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リリアン様の裏の顔を知ったあの日から、私は屋敷に引きこもるのをやめた。
侍女カレンへの対処は、泳がせておく方が得策だと判断した。
下手に解雇してリリアン様のもとへ完全に走らせるより、こちらが気づいていないふりをしながら、逆に偽の情報を掴ませる方が面白い。
もちろん、アンナ以外の侍女を、重要な情報の近くに寄らせることは金輪際ないだろうが。
今の私が優先すべきは、ヴァルガス家の立て直しだ。
私は父の書斎に入り浸り、王家からの助成が途絶えた領地の運営状況を洗い直していた。
幸い、未来の王妃教育として、経済や領地経営の基礎は叩き込まれている。
「エレノア、お前……。顔色が、以前より良くなったな」
書類の山を前に私が計算をしていると、父が驚いたように言った。
「そうですわね。絶望の底で泣き暮らしているよりも、こうして頭と手を動かしている方が、よほど性に合っているようですわ」
「しかし、これは男の……」
「お父様。もはや、男も女もありませんわ。ヴァルガス家が生き残るためです」
私がそう言い切ると、父は何かを諦めたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「……そうか。お前に任せよう」
私たちの家は、王家に頼らずともやっていける。
いや、やっていかねばならない。
私がその決意を新たにしていた矢先、アルベールが再び夜陰に乗じて現れた。
彼は、私の部屋に入るなり、楽しそうに口を開いた。
「どうやら、貴女(あなた)の『悪役令嬢』ぶりは、社交界で絶大な効果を発揮しているようですよ、エレノア様」
「と、申しますと?」
私は確認作業の手を止め、彼に向き直った。
「貴女がクロンターリ伯爵邸で見せた姿……。特に、イザベラ嬢を皮肉で黙らせた一件は、尾ひれがついて王都中を駆け巡っています」
「まあ、噂話の早いこと」
「『エレノア様は、婚約破棄のショックで正気を失われた』
『いや、あれが彼女の本性だったのだ。あの冷たい瞳、まさに悪女だ』
……などと、好き放題に言われているようです」
私は、思わず乾いた笑いを漏らした。
望み通りの展開だ。
「それで?その噂は、当然……あの方の耳にも届いているのでしょう?」
私の問いに、アルベールは満足そうに頷いた。
「御名答。エドワード王子は、今、ひどく困惑されているご様子です」
「困惑、ですって?」
「はい。彼にとって、貴女は『自分が捨てた、哀れでか弱い女』でなければならなかったのです」
アルベールの言葉が、私の心の奥底に突き刺さる。
そうだ。
彼は私を「冷たい女」と断罪したが、それは同時に、彼に捨てられた私は無力で、泣いているしかない存在だと思い込みたかったのだろう。
それが、彼の罪悪感を和らげる唯一の方法だったから。
「彼は、自分がリリアン王女という『か弱い花』を守るために、貴女という『冷たい女』を切り捨てた、という『正義の物語』の中にいたいのです。しかし、現実はどうでしょう」
アルベールの声が、夜の静けさの中で知的に響く。
「捨てられたはずの貴女は、泣き寝入りするどころか、より冷たく、より強く、より辛辣になって社交界に復帰した。彼の『物語』が、根底から崩れ始めたのです」
「……」
「彼は、理解ができないのです。あの従順で、感情を殺していたエレノアが、なぜ今になってあのような振る舞いをするのか。自分の知っている貴女と、噂の中の貴女が違いすぎて、混乱している」
私は、その光景を想像し、冷ややかな満足感を覚えた。
そう、もっと混乱すればいい。
あなたが知っていた私は、あなたのために作られた仮面の一部にすぎなかったのだと、まだ気づきもしないのでしょう。
「リリアン王女は、どう動いていますの?」
「予想通りです」
アルベールは、肩をすくめた。
「エドワード様に泣きついていますよ。『エレノア様が、私を睨んだ』『あんなに変わってしまわれて、私が何か悪いことをしたのでしょうか』『怖いですわ』とね。王子の庇護欲をさらに煽り、自分に引き留めようと必死です」
「……愚かなお二人」
もはや、私の中に彼らへの情は一欠片も残っていなかった。
あるのは、この理不尽な状況を覆すための、冷たい計算だけだ。
「アルベール。王子の困惑は、まだ序章にすぎないわ。彼はこれから、もっと知ることになる」
「と、仰いますと?」
「自分が捨てたものの本当の価値と、自分が選んだものの本当の姿を、ですわ」
私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
月が、雲に隠れては、また現れる。
「エドワード様は、私が以前のエレノアを知るだけに、今の私の変貌に胸をざわつかせている……。結構なことですわ。その『ざわつき』を、いずれ本物の『後悔』に変えて差し上げます」
私の言葉に、アルベールが静かに微笑む気配がした。
「恐ろしい方だ。……ですが、そこが貴女の魅力でもある」
「お世辞は結構よ。それより、次の手を打ちましょう」
私の復讐は、まだ始まったばかりだ。
エドワード様、リリアン様。
あなた方が私から奪ったものの代償は、これからゆっくりと、確実に支払っていただきますわ。
侍女カレンへの対処は、泳がせておく方が得策だと判断した。
下手に解雇してリリアン様のもとへ完全に走らせるより、こちらが気づいていないふりをしながら、逆に偽の情報を掴ませる方が面白い。
もちろん、アンナ以外の侍女を、重要な情報の近くに寄らせることは金輪際ないだろうが。
今の私が優先すべきは、ヴァルガス家の立て直しだ。
私は父の書斎に入り浸り、王家からの助成が途絶えた領地の運営状況を洗い直していた。
幸い、未来の王妃教育として、経済や領地経営の基礎は叩き込まれている。
「エレノア、お前……。顔色が、以前より良くなったな」
書類の山を前に私が計算をしていると、父が驚いたように言った。
「そうですわね。絶望の底で泣き暮らしているよりも、こうして頭と手を動かしている方が、よほど性に合っているようですわ」
「しかし、これは男の……」
「お父様。もはや、男も女もありませんわ。ヴァルガス家が生き残るためです」
私がそう言い切ると、父は何かを諦めたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「……そうか。お前に任せよう」
私たちの家は、王家に頼らずともやっていける。
いや、やっていかねばならない。
私がその決意を新たにしていた矢先、アルベールが再び夜陰に乗じて現れた。
彼は、私の部屋に入るなり、楽しそうに口を開いた。
「どうやら、貴女(あなた)の『悪役令嬢』ぶりは、社交界で絶大な効果を発揮しているようですよ、エレノア様」
「と、申しますと?」
私は確認作業の手を止め、彼に向き直った。
「貴女がクロンターリ伯爵邸で見せた姿……。特に、イザベラ嬢を皮肉で黙らせた一件は、尾ひれがついて王都中を駆け巡っています」
「まあ、噂話の早いこと」
「『エレノア様は、婚約破棄のショックで正気を失われた』
『いや、あれが彼女の本性だったのだ。あの冷たい瞳、まさに悪女だ』
……などと、好き放題に言われているようです」
私は、思わず乾いた笑いを漏らした。
望み通りの展開だ。
「それで?その噂は、当然……あの方の耳にも届いているのでしょう?」
私の問いに、アルベールは満足そうに頷いた。
「御名答。エドワード王子は、今、ひどく困惑されているご様子です」
「困惑、ですって?」
「はい。彼にとって、貴女は『自分が捨てた、哀れでか弱い女』でなければならなかったのです」
アルベールの言葉が、私の心の奥底に突き刺さる。
そうだ。
彼は私を「冷たい女」と断罪したが、それは同時に、彼に捨てられた私は無力で、泣いているしかない存在だと思い込みたかったのだろう。
それが、彼の罪悪感を和らげる唯一の方法だったから。
「彼は、自分がリリアン王女という『か弱い花』を守るために、貴女という『冷たい女』を切り捨てた、という『正義の物語』の中にいたいのです。しかし、現実はどうでしょう」
アルベールの声が、夜の静けさの中で知的に響く。
「捨てられたはずの貴女は、泣き寝入りするどころか、より冷たく、より強く、より辛辣になって社交界に復帰した。彼の『物語』が、根底から崩れ始めたのです」
「……」
「彼は、理解ができないのです。あの従順で、感情を殺していたエレノアが、なぜ今になってあのような振る舞いをするのか。自分の知っている貴女と、噂の中の貴女が違いすぎて、混乱している」
私は、その光景を想像し、冷ややかな満足感を覚えた。
そう、もっと混乱すればいい。
あなたが知っていた私は、あなたのために作られた仮面の一部にすぎなかったのだと、まだ気づきもしないのでしょう。
「リリアン王女は、どう動いていますの?」
「予想通りです」
アルベールは、肩をすくめた。
「エドワード様に泣きついていますよ。『エレノア様が、私を睨んだ』『あんなに変わってしまわれて、私が何か悪いことをしたのでしょうか』『怖いですわ』とね。王子の庇護欲をさらに煽り、自分に引き留めようと必死です」
「……愚かなお二人」
もはや、私の中に彼らへの情は一欠片も残っていなかった。
あるのは、この理不尽な状況を覆すための、冷たい計算だけだ。
「アルベール。王子の困惑は、まだ序章にすぎないわ。彼はこれから、もっと知ることになる」
「と、仰いますと?」
「自分が捨てたものの本当の価値と、自分が選んだものの本当の姿を、ですわ」
私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
月が、雲に隠れては、また現れる。
「エドワード様は、私が以前のエレノアを知るだけに、今の私の変貌に胸をざわつかせている……。結構なことですわ。その『ざわつき』を、いずれ本物の『後悔』に変えて差し上げます」
私の言葉に、アルベールが静かに微笑む気配がした。
「恐ろしい方だ。……ですが、そこが貴女の魅力でもある」
「お世辞は結構よ。それより、次の手を打ちましょう」
私の復讐は、まだ始まったばかりだ。
エドワード様、リリアン様。
あなた方が私から奪ったものの代償は、これからゆっくりと、確実に支払っていただきますわ。
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