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アルトワ公爵家の白亜の門前で、一人の男が衛兵に掴みかからんばかりの勢いで怒鳴り散らしていた。
「無礼者! 僕を誰だと思っている! マリス王国の第一王子、ジュリアン・ド・マリスだぞ! そこをどけ、クロナに会わせろ!」
かつての華やかな面影は、どこにもなかった。
仕立ての良い上着は泥に汚れ、自慢の金髪は手入れを怠ったせいでボサボサになっている。
何より、その瞳には余裕という名の資産が枯渇し、焦燥という名の負債が赤字を垂れ流していた。
「……騒がしいですわね。せっかくの午後のティータイム、鳥のさえずりより品のない声が聞こえてくるなんて、環境汚染も甚だしいわ」
テラスからその光景を見下ろしていたクロナは、優雅に紅茶を啜りながら、心の底から嫌そうな顔をした。
「……クロナ、あれが君の言っていた『不良債権』の正体か。想像していたよりも、ずっと減価償却が進んでいるようだな」
隣に座るゼクスが、冷ややかな視線を門の方へ向けた。
彼はそっとティーカップを置くと、クロナの手を優しく取った。
「君が会いたくないなら、あんな男、国境まで強制送還してもいいが?」
「いいえ。あそこまでトチ狂った再雇用計画を持ってわざわざ隣国までやってきたのですもの。一応、その『費用対効果の悪さ』を本人に自覚させてあげないと、私の気が済みませんわ」
クロナは立ち上がり、ゼクスのエスコートを受けて一階の玄関へと向かった。
門が開かれ、ゼクスの私兵によって広場まで引きずり込まれたジュリアンは、クロナの姿を見つけるなり、パッと顔を輝かせた。
「クロナ! ああ、クロナ! やはりここにいたか! 見てくれ、君がいなくなってから、マリス王宮は散々なんだ。さあ、今すぐ荷物をまとめろ。迎えに来てやったぞ!」
ジュリアンは、まるで自分が救世主であるかのように胸を張った。
その後ろには、申し訳程度に付き添っているリリィがいたが、彼女はアルトワ公爵邸の豪華さに圧倒され、借りてきた猫のように震えている。
「……お迎え? 殿下、今なんと仰いました?」
クロナは、ゼクスの腕に絡めた自分の手に力を込め、冷徹な微笑みを浮かべた。
「聞こえなかったのか? 君が僕の気を引くためにこんな隣国まで逃げてきたのは分かっている。その努力に免じて、特別に許してやる。僕の側近として、また公務を手伝わせてやると言っているんだ。感謝しろよ!」
「……感謝、ですか。殿下、その前に確認させていただきたいのですが。貴方はマリス王国の第一王子として、正式な外交手続きを経てここへいらしたのかしら?」
「外交手続き? そんな面倒なもの、必要ないだろう! 僕が君を連れ戻しに来た、それだけの話だ!」
クロナは溜息をつき、傍らに控えるサーシャから手帳を受け取った。
「いいですか、ジュリアン殿下。貴方は現在、隣国の公爵領に、身分を証明する公式な書類もなく、かつ不法に侵入した状態にありますわ。……さらに、私の計算によれば、殿下がここまでやってくるのに費やした馬車代と宿泊費、それらも全て『借金』によるものでしょう?」
「なっ……なぜそれを!」
「殿下の個人口座は、既に私の父が差し押さえておりますもの。つまり、今の殿下は『一文無しの不法侵入者』。……閣下、これ、法的にはどう処理されるのが妥当かしら?」
ゼクスは、獲物を追い詰める狼のような笑みを浮かべ、ジュリアンを一瞥した。
「我が領の法によれば、不法侵入及び身分詐称の疑いがある者は、即座に地下牢への収監、あるいは強制労働による罰金の徴収が可能だな」
「じ、地下牢!? 馬鹿な、僕は王子だぞ!」
「王子であろうと、財布の中身が空であれば、この国ではただの迷子と同じですわ」
クロナは一歩、ジュリアンの前に踏み出した。
「ジュリアン様、貴方は『迎えに来てやった』と仰いましたが、そのための軍資金も、私を養うための予算も、一円たりとも持っていらっしゃらない。……逆に伺いますが、今の貴方に、私を雇うだけの『時価』が支払えますの?」
「それは……僕の愛があれば……」
「愛は福利厚生に含まれませんわ。……サーシャ、マリス王国の現在のインフレ率と、殿下の負債額の対比表を見せて差し上げて」
「はい、お嬢様。こちらでございます。殿下が今ここでクロナ様を連れ戻した場合、マリス王国の国庫は来月中に完全に破綻するとの試算が出ております」
クロナは、数字の並んだ紙をジュリアンの鼻先に突きつけた。
「いいですか? 今の貴方は、沈みかけの船から逃げ出した救命ボートに向かって、『戻ってきて船底の穴を塞げ』と言っているのと同じですの。……そんな非合理的な命令に従うほど、私は愚かではありませんわ」
「ク、クロナ……君は、僕を愛していないのか!?」
「愛? ふふ、面白いことを仰るわ。……愛とは、お互いの資産価値を高め合い、未来への投資を共にすること。貴方がリリィ様と積み上げてきたのは、愛ではなく、ただの『損失』。……残念ながら、私のポートフォリオに、貴方の名前が残るスペースは一ミリもございませんの」
クロナの言葉は、鋭い刃のようにジュリアンのプライドを切り裂いた。
背後でリリィが「やっぱりお金がないとダメなんですわー!」と泣き叫んでいるが、もはや誰も気にとめない。
「さあ、ゼクス閣下。この迷子たちの処理、お願いいたしますわ。……あ、でも、あちらの馬車は我がロベール家が手配したものですから、しっかり回収しておいてくださいな。中に入っている荷物も、全て『慰謝料の一部』として没収させていただきますわ」
「承知した。……おい、この者たちを別棟へ連れて行け。沙汰が決まるまで、徹底的に監視しろ」
ゼクスの冷徹な命令により、ジュリアンとリリィは騎士たちによって引きずられていった。
「待て! クロナ! 僕はまだ諦めないぞ! 君は僕のものだ!」
ジュリアンの情けない叫びが遠ざかっていくのを、クロナは心底清々しい顔で見送った。
「(……ふう。やっぱり、数字の通じない相手との会話は疲れますわね。……さて、閣下。お茶が冷めてしまいましたわ。温め直して、今度は『王子の身代金』の算定でも始めましょうか?)」
「……君は本当に、慈悲という言葉を知らないな。……だが、そんな君が、私はたまらなく愛おしいよ」
ゼクスは笑いながら、再びクロナの手を取り、ゆっくりと館の中へと戻っていった。
新しい国での平穏な日々を乱そうとする者には、容赦のない「清算」あるのみ。
クロナ・フォン・ロベールの最強の快進撃は、まだまだ続くのであった。
「無礼者! 僕を誰だと思っている! マリス王国の第一王子、ジュリアン・ド・マリスだぞ! そこをどけ、クロナに会わせろ!」
かつての華やかな面影は、どこにもなかった。
仕立ての良い上着は泥に汚れ、自慢の金髪は手入れを怠ったせいでボサボサになっている。
何より、その瞳には余裕という名の資産が枯渇し、焦燥という名の負債が赤字を垂れ流していた。
「……騒がしいですわね。せっかくの午後のティータイム、鳥のさえずりより品のない声が聞こえてくるなんて、環境汚染も甚だしいわ」
テラスからその光景を見下ろしていたクロナは、優雅に紅茶を啜りながら、心の底から嫌そうな顔をした。
「……クロナ、あれが君の言っていた『不良債権』の正体か。想像していたよりも、ずっと減価償却が進んでいるようだな」
隣に座るゼクスが、冷ややかな視線を門の方へ向けた。
彼はそっとティーカップを置くと、クロナの手を優しく取った。
「君が会いたくないなら、あんな男、国境まで強制送還してもいいが?」
「いいえ。あそこまでトチ狂った再雇用計画を持ってわざわざ隣国までやってきたのですもの。一応、その『費用対効果の悪さ』を本人に自覚させてあげないと、私の気が済みませんわ」
クロナは立ち上がり、ゼクスのエスコートを受けて一階の玄関へと向かった。
門が開かれ、ゼクスの私兵によって広場まで引きずり込まれたジュリアンは、クロナの姿を見つけるなり、パッと顔を輝かせた。
「クロナ! ああ、クロナ! やはりここにいたか! 見てくれ、君がいなくなってから、マリス王宮は散々なんだ。さあ、今すぐ荷物をまとめろ。迎えに来てやったぞ!」
ジュリアンは、まるで自分が救世主であるかのように胸を張った。
その後ろには、申し訳程度に付き添っているリリィがいたが、彼女はアルトワ公爵邸の豪華さに圧倒され、借りてきた猫のように震えている。
「……お迎え? 殿下、今なんと仰いました?」
クロナは、ゼクスの腕に絡めた自分の手に力を込め、冷徹な微笑みを浮かべた。
「聞こえなかったのか? 君が僕の気を引くためにこんな隣国まで逃げてきたのは分かっている。その努力に免じて、特別に許してやる。僕の側近として、また公務を手伝わせてやると言っているんだ。感謝しろよ!」
「……感謝、ですか。殿下、その前に確認させていただきたいのですが。貴方はマリス王国の第一王子として、正式な外交手続きを経てここへいらしたのかしら?」
「外交手続き? そんな面倒なもの、必要ないだろう! 僕が君を連れ戻しに来た、それだけの話だ!」
クロナは溜息をつき、傍らに控えるサーシャから手帳を受け取った。
「いいですか、ジュリアン殿下。貴方は現在、隣国の公爵領に、身分を証明する公式な書類もなく、かつ不法に侵入した状態にありますわ。……さらに、私の計算によれば、殿下がここまでやってくるのに費やした馬車代と宿泊費、それらも全て『借金』によるものでしょう?」
「なっ……なぜそれを!」
「殿下の個人口座は、既に私の父が差し押さえておりますもの。つまり、今の殿下は『一文無しの不法侵入者』。……閣下、これ、法的にはどう処理されるのが妥当かしら?」
ゼクスは、獲物を追い詰める狼のような笑みを浮かべ、ジュリアンを一瞥した。
「我が領の法によれば、不法侵入及び身分詐称の疑いがある者は、即座に地下牢への収監、あるいは強制労働による罰金の徴収が可能だな」
「じ、地下牢!? 馬鹿な、僕は王子だぞ!」
「王子であろうと、財布の中身が空であれば、この国ではただの迷子と同じですわ」
クロナは一歩、ジュリアンの前に踏み出した。
「ジュリアン様、貴方は『迎えに来てやった』と仰いましたが、そのための軍資金も、私を養うための予算も、一円たりとも持っていらっしゃらない。……逆に伺いますが、今の貴方に、私を雇うだけの『時価』が支払えますの?」
「それは……僕の愛があれば……」
「愛は福利厚生に含まれませんわ。……サーシャ、マリス王国の現在のインフレ率と、殿下の負債額の対比表を見せて差し上げて」
「はい、お嬢様。こちらでございます。殿下が今ここでクロナ様を連れ戻した場合、マリス王国の国庫は来月中に完全に破綻するとの試算が出ております」
クロナは、数字の並んだ紙をジュリアンの鼻先に突きつけた。
「いいですか? 今の貴方は、沈みかけの船から逃げ出した救命ボートに向かって、『戻ってきて船底の穴を塞げ』と言っているのと同じですの。……そんな非合理的な命令に従うほど、私は愚かではありませんわ」
「ク、クロナ……君は、僕を愛していないのか!?」
「愛? ふふ、面白いことを仰るわ。……愛とは、お互いの資産価値を高め合い、未来への投資を共にすること。貴方がリリィ様と積み上げてきたのは、愛ではなく、ただの『損失』。……残念ながら、私のポートフォリオに、貴方の名前が残るスペースは一ミリもございませんの」
クロナの言葉は、鋭い刃のようにジュリアンのプライドを切り裂いた。
背後でリリィが「やっぱりお金がないとダメなんですわー!」と泣き叫んでいるが、もはや誰も気にとめない。
「さあ、ゼクス閣下。この迷子たちの処理、お願いいたしますわ。……あ、でも、あちらの馬車は我がロベール家が手配したものですから、しっかり回収しておいてくださいな。中に入っている荷物も、全て『慰謝料の一部』として没収させていただきますわ」
「承知した。……おい、この者たちを別棟へ連れて行け。沙汰が決まるまで、徹底的に監視しろ」
ゼクスの冷徹な命令により、ジュリアンとリリィは騎士たちによって引きずられていった。
「待て! クロナ! 僕はまだ諦めないぞ! 君は僕のものだ!」
ジュリアンの情けない叫びが遠ざかっていくのを、クロナは心底清々しい顔で見送った。
「(……ふう。やっぱり、数字の通じない相手との会話は疲れますわね。……さて、閣下。お茶が冷めてしまいましたわ。温め直して、今度は『王子の身代金』の算定でも始めましょうか?)」
「……君は本当に、慈悲という言葉を知らないな。……だが、そんな君が、私はたまらなく愛おしいよ」
ゼクスは笑いながら、再びクロナの手を取り、ゆっくりと館の中へと戻っていった。
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