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「……素晴らしいわ。このアルトワ領の特産品である『銀糸絹』の流通ルート。一箇所だけ、非常に論理的ではない『渋滞』が発生していますわね」
アルトワ公爵邸のテラス。
爽やかな朝の光を浴びながら、クロナは優雅に……算盤を叩いていた。
彼女の目の前には、朝食のクロワッサンと、それ以上に山積みになった領内の通商記録がある。
「お嬢様、せめてお食事の間くらいは、その……数字から離れられませんか? 公爵閣下も呆れていらっしゃいますわよ」
サーシャが困ったように、クロナのティーカップに新しい紅茶を注いだ。
その視線の先には、少し離れた席で新聞を広げながら、片眉を上げてこちらを見ているゼクスがいた。
「……いや、構わん。彼女がこうして楽しそうに数字を追いかけている姿こそ、我が領の平和の象徴のようなものだからな。……それで、クロナ。その『渋滞』の正体は何だ?」
ゼクスが新聞を畳み、興味深そうに身を乗り出す。
クロナは待っていましたとばかりに、一枚の地図をテーブルに広げた。
「こちらですわ。南部のバレンヌ関所。ここの通過税、実は周辺の領地よりも〇.五パーセントだけ高い設定になっていますの。微々たる差に見えますが、これが商人たちの心理的障壁となり、結果として遠回りのルートを誘発しています」
「……なるほど。あそこは先代の頃に、警備費の名目で引き上げたままだったな。それが何か問題か?」
「大問題ですわ! ここを〇.八パーセント引き下げて、代わりに通過後の倉庫利用料を定額制にすれば、流入量は三割増えます。結果として、トータルの税収は十五パーセント向上する計算ですのよ!」
クロナの瞳が、獲物を見つけた猛獣……あるいは、最高の数式を解いた数学者のようにギラリと光った。
「……十五パーセント。……君は、たった一杯の紅茶を飲む間に、我が領の年間収益を数千万レアル引き上げたというわけか」
ゼクスは溜息をつき、椅子に深く背を預けた。
「君という女は、本当に心臓に悪い。私がこれまで有能だと思っていた事務官たちが、急にただの置物に見えてきた。……マリス王国のジュリアン王子は、君のこの頭脳を、一体何だと思っていたのだ?」
「そうですわね……。おそらく、自分の都合の良い時にだけ動く、高性能な『全自動ポエム校閲機』だと思っていたのでしょう。……あ、もちろん、私の名前で勝手に出される寄付金の振込用紙だとも思っていたはずですわ」
クロナは、皮肉たっぷりに微笑んでクロワッサンを一口齧った。
「今頃、あちらでは私がいないせいで、数字が空中分解している頃かしら。……想像するだけで、バターの香りがより一層香ばしく感じられますわね」
「……君の『ざまぁ』の基準は、どこまでも経済的だな。だが、私も同感だ。有能な人間が正当に評価されない組織など、早々に破綻するのが理の当然というもの」
ゼクスは立ち上がり、クロナの隣へ歩み寄った。
そして、彼女が握っていた算盤の上に、そっと自分の手を重ねた。
「クロナ。君のその知性を、私は心から尊敬している。……だが、同時に一人の男として、君の健康も心配なのだ。……今日はこれから、領内の隠れ家的な温泉地へ視察に行こう。もちろん、仕事抜きでだ」
「温泉地……! まあ、閣下。あそこの湯治客からの宿泊税の徴収漏れ、私も気になっていたところですわ!」
「……違う。徴収漏れの調査ではなく、純粋に湯に浸かって休むのだ。これは『旦那様』からの命令だと思ってもらいたい」
ゼクスが少し困ったように、しかし優しく微笑むと、クロナは顔を赤くして視線を泳がせた。
「……そ、そういうことでしたら、仕方ありませんわね。……でも、閣下。お湯の中で計算式が浮かんできても、怒らないでくださいな。私の脳は、最適化を止めることができませんの」
「……フッ。分かった。その時は、私が君の思考を物理的に止めてやることにしよう」
ゼクスの言葉に、クロナの心臓が不規則なビートを刻んだ。
計算できないこの胸の鼓動。
それこそが、彼女がこの新しい国で手に入れた、最も予測不能で、最も価値のある「変数」だった。
「(……会話が通じる、どころか……私の全てを肯定してくれる。なんて贅沢な投資環境なのかしら)」
クロナは、ゼクスの手にそっと自分の手を重ね返した。
マリス王国で失った時間は、これからこの場所で、莫大な利子を付けて回収していくつもりだった。
アルトワ公爵邸のテラス。
爽やかな朝の光を浴びながら、クロナは優雅に……算盤を叩いていた。
彼女の目の前には、朝食のクロワッサンと、それ以上に山積みになった領内の通商記録がある。
「お嬢様、せめてお食事の間くらいは、その……数字から離れられませんか? 公爵閣下も呆れていらっしゃいますわよ」
サーシャが困ったように、クロナのティーカップに新しい紅茶を注いだ。
その視線の先には、少し離れた席で新聞を広げながら、片眉を上げてこちらを見ているゼクスがいた。
「……いや、構わん。彼女がこうして楽しそうに数字を追いかけている姿こそ、我が領の平和の象徴のようなものだからな。……それで、クロナ。その『渋滞』の正体は何だ?」
ゼクスが新聞を畳み、興味深そうに身を乗り出す。
クロナは待っていましたとばかりに、一枚の地図をテーブルに広げた。
「こちらですわ。南部のバレンヌ関所。ここの通過税、実は周辺の領地よりも〇.五パーセントだけ高い設定になっていますの。微々たる差に見えますが、これが商人たちの心理的障壁となり、結果として遠回りのルートを誘発しています」
「……なるほど。あそこは先代の頃に、警備費の名目で引き上げたままだったな。それが何か問題か?」
「大問題ですわ! ここを〇.八パーセント引き下げて、代わりに通過後の倉庫利用料を定額制にすれば、流入量は三割増えます。結果として、トータルの税収は十五パーセント向上する計算ですのよ!」
クロナの瞳が、獲物を見つけた猛獣……あるいは、最高の数式を解いた数学者のようにギラリと光った。
「……十五パーセント。……君は、たった一杯の紅茶を飲む間に、我が領の年間収益を数千万レアル引き上げたというわけか」
ゼクスは溜息をつき、椅子に深く背を預けた。
「君という女は、本当に心臓に悪い。私がこれまで有能だと思っていた事務官たちが、急にただの置物に見えてきた。……マリス王国のジュリアン王子は、君のこの頭脳を、一体何だと思っていたのだ?」
「そうですわね……。おそらく、自分の都合の良い時にだけ動く、高性能な『全自動ポエム校閲機』だと思っていたのでしょう。……あ、もちろん、私の名前で勝手に出される寄付金の振込用紙だとも思っていたはずですわ」
クロナは、皮肉たっぷりに微笑んでクロワッサンを一口齧った。
「今頃、あちらでは私がいないせいで、数字が空中分解している頃かしら。……想像するだけで、バターの香りがより一層香ばしく感じられますわね」
「……君の『ざまぁ』の基準は、どこまでも経済的だな。だが、私も同感だ。有能な人間が正当に評価されない組織など、早々に破綻するのが理の当然というもの」
ゼクスは立ち上がり、クロナの隣へ歩み寄った。
そして、彼女が握っていた算盤の上に、そっと自分の手を重ねた。
「クロナ。君のその知性を、私は心から尊敬している。……だが、同時に一人の男として、君の健康も心配なのだ。……今日はこれから、領内の隠れ家的な温泉地へ視察に行こう。もちろん、仕事抜きでだ」
「温泉地……! まあ、閣下。あそこの湯治客からの宿泊税の徴収漏れ、私も気になっていたところですわ!」
「……違う。徴収漏れの調査ではなく、純粋に湯に浸かって休むのだ。これは『旦那様』からの命令だと思ってもらいたい」
ゼクスが少し困ったように、しかし優しく微笑むと、クロナは顔を赤くして視線を泳がせた。
「……そ、そういうことでしたら、仕方ありませんわね。……でも、閣下。お湯の中で計算式が浮かんできても、怒らないでくださいな。私の脳は、最適化を止めることができませんの」
「……フッ。分かった。その時は、私が君の思考を物理的に止めてやることにしよう」
ゼクスの言葉に、クロナの心臓が不規則なビートを刻んだ。
計算できないこの胸の鼓動。
それこそが、彼女がこの新しい国で手に入れた、最も予測不能で、最も価値のある「変数」だった。
「(……会話が通じる、どころか……私の全てを肯定してくれる。なんて贅沢な投資環境なのかしら)」
クロナは、ゼクスの手にそっと自分の手を重ね返した。
マリス王国で失った時間は、これからこの場所で、莫大な利子を付けて回収していくつもりだった。
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