もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

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ヴァルガス家の財政状況を立て直すため、私は書斎に籠っているだけではいられなくなった。

王家からの助成が断たれた今、領地からの税収だけでは足りない。

父が長年築いてきた商人たちとの繋がりも、王家の横槍(よこやり)によって多くが機能不全に陥っている。

新規の取引先を開拓し、ヴァルガス家の持つ資産――例えば、まだ市場に出ていない高品質な鉱石や、領地特産の織物など――を、王家の影響力が及ばないルートで換金する必要があった。

「……危険だ、エレノア。お前が一人で王都の商人街などへ行くのは」

父は、私の計画を聞いて難色を示した。

「今の我らは、王家から睨まれている。リリアン王女の息がかかった者たちが、お前に何を仕掛けてくるか分からない」

「ですがお父様、このまま座して死を待つわけにはまいりませんわ。それに、私には考えがあります」

その夜、私はアルベールを呼んだ。

彼に私の計画を打ち明けると、彼は予想通り、穏やかな笑みを崩さなかった。

「……なるほど。それで、私に護衛をしろ、と?」

「勘違いしないでちょうだい。あなたには、私の『駒』として、私の商談がうまくいくよう立ち回ってもらうわ。護衛は、その『ついで』よ」

私は強気にそう言った。

私に近づく人間は、エドワードもリリアンも、皆、私を利用するか裏切るかだった。

アルベールも、まだ100パーセント信用したわけではない。

彼は、私の強がりを見透かしたように、くすりと笑った。

「御意のままに、我が主よ。貴女の『ついで』の護衛として、万全を尽くしましょう」

翌日、私は地味な平民の娘が着るような、しかし上質な生地のワンピースを纏い、顔を隠すように深くフードを被った。

アルベールもまた、貴族然とした装いではなく、動きやすい商人のような服装をしていた。

私たちはアンナだけに見送られ、人目を忍んで裏口から屋敷を出た。

目指すは、王都でも新興の商人たちが集まる地区。

古い大通りではなく、王家の監視の目が行き届きにくい場所だ。

「まずは、ギルベール商会ですわ。あそこは新参者だが、最近、東方との交易で急速に力をつけていると聞くわ」

私が小声で言うと、隣を歩くアルベールが静かに答えた。

「……必要ありません。ギルベール商会は、見送った方が賢明です」

「なぜ?私の情報では、彼らは王家と繋がりが薄いはずよ」

「表向きは。ですが、会頭(かいとう)のギルベールは、半年前にリリアン王女の侍女であるカレンと密会しているのを、私の部下(もの)が確認しております」

「……!」

私は、背筋が凍る思いだった。

あそこが、リリアン様の罠だったとしたら?

私がおびき寄せられ、そこで何らかの不祥事に巻き込まれたら……。

「……あなた、なぜそれを早く言わないの」

「貴女の危機管理能力を試させていただきました。それに、次善の策もご用意しております」

アルベールは、私を促して、さらに入り組んだ路地へと入っていく。

「向かうのは、マルタン工房です。あそこの主人は、腕は確かですが頑固者で、貴族からの不当な値下げ要求にうんざりしている。我らの持つ鉱石の品質を正当に評価できる男です」

まるで、私が何を考え、どう動くか、すべてお見通しだというような手際の良さだった。

マルタン工房の主人は、アルベールの言う通り、最初は私たちを値踏みするように見ていた。

しかし、私が持参した鉱石のサンプルと、領地経営で学んだ専門知識を披露すると、彼の目が変わった。

商談は、驚くほどスムーズに進んだ。

王家の介入を避けるため、直接的な取引ではなく、アルベールが用意した別の商会を間に挟むという念の入れようだった。

「……大したものだわ、アルベール。あなたは、ただの情報屋ではなさそうね」

工房を出て、人通りのない路地に入ったところで、私は率直な感想を漏らした。

彼がいなければ、私は今頃、リリアン様の罠にはまっていたかもしれない。

「貴女のお役に立てたのなら、光栄です」

「お世辞はいいわ。……私の『駒』としては、上出来よ」

私は、わざと冷たくそう言い放った。

彼を、これ以上信用してはならない。

優しくされて、絆(ほだ)されて、また裏切られるのはごめんだ。

私は「悪役令嬢」なのだから。

私たちは、夕暮れの迫る中、王都の喧騒(けんそう)から離れた川沿いの道を歩いていた。

屋敷へ戻る、人目につかない近道だ。

私が気を張って歩いていると、アルベールが不意に立ち止まった。

「何を……」

「少し、お待ちを」

彼はそう言うと、川辺の露店で何かを買い、すぐに戻ってきた。

彼が私の手に握らせたのは、小さな紙袋だった。

「何ですの、これ」

「焼き栗です。ここのは、蜜でコーティングしてあって美味いのですよ」

袋からは、甘く香ばしい匂いが立ち上ってくる。

「……馬鹿にしてるの?私は今、戦いの最中なのよ。こんな、呑気な……」

「戦いの最中だからこそ、必要なものです」

アルベールは、私の言葉を遮った。

彼の表情は、いつもの穏やかな笑みではなく、どこか真剣だった。

「エレノア様。貴女は、ずっと気を張り詰めすぎている」

「……!」

「悪役令嬢を演じるのは、結構。ですが、演じているうちに、貴女自身が擦り切れてしまいます」

彼は、私のフードの奥を、真っ直ぐに見つめた。

「エドワード王子やリリアン王女は、貴女の『優しさ』に付け込んだ。ですが、私は貴女のその『強さ』が、いつか折れてしまわないか心配している」

私の心の奥底、硬い氷で覆っていたはずの、一番柔らかい場所を、彼はいとも簡単に見抜いてきた。

エドワード様は、私の「強さ」など見ようともしなかった。

彼は、私が完璧であることを望み、それが当たり前だと思っていた。

それなのに、この男は。

「……余計なお世話よ」

私は、彼の視線から逃れるように顔を背け、紙袋を強く握りしめた。

「私は、擦り切れたりしないわ。もう二度と、誰にも……」

「ええ。ですが、ほんの少しの糖分は、張り詰めた神経を和らげます。これも、貴女を完璧な『悪役令嬢』にするための、必要な投資ですよ」

アルベールは、そう言って、またいつもの飄々(ひょうひょう)とした笑みに戻った。

私は、何も言い返せなかった。

手のひらに伝わる、温かい焼き栗の熱。

それは、アルベールから差し出された、計算ずくではない、不意打ちの優しさのように感じられた。

閉ざしたはずの心が、この温かさに、ほんの少しだけ揺らいでしまうのを、私は必死で押し殺した。
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