婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの

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「待ってくれ、クロナ! 最後にもう一度だけチャンスをくれ!」


騎士たちに抱えられ、引きずり出されようとしていたジュリアンが、必死の形相で叫んだ。
その声は、かつての傲慢な第一王子の面影もなく、ただの溺れる者の悲鳴だった。


クロナは、ゼクスの腕の中で一度だけ足を止め、溜息混じりに振り返った。


「……殿下。まだ何か、未精算の事項がございましたかしら? 忘れ物でしたら、先ほど全て競売リストに載せておきましたけれど」


「そうじゃない! ……愛だよ! 君は僕を七年も支えてくれたじゃないか! あれは愛があったからこそだろう? もし君にまだ僕への愛が残っているなら、どうか戻ってきてほしい!」


ジュリアンの瞳には、縋るような光が宿っていた。
彼は信じているのだ。かつて自分の影として、無能な公務を全て支えてくれたクロナが、心の底ではまだ自分を愛しているのだと。


だが、クロナは算盤を小脇に抱え直し、慈悲の欠片もない微笑みを浮かべた。


「愛、ですか。……殿下、貴方は大きな勘違いをしていらっしゃいますわ。私が貴方を支えていたのは、貴方を愛していたからではなく、それが『将来の王妃』という役職に見合う、正当な投資(インベストメント)だと思っていたからに過ぎませんの」


「と、投資……!? 僕への気持ちは、ただのビジネスだったというのか!」


「当然ですわ。あんなに無味乾燥で論理の破綻した会話を七年も続けられたのは、将来的にマリス王国の国庫を私の裁量で動かせるようになる、という見返りを期待していたからですもの。……しかし、その投資対象が、勝手に不適切な支出(リリィ様)を重ね、挙句の果てに元本割れ……つまり婚約破棄を画策した。……さて、殿下。投資家として、私はどう動くのが正解かしら?」


クロナは、冷徹な会計士のような目でジュリアンを射抜いた。


「損切りよ。一秒でも早く、貴方という不良債権を切り捨てる。……それが、私が出した唯一の最適解ですわ」


「そ、そんな……! リリィ、リリィを愛した僕を、君は許してくれないのか!」


「許すも許さないもありませんわ。リリィ様を選んだ時点で、貴方は『業務提携先として不適切』という烙印をご自分で押されたのですもの。……あ、そうだ。リリィ様、貴女も少しは何か仰ったらどうかしら? 愛する殿下が、今まさに社会的に死のうとしていらっしゃいますわよ」


クロナに振られたリリィは、ガタガタと震えながらジュリアンを見上げた。
だが、その瞳には愛の輝きなど微塵もなかった。


「じゅ、ジュリアン様……。あの……本当に、もう一銭も持っていないのですか……? 私の実家の借金、本当に払ってくださらないのですか……?」


「リリィ……!? 君まで何を言うんだ! 僕たちは愛し合っているじゃないか!」


「愛があっても、差し押さえの紙は剥がれませんわ! ……クロナ様、お願いです! 私、間違っていました! 殿下なんて、もう差し上げますから、私の実家の家具だけでも返してくださいまし!」


「まあ、見事な手の平返し。……殿下、これが貴方の選んだ『真実の愛』の、現在の市場価値ですわよ。……せいぜい、二人で仲良く空っぽの財布を抱きしめていらっしゃい」


クロナは、冷ややかに言い放つと、今度こそ完全に背を向けた。


「さあ、ゼクス閣下。行きましょう。空気が淀んで、私の計算能力が低下してしまいそうですわ」


「ああ、そうだな。……おい、その者たちを国境付近の宿場町まで運べ。マリス王家には、不法侵入の罰金として、領内の森林整備のための労働を課すと伝えておけ」


ゼクスの冷徹な命令に、ジュリアンとリリィの絶望的な叫びが再び響いた。


「……クロナ。今の『投資』の話、本気か?」


廊下を歩きながら、ゼクスがふと小声で尋ねた。


「……あら、閣下。嫉妬かしら?」


「いや、君が私との関係も『投資効率』だけで見ているのだとしたら、少しばかり私の心臓が危ういと思ってな」


ゼクスが苦笑しながらクロナの手を握る。
クロナは、その手の温かさに頬を染めながらも、負けじと言い返した。


「……閣下との関係は、そうね。……『生涯にわたる、最高に高収益な共同事業』ですわ。……それに、閣下に対しては、計算機が壊れてしまうほどの、多額の『期待値』が乗っかっていますのよ」


「期待値、か。……それは光栄だな。……その期待に応えるために、今夜はとびきり高価な……いや、最高に幸せな時間を提案させてもらおう」


クロナの胸は、かつてないほど高鳴っていた。
ジュリアンという「大損失」を切り捨てた後に待っていたのは、ゼクスという、人生最大の「純利益」。


彼女の算盤は、今日も幸せな数字を弾き出し続けていた。
マリス王国の愚かな王子が、どれほどの至宝を失ったのか。それを彼が真に理解する頃、クロナは隣国で、世界一幸せな公爵夫人としての地位を、盤石なものにしていることだろう。
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