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アルベール・デュ・ランティエと密約を交わしてから、三日が過ぎた。
私は屋敷の自室に籠り、ひたすら彼の報告を待っていた。
父には、アルベールという協力者を得たことはまだ話していない。
不確かな情報で父を振り回したくはなかったし、何より、これは私自身の戦いだと決めたからだ。
窓の外は、すでに深い夜の闇に包まれている。
アンナが淹れてくれた紅茶は、とっくに冷めきっていた。
焦りが、じりじりと胸を焼く。
本当に、あの男は信用できるのだろうか。
ただの恩返しというには、あまりにも危険すぎる橋を渡ろうとしている。
もし彼が、私を陥れるための王家の手の者だったら?
いや、その可能性は低い。
あの瞳は、嘘をついている者の目ではなかった。
そう信じたかった。
その時、窓の外で、フクロウの鳴き声を模したような、低い合図が二度聞こえた。
約束の合図だ。
私はアンナを下がらせ、人目を忍んで裏庭へと続くテラスの扉を開けた。
月の光を背負うように、アルベールが音もなく立っていた。
「……遅いじゃないの」
心臓の早鐘を抑えながら、私は精一杯の皮肉を込めて言った。
「有益な情報を手に入れるには、それ相応の時間がかかるものです。エレノア様」
アルベールは、いつもと変わらない穏やかな口調で答えると、私の部屋に足を踏み入れた。
彼はまるで自分の書斎にでもいるかのように落ち着き払って、私が促す前に椅子に腰掛けた。
「それで、成果はあったの?」
「期待以上、と申し上げておきましょう」
アルベールは懐から一通の封書を取り出し、テーブルの上に置いた。
「まずは、リリアン・フォン・エルステッド王女。彼女は隣国エルステッドで、決して幸福な幼少期を送ってはいなかったようです」
「どういうこと?」
「彼女は側室の子。それも、王から寵愛を失った母親の娘です。王宮では常に疎まれ、姉である正室の王女からは酷い扱いを受けていたとか。彼女のあの『儚げで、守ってあげたくなる』態度は、そうしなければ生き残れなかった、彼女なりの処世術だったのでしょう」
アルベールの言葉は、私の知っているリリアン様の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
しかし、同時に妙な説得力があった。
あの過剰なまでの庇護欲のくすぐり方は、計算ずくでなければ説明がつかない。
「彼女は、自分の立場を覆すために、強力な『駒』を必要としていた。それが、我が国の第一王子、エドワード様だったというわけです」
「……それで、私から彼を奪ったと」
「奪った、というよりは、計画的に『誘導』した、と言うべきでしょうね」
アルベールは、さらに衝撃的な事実を口にした。
「彼女は、貴女(あなた)のことを徹底的に調べていました。貴女の行動パターン、エドワード様との会話の内容、そして……」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「そして、何?」
「貴女に仕える侍女の一人を、買収していました」
「……!」
血の気が引くのが分かった。
侍女?
アンナは、私に長年仕えてくれている。彼女が裏切るはずがない。
では、誰?
「アンナではありません。もう一人の、カレンです」
カレン。
確かに、ここ数ヶ月で新しく雇い入れた侍女だった。
物覚えは早いが、少しおしゃべりなところがあると思っていた娘だ。
「カレンが……?まさか、あの子が」
「リリアン王女は、カレンに高価な装飾品と金銭を与え、貴女の動向を逐一報告させていたようです。それも、かなり以前……貴女がリリアン王女とエドワード様を引き合わせる、ずっと前から」
つまり、リリアン様は最初から、私を踏み台にしてエドワード様に近づくつもりだったのだ。
私が「妹のように」などと思っていたこと自体が、滑稽でしかなかった。
「カレンは、リリアン王女に何を報告していたの」
「全て、です」
アルベールの声が、一段低くなった。
「貴女がエドワード様の公務の多さに『少し寂しい』と漏らしたこと。妃教育の厳しさに『たまには逃げ出したい』と冗談めかして言ったこと。それら全てが、カレンを通してリリアン王女に渡っていました」
そして、アルベールが続けた言葉に、私は愕然とした。
「リリアン王女は、それらの情報を巧みに脚色し、エドワード様の耳に入れていたのです。『エレノア様が、王子妃の座は窮屈だと嘆いておられました』『私のような何の力もない王女とは違って、エレノア様は自由でいらっしゃるのに……』と、涙ながらにね」
「……なんて、こと」
私の些細な愚痴や弱音は、リリアン様の手によって「傲慢な婚約者の不満」へとすり替えられていたのだ。
エドワード様が私を「冷たい女」と呼んだ理由が、今、はっきりと分かった。
彼は、私ではなく、リリアン様のフィルターを通して「作られた私」を見ていたのだ。
「ひどいわ……」
私は、怒りよりも先に、深い無力感と絶望に襲われそうになった。
信じていた婚約者だけでなく、身近にいた侍女にまで裏切られていたとは。
私は、なんて愚かだったのだろう。
私が打ちのめされているのを察したのか、アルベールが静かに言った。
「これが、貴族社会の現実です、エレノア様。しかし、嘆いている暇はありません。敵の手の内が分かったのです。これは、大きな一歩ですよ」
アルベールの冷静な声に、私ははっと我に返った。
そうだ。
泣いている場合ではない。
私は、悪役令嬢になると決めたのだ。
「……そうね。その通りだわ」
私は顔を上げ、冷めきった紅茶を一気に飲み干した。
「アルベール。そのカレンという侍女は、今どこに?」
「リリアン王女の庇護のもと、すでに王宮の離れにかくまわれているようです。尻尾は掴ませないつもりでしょう」
「そう。どこまでも用意周到なのね、あの可憐な王女様は」
私は、ふっと乾いた笑いを漏らした。
「いいわ。ならば、こちらもそれ相応のお返しをしてあげないと」
アルベールが、面白そうに私を見た。
「何か、お考えが?」
「ええ。リリアン様は、自分の『儚さ』と『純粋さ』を武器にしている。ならば、その武器が、いかに汚れたものかを、皆に知ってもらう必要があるわ」
私の瞳には、もう涙はなかった。
あるのは、復讐の炎と、冷徹な計算だけだった。
「アルベール。あなたの情報収集能力、見事だわ。引き続き、お願いしたいことがあるの」
「御意のままに」
私は、アルベールに次の策を授け始めた。
リリアン・フォン・エルステッド。
あなたのその可愛らしい仮面、私がこの手で剥がし取ってあげるわ。
私は屋敷の自室に籠り、ひたすら彼の報告を待っていた。
父には、アルベールという協力者を得たことはまだ話していない。
不確かな情報で父を振り回したくはなかったし、何より、これは私自身の戦いだと決めたからだ。
窓の外は、すでに深い夜の闇に包まれている。
アンナが淹れてくれた紅茶は、とっくに冷めきっていた。
焦りが、じりじりと胸を焼く。
本当に、あの男は信用できるのだろうか。
ただの恩返しというには、あまりにも危険すぎる橋を渡ろうとしている。
もし彼が、私を陥れるための王家の手の者だったら?
いや、その可能性は低い。
あの瞳は、嘘をついている者の目ではなかった。
そう信じたかった。
その時、窓の外で、フクロウの鳴き声を模したような、低い合図が二度聞こえた。
約束の合図だ。
私はアンナを下がらせ、人目を忍んで裏庭へと続くテラスの扉を開けた。
月の光を背負うように、アルベールが音もなく立っていた。
「……遅いじゃないの」
心臓の早鐘を抑えながら、私は精一杯の皮肉を込めて言った。
「有益な情報を手に入れるには、それ相応の時間がかかるものです。エレノア様」
アルベールは、いつもと変わらない穏やかな口調で答えると、私の部屋に足を踏み入れた。
彼はまるで自分の書斎にでもいるかのように落ち着き払って、私が促す前に椅子に腰掛けた。
「それで、成果はあったの?」
「期待以上、と申し上げておきましょう」
アルベールは懐から一通の封書を取り出し、テーブルの上に置いた。
「まずは、リリアン・フォン・エルステッド王女。彼女は隣国エルステッドで、決して幸福な幼少期を送ってはいなかったようです」
「どういうこと?」
「彼女は側室の子。それも、王から寵愛を失った母親の娘です。王宮では常に疎まれ、姉である正室の王女からは酷い扱いを受けていたとか。彼女のあの『儚げで、守ってあげたくなる』態度は、そうしなければ生き残れなかった、彼女なりの処世術だったのでしょう」
アルベールの言葉は、私の知っているリリアン様の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
しかし、同時に妙な説得力があった。
あの過剰なまでの庇護欲のくすぐり方は、計算ずくでなければ説明がつかない。
「彼女は、自分の立場を覆すために、強力な『駒』を必要としていた。それが、我が国の第一王子、エドワード様だったというわけです」
「……それで、私から彼を奪ったと」
「奪った、というよりは、計画的に『誘導』した、と言うべきでしょうね」
アルベールは、さらに衝撃的な事実を口にした。
「彼女は、貴女(あなた)のことを徹底的に調べていました。貴女の行動パターン、エドワード様との会話の内容、そして……」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「そして、何?」
「貴女に仕える侍女の一人を、買収していました」
「……!」
血の気が引くのが分かった。
侍女?
アンナは、私に長年仕えてくれている。彼女が裏切るはずがない。
では、誰?
「アンナではありません。もう一人の、カレンです」
カレン。
確かに、ここ数ヶ月で新しく雇い入れた侍女だった。
物覚えは早いが、少しおしゃべりなところがあると思っていた娘だ。
「カレンが……?まさか、あの子が」
「リリアン王女は、カレンに高価な装飾品と金銭を与え、貴女の動向を逐一報告させていたようです。それも、かなり以前……貴女がリリアン王女とエドワード様を引き合わせる、ずっと前から」
つまり、リリアン様は最初から、私を踏み台にしてエドワード様に近づくつもりだったのだ。
私が「妹のように」などと思っていたこと自体が、滑稽でしかなかった。
「カレンは、リリアン王女に何を報告していたの」
「全て、です」
アルベールの声が、一段低くなった。
「貴女がエドワード様の公務の多さに『少し寂しい』と漏らしたこと。妃教育の厳しさに『たまには逃げ出したい』と冗談めかして言ったこと。それら全てが、カレンを通してリリアン王女に渡っていました」
そして、アルベールが続けた言葉に、私は愕然とした。
「リリアン王女は、それらの情報を巧みに脚色し、エドワード様の耳に入れていたのです。『エレノア様が、王子妃の座は窮屈だと嘆いておられました』『私のような何の力もない王女とは違って、エレノア様は自由でいらっしゃるのに……』と、涙ながらにね」
「……なんて、こと」
私の些細な愚痴や弱音は、リリアン様の手によって「傲慢な婚約者の不満」へとすり替えられていたのだ。
エドワード様が私を「冷たい女」と呼んだ理由が、今、はっきりと分かった。
彼は、私ではなく、リリアン様のフィルターを通して「作られた私」を見ていたのだ。
「ひどいわ……」
私は、怒りよりも先に、深い無力感と絶望に襲われそうになった。
信じていた婚約者だけでなく、身近にいた侍女にまで裏切られていたとは。
私は、なんて愚かだったのだろう。
私が打ちのめされているのを察したのか、アルベールが静かに言った。
「これが、貴族社会の現実です、エレノア様。しかし、嘆いている暇はありません。敵の手の内が分かったのです。これは、大きな一歩ですよ」
アルベールの冷静な声に、私ははっと我に返った。
そうだ。
泣いている場合ではない。
私は、悪役令嬢になると決めたのだ。
「……そうね。その通りだわ」
私は顔を上げ、冷めきった紅茶を一気に飲み干した。
「アルベール。そのカレンという侍女は、今どこに?」
「リリアン王女の庇護のもと、すでに王宮の離れにかくまわれているようです。尻尾は掴ませないつもりでしょう」
「そう。どこまでも用意周到なのね、あの可憐な王女様は」
私は、ふっと乾いた笑いを漏らした。
「いいわ。ならば、こちらもそれ相応のお返しをしてあげないと」
アルベールが、面白そうに私を見た。
「何か、お考えが?」
「ええ。リリアン様は、自分の『儚さ』と『純粋さ』を武器にしている。ならば、その武器が、いかに汚れたものかを、皆に知ってもらう必要があるわ」
私の瞳には、もう涙はなかった。
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