婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
20 / 28

20

しおりを挟む
「……決めたぞ。やはり、クロナを呼び戻すことにする!」

マリス王宮の一室、もはや書類の海に沈没しかけていたジュリアン王子が、突然机を叩いて立ち上がった。

その目は、絶望の淵で変な光を宿しており、明らかに正常な判断力を失っている。

「で、殿下? 呼び戻すとは、一体どういう風に……。あの方は既に隣国の公爵閣下と婚約され、我が国とは縁を切っておりますが」

事務官が震え声で尋ねると、ジュリアンは自信満々に鼻で笑った。

「決まっているだろう! あいつは僕に執着していたんだ。あの厳しい態度も、請求書の山も、全ては僕の気を引くための、歪んだ愛の表現に違いない!」

「……は?」

事務官の口から、魂の抜けたような声が漏れた。

「あいつは今頃、隣国で寂しくて泣いているはずだ。僕が『特別に許してやるから戻ってこい』と一言声をかければ、泣いて喜んで戻ってくる。そして、この山積みの仕事を片付け、僕の負債を魔法のように消してくれるだろう」

「ジュリアン様! そんなの嫌ですわ!」

そこへ、ボロボロになったリリィが駆け込んできた。
彼女の指からは、かつて自慢していた宝石が消え、代わりに内職でついたと思われるインクのシミが目立っている。

「クロナ様が戻ってきたら、私はどうなるんですの!? 私の『真実の愛』はどうなってしまうの!?」

「安心しろ、リリィ。あいつはあくまで『筆頭事務官兼、僕の財布の管理人』として置くだけだ。愛でるのは君、働かせるのはクロナ。これぞ完璧な分業体制ではないか!」

ジュリアンのこの世のものとは思えないクズ発言に、事務官は静かに辞表を書き始めた。
だが、当の本人は止まらない。

「さあ、すぐに特使を送れ! 『王子である僕が、君のこれまでの無礼を水に流して、再び側近として雇ってやる。感謝して戻ってくるがいい』……とな!」

その頃。
隣国の美しい温泉地、アルトワ領の山間に位置する「癒やしの隠れ家」にて。

クロナは、湯上がりの火照った肌に最高級のシルクのローブを纏い、テラスでゼクス公爵と冷えた果実水を愉しんでいた。

「……極楽ですわ、閣下。マリス王国の腐敗した空気ではなく、この清らかな硫黄の香り。脳細胞が一つ残らず活性化されるようですわ」

「それは良かった。だが、先ほどから手元の算盤を離さないのは、活性化された脳で何を計算しているんだ?」

ゼクスが苦笑しながら尋ねると、クロナは満足げに算盤をパチンと弾いた。

「この温泉宿の宿泊客の回転率と、周辺の土産物屋の相関関係ですわ。閣下、ここの収益、あと二割は伸ばせます。露天風呂から見える景色に、特定の『課金制フォトスポット』を設ければ……」

「……休暇だと言ったはずだがな。まあいい、それが君の休息なら止めはせん」

そこへ、アルトワ家の伝令が血相を変えて現れた。

「閣下! クロナ様! マリス王国の第一王子より、至急の親書が届いております!」

ゼクスが眉をひそめ、差し出された手紙を奪うように受け取った。
内容を一読した瞬間、公爵の周囲に氷河期のような冷気が漂う。

「……クロナ。聞かない方がいいとは思うが、一応伝えておこう。例の王子が、『再雇用してやるから戻ってこい』と言ってきている」

クロナは、果実水を飲み干すと、優雅にグラスを置いた。

「……再雇用、ですか。条件は?」

「『無給。ただし、王子の側近という名誉ある地位と、彼の温かい慈悲を与える』……だそうだ」

数秒の沈黙の後。
温泉地の静かな山々に、クロナの凛とした、しかし地獄の底から響くような笑い声がこだました。

「あはははは! 素晴らしいわ! 閣下、今のジョーク、金貨一万枚分の価値がありますわね! 無給で労働力を提供させ、かつて自分を捨てた男の財布を直せですって?」

クロナは立ち上がり、サーシャからペンと紙を受け取った。

「サーシャ。返信を書いてちょうだい。――『提案に感謝いたします。つきましては、私の再雇用をご希望であれば、現在の私の時価に見合う契約金……マリス王国の国家予算三年度分を前払いでお願いいたします。あ、もちろん、リリィ様の私財を全て競売にかけた後の残金も、利息として頂戴いたしますわ』……と」

「……お嬢様、少々お安すぎませんか?」

「そうね。じゃあ追加で、『殿下がこれまでに書いたポエムの著作権を全てロベール家に譲渡すること。それを広場で朗読する権利も含む』と書き添えておいてちょうだい」

ゼクスは、隣で激しく筆を走らせる婚約者を眺め、哀れな王子に同情……は一ミリもせず、愉快そうに肩を揺らした。

「クロナ。その返信、私が公式な抗議文と共に送り届けてやろう。……我が国の『至宝』を侮辱した罪、高くつくぞ、ジュリアン」

「ええ、閣下。徹底的にむしり取ってあげましょう。……さあ、仕事の話が終わったら、もう一度お湯に入ってきますわ。……次は『王子のプライドを粉砕するためのコスト計算』でもしながらね」

クロナの瞳は、温泉の湯気よりも熱く、そして計算機よりも冷徹な光を放っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ

さこの
恋愛
 私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。  そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。  二十話ほどのお話です。  ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/08/08

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした

今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。 二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。 しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。 元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。 そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。 が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。 このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。 ※ざまぁというよりは改心系です。 ※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。

椎名シナ
恋愛
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」 ーーかつて私、エリアーナ・フォン・クライネルは、婚約者であったクラウヴェルト王国第一王子アルフォンスにそう蔑まれ、偽りの聖女マリアベルの奸計によって全てを奪われ、追放されましたわ。ええ、ええ、あの時の絶望と屈辱、今でも鮮明に覚えていますとも。 ですが、ご心配なく。そんな私を拾い上げ、その凍てつくような瞳の奥に熱い情熱を秘めた隣国ヴァルエンデ帝国の若き皇帝、カイザー陛下が「お前こそが、我が探し求めた唯一無二の宝だ」と、それはもう、息もできないほどの熱烈な求愛と、とろけるような溺愛で私を包み込んでくださっているのですもの。 今ではヴァルエンデ帝国の皇后として、かつて「無能」と罵られた私の知識と才能は大陸全土を驚かせ、帝国にかつてない繁栄をもたらしていますのよ。あら、風の噂では、私を捨てたクラウヴェルト王国は、偽聖女の力が消え失せ、今や滅亡寸前だとか? 「エリアーナさえいれば」ですって? これは、どん底に突き落とされた令嬢が、絶対的な権力と愛を手に入れ、かつて自分を見下した愚か者たちに華麗なる鉄槌を下し、大陸一の幸せを掴み取る、痛快極まりない逆転ざまぁ&極甘溺愛ストーリー。 さあ、元婚約者のアルフォンス様? 私の「穀潰し」ぶりが、どれほどのものだったか、その目でとくとご覧にいれますわ。もっとも、今のあなたに、その資格があるのかしら? ――え? ヴァルエンデ帝国からの公式声明? 「エリアーナ皇女殿下のご生誕を祝福し、クラウヴェルト王国には『適切な対応』を求める」ですって……?

【完】貴方達が出ていかないと言うのなら、私が出て行きます!その後の事は知りませんからね

さこの
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者は伯爵家の次男、ジェラール様。 私の家は侯爵家で男児がいないから家を継ぐのは私です。お婿さんに来てもらい、侯爵家を未来へ繋いでいく、そう思っていました。 全17話です。 執筆済みなので完結保証( ̇ᵕ​ ̇ ) ホットランキングに入りました。ありがとうございますペコリ(⋆ᵕᴗᵕ⋆).+* 2021/10/04

【完結】高嶺の花がいなくなった日。

恋愛
侯爵令嬢ルノア=ダリッジは誰もが認める高嶺の花。 清く、正しく、美しくーーそんな彼女がある日忽然と姿を消した。 婚約者である王太子、友人の子爵令嬢、教師や使用人たちは彼女の失踪を機に大きく人生が変わることとなった。 ※ざまぁ展開多め、後半に恋愛要素あり。

処理中です...