もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

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王宮の一室。

かつては可憐な花々で彩られていたリリアン・フォン・エルステッドの部屋は、今は荒れ果てていた。

床には高価な花瓶が割れた破片が散乱し、クッションは引き裂かれ、絹のカーテンは無残に引きちぎられている。

「なぜ……!なぜ、うまくいかないの!」

リリアンは、鏡台に映る自分の顔を、ヒステリックに睨みつけた。

涙で化粧は崩れ、その顔はもはや「可憐な天使」の面影を留めていない。

王妃主催の茶会での敗北。

あれ以来、全てが狂ってしまった。

頼みの綱だったエドワード様は、あの日を境に、私を慰めるどころか、まるで犯罪者でも見るかのように冷たい目で私を問い詰めてくる。

『君は、俺に嘘をついていたのか?』

違う!

嘘ではないわ!

あの女が、王子妃の座が窮屈だと、そう思わせるように仕向けただけ!

それなのに、エドワード様は、今やあの女……エレノアのことばかりを気にしている。

あまつさえ、側近にあの女の動向を調べさせ、『自分の過ちに気づいた』などと、馬鹿げた後悔までしているというではないか。

「あの女が……!エレノアが、全部、わたくしのものを奪っていく!」

婚約者の座も、王宮での立場も、そしてエドワード様の心も、全てわたくしが手に入れたはずだった。

それなのに、あの女は、捨てられたにもかかわらず、前よりも輝いている。

「悪役令嬢」などと呼ばれながら、その悪名が、かえって彼女の評価を高めている。

ヴァルガス家が再起し、古参の貴族たちまでもが、あの女の行動力を「真の貴族の姿だ」と称賛し始めている。

このままでは、全てが逆戻りする。

わたくしが、全てを失う。

故国で、姉たちに虐げられ、誰からも顧みられなかった、あの惨めな日々に逆戻りする。

「……嫌」

それだけは、絶対に嫌!

わたくしは、第一王子の妃となり、この国の頂点に立つはずなのよ!

焦りと恐怖が、リリアンの思考を、より悪質で、より危険な方向へと追い詰めていく。

もう、ただの痴情のもつれなどという、生易しい手段では駄目だ。

あの女を、エレノア・フォン・ヴァルガスを、二度と立ち上がれないように、社会的に抹殺(まっさつ)するしかない。

リリアンは、割れた鏡に映る自分の、醜く歪んだ顔を見た。

そして、決意を固めた。

彼女は、侍女に命じて、最低限の身なりを整えると、泣きはらした顔をわざと隠さずに、王妃陛下の私室へと駆け込んだ。

「王妃陛下……!お助けくださいまし!」

リリアんが足元に縋(すが)り付くと、王妃は露骨に眉をひそめた。

王妃もまた、エドワードの心がエレノアに戻りかけていることに、ひどく苛立っていた。

「……見苦しいわね、リリアン。いつまでも泣いていて、何になるというの」

「ですが、陛下!このままでは、エドワード様のお心が、あの女に……!」

「分かっています!」

王妃は、声を荒らげた。

「あのヴァルガス家の娘……!婚約破棄された腹いせに、王家の意向を無視し、勝手に商人と取引を始め、あろうことか、エドワードの心を惑わし続けるとは!不敬にもほどがある!」

王妃にとって、エレノアの存在は、自らの権威への挑戦に他ならなかった。

リリアンは、王妃がエレノアに強い不快感を抱いていることを確認し、計画の最終段階へと移った。

「陛下……。わたくし、恐ろしいことを知ってしまったのです」

リリアンは、わざと声を震わせ、周囲を憚(はばか)るように囁いた。

「な、何です」

「エレノア様が……。ヴァルガス家が、王家を通さずに契約した、あのマルタン工房やガルニエ商会……。彼らとの取引で得た莫大(ばくだい)な資金を、あろうことか……」

リリアンは、そこで言葉を切り、王妃の顔を怯えた目で見上げた。

「……我が国、エルステッドの、王位に不満を持つ反乱分子と、密かに接触し、軍資金として横流ししている、と……!」

「……な……!」

王妃が、息を呑んだ。

それは、ただの不敬罪ではない。

隣国と通じ、国家転覆を狙った、「反逆罪」に他ならなかった。

「ま、本当なのですか、それは!?」

「わたくしの侍女が、カレンが……。エレノア様の屋敷にいた頃、偶然、そのような密約書の一部を見てしまった、と……!怖ろしくなって、わたくしのもとへ逃げてきたのです!」

もちろん、全てが、リリアンがカレンに命じて捏造(ねつぞう)させた、真っ赤な嘘だ。

だが、追い詰められたリリアンには、もうこれしか残されていなかった。

王妃は、その言葉の真偽を確かめるよりも先に、その「疑惑」が持つ政治的な力に気づいた。

「……そう。そうだったのね」

王妃の目に、冷たい光が宿った。

「あの女は、王子に捨てられた腹いせに、この国そのものに復讐しようとしている……。そういうことね」

リリアンの嘘は、王妃が望む「物語」に、完璧に合致した。

「リリアン。その証拠の『密約書』とやらを、カレンに持ってこさせなさい。……すぐに、貴族議会を招集します」

「は、はい!」

リリアンは、顔を伏せたまま、唇の端が吊り上がるのを必死でこらえた。

その日の深夜。

ヴァルガス侯爵邸の私の部屋に、アルベールが血相を変えて飛び込んできた。

彼が、これほどまでに冷静さを失った姿を見るのは、初めてだった。

「エレノア様!一刻も早く、ここを……!」

「どうしたの、アルベール。あなたらしくないわ」

私は、書き物をしていた手を止め、彼を見た。

彼の額には、玉のような汗が浮かんでいた。

「……王妃と、リリアン王女が、動きました」

彼の声は、低く、切迫していた。

「彼らは、貴女がたヴァルガス家を、『反逆罪』で断罪するつもりです」

「……なんですって?」

私も、さすがに血の気が引いた。

「マルタン工房やガルニエ商会との取引を、『王家を無視した利敵行為』『軍資金の横流し』と。……リリアン王女の故国であるエルステッドの反乱分子と通じていると、捏造された証拠を元に、明朝、貴族議会で弾劾(だんがい)する手はずです」

痴情のもつれ。

貴族間の派閥争い。

そのレベルを、遥かに超えていた。

これは、一族郎党、処刑されてもおかしくない、最大の罪状だ。

リリアン様……。

わたくしを、社会的に抹殺するどころか、物理的に消し去るつもりなのね。

「……面白いじゃない」

私の口から、乾いた笑いが漏れた。

「エレノア様!?」

「それこそが、彼女の最後の悪あがきよ、アルベール。追い詰められたネズミは、猫をも噛む。……けれど、その噛みつき方があまりに稚拙(ちせつ)だわ」

「稚拙、と!?これは、罠です!彼らは、貴女を捕らえる口実を……!」

「だから、罠(わな)なのよ」

私は、静かに立ち上がった。

「わたくしが、ここであなたと逃げたら、どうなる?」

「……!」

「『反逆の罪を認めて逃亡した』と、彼らの思う壺よ。ヴァルガス家は、弁明の機会もなく、取り潰される」

アルベールが、悔しそうに唇を噛んだ。

「……では、どうされます。明朝、議会に出向けば、彼らの用意した『証拠』によって、貴女は……」

「ええ。だから、それまでに『真実』を用意するのよ」

私は、アルベールの目を、真っ直ぐに見据えた。

「リリアン様が捏造した『証拠』。それに対抗できる、わたくしたちの『無実』の証拠。……そして、彼女が嘘をついているという、決定的な証拠を」

「しかし、時間がありません!」

「いいえ。まだ、夜明けまでは時間があるわ」

私は、窓の外の、深い闇を見つめた。

「アルベール。あなたの情報網の、全てを使いなさい。わたくしも、動くわ」

これは、最大の危機。

そして、全てを覆す、最大の好機でもあった。
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