄多くの修羅場を見てきた彼も困惑を隠せない。
「お嬢様、少しは……その、思い出などは……」
「思い出? ああ、選ぶ時に肩が凝ったわね、という記憶ならあるわ。それも含めて査定額に上乗せしてほしいくらいだわ」
クロナが冷徹に微笑むと、宝石商は慌てて計算機を叩き始めた。
「……さて。サーシャ、お父様はどちらにいらして?」
「旦那様でしたら、先ほどから執務室で頭を抱えておいでです。お嬢様から提出された『王家への請求予定リスト』をご覧になったようで」
「あら、仕事が早いわね。じゃあ、直接引導を渡しに行ってくるわ」
クロナは、宝石商に預り証を書かせると、足早に父親の執務室へと向かった。
扉を叩く。返事を待たずに入室すると、そこには机に突っ伏したロベール侯爵の姿があった。
「お父様、おはようございます。リストの査読は終わりましたか?」
「クロナ……。お前、これは本気か? 王家に対して『これまで王子に費やした教育費の返還請求』なんて、前代未聞だぞ」
侯爵が顔を上げると、その目の下には立派なクマができていた。
だが、クロナは少しも怯まない。
「前代未聞ということは、歴史に名を残せるということですわね。素晴らしいわ」
「そういう問題じゃない! これを通せば、王家との縁は完全に切れる。それどころか、マリス王国での我々の立場も危うくなるんだぞ」
「あら、お父様。まだこの沈みかけの泥舟……失礼、王国に未練があるのですか?」
クロナは父親の前の椅子に腰を下ろし、指を組み合わせた。
「ジュリアン殿下は無能です。これは客観的な事実。そして彼は、リリィ男爵令嬢という、さらに無能を助長させる存在を選んだ。彼が即位すれば、この国の国力は十年以内に半減するでしょう。その時、真っ先に責任を押し付けられるのは、後ろ盾である我がロベール侯爵家。違いますか?」
「……それは、否定できんが」
「なら、損切りは早い方がいい。私はすでに隣国のゼクス公爵と連絡を取っています。あちらの国は今、優秀な事務官を喉から手が出るほど欲しがっている。私と、そしてロベール家の資本が移動すれば、あちらは諸手を挙げて歓迎してくれるはずです」
侯爵は絶句した。
自分の娘が、ただの不愛想な令嬢だと思っていたのは間違いだった。
彼女は、誰よりも優れた「商人」の血を引くリアリストだったのだ。
「お前は……婚約破棄を、ビジネスの転換期だと捉えているのか?」
「当然ですわ。あんな不良債権を抱え続けて倒産するのを待つなんて、侯爵家の名が廃ります。お父様、私に任せてください。ロベール家を、今よりもっと大きな富へと導いて差し上げますから」
クロナの瞳に宿る、圧倒的な自信。
それを見た侯爵は、やがて深い溜息をつき、そして不敵に口角を上げた。
「……分かった。好きにしろ。ただし、やるからには徹底的にやれ。ロベール家をコケにしたことを、あの若造に後悔させてやるんだ」
「ええ、もちろん。泣いて謝られても、延滞利息を上乗せして請求してあげますわ」
親子の合意が取れたところで、クロナは次のステップへと移る。
手帳を開き、彼女は密かに書き留めていた「協力者候補」の名前をチェックした。
「次は、情報の裏取りね。サーシャ、リリィ様の実家の借金状況を調べて。おそらく、ジュリアン殿下はそこを肩代わりしようとしているはずよ。もちろん、私たちの税金でね」
「畏まりました。……お嬢様、なんだかとても楽しそうでございますね」
「ええ、楽しいわ。無駄な愛想笑いをして王子の機嫌を取るよりも、数字を突き詰めて敵を追い詰める方が、ずっと私の性に合っているもの」
クロナは窓の外を見つめ、不敵に微笑んだ。
一週間後の卒業パーティー。
そこで行われるのは、悲劇のヒロインによる涙の訴えではない。
冷酷な会計士による、一方的な「強制執行」である。
「リリィ様、せいぜい今のうちに王子の腕の中で夢を見ていらっしゃい。パーティーが終わる頃には、その腕の中に残っているのは、多額の債務通知書だけですわよ」
彼女の計算に狂いはない。
クロナ・フォン・ロベールは、誰よりも美しく、そして誰よりも「金に細かい」悪役令嬢としての道を突き進み始めた。
翌朝、ロベール侯爵家を訪れた老舗の宝石商は、ルーペを片手にプルプルと指を震わせていた。
彼の目の前には、昨晩までクロナの指で輝いていたはずの巨大なサファイアの指輪が転がっている。
「ええ、本気よ。由緒なんてお腹の足しにもなりませんわ。知りたいのは一点のみ。今この場で現金化した場合、いくらになるのかしら?」
クロナは優雅にティーカップを傾けながら、事も無げに言った。
「そ、そうでございますね……。即座に買い取るとなれば、相場の下落も考慮して、金貨五百枚……いえ、六百枚といったところでしょうか」
「いいわ、その金額で手を打ちましょう。あ、こちらのネックレスとブレスレットも追加で査定してちょうだい。これらは全て、私がジュリアン殿下の『代わり』に選んで、私の『ツケ』で購入したものだから、実質的に私の所有物だと言い切れるわ」
宝石商は、溢れんばかりの宝飾品を前にして、もはや言葉を失っていた。
令嬢が婚約破棄を前にして真っ先に行うのが、感傷に浸ることではなく「資産の現金化」であるという事実に、職業柄多くの修羅場を見てきた彼も困惑を隠せない。
「お嬢様、少しは……その、思い出などは……」
「思い出? ああ、選ぶ時に肩が凝ったわね、という記憶ならあるわ。それも含めて査定額に上乗せしてほしいくらいだわ」
クロナが冷徹に微笑むと、宝石商は慌てて計算機を叩き始めた。
「……さて。サーシャ、お父様はどちらにいらして?」
「旦那様でしたら、先ほどから執務室で頭を抱えておいでです。お嬢様から提出された『王家への請求予定リスト』をご覧になったようで」
「あら、仕事が早いわね。じゃあ、直接引導を渡しに行ってくるわ」
クロナは、宝石商に預り証を書かせると、足早に父親の執務室へと向かった。
扉を叩く。返事を待たずに入室すると、そこには机に突っ伏したロベール侯爵の姿があった。
「お父様、おはようございます。リストの査読は終わりましたか?」
「クロナ……。お前、これは本気か? 王家に対して『これまで王子に費やした教育費の返還請求』なんて、前代未聞だぞ」
侯爵が顔を上げると、その目の下には立派なクマができていた。
だが、クロナは少しも怯まない。
「前代未聞ということは、歴史に名を残せるということですわね。素晴らしいわ」
「そういう問題じゃない! これを通せば、王家との縁は完全に切れる。それどころか、マリス王国での我々の立場も危うくなるんだぞ」
「あら、お父様。まだこの沈みかけの泥舟……失礼、王国に未練があるのですか?」
クロナは父親の前の椅子に腰を下ろし、指を組み合わせた。
「ジュリアン殿下は無能です。これは客観的な事実。そして彼は、リリィ男爵令嬢という、さらに無能を助長させる存在を選んだ。彼が即位すれば、この国の国力は十年以内に半減するでしょう。その時、真っ先に責任を押し付けられるのは、後ろ盾である我がロベール侯爵家。違いますか?」
「……それは、否定できんが」
「なら、損切りは早い方がいい。私はすでに隣国のゼクス公爵と連絡を取っています。あちらの国は今、優秀な事務官を喉から手が出るほど欲しがっている。私と、そしてロベール家の資本が移動すれば、あちらは諸手を挙げて歓迎してくれるはずです」
侯爵は絶句した。
自分の娘が、ただの不愛想な令嬢だと思っていたのは間違いだった。
彼女は、誰よりも優れた「商人」の血を引くリアリストだったのだ。
「お前は……婚約破棄を、ビジネスの転換期だと捉えているのか?」
「当然ですわ。あんな不良債権を抱え続けて倒産するのを待つなんて、侯爵家の名が廃ります。お父様、私に任せてください。ロベール家を、今よりもっと大きな富へと導いて差し上げますから」
クロナの瞳に宿る、圧倒的な自信。
それを見た侯爵は、やがて深い溜息をつき、そして不敵に口角を上げた。
「……分かった。好きにしろ。ただし、やるからには徹底的にやれ。ロベール家をコケにしたことを、あの若造に後悔させてやるんだ」
「ええ、もちろん。泣いて謝られても、延滞利息を上乗せして請求してあげますわ」
親子の合意が取れたところで、クロナは次のステップへと移る。
手帳を開き、彼女は密かに書き留めていた「協力者候補」の名前をチェックした。
「次は、情報の裏取りね。サーシャ、リリィ様の実家の借金状況を調べて。おそらく、ジュリアン殿下はそこを肩代わりしようとしているはずよ。もちろん、私たちの税金でね」
「畏まりました。……お嬢様、なんだかとても楽しそうでございますね」
「ええ、楽しいわ。無駄な愛想笑いをして王子の機嫌を取るよりも、数字を突き詰めて敵を追い詰める方が、ずっと私の性に合っているもの」
クロナは窓の外を見つめ、不敵に微笑んだ。
一週間後の卒業パーティー。
そこで行われるのは、悲劇のヒロインによる涙の訴えではない。
冷酷な会計士による、一方的な「強制執行」である。
「リリィ様、せいぜい今のうちに王子の腕の中で夢を見ていらっしゃい。パーティーが終わる頃には、その腕の中に残っているのは、多額の債務通知書だけですわよ」
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