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「……驚きましたわ。リリィ様のご実家、男爵家というよりは『借金の詰め合わせセット』とお呼びした方が適切ではありませんこと?」
翌日、書斎に戻ったクロナは、侍女のサーシャが持参した調査報告書を一瞥して吐き捨てた。
手元の紙には、リリィ男爵令嬢の実家が抱える負債の山が、これでもかと羅列されている。
高級家具のローン、出どころの怪しい投資への失敗、そして見栄を張るための夜会費。
「おっしゃる通りでございます。しかも、その借金の一部が、ここ数ヶ月で急激に完済、あるいは返済猶予へと切り替わっております」
「理由は聞くまでもありませんわね。我が婚約者殿が、王室の公金……あるいは、我が家が納めた寄付金から補填したのでしょう」
クロナは、羽根ペンを指先で器用に回しながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
彼女にとって、婚約者の不貞そのものより、その不貞の「維持費」を自分たちの財布から出されていることの方が、数万倍も許しがたい。
「サーシャ、ジュリアン殿下が最近頻繁に出入りしているブティック『マダム・ル・ブラン』の帳簿、洗えるかしら?」
「すでに手を打っております。あそこの店主は、かつてロベール侯爵家が資金援助をして立ち上げた店。お嬢様が直々に足を運べば、喜んで口を割るでしょう」
「素晴らしいわ。話のわかる相手は大好きよ」
クロナは即座に外出の準備を整え、街で一番の高級店へと馬車を走らせた。
店内に一歩足を踏み入れると、華やかなドレスの香りと共に、店主のブラン夫人が揉み手で出迎えた。
「これはこれは、クロナ様! 本日はどのような御用で? 新作のシルクが入荷しておりますが……」
「いいえ、マダム。今日は買い物ではなく、確認に来たの。……先日、ジュリアン殿下がこちらで注文された『ピンクのフリルをこれでもかとあしらった、センスの欠片もないドレス』の請求先についてよ」
マダムの顔から、一瞬にして営業スマイルが消えた。
彼女は周囲を気にするように視線を泳がせ、クロナを奥の個室へと案内した。
「……あ、あの、クロナ様。殿下からは『内密に』と強く言われておりまして。請求先は、ロベール侯爵家の月極め口座にするようにと……」
「まあ。殿下ったら、ご自分の財布と私の実家の金庫の区別もつかなくなってしまったのかしら。重症の認知機能不全ですわね」
クロナは、マダムが差し出した控えをじっくりと眺めた。
「金貨五十枚。……ふふ、リリィ様のあの薄っぺらな体に、金貨五十枚分の布を纏わせるなんて。重すぎて歩けなくなるのではないかしら?」
「お、お嬢様、お顔が怖うございます……!」
「マダム、この請求書、宛先を『第一王子ジュリアン個人』に書き直してちょうだい。そして、支払い期限は三日以内。もし支払われない場合は、王宮の会計局に直接この控えを提出して、殿下の『公金横領の疑い』として受理していただくわ」
マダムは真っ青になりながら、ガタガタと震える手でペンを握り直した。
「そ、そんなことをしたら、私は殿下からお叱りを受けてしまいます!」
「ご安心なさい。その時は、私が貴女の店を丸ごと買い取って、隣国へ移転させてあげるわ。あちらの方が購買層の質が良いもの。……それとも、今すぐこの場で私を敵に回す?」
「……書き直させていただきます、お嬢様!」
クロナは満足げに頷くと、個室を出て店を後にした。
馬車に戻るなり、彼女は手帳のリストに大きなバツ印を書き込んだ。
「これで一丁上がり。殿下は今頃、リリィ様と『甘い未来』を語り合っているでしょうけれど、現実は『苦い督促状』が届くだけですわ」
「お嬢様、次はどうされますか?」
「次は、殿下の『お勉強』の成果を確認しに行きましょうか。私が代筆してあげた論文の数々……あれ、実は小さな罠を仕掛けておいたのよ」
「罠、でございますか?」
サーシャが問い返すと、クロナは心底楽しそうに目を細めた。
「ええ。専門家が見れば一目でわかる、致命的な論理矛盾。私の解説がなければ、彼はその矛盾を説明できずに、学会で赤恥をかくことになるわ。卒業パーティーの前に、まずは知性の崩壊を味わっていただかないと」
クロナは、窓の外を流れる景色を見つめながら、指先で軽快にリズムを刻んだ。
愛だの恋だのと浮ついた言葉より、数字と証拠で追い詰める方が、どれほど確実で、どれほど心地よいか。
「さあ、ジュリアン殿下。貴方の『真実の愛』が、督促状一枚に耐えられるかどうか……見ものですわね」
彼女の復讐は、まだ始まったばかり。
だがその手口は、もはや一令嬢の嫌がらせを通り越し、国家規模の「資産差し押さえ」に近い冷徹さを帯びていた。
翌日、書斎に戻ったクロナは、侍女のサーシャが持参した調査報告書を一瞥して吐き捨てた。
手元の紙には、リリィ男爵令嬢の実家が抱える負債の山が、これでもかと羅列されている。
高級家具のローン、出どころの怪しい投資への失敗、そして見栄を張るための夜会費。
「おっしゃる通りでございます。しかも、その借金の一部が、ここ数ヶ月で急激に完済、あるいは返済猶予へと切り替わっております」
「理由は聞くまでもありませんわね。我が婚約者殿が、王室の公金……あるいは、我が家が納めた寄付金から補填したのでしょう」
クロナは、羽根ペンを指先で器用に回しながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
彼女にとって、婚約者の不貞そのものより、その不貞の「維持費」を自分たちの財布から出されていることの方が、数万倍も許しがたい。
「サーシャ、ジュリアン殿下が最近頻繁に出入りしているブティック『マダム・ル・ブラン』の帳簿、洗えるかしら?」
「すでに手を打っております。あそこの店主は、かつてロベール侯爵家が資金援助をして立ち上げた店。お嬢様が直々に足を運べば、喜んで口を割るでしょう」
「素晴らしいわ。話のわかる相手は大好きよ」
クロナは即座に外出の準備を整え、街で一番の高級店へと馬車を走らせた。
店内に一歩足を踏み入れると、華やかなドレスの香りと共に、店主のブラン夫人が揉み手で出迎えた。
「これはこれは、クロナ様! 本日はどのような御用で? 新作のシルクが入荷しておりますが……」
「いいえ、マダム。今日は買い物ではなく、確認に来たの。……先日、ジュリアン殿下がこちらで注文された『ピンクのフリルをこれでもかとあしらった、センスの欠片もないドレス』の請求先についてよ」
マダムの顔から、一瞬にして営業スマイルが消えた。
彼女は周囲を気にするように視線を泳がせ、クロナを奥の個室へと案内した。
「……あ、あの、クロナ様。殿下からは『内密に』と強く言われておりまして。請求先は、ロベール侯爵家の月極め口座にするようにと……」
「まあ。殿下ったら、ご自分の財布と私の実家の金庫の区別もつかなくなってしまったのかしら。重症の認知機能不全ですわね」
クロナは、マダムが差し出した控えをじっくりと眺めた。
「金貨五十枚。……ふふ、リリィ様のあの薄っぺらな体に、金貨五十枚分の布を纏わせるなんて。重すぎて歩けなくなるのではないかしら?」
「お、お嬢様、お顔が怖うございます……!」
「マダム、この請求書、宛先を『第一王子ジュリアン個人』に書き直してちょうだい。そして、支払い期限は三日以内。もし支払われない場合は、王宮の会計局に直接この控えを提出して、殿下の『公金横領の疑い』として受理していただくわ」
マダムは真っ青になりながら、ガタガタと震える手でペンを握り直した。
「そ、そんなことをしたら、私は殿下からお叱りを受けてしまいます!」
「ご安心なさい。その時は、私が貴女の店を丸ごと買い取って、隣国へ移転させてあげるわ。あちらの方が購買層の質が良いもの。……それとも、今すぐこの場で私を敵に回す?」
「……書き直させていただきます、お嬢様!」
クロナは満足げに頷くと、個室を出て店を後にした。
馬車に戻るなり、彼女は手帳のリストに大きなバツ印を書き込んだ。
「これで一丁上がり。殿下は今頃、リリィ様と『甘い未来』を語り合っているでしょうけれど、現実は『苦い督促状』が届くだけですわ」
「お嬢様、次はどうされますか?」
「次は、殿下の『お勉強』の成果を確認しに行きましょうか。私が代筆してあげた論文の数々……あれ、実は小さな罠を仕掛けておいたのよ」
「罠、でございますか?」
サーシャが問い返すと、クロナは心底楽しそうに目を細めた。
「ええ。専門家が見れば一目でわかる、致命的な論理矛盾。私の解説がなければ、彼はその矛盾を説明できずに、学会で赤恥をかくことになるわ。卒業パーティーの前に、まずは知性の崩壊を味わっていただかないと」
クロナは、窓の外を流れる景色を見つめながら、指先で軽快にリズムを刻んだ。
愛だの恋だのと浮ついた言葉より、数字と証拠で追い詰める方が、どれほど確実で、どれほど心地よいか。
「さあ、ジュリアン殿下。貴方の『真実の愛』が、督促状一枚に耐えられるかどうか……見ものですわね」
彼女の復讐は、まだ始まったばかり。
だがその手口は、もはや一令嬢の嫌がらせを通り越し、国家規模の「資産差し押さえ」に近い冷徹さを帯びていた。
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