もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

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夜の静寂は、国家反逆という恐ろしい言葉によって、粉々に打ち砕かれた。

アルベールの顔は、私がこれまで見たことのないほど険しく、彼の纏(まと)う空気は切迫していた。

だが、私はこの最大の危機を前に、逆に頭が冴え渡っていくのを感じていた。

「……アルベール。わたくしがここで感情的になって取り乱すとでも思った?」

「……いいえ。ですが、エレノア様、これは」

「時間が惜しいわ。すぐに動きましょう」

私は、アルベールに指示を出す。

「あなたは、あなたの全てを使って、リリアン様が捏造(ねつぞう)したという『密約書』の正体を掴んで。筆跡、使われた羊皮紙、印蝋(いんろう)……どんな些細(ささい)なことでもいい。それが『偽物である』という証拠を探しなさい」

「……!」

「そして、カレン。その侍女が、王宮の離れにかくまわれているのなら、今すぐ彼女の身柄、いえ……彼女の『証言』を確保して。リリアン様に脅されているなら、なおさらよ。彼女こそが、リリアン様の嘘を暴く最大の鍵になるわ」

「しかし、王宮の、それも王妃様の監視下にある人間を……」

「あなたの『恩返し』、見せてもらうわ」

私は、アルベールの瞳を真っ直ぐに射抜いた。

「あなたは、私の剣となり、盾となると言った。今が、その時よ。……あなたなら、できるでしょう?」

私の挑発的とも言える信頼の言葉に、アルベールは一瞬、息を呑んだ。

そして、彼は、ふっと短く息を吐くと、その瞳に冷徹な光を宿した。

「……御意のままに。必ずや、リリアン王女の化けの皮を剥(は)ぐ証拠を、夜明けまでにお持ちいたします」

彼は、一礼すると、もはや一人の青年ではなく、闇に生きる諜報(ちょうほう)のプロフェッショナルとしての顔つきで、音もなく私の部屋から消えた。

彼が闇に消えたのを見届けると、私は急いで部屋を出て、父の寝室の扉を叩いた。

「お父様!起きてください、エレノアです!緊急事態ですわ!」

ただならぬ私の様子に、父はすぐにガウンを羽織って出てきた。

その顔には、何事かという戸惑いが浮かんでいる。

「エレノア……?どうした、こんな夜更けに」

「お父様、落ち着いて聞いてください。王妃様とリリアン王女が、私たちヴァルガス家を『反逆罪』で陥れようとしています」

「……な、なんだと!?」

私は、父にアルベールから得た情報を、手短に、しかし正確に伝えた。

マルタン工房やガルニエ商会との取引が、隣国への軍資金横流しにすり替えられていること。

明朝の貴族議会で、私たちが弾劾(だんがい)されること。

父の顔が、みるみるうちに青ざめていく。

「馬鹿な……!反逆罪など……!我らが、どれほど王家に尽くしてきたと……!」

「お父様!今は、怒りや絶望に浸っている時間はありません!」

私は、父の肩を強く掴んだ。

「彼らが『偽物の証拠』を突きつけてくるのなら、私たちは『本物』を突きつけるまでです」

「本物……?」

「はい。ヴァルガス家の、ここ数ヶ月の全ての帳簿。マルタン工房、ガルニエ商会との、正式な契約書の原本。全てです!夜が明けるまでに、議会に提出できる形にまとめ上げてください!」

「おお……!そうか、そうだ!」

父の目に、ようやく光が戻った。

「それこそが、我らの無実を証明する、何よりの証拠だ!」

「さらに、お父様の名前で、今すぐにマルタン工房とガルニエ商会の会頭(かいとう)に、使者を出してください。『ヴァルガス家が反逆の容疑をかけられた。明朝の議会で、取引の正当性を証言願いたい』と。……彼らが本物の商人ならば、この危機に、私たちとの『信義』を選んでくれるはずですわ」

「分かった!すぐに手配しよう!」

父は、執事を呼びつけ、ヴァルガス家は、真夜中にもかかわらず、一気に臨戦態勢に入った。

屋敷中が、にわかに慌ただしくなる。

私は、自室に戻り、アルベールの帰りを待った。

時間は、刻一刻と過ぎていく。

東の空が、わずかに白み始めた頃。

私の部屋の窓が、静かにノックされた。

「……アルベール!」

息を切らし、わずかに衣服を乱したアルベールが、音もなく部屋に滑り込んできた。

彼の表情は、疲労困憊(こんぱい)しているにもかかわらず、その目は狩りを成功させた獣のように鋭く輝いていた。

「……間に合いました」

彼が、テーブルの上に、いくつかの品物を置いた。

一つの、小さな小箱。

そして、一枚の羊皮紙。

「何ですの、これは」

「まず、小箱を」

アルベールに促され、小箱を開けると、中には豪奢なルビーの首飾りが収められていた。

「これは……カレンが、リリアン王女から買収された際に受け取った品の一つです。そして」

彼は、羊皮紙を広げた。

「これは、カレンがその首飾りを、王都の質屋に持ち込んだ際の『売買記録』の写しです。日付は、貴女が婚約破棄される、三日も前のものです」

「……!」

つまり、リリアン様は、あの舞踏会が起こるずっと以前から、カレンを買収し、私を陥れる準備をしていたという、決定的な証拠。

「カレン本人は?」

「……王宮の離れに潜入しました」

アルベールは、事もなげに言った。

「彼女は、リリアン王女に『明日の議会で、エレノア様が反逆罪を企(たくら)んでいたと証言しろ。さもなくば、お前の家族をどうするかわからない』と脅され、怯えきっていました」

「……ひどい」

「私は、彼女に取引を持ちかけました。リリアン王女の脅迫の証言をし、この売買記録の存在を認めるならば、ヴァルガス家が、あなたの家族の安全を保障する、と」

「彼女は、乗ったのね」

「はい。これが、彼女が震える手で書いた、『リリアン王女に脅迫され、偽証を強要された』という、彼女自身の直筆の告白文です」

アルベールが、懐からもう一枚の羊皮紙を取り出した。

「そして、極め付けは……彼らが用意した『密約書』そのものです」

「!?手に入れたの!?」

「いえ、現物は王妃様が厳重に保管しています。ですが、私の協力者が、その『特徴』を詳細に確認しました」

アルベールの声が、勝利を確信したものに変わる。

「その『密約書』に使われている羊皮紙は、リリアン王女の故国、エルステッドから取り寄せられた、極めて珍しい、特殊な加工がされた高級品でした」

「……それが、どうかしたの?」

「エルステッドの反乱分子と取引するにしては、あまりに『目立ちすぎる』代物だとは思いませんか?」

「……!」

「そうです。それは、リリアン王女が、エドワード王子への『私的な手紙』を書くために、故国から取り寄せた、お気に入りの羊皮紙だったのです。……カレンが、自白しました」

反逆罪の密約書が、他ならぬ、リリアン王女自身の、私物の便箋で書かれていた。

これほど、滑稽で、決定的な捏造の証拠があるだろうか。

「……アルベール」

私は、目の前の男の、恐るべき実力に、戦慄(せんりつ)すら覚えた。

一夜にして、王宮の厳重な警戒を突破し、これだけの物証と証人を揃えるなど、常軌を逸している。

「あなた、一体……」

「申し上げたはずです」

アルベールは、乱れた衣服を整え、私に向かって、深く一礼した。

「私は、貴女の剣であり、盾である、と」

窓の外で、朝を告げる鳥が鳴いた。

「さあ、参りましょう、エレノア様」

アルベールが、私の手を取った。

「貴族議会という名の、断罪の舞台へ。……いいえ、我らの『反撃』の舞台へ」

彼の手に、私は自分の手を、強く重ねた。

リリアン様、王妃陛下。

あなた方が仕掛けた、この茶番劇の幕を、今、わたくしが下ろして差し上げますわ。
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