胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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九章

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 アメリカからの客人は、まだまだしゃべり足りないとばかりに、ろれつの回らない舌でくだを巻いている。冷たい川風が、へべれけに酔っぱらっている彼には心地良く、饒舌の追い風になっているのかもしれない。だが、酒を飲まない吉野には少しばかり厳しい。テムズ川を背に白く塗られた護岸壁に腰かけた彼は、足元の地面にだらしなく座りこんでしゃべり散らすロバートを気にかけるでもなく、寒そうに体を縮こまらせている。

「だからさぁ、横暴なんだよ、あの親父は! 天才だなんだとチヤホヤされてきたからって、いつでも僕のことを見くだしやがって。何様だってんだ! あいつの才能なんて、どれもこれも本物から盗んできたものじゃないか! 自分じゃ、何一つ作りだしたこともないくせに!」

 寿司屋を出てホテルのラウンジに移り、少し酔ったから冷ましたいと川縁の散歩にでた。店にいるときからロバートは父親の悪口を言い続けている。歩き疲れた、と小さな広場の片隅に座りこんでしまってからもまだ終わらない。
 彼の酔いが回っていない間は相槌の一つも打っていた吉野だったが、今はそれすらしない。下手に同意しようものなら今度は怒りだすからだ。憎しみは愛情の裏返し。神よりも偉大な父親のいるその高みにまで自分が行けないから、相手を引きずり下ろす。そのための罵詈雑言にすぎないのだから、本気にするほうが馬鹿を見る。

「あいつに比べりゃ、ヘンリー・ソールスベリーの方がよっぽどすごいよ! なんたって、本物の天才、アスカ・トヅキのパートナーだ。なぁ、きみのお兄さんみたいな人とパートナーシップを組める、ヘンリーこそ本物だよ、なぁ、ヨシノ!」と、吉野の足をぐいと引っ張る。
「おい、やめろよ、落ちるだろ」と吉野は苦笑しながら、足を振ってその手を払った。


 この男はまるで鍵のない家のようだな、と吉野はつくづく思う。自分のようなよく知りもしない相手に、両手を広げて胸の内を吐露する。自己開示が相手の心を開くとでも思っているのだろうが、あいにくここは大学のキャンパスではないし、吉野は彼の友人でもない。彼の父親リック・カールトンの会社は、ヘンリー率いるアーカシャーHDの、誰もが知る競合相手なのだ。

 そもそも彼の尊敬するというヘンリーにしろ、彼の父親、リック・カールトンと立ち位置は変わらない。自分自身は経営に徹し、自ら発明開発に携わっているわけではない。二人とも似た形態の技術集約型企業のトップなのだ。
 だが、その違いは大きい。カールトンは技術に対して対価を支払うことを惜しみ、ヘンリーは適正に支払ったうえ、さらに未来へと繋がる付加価値をも評価に加えた。
 二人とも人の持つ才能を見極める才能があった。その才能の用い方に現れた品性が、今の彼らの関係をもたらしたといえるだろう。

 ロバートのヘンリーへの評価は、この品性に対するものではない。しょせん、この男は、父親の承認が欲しいだけなのだ。ラスベガスの見本市で父親以上の注目を浴びたヘンリーに認められることで、父親を見返したいだけだ。そんなコンプレックスを、四六時中こうも明け透けに巻き散らしている。それが吉野だけでなく、ヘンリーの冷笑をも買っている一因だというのに。

 自分に夢中で気づきもしない。

「ちくしょう! ちくしょう! 今に見てろよ!」

 ロバートはよろよろと立ちあがると白いブロック壁から身を乗りだして、街灯の灯りをきらきらと爆ぜる、黒々としたテムズ川の流れに叫んだ。

「おい、危ないぞ」と、吉野は壁からトンッと飛び降りて、ロバートの腕を掴んで支えてやった。
「まぁ、あんたの気持ちも解るよ。自分は好きなように生きてきて満足だろうが、その影で家族は打ち捨てられてきたんだもんな。今だって、あんたはこんなに必死で努力してんのに、結果を出さない限り鼻にも引っかけてもらえない。でも、そんな悔しい想いも、じきに過去のことになる。あんたの会社がナスダックに上場するころには、世界中があんたを拍手で迎えてくれるさ」

 夢はそれが夢であることを自覚することで、意識を現実に引き戻す。けれど、夢だということに気づかなければ、酒以上に酔わせてくれるものだ。ロバート・カールトンはどうやら後者だったらしい。

「そうだ! 僕はできる! ヘンリーのパートナーになって、世界に君臨するトップ企業を僕たちの手で作り出すんだ!」


 お前じゃ飛鳥にはなれない――。

 声にされることなく呟かれた吉野の言葉は、彼には届かない。だが、たとえその声が届いたとしても、彼は気にすることもなかっただろう。そして、こう言うに違いない。
 もちろん、飛鳥に成り代わりたいのではない、と。自分はいまだ見出されていないだけで、同等の、否、それ以上の逸材だ。なんといっても、あのリックの息子なのだから。人間の能力の半分は遺伝によって決まるのだ。自分が父親の成し得た以上のことが、できないはずがないではないか、と。

 出会った日から何度も聞かされてきた彼の信念を思い起こして薄く苦笑しながら、吉野は軽く彼の背中を叩いた。

「さぁ、戻ろう、ボブ。ホテルまで送ってやるからさ」

 中身のある話は、まだなんの進展もしていないのだ。
 予想通り、帰れるのは朝になるな、と吉野は顔をのけぞらせて頭上の月を眺める。そしてモッズコートの両ポケットに手をつっこむと、ふぅ、と闇に向かって大あくびをしたのだった。





*****


NASDAQ(ナスダック、National Association of Securities Dealers Automated Quotations) アメリカ合衆国にある世界最大の新興企業(ベンチャー)向け株式市場。



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